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機関紙るうてる

るうてる2017年11月号

「神によって変えられる」

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日本福音ルーテル久留米教会、田主丸教会、大牟田教会 牧師 宮川幸祐

「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(ローマの信徒への手紙11・15~16)

10月31日は何の日でしょうか。このように問うたならば、これをお読みのみなさんはおそらく迷うことなく「宗教改革記念日」と答えることでしょう。特に今年は500年目という記念の時であり、今月23日には長崎でカトリックと合同で記念礼拝も行われます。ただしかし、世間の人々に同じ質問をしたら、十中八九、いや100人に99人は「ハロウィン」と答えることでしょう。
 近年では日本でも盛んで、子どもや若者が仮装を楽しんでいます。これは元々はケルト(ヨーロッパ)の新年のお祭りに由来して……という説明はしばしば耳にしますが、それだけでなく、そこにキリスト教も深く関係しているということは、あまり教会の中でも知られていないのではないかと思います。

 ケルトの暦では10月31日は大晦日で、その夜は地獄の釜の蓋が開き、悪霊や先祖の霊がこの世に溢れると信じられていました。先祖の霊ならば歓迎しそうなものですが、もし境目が閉じてしまったらこの世で悪霊化してしまう為、篝火を焚いたり恐ろしい格好をしたりして悪霊も先祖の霊もあの世に追い返すということが行われていました。この「サウィン祭(死神祭)」が、今日のハロウィンの仮装の元となっています。恐ろしい扮装は、本来は言わば戦装束であったのです。

 しかし、キリスト教の伝来により、この行事は大きく変化します。死者の祭りがその時期に行われるということは変わりませんでした。むしろ、その点ではキリスト教の側が影響を受け、元々は5月に行われていた死者の礼拝が11月に行われるようになります。今私達の教会の暦で11月に召天者記念礼拝を行うのはその為です。変わったのは、死者との関わり方です。サウィン祭においては、先祖の霊は恐怖の対象であり追い払うべきものでした。しかし、聖書の教えにより、私達には永遠の命が与えられており、死者もまた神様の愛を受け、共に同じ主の平安の内にあることを知ります。死者の祭りは、生きる者も召された者も共に唯一なる主の元にある、その喜びを知る時となったのです。死者を覚えるという出来事は同じでも、キリストの教えにより、その在り方、意味するところは180度変わりました。そこには不安や争いではなく、平安と喜びが与えられることとなりました。恐怖のサウィン祭は過ぎ去り、希望と安らぎに溢れる召天者記念の時が与えられたのでした。
 ところで、キリスト教では死者を弔う日の事を「諸聖人の日」(All Hallows Day)と呼びます(謂れは先月号の鈴木先生の記事をお読みください)。そしてこの記念日は、クリスマスと同じように、前日の日没から祝われたそうです。Hallows dayのEvening、Hallows’een。これが「ハロウィン」となるのです。
 神様の働きにより、恐ろしいサウィン祭は、喜びのハロウィンに変わりました。恐怖や不安を前にしても、たとえ死という恐ろしい出来事と向き合う時であっても、神様が共にいてくださる時、そこには喜びが溢れてゆくのです。
 さて、今年は宗教改革500年という年です。この宗教改革という出来事も、100年前と今では、大きく意味を変えています。100年前は、カトリック教会とプロテスタント教会の分裂の象徴でもありました。
 しかし今、カトリックと合同で、この宗教改革を覚える礼拝が行われるところまで来ています。そこには確かに、和解させてくださる神様の力が働いています。神様の力は、世界に働き、歴史に働き、今を生きる私達にも働いています。
 神様の恵みによって、世界は、私達の在り方は、大きく変化してゆきます。不安や争いが取り払われ、安らぎと喜びが満ちあふれてゆくのです。死者の記念日が恐怖ではなく喜びの時となったように、宗教改革が争いではなく和解の象徴となったように、神様は私達の人生の只中にも働き、私達にまことの平安を満たしてくださるのです。

