るうてる2019年11月号
説教 「にもかかわらず」
日本福音ルーテル神水教会・松橋教会派遣宣教師 安達 均
全聖徒の日を意識して本寄稿の準備をし始めた頃、神水教会一信徒の門脇愛子さん(門脇聖子牧師のお姉様)が突然召され、聖徒となられました。一連の葬儀において、角本牧師とともに愛子さんが過去に神水教会の月報に寄稿されていた内容や人生の記録として残されていた事柄を分かちあいました。愛子さんにとっては空気のようで生ぬるい信仰であった一面を書かれていました。たとえば牧師家庭に育ったため洗礼を受けるのはあたりまえで感動はなく、教会が空気のようだったとか、山に行くといっては礼拝を休んでいた事。また教会役員に選出されてしまい辞退したが辞退を認められなかったため教会出席を半年間ボイコットした等々です。にもかかわらず神は愛子さんを愛しつづけました。周りにはやや不真面目にも見えてしまう愛子さんの姿に共感を覚える方がいて、洗礼を受ける決心をしたそうです。神が愛子さんと周囲の人々をすべて良きに導いてくださっていたことを確信するのです。そして、生前の愛子さんを知る人々は、愛子さんとの天国での再会を楽しみにできます。
しかし、この世から天への旅立ちにはいろいろなケースがあり、天国での再会を楽しみに待つような気持ちにはなかなかなれない方もいます。アメリカで牧会中、メアリさんという方が50年ほど前に体験した事件を聴くことになりました。当時メアリさんは30代になったばかり、幼い長男、長女、次男の3人の子育てに大忙しでした。彼女の父母もいっしょに暮らしていて、自分を育ててくれた愛情豊かな両親なので、大好きだったのです。しかし、メアリさんの父は仕事を引退したころから、アルコールを飲みすぎるようになり、またドラッグにも手を出していたようです。ある日、彼は突然、銃をとり、娘のメアリさんと孫たちがいる前で、自分の妻、つまりメアリさんの母親を銃で撃ち殺し、さらに銃で自死したのです。銃声はひびきわたり、隣人、警察、そして、新聞社もつめかけてきました。メアリさんは、どうやって対応できたのか、数週間をどうやりすごす事ができたのか、今でも思い出せないそうです。しかし、両親が血だらけになったことは、はっきり彼女の記憶に残り、トラウマとなり続けました。そのときのことを話せるようになるには、何十年もかかりました。彼女は定期的にイエスの体と血をいただく信仰生活を何十年も続けました。現在は、あれほど悲惨な両親の死を体験したにもかかわらず、イエスの血により自分も天国にいる両親も赦されて平安を得ていることを確信できると言うのです。
イエスは人々に仕え、自らを無にし、十字架刑で人類の罪の赦しのための捧げものとなってくださいました。その十字架刑の前の晩には弟子たちに聖餐式をしています。それは、その場にいた弟子たちだけのためではなく、わたしたちを含む将来の弟子たちのための、罪の赦しの契約でありました。しかし弟子たちには、そのイエスの体と血をいただく意味はすぐにはわかりませんでした。翌日、ユダヤ人も異邦人も共謀して、神の子イエスを十字架刑につける時、弟子たちは、逃げ出してしまいました。そのような弟子たちであったにもかかわらず、三日目にイエスは復活され彼らの前にあらわれ、何ら咎めることもされずに赦し、聖霊を送り、あなた方に平安があるように、と言われます。
一度洗礼を受け、繰り返し受ける聖餐式を通して、この世に生きている者も、すでに天に召された者も、これからこの世に生まれてくる者も、罪の赦しと平安が約束されます。聖餐式の際、罪の赦しをメアリさんのように実感できるようになる人もいれば、空気を吸うように無意識に聖餐式を受けている人が多いのも事実でしょう。どのような人が聖餐式を受けていようが、人知を超えた全治全能なる神は、時代を超えて徹底的に一人一人を愛し、赦し、よき道へと導かれており、イエスの体である教会も強くなります。
コラム直線通り 久保彩奈
⑳「笑っていても心の痛むことがあり 喜びが悲しみに終ることもある。」箴言14・13
スポーツ特待生のクラスに授業をしに入ると、突然「先生!聖書の授業は超大切で大事な話してるって分かるんだけど、最近ずっと重い話ばかりだから、少し遊んでから授業してよ!」と言われました。扱っていた授業内容は「災害とキリスト教」、東日本大震災の話をしていました。重たくとも大切な話だと分かっていたのか、と思うと胸が熱くなりました。でもとりあえず注文通り少しの間、雑談。しばらくすると1人の生徒が「先生、もう授業していいよ!」と声をあげました。「みんな、もうちゃんと授業聞こうぜ!俺のばあちゃん、被災者なんだわ!みんなにもちゃんと聞いて欲しいんだよ!先生、震災の話、任せたよ!」
