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機関紙るうてる

るうてる2017年1月号

説教「自分のそばに置くため」

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「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」       (マルコによる福音書3・13~15)

ルーテル神学校の創設に尽力されたスタイワルト先生(写真左下)は、この『馬子傳福音書』(同)をいつも手もとに置いておられたと伺っています。この聖書はヘボンとブラウンがひそかに世に送った木版刷りのもので、マルコ福音書で現存する最も古い日本語訳です。 明治のはじめ、1872年といえば、まだキリシタン禁制の高札が掲げられていた、いわば迫害のときでした。長崎の浦上の人たちが捕えられ、津和野をはじめ各地に送られ、多くの人が殉教された時代でもありました。スタイワルト先生はいったいどのような思いで、この『馬子傳福音書』のページをめくっておられたのでしょうか。
 今回与えられました御言葉ですが、『馬子傳福音書』では次のようになっています。「さて山にのぼりて こころにかなふものをよびしかば 彼にきたれり すなわちおのれとともにをり また教をのぶるためにおくり かつ病をいやし 鬼をおひいだすの権威をもつために 十二人を立たり」。実に簡潔ですが、とても正確に翻訳されています。
 新共同訳には「使徒と名付けられた」という文章がありますが、実はギリシャ語の本文(ほんもん)では、この部分は[かっこ]に入っています。それは、もともとこの文章はなかったのに、後代に付け加えられた可能性が高いとされているからです。『馬子傳福音書』にも「使徒と…」という文章はありません。なぜこのようなことを書かせていただいているのかと申しますと、イエスさまは12人に限らず、私たちをも招き、私たちの名を呼んでくださっているからです。それは、「そばに置く」および「派遣し」という言葉が、原文で「現在形」によって表現されていることからもわかります。
 つまりイエスさまは「今・ここで」、ご自身のそばに私たちを置きつづけ、神さまご自身のご宣教の御業に与からせていただくために、私たちを派遣していてくださるのです。そのために、私たちの名を呼んでくださっているのです。何という恵みでしょうか。
 今年、私たちは「宗教改革500年」を記念いたします。ルターはいわゆる「95箇条の提題」と呼ばれる神学討論を提示しましたが、その第1条に、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めなさい・・・』と言われたとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである」と記して、日ごとの悔い改めを勧めています。 
 「悔い改め」という言葉を聞くとき、「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら・・・神様、罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18・13)と祈った徴税人のことを思い起こします。この徴税人と対照的なあのファリサイ派の人のようではない、と私たちは思い込んでいないでしょうか。
 日常生活の中で、私たちは神さまの御前にいつも罪を犯しています。他人をねたんだり、自分が正しいと思うときには親しい人とも言い争ったりします。その人のためにと思っての一言やちょっとした態度が、相手の心を傷つけてしまう場合も多いのです。しかしながらイエスさまは、そんな弱い私たちの全ての罪をご自身の十字架において担ってくださり、私たちを罪と死から自由にしてくださいました。主イエス・キリストに結ばれ、主ご自身を身にまとう者としてくださいました。宗教改革を記念するこの年は、「日ごとの悔い改め」の大切さを、主から教えていただき、日々赦しの恵みのうちに生かされるときでもあるのです。
 「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ・・・」との御言葉を聴くとき、主が私たちの罪をいつも赦し、私たちと共に居てくださり、私たちのまわりの方々に仕えることができるように、私たちを慰め、励まし、整えていてくださることを思うのです。自分が苦しい状況に置かれているときにも、その相手の人に、「主なる神さまの平安がありますように」、と祈ることがゆるされているのです。日本福音ルーテル教会 引退教師 乾 和雄