連載コラムenchu

⑳【 Elpis 】

 ギリシャ語で希望を「エルピス」といいますが、この言葉には関連する物語があります。
 ゼウスは、人間に災いをもたらすために、一人の女性(パンドーラー)を、ニュクスの子どもたち(復讐、欺瞞、不和と争いなど)が閉じ込められた箱を持たせて人間のもとに送ります。パンドーラーは、その箱を絶対に開けるなといわれていたのですが、好奇心に負け開けてしまいます。すると、その箱からニュクスの子どもたちが飛び出し、世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった、と。しかし、箱の底には「エルピス」だけが残っていた。そう、これは「パンドラの箱」の物語です。
 この物語、災厄があっても最後には希望が残るとも読めますが、一方で、ここに描かれている希望はニュクスの子どもたちを必要としていた、と読むこともできるでしょう。というのも、それらが箱から飛び出さなければ「エルピス」は現れないからです。でも、ニュクスの子どもたちを必要とするような希望は御免蒙りたい。
 ところで、宗教改革500年記念事業でつくられた「ヤツオリ」に、「たとえ明日、世界が滅びようとも、わたしは今日りんごの木を植える」というルターの心を表す言葉が印刷されています。ルターはここで、私はその時その時を明日世界が滅びるつもりで生きる、と言っているのだと思います。なぜなら、そのような人は、「蓄積してきた過去(反省と感謝)」を大切にし「(それ故に)かけがえのない現在」を生きる人であり、ニュクスの子どもたちを必要としないからです。そして、そのような人(たち)に植えられたりんごの木を希望と呼びたいのです。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

平和と一致への願い 総会議長 立山忠浩

宗教改革500年記念事業も大詰めを迎えました。今月23日に長崎のカトリック浦上教会で開催される共同企画を残すのみとなりました。「平和を実現する人は幸い」(マタイ5・9)という主題のもとにシンポジウムを、「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17・21)という主題で礼拝を共同で行うことになります。
 この二つの主題に両教会の思いが込められています。平和、そして一致への願いです。マルティン・ルターの「95ヶ条の提題」を契機にした宗教改革は、私たちルーテル教会にとっては恵み深いことでしたが、ここからカトリックとプロテスタントの分裂と対立が生じたのです。それだけでなく同じプロテスタント内で、ルター派内でも分裂が起こったのです。宗教改革の副産物、恵みの出来事の裏にある現実でした。500年をルーテル教会の中でお祝いするだけでなく、この歴史の現実に目を向け、新たな未来に道を切り拓くために何をなすべきか、これが私たちの問いでした。
その答えのひとつが、平和と一致への願いを共同で表現することでした。いま世界で起こっていることは国家間、あるいは民族や宗教間の対立のエスカレートです。ベクトルは争いと対立の方へと向かっているとしか思えない。しかし両教会は主題に込められたイエス・キリストの教えに立ち、それを目に見える形で原爆投下の地、長崎で証しするのです。
 当日参加できない方々には鳩の折り紙を参加者に託してくださることを呼びかけます。その紙に祈りの言葉や聖句を書き添えることも出来るでしょう。参加できる一部の人だけでなく、皆さんの祈りが集められることを願っています。
 カトリック教会との対話を重ねる中で教えられることがありました。彼らにとっての対話はキリスト教会内に留まらないのです。仏教など他宗教との対話も視野に置き、実際に実践を積み重ねていることです。
 同様の取り組みは、ムニブ・ユナン ルーテル世界連盟前議長のエルサレムでのイスラム教やユダヤ教との宗教間対話にもみられます。また日本でも個人レベルでの実践が「試みられていることは喜ばしいことです。
 この今日的な課題に積極的に取り組むためにも、ルーテル教会にとって外してはいけない視点があるのです。聖書です。イエス・キリスト、パウロがどう教えているか。新たな問いをもって読み直してみようと思うのです。

日本福音ルーテル教会と協力関係のあるドイツ福音主義教会のブラウンシュヴァイク福音ルーテル(州立)教会による宗教改革500年記念、オラトリオ『天地創造』の公演に日本から15名の聖歌隊員が参加しました。演奏会は9月10日にフォルクスワーゲンホールにて行われました。
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すべての声よ、
主に向かって歌え
 ドイツ訪問団
 「ELKB聖歌隊」参加報告

        松本義宣
(神戸教会、神戸東教会、西宮教会牧師)

