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機関紙るうてる

るうてる2020年9月号

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説教「主が共に」

日本福音ルーテル恵み野教会牧師・札幌教会協力牧師 中島和喜

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイによる福音書 1・23)

私が遣わされている恵み野教会には、教会が建てられた当初から来られていたご高齢のご夫妻がいました。どれくらいご高齢かというと、作家の三浦綾子さんと青年時代に一緒に活動していたというぐらいにはご高齢でした。「綾子さんはね…」と親しそうに話す姿に、初めは「それほどの親しみを覚えるほどにたくさんの本を読んできたのか」と思っていましたら、本人と仲が良かったと聞かされた時には大変驚きました。そのご夫妻はいつも信仰の話を穏やかに話してくださり、まさに主が伝える「平安」を体現しているようなご夫妻でした。しかし、お二人ともご高齢であったため、今年の年初めから夫婦それぞれ施設に入ることになり、教会にはなかなか来られなくなってしまいました。最初は訪問させていただきましたが、COVID–19の影響により親族以外は施設に訪問することが出来なくなり、電話や手紙でのやり取りになっていきました。いつも穏やかであったお二人からも「寂しい」という声が次第に挙がるようになり、自粛という事態に重くのしかかる「孤立」という問題に直面することとなってしまったのです。今まであった関係の方々と交わりを持てないことの痛みはとても大きいものです。私たちが思う以上に「寂しい」という感情は苦しみを伴うのです。寂しさを携えながら日々を過ごさざるを得ない中で、そのご夫妻は5月、7月と短い期間でお二人とも天に召されました。

お見舞いはおろか、臨終の際にも少しの時間しか与えられず、誰もいない病室で静かに最期を迎えることはどれほどの痛みだったのだろうかと考えずにはいられませんでした。その悲しみの淵にある中で、ご遺族の方から「葬儀の際に読んでほしいみ言葉を本人が生前に決めていた」と伝えられました。そこで与えられたみ言葉はルカ24章36節、復活の主が弟子たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と語られた箇所でありました。そのみ言葉によって、まるで「私は大丈夫ですよ」と声をかけられているような感覚を抱き、ようやく私は思い起こしたのです。たとえ最期は一人であったとしても、その場所には必ず主が共にいてくださったはずだと。そのことを通して、私は大きな慰めを受け取ったのです。

今、私たちはマタイ福音書を読み進める年が与えられています。マタイ福音書は「神が我々と共にいてくださる」という言葉と共に始まっていく福音書です。まさに今、私たちが思い起こすべきみ言葉であるように思います。「主が共にいてくださる」というみ言葉を、私たちは今どれほどの喜びをもって受け取っているかを問い直したいのです。

私たちは今、COVID–19の影響により何もかもが中止となり、活力を失っている時期かもしれません。何が出来るだろうかと考えると常に、「何もしない方が良い」という答えが付きまといます。その結果、各地で孤立の痛みが起こっているように思います。だからと言って、なり振りかまわず活動再開をすれば良いというものでもありませんから、私たちは余計に葛藤を抱かされます。そんな私たちにできることはなによりもまず「主が共にいてくださる」という喜びをまず私たちが享受することではないでしょうか。苦しみと直面すると、私たちはその豊かさを見失っていきます。だからこそ、今一度思い起こしたいのです。私たちに与えられている信仰は必ず「主が共に」という喜びを与えてくださるのです。たとえどのような状況になろうとも、私たちは孤立することはないのです。そして今度はその喜びを誰かに伝えていくことが、今の私たちにできる働きであるように思います。その方法を考えることはまた難しいものですが、いつであっても私たちはまず、自らの豊かさから出発していきたいのです。

あなたは一人ではありません。いつも主が共にいてくださるのです。今もなお苦しみの中にある方々を覚えて祈り続けていきたいと願います。あなたがたに平和があるように。

エッセイ 命のことば 伊藤早奈

⑥「叫び」

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11・28)