連載コラム enchu

10【dialogue】

 永井均さんの『子どものための哲学対話』(講談社)という本は、「ぼく」の問いに猫の「ペネトレ」が答えるという対話の形で進んでいくのですが、その本の中にこんな対話があります。
 ぼく「こまっている人や苦しんでいる人がいたら、助けてあげるべきだよね?」
 ペネトレ「いや、こまっている人や苦しんでいる人を、やたらに助けちゃいけないよ」。
 さて、この頁には3コマの挿絵があるのですが、それがペネトレの返答の補足になっています。①女の子がクラリネットのドとミとソとラの音がでなくなってしまい泣いています。②そこに、男の子がやってきて泣いている彼女に声をかけます。「ちょうどよかったボク(のクラリネット)は、レとファとシの音がでなくて困ってたとこなんだ。協力してくれない」と。③そして2人は仲良く笑顔でクラリネットを奏でる、というものです。この挿絵が補足しているメッセージは、「相手が助けてもらったことに気がつかないような助けかた」の大切さ、です。
 ところで、インマヌエル(神は我々と共におられる)を信じるキリスト者は、このように自分が助けられていることを知っている人と言えるでしょう。「私が気づいていないときも、主は共にいてくださる」と。そうであるならば、私たちは、ペネトレの最後の言葉を心に留めておきたいと思うのです。「これだけは覚えておいてくれよ。自分が深くて重くなったような気分を味わうために、苦しんでいる人を利用してはいけないってこと…」。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

福音の射光に浴する一年を 総会議長 立山忠浩

明けまして、おめでとうございます。皆さまの新しい年の歩みの上に、神様のお導きとお守りをお祈り申し上げます。
 今年の元旦は日曜日と重なりました。み言葉と共に、聖餐に与る礼拝をもって今年を始められた方も多いことでしょう。
 個人的なことですが、私は元旦礼拝や年頭の主日礼拝の聖餐の歌として、教会讃美歌262番を選曲することにしています。「朝日に向かい、ひざまずくわれを、主よ、あわれみたまえ」と繰り返される歌詞に惹かれるからです。日本古来の元旦の習慣のひとつに「ご来光を拝む」というものがありますが、もちろんそういうことを強調したいからではありません。ただ、新年に思いを新たにして、太陽の光に思いを馳せることはむしろ相応しいことだと考えるからです。
 今年1年間読むことになるマタイによる福音書は、イザヤ書を引用して、「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(4・16)と記しています。この「光」とは太陽の光のことですが、それはイエス・キリストのことであり、福音そのものであると教えているのです。
 私たちは自分の生きている時代のことしか実感できませんので、この時代だけが特別だと考えてしまいがちです。世界的な政情や経済の不安が増大し、紛争やテロが勃発するたびに、この時代だけが特別に暗闇と死の陰が蔓延していると思い込んでしまいますが、そうではありません。聖書はいつの時代もそうであると教えているのです。
 ただ、その現実だけを聖書は見つめているのではありません。たとえそのような厳しさがあったとしても、もっと重要で、もっと幸いに満ちた事実を忘れてはいけないことを喚起しているのです。それが暗闇と死の陰に射し込んでいる太陽の光だと聖書は教えているのです。
 この1年間も様々なことが起こることでしょう。喜びごともあれば悲しみもある。個人的にも、日本でも世界中でもそうでしょう。教会においても同様です。特に私たちルーテル教会は、今年は宗教改革500年の記念すべき年を送ることになりますので、喜びと感謝に満ちた年になることを願っています。
 何ごとをなすにしても太陽の光がそうであるように、私たちの歩みにはイエス・キリストによる福音の恵みが射し込んでいるのです。この安心の中で新しい1年を過ごしてまいりましょう。

「松本こども留学」これからの展望

  プロジェクト3・11企画委員       谷口和恵

 11月22日、また福島で震度5弱の地震がありました。4月には熊本・大分地震、10月には鳥取地震と、私達は地震列島に住んでいる現実を突きつけられています。
 そんな中、福島の原子力発電所や放射能汚染のことがメディアに取り上げられることがめっきり減ってきました。現地には子どもたちを安心して外で遊ばせられないお母さん達がおり、結婚して子どもを持つことはできないのではないかと心配している若い女性達がいます。ものすごく長いスパンでしか減っていかない放射能が未だあるのです。そして放射能の人体への影響は、チェルノブイリ原発事故のデータにもあるように、これから増えていくと思われます。
 「松本子ども留学」に関わりだして3年が経とうとしています。自分たちの意思で、また親御さんの思いで、放射能の心配の無い所で学校に通いたいと福島を離れた当初8人の女の子達。この間、中学を卒業して福島へ戻った子、また松本での高校生活を選んだ子がおり、現在寮生は3人となりました。寮のスタッフも福島へ出向き、安全な場所に子どもたちを送ってもらうよう広報活動に頑張っていますが、数年の長期間となると二の足を踏む親御さんが多いのが現状です。
 しかしこの間、短期の保養プログラムに力を入れており、この夏も約10家族が滞在し、安心できる場所で夏を満喫しました。福島では保養の必要性を理解する親が確実に増えているとのこと。松本子ども留学がその受け皿になっていくことが今後増々求められるでしょう。
 先日寮に行った際、心に残る話を聞いてきました。それはここで数年を過ごした子たちが日本のみならず海外からも多くの支援を受けいろいろな人と関わる中で、自分の将来を考える時に人の役に立つ生き方をしたいと模索し始めているということでした。それは私達にとっても希望です。「松本子ども留学」は多くの人のご支援、ご協力で成り立っています。どうぞお祈りにお覚えください。(プロジェクト3・11は「松本子ども留学」を支援しています。)