この生徒と家族が痛みを抱えていたことを初めて知りました。「そうだったんだね。知らなかったよ。ありがとうね」と言うと、優しくて強くて、本当に素敵な笑顔をくれました。みんな笑顔でいても、人知れず痛みを抱えていることを、生徒のこの笑顔を通して改めて気づかされたのです。
また、その痛みを思い起こすことで心が痛くなろうと聖書の言葉に耳を傾ける勇気をもつこと。大切な姿勢をこの生徒から教えられました。ちなみにこの生徒の授業への感想文には「聖書の授業で東日本大震災を思い出して、ばあちゃんに久しぶりに会いたくなった。大学に合格したら、絶対に会いに行く!」とありました。わたしも彼のように痛みを痛みのままで終わらせない、悲しみの先に与えられるキリストの喜びに与る者でありたいのです。
議長室から 総会議長 大柴譲治
11月1日は「全聖徒の日」。信仰を持ってこの地上の生を終えてゆかれた方々を覚える月です。11月の第一日曜日を「全聖徒主日」「召天者記念主日」としている教会も少なくないことでしょう。死者を復活のキリストにおいて想起することは大切なことでもあります。
思い起こすエピソードがあります。もう20年以上も前のことです。神学校で開かれた教職神学セミナーで、当時北里大学医学部教授であった小児科医、坂上正道(さかのうえまさみち)医師から伺った話です。先生はご自身が心筋梗塞のためCCU(心臓血管疾患集中治療室)に緊急入院した体験をお話しくださいました。その時すぐ自分が属するプロテスタント教会の牧師がお祈りのために駆けつけてくださったそうです。そこで牧師はこう祈られました。「この方は家族にとっても教会にとっても、また病院にとっても社会にとってもとても大切な存在です」と言いつつ、病気からの回復を祈ってくださったのです。その祈りが耳に届いて坂上先生はこう思われたそうです。「そうか、自分はそれほど周囲にとって大切な存在なのか。であれば、まだ自分は頑張らなければいけない」。その途端に心電図が乱れて、モニターを見ていた医師が慌てて飛んで来て祈りを中断させました。自分が頑張ろうとする気持ちが絶対安静を乱す事態を招いたのでしょう。牧師としては複雑な気持ちになります。そのように祈ることもあるからです。今度は、何日かして自分の妻が所属するカトリック教会から年配の外国人神父さまがお見舞いに来てくださいました。その神父さまは、祈るわけでもなく、ただただニコニコしながら手を握ってこう言ってくださった。「あなたは死んでもいいですね。でも生きているともっといいですね」。「その言葉を聞いた時、『ああ、そうか。自分は(主にあって)死んでもいいんだ』と思うと、心底その言葉にホッとしたのです」。坂上先生はそう語って下さいました。私の心に深く刻まれたエピソードでした。
パウロはこう言っています。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ロマ14・8―9)。イエスは生者と死者の双方の救い主です。 だから私たちは安心してすべてを主に委ねることができます。何と幸いなことでしょうか。
福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)李明生 (田園調布教会牧師)
福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)は、東日本大震災で被災した、福島県在住で外国にルーツを持つ女性達と日本人が出会い、共に生き共に生かし合う社会を一緒に作っていくことを目指して、エキュメニカルなキリスト教諸教派・諸団体からの支援によって2012年2月から始められました。現在活動は第2期(2018年~2022年)に入りました。
震災から8年が経過し、支援内容も長期的な視点で新しい地域共同体のあり方を模索していくものへと変化してきました。現在は、日本語学習の支援・地元市民と移住女性の出会いと協働の機会作り・移住女性の子どもへの支援(学習支援と継承語教育支援)・移住女性とその子どもの保養プログラムの実施と支援・移住女性グループ支援とネットワーク作りが活動の中心となっています。また近年外国からの技能実習生や外国人労働者が急増し、EIWANで実施している日本語教室に参加される方も増加しています。最近では、実習先での給料遅配に対して工場に文句を言ったら解雇と寮退出を命じられたというケースで、交渉にあたっての通訳の紹介を依頼されることもありました。震災後に外国から来られた方々とのネットワークづくりも新たな課題となっています。