9月10日、姉妹教会であるドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会(ELKB)の宗教改革500年記念演奏会が行われました。合唱団への参加招待を受けて、JELC派遣メンバー15人が、約800名の合唱団一員として参加しました。 曲は、J・ハイドンのオラトリオ『天地創造』、C・E・へッカーELKB音楽監督の指揮、地元ブラウンシュヴァイク州立歌劇場管弦楽団と4名のソリストが加わり、数千人が入る大ホールでの、大変印象的な演奏会でした。 合唱団は、地元各教会の聖歌隊に加え、ELKBと協力関係にある海外から、JELC以外にもインド、ナミビア、シュレジエン(チェコ)、イギリスから「派遣聖歌隊」が参加し、その方々とも見学、観光やレセプション等での交わりのプログラムがありました。
 私たちJELCは常設の合唱団ではなく、広く公募で集ったメンバーです。宗教改革500年の意義をアピールするため、教会教派はもちろん、受洗の有無も問わず、現地集合現地解散を基本とし、歌の貢献ではなく今後の交流や教会活動への理解を願っての派遣団結成でした。現地で初めて全員が顔を合わせ、滞在も現地の都合でホームステイとホテルに分かれて、練習の合間に行われた様々な行事参加等、もしかすると「演奏会」だけを期待していた方々には、少々ストレスのあるプログラムだったかもしれません。しかし、以後「ライン」で連絡を取り合い、次の「出番?」を楽しみにするという嬉しい交わりが生まれました。
 本番前、聴衆の前で、司会が指揮者に「500年記念なら、ルター派にはバッハを始め相応しい作品があるのに、どうしてハイドン(カトリック)の『天地創造』なのか」と意地悪な質問をしました。へッカーさんはこう応じました。「終曲合唱はこう歌います。『すべての声よ(創造のみ業を讃えて)主に向かって歌え』と。今はカトリックもプロテスタントもなく、すべての人が創造主に声を合わせて歌うべき時なのです」と。宗教改革500年の意義が明瞭でした。

宗教改革500年から思うこと

坂井めぐみ(カンバーランド長老派教会・希望ヶ丘教会)

私は昨年から声楽の勉強のために、オーストリアのウィーンに滞在しています。ルーテル教会の派遣聖歌隊のメンバー募集を知り、ドイツでハイドンのオラトリオ『天地創造』を歌えるなんてなんだか楽しそうと軽い思いで応募しましたが、今は、なんと恵みある機会を与えられたのだろうと実感しています。ドイツに集合して2日目から、記念演奏会に向けた練習と同時に、ルターに関連する場所巡りが始まりました。
 今回、特に興味深かったのが、州立ブラウンシュヴァイク博物館で催されていたルターに関する展覧会です。

 宗教改革以前の人々が、伝染病のペストに苦しめられていたこと、救いを求めて贖宥状(免罪符)を求めたこと、それらが教科書で学んだ机上ことではなく、実際起きた現実のこととして私の中に入ってきました。また、ある教会を訪ねたとき、案内の方がこの様なことをおっしゃっていました。「教会の建物、芸術に興味をもって訪れる人はいるが、その中でどれくらいの人が信仰をもって来ているのか」と。
 オーストリアでも、表面上は人口の約70%はキリスト教徒とされていますが、その中のどれくらいの人が教会に行っているかとなると、本当に微々たる数になってしまうのが現実です。
 この訪問を通して私が考えたことは、『伝える』ということです。ルターは、聖書を理解できない人たちのために母国語に訳して、皆が理解できるように尽力しました。ルターが一生懸命、聖書の内容を伝えてくれた、それを、現代を生きる私たちはどう次の世代に伝えていくか。きっとそれは私たち一人ひとりが、それぞれにふさわしく神様から与えられた賜物を用いてできることなのかもしれません。私自身も、その与えられた賜物をどう主のために生かせるのか、まだまだ探していきたいと思います。

*日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革と長崎での500年共同記念の意義をお知らせするため、カトリック教会がリーフレットを作成しました。発行部数は8万部です。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

カトリックと宗教改革500年①

発行 カトリック中央協議会
制作 宗教改革500年記念   行事準備委員会

●宗教改革500年

 今年は、マルティン・ルターが『95か条の論題』を発表(1517年)してから500年の記念の年です。この16世紀の宗教改革は、キリスト教の信仰改革を図ったものでしたが、ヨーロッパ近代という時代の社会と政治の変動に巻き込まれ、 結果的にキリスト教会に分裂をもたらし、プロテスタント諸教会を生み出した出来事でした。

●宗教改革 その後? 

 多くの人は、この事実については、歴史の教科書で学んだでしょう。けれども、知識はそこで止まってはいないでしょうか?分裂したキリスト教は、その後どうなったのでしょうか? 
…歴史はこの500年の間も動いてきたのです。

●2017年、長崎からの新たな出発 

 2017年11月23日に、日本のカトリック教会とルーテル教会は、長崎のカトリック浦上教会に集まることを決断しました。宗教改革から500年を記念し、「祈り」と「対話」において過去から未来へ導かれ、現在の姿を証しすることが目的です。「平和を実現する人は幸い」において、世界の平和と和解の実現に向かって歩み出す現代の両教会の姿を示します。
 長崎は、キリスト教の弾圧と迫害を経験した町。そして20世紀の世界の悲劇を象徴する原爆被爆の地です。受苦と堅忍、信仰と希望と復活の町、長崎。この地を日本のカトリック教会とルーテル教会は、平和を実現する未来への歩みの出発点とします。