東海教区2016年信徒大会を終えて「聞いて見て歌って ルターを感じて!」

浅川 広(岡崎教会)

 7時50分、集合時間より20分も早いがスタッフはすでに到着していた。「おはようございます」と少し緊張して挨拶をした。全員でお祈りをする。ロビーの扉はまだ開いていないが、ホールのはからいで予定時刻前に準備にかかることが出来た。
 タイムスケジュールを受け取り、各担当に分かれ、それぞれの場所に向かう。壇上の確認をして、横断幕を吊る。オルガンが運ばれて来た。指示された場所を持って慎重に運ぶ。意外に軽い。立て看板の設置、壇上、ロビー、玄関を確認する。
 講師の中川浩之さん、小杉由子さん、柳沢知津江さんが到着。挨拶をして担当が楽屋まで案内した。
 10時25分予鈴が鳴る。オルガンが鳴り会場が静かになった。開会礼拝の始まり。聖書を読む、賛美歌を歌う、説教を聞く。教会を感じるひと時。
 礼拝が済み、壇上は講演会の準備が整う。中川さんの講演が始まる。「絵画でたどるルターの生涯」。ご自身の描かれた絵と集められた資料をプロジェクターで映して話しをされた。シュトッテルンハイムで雷に打たれた所、贖宥状、献金箱、95箇条の提題、アウブスブルクの信仰告白は特に興味を持って聞くことが出来た。資料は多いが話される内容はわかりやすい。ずいぶん時間をかけて準備されたものと思う。「1時間では短い」と思われた方もいるのではないか。
 休憩中、壇上では午後の準備の音が響く。
 午後は小杉さんと柳沢さんのコンサート。舞台裏では、空調の音、厚いカーテン、反響板に遮られ、余り聞こえない。しかし場内の反応は良くリハーサルから本番まで小杉さんと柳沢さんにはただ感謝。
 閉会礼拝が済み、片付けになった。ホールの方の手助けもあり順調に進んだ。片付けが済んでから感謝のお祈りをして解散した。しかし講師の方々を見送ることを忘れてしまった。中川さん、小杉さん、柳沢さんにはとても失礼をしてしまった。こんな私達を使った神様は緊張の連続で胃が痛かったのではないか。欠けの多い私達が神様に守られた2年と1日が終わった。

宗教改革500年にむけて「ルターの意義を改めて考える」56

 ルター研究所所長 鈴木浩

 「義人にして同時に罪人」と語るルターは、「健康にして同時に病気」とも言い、「イエス・キリストの十字架での苦難と死という場所以外では、神は決して認識されない」と言い、そしてその場所でも、「神は啓示されていると同時に隠されている」とも言っている。
 どれも正反対の事態を「同時に」という言葉で結び付けている。『キリスト者の自由』では、冒頭に「キリスト者は誰にも服さない君主であると同時に、誰にでも服す僕である」という命題が掲げられている。一般化して言えば、「白であると同時に黒である」ということになる。
 これは、どうしたことであろうか。ルターの神学的発言の中では、いつも 「二つの視点」が交差している。「神の前で」という視点と「人々の前で」という視点である。「神の前で」とは「神の判断によれば」という意味であり、「人々の前で」とは、「社会倫理的判断によれば」という意味である。
 13世紀最大の神学者トマス・アクィナスの名著『神学大全』では、「義人とは罪人でない人」のことであり、「罪人は義人でない人」のことだから、ルターの発言は端的に矛盾そのものである。
 ルターは「人々の前で」最善のことは、「神の前で」は、最悪の事態だと語る(ハイデルベルク討論)。人々の前で最善のことをなせば、人々の称賛を浴びることになる。称賛を浴びれば、どんな人も高慢な思いに取りつかれる。しかし、高慢は、救いにあずかる最大の障害になる。だから、「人々の前で」最善のことは、「神の前で」は最悪の事態を引き起こす、というのだ。
 ルターの発言を理解するポイントは、常に「神の前で」という視点と、「人々の前で」という視点とが交差していることを念頭に置いて読む、そのことに尽きる。