これらの活動を続ける中では、この社会の中には外国人差別・女性差別が深く潜んでいて、見えないところで既に深い分断を造り出してしまっていることにあらためて向き合わされます。しかしこれは単に被災地だけではなく、この日本社会全体が今直面している大きな問題であるとも言えます。この社会の周辺に追いやられ、弱く小さくされた人々の声に耳を傾け、多様な人々と共に歩む地域社会を造っていくことは、現代の日本社会を生きるキリスト者の使命としてより一層重要となっているのではないでしょうか。
EIWANの活動については以下のサイトもご覧ください。
http://gaikikyo.jp/shinsai/eiwan/index.html
賛美歌と私たち
⑤『新讃美歌集 第一集』小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)
1941年、旧JELCは日本基督教団へ参加。戦中、オルガンや賛美歌もまた戦意高揚のための道具として使われてしまいました。戦後、教団を離脱。その頃、JELCは過去を反省し、ルーテル教会としてのあり方を再確認しました。そして、ルーテル教会として継承してきた信仰にふさわしい礼拝を整えることが急務と考えました。式文委員会や神学校の先生が中心となって、礼拝改革を呼びかけました。その歴史の断片は、当時の『るうてる』から見つかります。この時、歌集について言えば、ルーテル教会で中心的に用いられていた1931年版『讃美歌』自体に、教派を超えて課題が指摘され始めていました。
このような中、1954年、当時の式文委員会は『新讃美歌集 第一集』を編集(ルーテル社発行、写真)。私たちの教会の礼拝に「ふさわしい」賛美歌を紹介しようと試みました。1954年にルーテル教会が歌集を発行していたと聞くと、驚く方がおられるかも知れません。実際、この歌集自体は広く知られておらず、現在は入手困難な様子。今の所、ルター研究所に保管されていた一冊を確認しています。
1953年の『るうてる 第68号』を読むと、礼拝で用いる賛美歌への問題意識が語られています。そして、特に、1931年版『讃美歌』の使いにくさが指摘されています。教会暦や典礼的な要素を大切にするルーテル教会の礼拝と、歌集との調和をみるには不足があったようです。『るうてる』には「我々の理想を云えば、ルーテル教会の完全な讃美歌集が欲しい」とも。68号と69号には教会暦から選んだ1931年版『讃美歌』の番号が列記。この作業に並行して、『新讃美歌集 第一集』の編集も行われたことが推測されます。
当初、『新讃美歌集』は、第二、第三と発行される計画でしたが、結局、第一集にとどまりました。恐らく、理由は二つ。一つは、同年に口語訳の新約聖書が発行され式文委員会の活動が忙しくなったから。もう一つは、1954年版の『讃美歌』が発行されたから…。(続く)
キリストの心を生きる教会 日本福音ルーテル教会社会委員会
「神様はその人の性を祝福してくださる」佐伯里英子(シオン教会)
人間の性は人格と深く結びついていることから、その性別をセックスではなくセクシュアリティと表現する。人のセクシュアリティは�@「身体の性」�A「心の性(性自認)」�B「好きになる相手の性(性指向)」�C「表現する性」の組合せによって一人一人が生物学的に異なる。100人いれば100通りのセクシュアリティがあると言われている。まさに多様。ただ、中でも少数派と言われているのがLGBT等の方々で、様々な生き辛さを感じておられる。性指向、性自認で整理すると、
〈性自認〉
・シスジェンダー(性別違和感はない)
・トランスジェンダー(性別違和感がある)
・クエスチョニング(性別が決められない)
・エックスジェンダー(男女の枠に入らない)
一つ一つの性自認について、様々な性指向の人がいる。
〈性指向〉
・ヘテロセクシュアル(異性愛)
・ホモセクシュアル(同性愛)
・バイセクシュアル(両性愛)
・アセクシュアル(無性愛)
・パンセクシュアル(全性愛)
少数派(性的マイノリティ)の立場の方々が、多数派に比べて自殺、自殺念慮、自殺未遂の割合が著しく高いことから、強いストレスや生きづらさを抱えている方が多いことが分かる。当事者の方々はどのような思いで生きてこられたのだろうか。
・長い間、自分は普通ではないと思い、うつ病やアルコール依存症になった。
・ずっと着ぐるみを着ているみたい。
・毎日が罰ゲーム。