「失礼しまーす。おはようございます。」いつもあまり訪問しないお部屋に、なんとなく訪問しました。その時、部屋の方はベッドに仰向けのまま目を開かれておられたので、冒頭にある聖句をお読みしました。すると突然「おー!」っと叫ばれ、びっくりした私は「あっごめんなさい。うるさかったかしら?」と言って、その方を覗き込むとキョトンとされてたので、あれ違ったかなぁ、うるさいから叫ばれたんじゃなかったとしたら、じゃぁあれはなんだ?と思いながら、その方のお部屋から出て他の部屋へ行きました。
他のお部屋でも初めに訪問させて頂いたお部屋の方と同じ聖書個所をお読みしたとき、いつもはあまり反応のない、他のお部屋の方から「ありがとう。」と言われ、驚きながらももしかしてと思い、初めに訪問させて頂いた方のお部屋に行き、「先ほどは「ありがとう」って言われたんですね」と言いましたが、その方はスヤスヤ眠られておられました。
その数日後、初めに訪問し、私がマタイ11・28をお読みした時「おー!」と言われた方は亡くなられました。「おー!」って聞こえたあの言葉は「ありがとう」だったのかなと思います。なんで、あのお部屋に訪問して、あの聖書個所をお読みしたのだろう?と今でも私の中の不思議です。でも亡くなる前に訪問し聖書をお読みできて良かったと思うと同時に、その方が重荷をイエス様に捧げ、休まれておられるのだと安心できるのです。

議長室から

総会議長 大柴譲治

「人生の午前と午後」について語ったのはユングでした。午前中に私たちは遊びや勉強、仕事やボランティア、結婚や子育てなど「行為(Doing)の次元」で一生懸命頑張ります。それらが一段落してから今度は「存在(Being)の次元」を大切にする午後が始まるのです。ユングによれば「人生の午後の時間」は「魂を豊かにしてゆく時」となります。
私たちは存在と行為を二つの次元に切り分けることはできません。それらはグラデーションのように濃淡を変え、区別はできても分離はできないものとして重なっているように思われます。しかし、存在は確かに行為に先立ち、その前提です。人はどこまでも「human being」であって「human doing」ではないのです。「譲治、齢をとるということは大仕事なのよ」。これは私の母が晩年によく言っていた口癖です。私自身も齢を重ねるうちに次第にそう思うようになってきました。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」(ヨブ1・21)とあるように、私たちは生まれた時に裸であったように死ぬ時も裸です。死後に何も持ってゆけない。どれだけ多くのものを生涯で獲得したとしても、すべてを後に置いてゆかねばなりません。「空の空、一切は空」とある通りです(聖書協会共同訳コヘレト1・2)。「空」とはヘブル語で「ハベル(ため息)」を意味し、それを「出るのはため息ばかりなり」と意訳することもできましょう。
しかし実は私は、一つだけ私たちが持ってゆくことができるものがあると信じています。それは自身の「魂」です。だからこそ魂を豊かにすることが大切になるのです。ではそのためにどうすればよいか。マザー・テレサは「人の価値はいかに多くのものを自分に獲得したかにあるのではなく、いかに多くのものを他者と分かち合ったかというところにある」と言いました。魂の豊かさは他者との連帯の中で与えられてゆくものであり、天から私たちに管理を託されたものを豊かに分かち合ってゆく喜びの中に培われるものなのです。そこには、思いのまま自由に吹く聖霊の風のそよぎがあり、天からの光の祝福があり、深い魂の喜びがあります。
人生の午後がいつ始まるかは私には分かりません。魂を豊かにしてゆくためにその時間を使うことができるならば、「一切は空」に見えるこの世の現実の中にも必ず「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた」(聖書協会共同訳コヘレト3・11)という喜びの次元が見えてくると期待しています。