「キリスト者の自由」を読む』を紹介します

 ルター研究所 江口再起

 2017年、宗教改革500年の年を迎えました。ルターの年です。ということは、ルーテル教会に集う者にとって、ルターを改めて学ぶ絶好の年です。
 では、ルターの書物の中で、何を読むべきでしょうか。ルターといえば、やはり『キリスト者の自由』ということになります。不朽の名著です。ルターの本の中でというよりも、キリスト教2000年の中で最も大切な書物の一つなのです。
 しかし、難点があります。いくら名著といわれても500年も昔の書物です。現代人には簡単に読めない。しかも内容が重厚、手ごわい書物です。読むためには、手引きが必要なのです。そこでルター研究所が総力をあげ手引きとなる本を執筆編集し出版しました。それが『「キリスト者の自由」を読む』です。
 では、そもそも『キリスト者の自由』とは、どんな本なのか。書名に自由という言葉が使われていますが、実は単なる自由論ではありません。自由を切り口に、そこで論じられていることは、人間存在の、あるいはキリスト者であることの意味です。真正面から論じられています。神によって義とされ(救われ)、自由となり、それゆえいわば一人のキリストとなり、隣人への奉仕(愛)に生きる。まさにルターの思想の真髄です。だから名著なのです。
 さて、この名著の手引きの書、それが今回出版された『「キリスト者の自由」を読む』ですが、三つの特長があります。一つは、六つの主要テーマ(自由、律法と福音、信仰義認、全信徒祭司性、信仰と行為、愛の奉仕)がわかりやすく解説されています。
 二つ目は、21世紀に生きる私たちにとって『キリスト者の自由』のもつ意義を語り合った座談会が収録されていることです。現代人の視点で『キリスト者の自由』を読むためです。そして三つ目の特長は、この本は一人で読んでもよいし、また教会などで学習会を開く時にテキストとして用いてもよいということです。ぜひ手にとり読んでいただきたいと思っています。

日本福音ルーテル教会とカトリック教会 宗教改革500年共同記念企画

 日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会は、宗教改革500年を共同で記念するため、2017年11月23日にカトリック浦上教会において、共同企画を行います。
 マルティン・ルターの問題提起に端を発した宗教改革運動は、結果として世界に分裂をもたらしましたが、もはや「対立から和解へ」との歩みの中にあります。宗教改革から500年の節目の年に、現代世界の争いを想起しながら、対立から平和の実現に向かうモデルを伝え、祈りを合わせる記念企画を構想しました。
 これに先立ち、大柴譲治牧師(日本福音ルーテル教会総会副議長)と高見三明大司教(日本カトリック司教協議会会長)とは、2016年11月18日、カトリック浦上教会において、宗教改革の始まりの地であるドイツから来日中であったヨアヒム・ガウク ドイツ連邦共和国大統領と面談し、同企画について説明し、親書を手渡し、協力を要請しました。ドイツ福音主義教会牧師でもあるガウク大統領は、両教会の歩みに祝福をお祈りくださいました。

宗教改革500年共同記念
〈平和を実現する人は幸い〉
シンポジウムと記念礼拝

日時 2017年11月23日(木/祝)10時~15時
会場 カトリック浦上教会(浦上天主堂)
共同主催 日本福音ルーテル教会・日本カトリック司教協議会

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
知っていてくださる マタイ6・5~8 

伊藤早奈

〈祈り〉神様あなたに心を向けて、たくさんのものを与えられていることを感謝できる今を与えてくださりありがとうございます。空を見上げるとなんだか自分の心を映しているように見えたりします。しかし全てがあなたに与えられている恵みであることを思い起こすとき、空にある星が道しるべになったり、道ばたに咲く花が命の色であるように思えたり。私たちの周りがあなたからの恵みで満ちていることに気がつきます。あなたに与えられている全てを感謝できますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン

 イエス様は言われます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。」(マタイ6・8)と。
 さすが神様。私が祈る前からわかってくださっているのか、じゃあ祈らなくてもいいか。というように考えてしまう人も少なくないような気もしますが、どうでしょうか。
 お祈りは手紙のようです。宛名がなければ届きません。たとえどんなに思っていたとしても、相手にわかる言葉で自分自身も納得した内容であったとしても、自分が手紙を出したいと希望する相手の宛名や住所が記されないと、その相手には届きません。そして手紙には切手が必要です。それと同じように祈りにも必ず加えるものがあります。それはイエス・キリストの御名です。
 イエス様が言われるように、神様は祈る前からあなたの願いをご存知であり、あなたに何が必要なのかもご存知です。あなたが願う通りのものでも願いと違うものでもなく、あなたに必要なものをご存知なのです。だからあなたが神様を宛名として祈るということは、その願い事やいろんな思いをも神様にお委ねすることなのです。
 そしてあなたが神様に心を向けて祈るとき、神様はあなたに必要なものを与えてくださいます。なぜならあなたの信じている神様は、あなたを大切にしておられるからです。そのことに信頼し、祈りたいのです。「神様」と。

……………………

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2017年1月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位
なごや希望教会土地売却・建物解体
(ア)自由ヶ丘礼拝所土地
・所在地 名古屋市千種区鍋屋上野町字汁谷
・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番 3530番221
  地目 境内地
  地積 484㎡
(イ) 自由ヶ丘礼拝所建物
・所在地 名古屋市千種区鍋屋上野町字汁谷3530番地221
・所有者 日本福音ルーテル教会
  家屋番号 3530番221
  種類 礼拝堂・居宅
  構造 木造スレート葺2階建
  床面積 1階187・87㎡
      2階143・86㎡
(ウ)名東礼拝所土地
・所在地 名古屋市名東区高柳町
・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番 708番
  地目 宅地
  地積 296㎡
(エ) 名東礼拝所建物
・所在地 名古屋市名東区高柳町708番地
・所有者 日本福音ルーテル教会
  家屋番号 708番
  種類 会堂・居宅
  構造 木・鉄骨造スレート葺2階建
床面積 1階 176・90㎡
      2階 155・13㎡
・理由  なごや希望教会会堂・牧師館の建築資金に充当するため。

第27回総会期第2回常議員会報告

 事務局長・白川道生
 第27回総会期の第2回常議員会が、11月7日から8日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。

▼諸活動、委員会報告

 定例常議員会であり、本年6月以降の取り組みにつき、議長以下、事務局長、宣教・広報・管財・総務の4室、世界宣教、各教区、常置委員、常設委員その他委員会よりそれぞれの報告がなされ、いずれも承認されました。

▼審議事項

 人事案件では、ELCA(アメリカ福音ルーテル教会)に対する長期宣教師の派遣要請(熊本地区)、2017年任命となるJ3宣教師2名の任地(九州学院並びにルーテル学院中学・高校)、LEAF(フィンランドルーテル福音協会)信徒宣教師の任地(東教区付/小岩、市ヶ谷、東京池袋)が決議されました。
 申請事項では、九州教区より、熊本教会・登録有形文化財登録に関する承認申請、学校法人九州ルーテル学院からの教会推薦理事変更申請が承認されました。
 提案事項では、2017年度教職給与、同年協力金について決定がなされました。また、2017年の公式行事・会議日程も決定されていますので、ご確認を願います。

▼協議事項

 本常議員会では、先の第27回全国総会での決議に基づき、これからのIECLB(ブラジル告白福音ルーテル教会)とJELCにおける宣教協力について協議がなされました。
 11月の立山忠浩議長ブラジル訪問を前にして、宣教師派遣終了に伴い、これまでとは違った両教会の宣教協力の在り方を描き、2018年に「宣教協約」を締結するための意見交換が行われました。加えて、現任の徳弘宣教師の後任となるルイス・メロ牧師の研修来日(最長1年)を受け入れる概要計画が協議されました。
 4月の熊本地震から現在までの宣教活動についても話し合われました。これまで第1期の連帯献金は1800万円が献げられました。 熊本地区の教会建物被害は、復旧費用が計上されているだけで約3800万円の規模、加えて未だ見積もりが確定しない被害もあるとの報告を共に聞きました。  また、教会と密接な関係の学校にも甚大な被害が出ており、九州学院チャペルと阿蘇山荘の被害が、学校に対する補助制度で対象外とされた状況が説明され、九州教区常議員会から支援に加える願いがありました。
 常議員会では、2017年4月末までの、連帯献金「熊本地震支援第2期募金」実施を決議しました。
 常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