・みんなでお風呂に入る修学旅行や宿泊学習が、ホントに嫌だった。
・二次性徴で自分の体が変化することに耐えられない。
・将来が見えない。
一人一人のセクシュアリティは神様が与えてくださったもので、神様はそのすべてを祝福されていると信じています。
NCC教育部教会教育フェスティバル報告
三浦知夫(東京池袋教会牧師・TNG委員長)
9月15日と16日に日本キリスト教協議会(NCC)教育部による教会教育フェスティバル「みんな集まれ!―キリストにつながれて多様であるわたしたち―」が、日本福音ルーテル東京教会と新宿区西早稲田の日本キリスト教会館を会場に開催されました。教会学校のスタッフ、人権や平和教育に関心のある人々など約90名が、在日大韓教会、日本基督教団、聖公会、ナザレン教団、バプテスト連盟、バプテスト同盟、ルーテル教会などから集められたフェスティバルで、共に礼拝し、学びと交わりの時を持ちました。
関田寛雄牧師(日本基督教団巡回教師)の説教による開会礼拝で始まり、1日目は「ゴスペルを叫ぼう!」「讃美歌をボーッと歌っていませんか?」「エキュメニカル教育って何だろう?」「パステル画の聖句カードを作りましょう」「共に読み、共に分かち合う教会学校」の分科会に分かれて学びの時を持ちました。夕食と交流会の後は会場となったルーテル東京教会の夕礼拝に出席しました。
2日目は「多様な性/LGBTと子どもたち」「こどもと楽しむゲーム」「ミャンマーの文化に出会おう」「自分ごととしての人権」「潜伏キリシタンについて」の分科会が行われ、昼食はミャンマー料理を囲んでの楽しいひと時でした。 日本基督教団早稲田教会・スコットホールで行われた派遣礼拝では、ゴスペルの讃美がなされ、説教者は同教会の古賀博牧師でした。
2007年に第1回が東京で開催され、松本、仙台を経て、今回が4回目となるフェスティバルということですが、私自身はこれまで参加したことがなく今回TNG委員会に関わる中で、フェスティバル実行委員として運営のお手伝いをさせていただきました。
教派を超えて集められ、集められた方々とキリストにあって結び合わされていることを感じ、また社会の中では小さな存在であっても主に結び合わされていることによって平和への一歩を踏み出していく力が与えられることを感じられた恵まれた時でした。
フィンランド研修旅行の報告 日笠山吉之(札幌教会牧師)
元スオミ教会の宣教師ポウッカ先生ご夫妻が企画された「南西フィンランドで学習・文化・余暇を楽しむ一週間の旅(8月11~17日)」に、めばえ幼稚園の先生たち3人と一緒に参加しました。参加者は他に、大岡山教会の竹内皓さん、三鷹教会のKさん親子、日本基督教団白鷺教会のY夫妻、スオミ教会のフィンランド語講座に出席されている二人の姉妹の計11名でした。ポウッカ先生ご夫妻の配慮に満ちた温かい引率のもと、まるで一つの家族のようになって一週間を共に過ごしました。
研修の拠点となった町は、首都ヘルシンキから車で2時間ほど北西にあるロイマー。滞在したホテルの周りは、辺り一面金色に輝く小麦畑でした。1週間のプログラムは、「歴史の一日」「自然の一日」「文化の一日」「フィンランドの夏の一日」等のテーマにしたがって構成されていました。いずれもよく練られた内容で、今日はどんなことがあるのかな?と、毎日が待ち遠しかったです。特に、「文化の一日」の日に行われた竹内皓さんによる『フィンランド箱柱式教会』の講演と、星加達夫さん兄弟のアトリエ見学は興味深かったです。森の中でのベリー摘みは童心に返りましたし、サウナで全身汗まみれになったまま湖に飛び込んだのも気持ちよかった! ポウッカ先生ご夫妻と共に、プログラムを立案された私立ロイマー福音国民高等学校校長のランキネン氏にも感謝いたします。
個人的にはロイマーでの研修が始まる前に、作曲家シベリウスが家族と共に晩年(と言っても50年余り)を過ごしたアイノラを訪れることが出来たこと、また札幌教会の初代宣教師V・サヴォライネン先生とめばえ幼稚園初代園長のT・ニエミ先生のお墓参りをすることが出来たことも大きな収穫でした。札幌教会のみならず日本福音ルーテル教会のために、100余年前から今に至るまで祈り支えてくださっているフィンランドのルーテル福音協会(LEAF)に心から感謝しつつ、報告とさせていただきます。
森一樹のブラジル青年宣教ボランティア