「教会讃美歌 増補」 解説

③「増補」版の目的と意義
讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

今回は「増補」版の目的と意義についてお話ししたいと思います。まず「増補」という言葉の意味ですが、それは前に出た書物の不十分な所を補うこと。ルーテル教会において、前に出た歌集とは言うまでもなく「教会讃美歌」のことです。諸先輩方の多大なる尽力によって1974年に発行された「教会讃美歌」は、ルーテル教会内のみにとどまらず、他教団や他教派のその後の讃美歌集にも少なからぬ影響を与えました。当時、教会暦の順に収録された讃美歌集というのはまだ珍しく、また北欧のルーテル教会が産み出した讃美歌がたくさん収録されたことも特筆すべきことでした。「教会讃美歌」が産声を上げるまでは、日本基督教団出版局の「讃美歌(1954年版)」を使うしかほぼ選択肢がなかったことを考えると、ルーテル教会の伝統と神学が反映された「教会讃美歌」の誕生はまことに喜ばしいことでした。私たちは「教会讃美歌」によって、初めて私たちルーテル教会自身の讃美歌集を持つに至ったからです。
しかし、この画期的な「教会讃美歌」にも足りない部分はありました。子どもや若者が喜んで歌える讃美歌が少ないこと。諸外国の新しい時代の歌―とりわけアジアの国々の讃美歌が少ないこと。何よりも邦人の手による讃美歌がほとんどないこと。これらの点を補うべく、委員会では本紙上でルーテル教会員に向けて新しい讃美歌の公募をしました。また、委員で手分けして諸外国のルーテル教会で歌われている新しい讃美歌を探しました。そして、ルターの宗教改革500年(2017年)を機に出版されるということに鑑み、「教会讃美歌」には収録されなかったルターのコラールをもれなく紹介するという目標も掲げました。これによって「増補」版には、ルーテル教会の揺籃期と、それから500年を経た現代に生きる私たちの賛美と祈りと信仰告白とが同居することになります。
歌は世につれ世は歌につれと言われますが、讃美歌の場合、新しい歌が良くて、古い讃美歌は時代遅れということには必ずしもなりません。古くても新しくても、良いものは良い。時代を超えて歌い継がれていく讃美歌というものがあるからです。「増補」版に収録される讃美歌もそのようになってくれますように。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

②信徒の集まり(Assembly)
—今、この時における日本の式文改定(Renewing Worship)(ハンドブック35~38ページ)
ゴードン・W・レイスロップ(フィラデルフィア・ルーテル合同神学校礼拝学名誉教授)
(翻訳・平岡仁子)

感染症が世界的に流行するこの時さえも用いて、神は私たちに贈りものをお与えくださいます。「万事が益となるように共に働く」(ロマ8・28)。なぜなら、世界中の多くの町において、礼拝で直接会うことができない私たちは今この時、私たちが果たせないことを一層明確に捉えなおすことが出来るからです。ルター派の人々は告白します。教会とは「全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」(アウグスブルク信仰告白第7条)。
感染症が蔓延するしばらくの間、愛の行為において、更なる感染から私たちの隣人や町を守るために、私たちは「信徒の集まり」を実践できずにいます。しかしこの時、私たちは「信徒の集まり」がどんなに大切かを理解することになるでしょう。
では正確に、「信徒の集まり」とは何か?キリスト教の集まりとは次のことを行う人々による、公に開かれた集まりです。
—聖書朗読、詩編と讃美歌の歌唱、イエス・キリストの福音の宣言、洗礼の実践と想起、とりなしの祈り、聖餐の感謝の祈りと授与、欠席者へのパンとぶどう酒の奉仕、世界の宣教と困窮する人々のための献金、そして最後に、世界への証言と奉仕のために全信徒の集まりを派遣すること。
これらすべては牧師と共に、参加者全員によって実践され、他の誰かの行為をただ眺めることではありません。そしてこれが「全信徒の集まり」です。私自身の信仰において、少なくとも私は信徒の集まりなしに生きることはできず、キリスト者であることはできないと思います。
しかし感染症の蔓延故に、私たちの隣人への愛のために、時に私たちはそれなしに生きることを余儀なくされます。その時、私たちは真剣に「信徒の集まり」が何であり、どんなにそれを必要としているか知ることができるのです。
しかし神の憐れみによって、私たちは再び集められます。そして、「式文改定」(Renewing Worship)が意味することはキリスト者の集いを真実形作るそれらのことを際立たせ、再び「信徒の集まり」にすることです。
皆さんの新しい典礼は実際、新しいものではなく、—全てのイエス・キリストの教会との交わりにおいて—回復された「信徒の集まり」の伝統的かつ確かな中心に位置するものです。それ故、古くて新しい皆さんの典礼によって回復される「信徒の集まり」もまた、この厳しい時代に与えられる神様からの贈りものです。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人 希望園
理事長 太田一彦(鶴ヶ谷教会・仙台教会牧師)