ルーテル教会・カトリック教会 宗教改革共同記念「共同の祈り」

2016年10月31日 ルンド(スウェーデン)にて開催

 そのとき、エキュメニカルな対話がとうとう形をとった。「ラウダーテ・ドミヌム」(主をたたえよ)、テゼ共同体の讃美歌とオルガン伴奏が、カテドラルのチャペルにこだまする。その中をゆっくりと進む司式団。それは過去500年の教会史を見渡しても、あり得ない光景だった。
 先頭を進むのは色鮮やかな絵画をあしらった十字架。緑の大地と青い空を背景に、世界の人々がイエスの周りに集っている。フランシスコ教皇とユナン議長、それぞれカトリックとルーテルを象徴する聖職者が並んで入堂してきた。他の司式者たちも皆、赤いストールを肩にかけている。赤は宗教改革の色だ。同じ色を教皇も身につけていた。カトリック教会がこうした祝祭に赤を用いるとは聞いたことがない。
 あり得ない光景は、もうひとつあった。カトリックが女性聖職者を認めていないのはよく知られているが、一人の女性アンチェ・ジャケレン総監督がその中にいたことだ。彼女はスウェーデン国教会(ルーテル)を代表する聖職者である。赤のストールと女性聖職者の姿は、宗教改革500年記念というルター派の出来事の意義をカトリック教会が認め、それを好意的に受け入れ、共に喜んでいるという何よりの証拠といっていい。これは過去50年に及ぶ両教会の一致運動による大きな成果であり、これ無くしてこの日の礼拝はあり得なかった。
 私はこの行事を「礼拝」と表した。みことばがあり、賛美があり、祈りがあるこの集いを、ルーテル教会はそう言ってなんら差し支えない。だが今回正式には、ミサあるいは礼拝という言葉は用いられなかった。その代わり「共同の祈り」(Common Prayer)という記念行事として行われたことも付しておくべきだろう。そして翌日カトリック教会は寒空の下、野外「ミサ」を行い、LWF代表者を招いた。そのことの意味も忘れてはなるまい。
 世界各国から詰めかけたメディアの数は500を超えた。インターネットでライブ中継も行われた。スウェーデン国王と王妃、そして首相をはじめ大臣も列席するとは前日まで知らなかった。私の想像を遙かに超えて、これは画期的で歴史的な「礼拝」だった。

第24回 春の全国ティーンズキャンプ参加者募集

■期間 2017年3月28日(火)~30日(木)
■対象 12歳~18歳 (2017年4月2日時点)
■会場 高尾の森わくわくビレッジ( 東京都八王子市 川町55)
■テーマ ルター(予定)
■主題聖句 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤの信徒への手紙3章26節)
■参加費 1万円(1月29日までの申込み。それ以降は1万1千円。期限後は要相談1万5千円)
・交通費別途必要。キャンセルの場合、キャンセル料が発生します。
・参加者は各教区・地区ごとに集合してからの移動となります。集合先から会場までの切符はまとめて購入いたします。費用額は詳しい移動方法等とともに申込み者に各教区担当者からご連絡いたしますので、参加費とあわせて当日ご持参ください。
■申し込み期間 2月19日まで
(飛行機、新幹線の手配のため、早めにお申込みください)
■申込み方法
以下のURLへアクセスしてください。
http://tng.jelcs.net/teenscamp2017/ 
左の2次元コードからでもアクセスできます。
・所属教会の牧師からキャンプ参加の承認を必ずもらってください。その上で、教会もしくは牧師のメールアドレスを聞いてください。メールアドレスが無い場合は、電話番号でも可能です。
・正式登録されると下記のTNGーTeensブログに教会名とイニシャルが掲示されますのでご確認ください。申込みから数日かかります。
・サイトからの申し込みができない場合、「申込書&アンケート」に必要事項を記入し、次のいずれかに送ってください
▼ファクス03-3814-6845(本郷教会)
▼メールharukyan.moushikomi@gmail.com(永吉穂高)
▼郵便 〒133-0033 東京都文京区本郷6ー5ー13
本郷教会 安井宣生 
■問合せ先:TNG-Teens部門・永吉穂高 (電話080-6106-0794)
■主催 日本福音ルーテル教会宣教室TNG-Teens部門、各教区教育部、日本ルーテル神学校
■協賛 JELA
■春キャンについて、またTNG-Teensについて、詳しくはTNG-Teensブログ
http://tngteens.

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