「北海道寺子屋合宿」について 原子力行政を問い直す宗教者の会

  内藤新吾
 2011年より毎夏、原発震災の放射線影響が心配される地域の子どもたちを対象に、原子力行政を問い直す宗教者の会では、お寺や教会を借りて「北海道寺子屋合宿」という保養事業を続けています。
 2017年の参加者は子ども116人、保護者53人の計169人でした。去年までより少し減ったのは、引率の当会スタッフを長期に確保することが困難で、スポーツ少年団など団体以外の家族枠受け入れ期間を絞ったためです。決算も1千万円を超えていたのが900万円少しとなりました。
 それにしても大きな額を毎年奇跡的に、個人や宗教団体からの募金でまかなっています。ルーテル教会「プロジェクト3・11」からも募金をいただき感謝です。
 子どもたちは親御さんと共に10日間ほど被災地を離れ、福島ではできない外遊びや自然体験などをし、大人たちも普段タブーになっている放射能のことや不安を参加者同士やスタッフと話すことができ、安堵のときを過ごします。また日を選んで医師による甲状腺検査も受けることができます。
 事故後6年を過ぎますが、心配はずっと続くことはチェルノブイリからの教訓です。福島県だけで去年末の時点で、甲状腺癌または癌疑いの子どもが184人、うち144人が手術を終えて癌が確定しています。この中には、検査の一巡目で癌と診断されず二巡目で癌または癌疑いの見つかった子が68人もあり、内44人が手術を終え癌確定しています。国と県は「事故の影響とは考えにくい」とし、今後の検査も縮小しようとしていますが、因果関係が定かでなくても、検査を続けることは必要ではないでしょうか。そのことを訴える専門家の方々も少なくありません。また甲状腺癌以外の疾患も心配です。教会には、こうした事情の歴史的な背景も知っていただきたいと、教会の教職の一員としても願っています。

リック・スティーヴスと歩むルターと宗教改革(音声英語・日本語字幕版・55分)

 アメリカの著名なトラベルライターであり、テレビパーソナリティーでもあるリック・スティーヴスさんによる「ルターと宗教改革」の日本語字幕版が完成しました。アメリカ福音ルーテル教会が提供してくださいました。
 リック・スティーヴスさんは「これまでルターについては、良い映画がありましたが、私は宗教改革の歴史的、経済的、社会的状況を説明し、ヨーロッパが中世から離れて近代化するために、どれほど驚異的な時代があったのかを届けたい」と述べています。
 脚本については、ルター派ばかりでなく、カトリック教会の神学者、また神学以外の研究者も加わって吟味を重ね、現代の人々に広く関心をもってもらうことができるように努めたそうです。ルターと宗教改革とその時代、またその現代的な意義を知る旅に出かけませんか。
※各教会にDVDを配布します。またパソコンやスマホでも視聴できます。
右掲の2次元コードもしくは https://youtu.be/E_yKTF95sHI 

2017年 宗教改革500年「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

 以前に増して一層わたしたちは、この世界におけるわたしたちの共同の奉仕が開発や飽くことを知らない欲望にさらされている神の創造へと拡張されねばならないことを認識しています。わたしたちは将来の世代が神の世界をその可能性と美しさのすべてにおいて享受する権利を認めます。わたしたちは、この被造の世界のために愛と責任をもってこれを導くよう、心と思いが変わっていくように祈ります。

【学び】

 この声明は、世界の争いや差別、迫害という課題を見据えながら、その奥に隠された現代世界を生きる人間の根本的な問題にまで切り込んでいる。
 人間の経済・文化が人間の「開発と飽くことをしらない欲望」に支配されていて、それが本来、人間が神の創造に参与し、世界を守り、ケアするつとめを負っているにも拘らず、むしろ、被造物全体を傷つけ、損なってしまっている現実を見つめている。だからこそ、この世界そのものに対する奉仕ということを地球規模において全面的に展開していかなければならないというのだ。「神の世界の可能性と美しさ」が失われていく。その危機感を持っているからこそ、いま、それを次の世代に、またその次の世代へと引継ぎ、守らなければならないと表明する。
 20世紀の後半、人間の健康をも損なうような深刻な環境破壊を体験してきた。また、平和利用という神話のかげで、核による取り返しのつかない放射能汚染の危機を抱きかかえてきたのだ。それは近い将来に人間のいのちそのものを脅かすものであることを予想させるのだ。だからこそ、いま、この問題から目を背けることのないように、この世界に対する「愛と責任」を心にきざむのだ。
 昨年、教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シ」を明らかにし、次の世代の子どもたちに神の創造された世界を引き継いでいく責任を語った。具体的に環境問題に深く言及するばかりではなく、基本的にこの世界のなかで人間が生きる意味や価値が失われていくような現実に対してキリスト教の果たすべき使命を語っている。
 この声明も、回勅が明らかにしている課題を共有し、両教会が被造世界全てに対する責任を分かち合うということを確認しているのだ。