新型コロナウイルスを巡る状況は今も懸念の一途を辿っています。私たち希望園は仙台市で三つの保育園を経営していますが、この半年の間、大きなジレンマの中に身を置かざるを得ませんでした。なぜなら保育園は休園することが出来ないからです。仕事を休めない保護者も多いため園を閉じてしまうことは出来ません。しかしこの目に見えないウイルスから子どもたちを守らなければならない、子どもたちへの感染は必ず阻止しなければならない、それが私たちの最も重要な責任だからです。
今も仙台市と連携を図りながらエビデンス・ベースに立って、緊張の中で保育を続けているところです。園としての例年のプログラムは市からの要請も踏まえつつ全て中止となりました。そんな中で日々の保育が惰性にならないように、また子どもたちが閉塞感や不安を感じないように、現状下で出来ることを模索しながら保育士の創意工夫のもと保護者と力を合わせて、保育を続けています。
このような状況下で、私が理事長として保育士に、また在園児と保護者に伝えていることはネガティヴ・ケイパビリティということです。つまり、おいそれと答えがでないような事態に耐える力、拙速な答えを求めずに耐えていく力、問題を回避せず、例え事態を見通すことができなくても、問題をしっかりと見据えて、耐え抜く力を身に付けようという事です。
そしてそこから立ち上がっていく力、レジリエンスをこのコロナ禍という状況下で大人も子どもも鍛えていこうということを話しています。短い時間で正しい答えを出すことだけが価値、目的ではないということをです。
幸い現在のところ、関係者に罹患者は出ていませんが、保育園としての使命と責任を改めて自覚して前に進んで行こうと考えているところです。

「光の子学園の報告・課題・展望」

光の子学園園長(管理者)山下学(門司教会)

光の子学園は障礙(主に知的)幼児に療育サービスを提供する児童発達支援センター(通園)です。心と体の発達を第一義に、知能と技能の発達支援を行っています。
今年1月下旬から、にわかに始まった新型コロナ禍は、何もかもが初めて経験することでした。何が正解なのか解らないまま、北九州市内に4園ある他の児童発達支援センターや市の担当課と連絡を取り合いながら情報を共有し、臨時職員会議を再々開いて、対応を協議・決定することを繰り返してきました。
ただ、「新しい生活様式」、職員のマスクの常用は、子どもに表情が伝わりにくく、心(感情)を育てる支援の阻害となる上に、ソーシャルディスタンシングも人間不信を抱かせかねないタイプの子どももいたりで、職員は歯がゆさを抱えながら保育・療育に日々奮闘しています。感染対策を講じつつ、支援の質を担保するにはどうしたら良いのか、その最善を導き出すことが、私たちに重要なテーマとなっています。
北九州市では、他に先駆けて5月末に第2波が到来。4月から6月末迄、園児・保護者に通園の自粛を呼び掛けざるを得ませんでした。園舎内外並びに通園バス設備・備品の消毒、職員・園児の手指消毒を徹底し、ほぼ半数の家庭に通園の継続を選択いただきました。残る半数の自粛家庭には、電話相談在宅支援とオンライン設定保育在宅支援を毎日実施しました。
この間、私たちが一番に心掛けたこと、それは、強迫に陥らないこと。備えに万全を期しつつ、溢れる情報に振り回されないことだったように思います。
最後になりましたが、全国支援者皆様の祈りに光の子学園の療育が支えられ守られていることに、主に心から感謝しています。

箴言16章9節「主が一歩一歩を備えてくださる」

福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)

李明生(田園調布教会牧師)

福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)は、エキュメニカルなキリスト教諸教派・諸団体からの支援によって2012年2月から始められました。EIWANでは、東日本大震災で被災した外国にルーツを持つ女性達と日本人が協働で、日本語学習の支援・地元市民と移住女性の出会いと協働の機会作り・移住女性の子どもへの支援(学習支援と継承語教育支援)・移住女性とその子どもの保養プログラムの実施と支援・移住女性グループ支援とネットワーク作りなどのプログラムを行っています。
活動の一つである、子どもが親の母語を学ぶ「継承語教育」は、子どもがアイデンティティを確認し自己の尊厳を守るために「子どもの権利条約」においても明記されている事柄です。EIWANでは、福島県内の3教室と連携して、宮城県・山形県・新潟県の中国語・韓国語の継承語教室に呼びかけ、合同学芸会としての「子ども多文化フォーラム」をこれまでに4回開催してきました。こうした催しは東北地方においては画期的であり、日本の多文化教育の可能性の一端を示すものとなりました。
しかし今年はCOVID–19の影響でプログラムを大きく変更せざるをえなくなっています。日本語サロンは休止せざるをえなくなり、現在はオンラインによる開催を試みています。また春から夏に予定されていた子ども同士の交流プログラムや他県への保養プログラムも延期となりました。無論これらのプログラムだけでなく、移住女性の家庭や移住労働者の職場にも影響が出ています。言葉の壁のために支援制度にアクセス出来ない人々、一旦出国してしまうと期限内での再入国が困難になり在留資格を喪失する危険があるため、母国に一時帰国することも出来ない人々など、様々な問題についての相談が寄せられているのが現状です。これは日本社会の中で移住者の置かれた立場がいかに脆弱なものであるかを如実に示すものであるといえるでしょう。
東日本大震災から9年が経過し、多くの政府関係団体・民間団体が被災地から撤退しています。しかし解決されていない課題はまだ多く残されているのが現実です。しかし、福島での多文化共生のためのネットワークを構築していく取り組みは、必ず日本社会全体を新たなものとするようなインパクトを持つものとなることでしょう。どうぞ引き続き、EIWANの活動を憶えてお祈りとご支援をよろしくお願い申し上げます。