今年の2月からブラジルはサンパウロで、日系パロキア(日系サンパウロ教会・ジアデマ教会・南米教会の3教会から成る現地の共同体)と日本福音ルーテル社団(JELA)から支援を受けて、1年間の青年宣教ボランティアとして活動しています。主日にはポルトガル語・日本語礼拝での奉仕や牧師の補助、また今年3月にご帰国された徳弘牧師(現岐阜・大垣教会牧師)から引き継いだ、その他の日系人居住地への出張訪問などを行っています。平日には、ポルトガル語学校に通いながら、ブラジル人を対象にした日本語教室、英会話教室、ジアデマ教会でのギターやピアノ教室、日系の方を対象とした日本語でのパソコン・スマホ教室など、計8つの教室を運営しています。特にこれらの教室を教会で開催することで、信徒さん以外にも子どもから大人まで、どなたにも開けた教会になるよう心掛けて活動しています。
他方、日本での青年活動経験を生かし、青年会の活動にも力を入れています。8月には、所属教会の市ヶ谷教会の青年会が毎年11月末に行っている「Young Festival」を参考に、「Young Festival in S?o Paulo」と題して、同じ教区の他の教会を巻き込んでの音楽イベントを日系パロキア青年会主催で開催をし、約50人のブラジル人青年がこの日系教会に集まりました。会では、ブラジルの賛美歌やクラシック音楽を通じての青年同士の交流を図る一方で、ブラジルでは珍しい日系のルーテル教会を知ってもらおうと、教会活動のアピールや手巻き寿司の体験会も行いました。現在は、日系パロキア青年会主催での教区青年修養会も企画しています。
地球の反対側に位置する日本とは言葉も文化も物も社会も国民性も違うブラジル。感謝なことに、大きな病気や事件に巻き込まれることなく活動ができています。来年2月の帰国まであと3ヶ月。残りの活動のために、そして国は違えども、同じ式文で同じ日本語で礼拝を守っているこの日系パロキアのために引き続きお祈り頂ければ幸いです。
宣教会議報告 滝田浩之(事務局長)
9月24~25日、市ヶ谷センターを会場に第28期第2回宣教会議が開催されました。第28期は互いの働きの恵みを「分かち合う」ことを大切にしようという思いの中で、昨年は「TNGの働き」について働きの学びを行いました。今年は「NCCについて知ろう」というテーマで、70周年を迎えたNCC(日本キリスト教協議会)の働きについての学びと分かち合いの時を過ごしました。
はじめに総幹事である、金性済牧師より「宣教は聖霊の風に吹かれ」という題で基調講演を頂きました。使徒言行録1・8の「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という一節を手がかりに、私たちの宣教のベクトルが、どこから、どこへ向かってく道なのかを鮮明に示してくださいました。地の果てにおられるキリストに出会う道、それが聖霊が私たちを送り出すということだという呼びかけは、集った者一人一人の上に聖霊の炎が降るような励ましを与えてくれました。何よりも、NCCは一つの教派では成し遂げられないような働きを、そこに関わり、祈りを合わせることで、『平和のきずなで結ばれて』、私たちはそこで連帯している、その恵みを分かち合う働きでありたいと先生は結んでくださいました。
その後、NCCの幹事として働かれた経験を持つ小泉基牧師、またNCCの常議員である李明生牧師から、NCCの成立と現在の働きと今後の展望について、またルーテル教会は小さな所帯ながら多くの委員会に委員を派遣していますが、そこで委員長の責務を担ってくださっている内藤新吾牧師から「平和と核問題委員会」について、そして「部落差別問題委員会」、「在日外国人の人権委員会」、「ドイツ語圏教会関係委員会」に続いて、藤原佐和子姉(ルーテル鶴ヶ谷教会会員)からは「CCA(アジ・アキリスト教協議会)の働き」についてお話を聞く時を持ちました。それぞれの委員の働き、何よりも、これからの委員会に関わられる方が、どのような出会いと導きの中で、NCCの働きの輪に加わっていかれたのかというお話は、私たちの身近な問題意識を大切にするなかで、神さまの導きの中で出会いが与えられ、そして働きが広がっていくという道筋を示されたようでした。
2日目は、初日のあまりにもたくさんのインプットを、ワークショップという形で参加者同士で分かち合う時となりました。現実の教会の礼拝生活の中では気づくことの少ない事柄に、NCCの働きが気付きを与えてくれるという思いや、社会的な働きについて聞くと、正直に、自分がそのような働きをなしていないことに申し訳なく感じてしまうなど、ルーテル教会らしく、素朴に、それぞれが思い感じたことを、これまた「分かち合う時」となりました。