ステファノのように

 神崎伸(賀茂川教会)
私たちは、神がお与えになった人生の旅路で、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、スピリチュアルにも、それぞれに経験する危機があります。そのただ中にあって、そのひとが今感じている思いにフタをせず向き合うことができるように「寄り添う」。自らも信仰と聖霊に満たされつつ、あのステファノのように(使徒言行録6・5)、「キリストならどうなさるか」を絶えず心において相手の痛みのプロセスに「共感する」。これが「ステファンミニスター」の働きです。

 今回、その「ステファンミニスター」を養い導くリーダー研修のため、東京教会の仲間に、賀茂川教会牧師と日本聖公会のメンバーを加えた9人が、7月の9日間をアメリカテキサス州のダラスにて過ごしてきました。

 信頼関係構築のための具体的かつ状況に即した傾聴方法、必要なことをアサーティヴに伝えるスキル、守秘義務の取り扱い方、各専門家につなぐタイミングの見極め方、ケアの適切な終わらせ方、スーパーヴィジョンの導き方―― 。 段ボール箱を満たす沢山のリーダーマニュアルを用いてこれらの演習を繰り返す日々でした。あまりの情報量にたじろぐこともありましたが、本紙の昨年11月号において関野和寛牧師が報告されていたとおり、創始者であるアメリカ福音ルーテル教会のケネス・ハーグ牧師を中心に、40年以上の時をかけて整え練られた、明確な神学に基づくものです。

 私たちは日本の地で、おもに日本語で祈り、対話し、ケアをします。その意味では今回集った300人と共に学んだすべてをそのまま適用することはできません。しかし、広大なアメリカの地で、同じ現代に生き、傷つき痛む隣人の現実を直視しながら、信仰と神学のすべてを注ぎ込むようにして対話を重ねてきたこの働きは、私たちにかけがえのないものとなりました。
 ぜひあなたにもこの働きに加わっていただきたいと考えています。関心を持たれた方は、お気軽に東京教会までお問い合わせください。

連帯献金のお願い

メロー牧師の日本研修を支えるために 世界宣教委員長  大柴 譲治

 ブラジル・ルーテル告白福音教会(IECLB)牧師のルイス・カルロス・メロー牧師(34歳)が5月22日に来日し、来年2月末までの予定で現在、大垣において日本語研修を受けています。
 学校法人HIRO学園で週2回の日本語個人レッスンを受け、自分で見つけてこられた大垣市のボランティアサークルでの日本語会話個人レッスンに週に1度通い、日曜日は大垣教会での主日礼拝の司式補佐を担当し、教会員との交流を深めています。
 また、大垣教会の聖研や名古屋地区や東海教区の集まりを中心に参加して一生懸命に日本体験を深めています。その一端は本紙8月号にご本人の言葉で紹介されていました。この12月からは各教区からの招請を受けて説教者として順次各地を訪問することが予定されています。
 JELCは1965年より50年間、ブラジルの「サンパウロ日系人パロキア」(IECLBに所属)に宣教師を送り続けてきましたが、昨年5月の総会において宣教師派遣を2019年春に完了することを決議しました。
 メロー牧師には徳弘浩隆牧師の後に日系人パロキアを引き継いでゆくことが期待されています。そのためにもぜひ今回の日本研修が実り豊かなものであって欲しいと願っています。本人も一生懸命に頑張っています。JELCは連帯献金を用いてメロー牧師の生活費と住居費、そして通信費等をカバーしています(月額12万円)。日本語研修の部分は日本福音ルーテル社団(JELA)が費用を支援しています。つきましては、どうかサンパウロの日系パロキアのためにお祈りいただき、併せてメロー牧師の今回の日本研修のために連帯献金をお捧げいただけますようお願いいたします。
 

連帯献金送金先

ゆうちょ銀行
振替口座00190-7-71734 
口座名義 宗教法人日本福音ルーテル教会
 *通信欄に必ず「ブラジル伝道」と記載くださるか、事務局へ、その旨お 知らせください。

 

 

 

 
  

 

 
 
 
  

  

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