日本福音ルーテル教会の出版物をご活用下さい

このたび、日本福音ルーテル教会がこれまでに作成してきた出版物の在庫確認を行い、頒価を改定いたしました。。是非各教会でご活用下さい。
詳しくは、来月号本紙にてご紹介します。

九州教区豪雨災害支援活動報告

角本浩 (九州教区長・ 神水・荒尾・ 合志・ 松橋教会牧師)

7月3日から九州で降り始めた豪雨は、特に熊本南部で大きな被害をもたらしました。熊本南部の水俣教会の関牧師と、教区の白川、安井両師ならびに 本が連絡を取り合い、支援活動を開始。熊本地震のあと、九州教区ではいざという時に教区長、副教区長、財務部長の三者のうち2名が同意すれば、100万円を上限に活動できるという積立基金を設けています。
今回その基金を用いて、初動を展開しました。詳しい内容は、「ルーテル九州教区支援情報」をブログやフェイスブックでご覧ください。安井先生が丁寧にアップしておられます。
第1クールでは、熊本南部での支援物資の情報を現地で収集し、これを全国に発信。物資支援をお願いする期間を2週間ほど設けましたが、出だしの数日で予想をはるかに超える物資が送られてきました。水俣教会を送付先にしていましたが、途中神水教会に変更。さらに神水に送られてきた物資も十分な量を超えたので一旦停止をお願いすることになりました。
物資支援をお願いしてから、一旦停止をお願いするまで、わずか5日です。全国各地の皆様の祈りと、いち早い支援物資集めと発送の動きが伝わりました。この場をお借りして、皆様のご支援、ご祈祷に心から感謝申し上げます。皆様の祈りに後押しされております。
物資を受け取りつつ、これを仕分けする作業、物資を必要とする方々との関係構築、物資輸送というのが第1クールでした。
私が今この文章を書いているのが8月3日。現在、第2クールに入ったところです。残っている物資を最後まで運ぶことと、もうひとつは、関係を作って来た芦北・津奈木地区のボランティアセンターでのボランティア活動に参加していくこと。さらに、熊本南部の豪雨に引き続き起こった筑後地区での豪雨災害への対応も、遅ればせながら始めているところです。
この原稿を皆様がお読みになるころには、また次の段階に入っているかもしれません。なにせ、感染拡大とあいまって先の長い取り組みになっていきそうだからです。
なお、今回の活動をするにあたって、「オンライン会議」が力を発揮したことは特筆すべきことかもしれません。刻一刻状況が変わる中、今日何がどこまで進み、明日は何が課題であるか。担当者がほぼ毎日オンライン上で情報を共有し、協議を進めて来ることができました。
被災された方々の上に神さまの助けが届きますように。援助活動をする方々の働きが守られますように。主に祈りつつ。

第2回オープンセミナリーのご案内

三浦知夫(神学教育委員長・東京池袋教会牧師)