2日目の午後のセッションは、宣教室長が中心となり「第7次綜合方策(第3案)」についての分かち合いを行いました。多くの参加者が、教会の現状について共通理解をもって受け取っていること、また課題としては、そのような現実の中で、どのように成長していくかということが描かれていくことが期待として語られたことでした。ここでの意見を踏まえつつ常議員会での議論、来年の総会には提案されることになる道筋が示されました。
詳しくは、宣教会議議事録を参照ください。
ルーテル学院110周年記念大会のご案内 石居基夫(日本ルーテル神学校校長)
いよいよ、来たる11月30日に、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の110周年記念大会が催されます。大学の研究所や様々な部署でも、その活動に110周年の冠を持って、記念事業を行ってきていますが、今回の記念大会は、大学全体の特別な企画です。牧師養成としてスタートした神学校の長い歴史に裏付けられながら、時代の中で大学は新しい使命を担い、大学院まで設置して公共社会に人材を送り出してきました。
神学校、大学そして大学院が、何を大切なことと考え、教育事業を行ってきているか。この機会に確認し、社会にしっかりと発信をしていきたいと思っています。
【記念講演会】
この大会では、特別記念講演をメインプログラムとしています。講演者は向谷地生良氏。テーマは、「共に生きる社会を目指す~『浦河べてるの家』の実践を通して」。向谷地氏は、北海道日高にある浦河で、長年にわたりソーシャルワーカーとして働かれ、統合失調症などの精神疾患を持つ人たちへの支援に関わってこられました。
古い教会堂を拠点として「浦河べてるの家」を設立し、共同生活をして共に支え合って生きる実践を生み出してきたのです。この取り組みの経験を通して、様々な困難を抱える私たちが共生する社会をどのように実現していくのか、ご講演をいただきます。
【いのちと尊厳を守る社会を】
ルーテル教会は、日本における宣教の初めから、教会と共に学校と社会福祉施設を作り、またそれぞれの地域社会において幼稚園や保育園の実践に携わってきました。そうした教会の広い宣教の働きを受け、その働きを担う人材を育成しようと、ルーテル学院大学は対人援助の専門職を養成する教育を展開してきたのです。
ルーテルが目指す、いのちと尊厳を守り、また共に生きる社会を実現する人材育成の使命と意義を、この記念大会において、皆さんとともに確認することができればと願っています。
公 告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年10月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位
一、土地取得
所在地 大田区南千束三丁目360番13、14
地番 360番13、14
地積 245・19m³
理由 宣教地拡大のため
「和解と平和を求める日韓キリスト者の共同祈祷会」報告
10月9日(水)、東京・北新宿の日本キリスト教会柏木教会を会場に「和解と平和を求める日韓キリスト者の共同祈祷会」が行われました。この共同祈祷会は、深刻化する日韓関係に深く心を痛める韓国と日本のキリスト者が信仰と心を合わせて祈りの時を持つために、去る8月11日に韓国ソウルにおいて「東北アジア平和のための韓日共同祈祷会」が韓国NCCによって急遽計画され、韓国の諸教派と共に日本のキリスト教会からの5名の代表者が参席し開催されたことに応えて、在日大韓基督教会からの呼び掛けによって計画されたものです。
今回の共同祈祷会では韓国NCCと諸教派からの約20名のゲストを合わせて、180名を超える参加者を迎えて行われました。石橋秀雄牧師(日本基督教団総会議長)と李鴻政(イ・ホンジョン)牧師(韓国NCC総務)より代表メッセージ、今回の主題エフェソ2・14―22の朗読に続いて、13の日本と韓国の教派・団体(以下祈祷順に、在日大韓基督教会、日本聖公会、大韓聖公会、日本基督教団、韓国正教会、日本キリスト教会、韓国キリスト教長老教会、日本バプテスト連盟、基督教大韓監理会、日本福音ルーテル教会、日本カトリック正義と平和協議会、韓国基督教青年会、日本NCC東アジアの和解と平和委員会)が交互に祈りを捧げました。
また祈祷会後には、去る7月、和解と平和の実現のために日本NCC東アジアの和解と平和委員会を中心に行われた、朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮基督教連盟訪問報告が行われました。(事務局)