日本福音ルーテル教会(神学教育委員会)では、日本ルーテル神学校と日本ルーテル教団神学教育委員会との共催で、献身者を起こすための継続的なプログラムとして、昨年より「オープン・セミナリー」を開催しています。
昨年は神学校を会場に1泊2日のプログラムでしたが、今年はオンラインでの開催として計画しました。将来神学校への進学を検討している方、教会と牧師の働きに関心を持ち将来の宣教を担う可能性のある方、教会関係諸施設で働いている方、働こうとしている方、働いて欲しい方を対象に、神学校の雰囲気を知っていただき、教会と牧師の働きについて学び、それぞれの信仰について分かち合う機会を持ちたいと考えています。
日時は、2020年10月18日(日)15~17時、休憩(夕食)、19~21時で、オンラインでの開催です。プログラムは、礼拝、模擬講義、神学校についての紹介や質問、神学校での生活の紹介、交わり、証しなどを予定しています。対象は、18才以上30代までの日本福音ルーテル教会・日本ルーテル教団の信徒で、参加者は10名までとさせていただきます。参加を希望される者は、所属教会牧師からの推薦とともに各教区長にお申し込みください。詳細は各教会牧師までお問い合わせください。申込みの締め切りは9月20日(日)とさせていただきます。

立山忠浩(日本ルーテル神学校校長・都南教会牧師)

昨年は三鷹の神学校を会場に「第1回 オープン・セミナリー」が開催されましたが、今回はオンライン(Zoom)による会となります。神学校を会場にして、皆さんと直接お会いしてのセミナリーが望ましいのですが、新型コロナウイルス禍では仕方がありません。
神学校の模擬授業、神学生との交流、質問コーナーなどのプログラムを準備しています。私自身にとって神学校は実に遠い存在でした。でもインターンに来ていた神学生から神学校の話を聞いて、実に近い存在となったのです。用意するすべてのプログラムが、皆さんが神学校をより身近に感じていただくためのものです。
神学校の教師陣が皆さんのご参加を心よりお待ちしています。

第29回定期総会延期のお知らせ

滝田浩之(事務局長)

8月6日(金)に行われた第10回臨時常議員会において、9月21日(月)に分散した会場で開催する予定であった第29回定期総会を2021年5月4〜5日(火〜水)に再延期することが決定されました。
日本福音ルーテル教会規則第4編第2章第36条に「総会議長は、やむを得ない理由により5月中に定期総会を招集することができない場合には、招集の時期を多少変更することができる」とあり、この「やむを得ない理由」と「多少変更できる」という文言に今回の状況が当てはまるかどうか常議員会は審議を行いました。常議員会としては7月後半から猛烈な勢いでCOVID–19の感染が全国に拡大していることを総合的に勘案すると再延期は「やむを得ない」と判断したところです。また感染症の状況を見極め対処していくことを確認し、開催予定を2021年5月といたしました。今後、感染症の状況によって早期開催が可能な場合は、開催を検討することとしています。また同じく、5月開催についても開催できる合理的環境が整っているかについて検討されることになります。
付帯決議として宗教法人「日本福音ルーテル教会」規則第2章第1節第8条3項「会長及び常議員は、辞任または任期満了後でも、後任者が就任する時まで、なおその職務を行うものとする」に基づき、第28回定期総会で選出された常議員が次回開催される定期総会まで任を担うことを確認しました(現段階では来年の5月末までとなります)。この条項に伴い第28回定期総会で選出されている常置委員も引き続き任にあたって頂くことになります。
丸1年、定期総会が延期されるという事態の中で、決算や予算の承認という宗教法人法上整理をしておくべき課題については宗教法人「日本福音ルーテル教会」規則第2章第4節第26条に「総会の権限に属する事項で総会閉会中の緊急必要な事項は、総会に付議しないで、常議員会において決定し、及び執行することができる」に基づき検討すること、また定期総会にて審議する予定であった議案の扱い方、常議員、常設委員の選任や任期の問題などについては9月21日(月)に臨時常議員会を開催し検討することとしました。
このように総会を「延期」という決断をする中で改めて確認されていることは、日本福音ルーテル教会は集まって審議を行い、賛否をとって、その方向性を確認することを非常に重要な意思決定のプロセスとしている点です。この点を鑑み、また日本福音ルーテル教会憲法・規則に照らして「書面決裁」での定期総会の開催は現行の憲法・規則では困難との認識を顧問弁護士、また法規委員長の意見を踏まえ共有しているところです。
総会閉会中は、引き続き第28回定期総会で選出された常議員が、その任を担って参りますが、「総会」に付託されている責任の大きさを自覚しつつ、何よりも、この感染症拡大の中で起こってくる様々な課題に各教区と対話をしつつ、一つ一つ丁寧に対処していく所存です。よろしくご理解のほどお願い申し上げます。

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