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るうてる2024年

るうてる2024年08月号

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「わたしたちはキリストの体」

日本福音ルーテルみのり教会・岡崎教会牧師 三浦慎里子

「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」 (エフェソの信徒への手紙4・16)

 この春神学校を卒業し、牧師としてみのり教会と岡崎教会に着任してから、3カ月が経ちました(執筆当時)。豊橋市の牧師館に住みながら、田原市、岡崎市にある各礼拝堂にも行き来する日々を送っています。初めての経験に戸惑いを覚えたり、やる気が空回りして失敗したりすることもありますが、教会員の皆さんに助けていただき、徐々に慣れていっているところです。だいぶ前のことになりますが、私が初めて就職をした最初の新卒時代にも、やはり戸惑ったり、空回ったりしていたことを覚えています。あの頃に比べればかなりずぶとくなったものの、2度目の新卒時代を与えられて初心にかえることができるのは、とても嬉しく有難いことです。
 この3カ月の間に、対面や電話などで、教会員の方々のお話を聞かせていただく機会が増えました。皆さんの普段の穏やかなご様子からは想像もできないほど大きな試練や困難を経験して来られたことや、いかに信仰が人を支え導くかということを教えていただいています。複雑で奥深い人生の物語のほんの一部分に過ぎないかもしれませんが、出会って間もないこの新米牧師を信じてお話してくださる時、そこには確かに神様が共におられ、働いてくださっていることを思わずにはいられません。
 そのようなこともあり、毎週の礼拝や礼拝後の交わりの時間は、私にとってますます感慨深い時となっています。会衆席に座っておられる方々を見渡す時や、礼拝後に作業に勤しんだり、笑い合ったりする姿を目にするふとした瞬間に、豊かな個性を持つお一人お一人が、唯一のキリストによって一つに結ばれていることの尊さを思います。そして「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」というエフェソ書4章16節のみことばを思い出すのです。「キリストの体」とは、教会の多様性と一致を表します。全く違う経験をして生きてきた、性格も考え方も異なる多様な人々が、キリストと出会い、招かれて、礼拝に与る。肩を並べて神を賛美し、みことばを聞き、心をひとつにして祈る。交わるはずの無かった人々がキリストによって交わり、互いを思いやったり、助け合ったりするうちに、次第に互いにとって欠くことのできない大切な存在となり、キリストの体である教会を造り上げてゆく。その現場に遣わされ、人間の力では成し得ない神様の業を目の当たりにするのは、誠に大きな喜びです。
 とはいえ、教会はこの世で生きる私たち人間の集まりですから、穏やかな時ばかりではないでしょう。「キリストの体」が怪我や病にむしばまれ、平安が失われることもあり得ます。私自身、その時が来れば、もはや笑っていられなくなるのかもしれません。聖書は私たちが「神から招かれ」(4・1)ていると励まし、「その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(4・1~3)と勧めます。それは特別な行いではありませんが、ただ自分の利益のためだけに生きる者には難しいことです。神様の招きは、これらのすべてを満たされるイエス様の十字架のもとへと私たちをいざない、そこから出発するよう導きます。私は希望を抱いています。これから何が起こるかを恐れるよりも、主の憐れみに依り頼み、今与えられている賜物を生かし、キリストの心を表してゆくことを選びたいのです。遣わされた教会の人々と共に。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(53)「今を」

「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。」(ローマの信徒への手紙14・7)

 「自分の過去に嫉妬するときがあるんだ。」このような言葉を聞きました。その人は過去の記憶を思い出すことができにくい記憶喪失に苦しんでいました。自分はいったい何者なのか。どういう人間なのだろうか。そのようなその人に周りの人たちは「あなたはこんな人だったよ」とか「こんなことをしていたんだよ」とか良いことばかり言ってくれます。昔の自分はこんなに良かったからいろいろな人に受け入れられてすごい。じゃあ今の自分は?誰か今の自分を評価してほしい。そのような人は今の仕事の評価を受けて徐々に自分を取り戻していきます。
 あれ?これって私たち自身も同じなのかもしれない。嫉妬してしまうほど美化された過去や、忘れてしまいたいような過去や、今も忘れられない過去など、いろいろあります。でもそれら一つ一つがあるから今の自分があるのではないでしょうか。少し自分の経験を話すと私は今、車椅子を使う生活です。でも20代半ばまでは歩いていました。10代までは走ってもいました。このような過去は今の自分を苦しめることもありますが、成長させてくれることもあるような気もします。
 私自身にもいろいろな経験があるように、お一人お一人にもたくさんあるのではないでしょうか。忘れたい過去も後悔している過去も悲しい過去も嬉しい過去も。それら一つ一つはあなたが今を生きている証です。そんなまた奇麗事言ってと思うかもしれませんが、嘘ではありません。過去があったから今があります。ずっと一人ではありません。

「全国の教会・施設から」⑮

日本福音ルーテル東京池袋教会 永吉秀人(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師・日本福音ルーテル教会総会議長)

 東京池袋教会は今年、宣教117年目の年を迎えています。その第一歩を踏みしめたのは1907年7月、フィンランドからの宣教師シーリ・ウーシタロ宣教師、コスケンエミニ宣教師夫妻、副島秀子氏であり、その地は東京千駄ヶ谷でした。
 1907年に千駄ヶ谷から始まった宣教草創期、1912年には千駄ヶ谷で移転、1916年には巣鴨に移り、「西巣鴨福音ルーテル教会」の看板を掲げつつ、1929年には巣鴨でも移転しています。「転宣」による開拓伝道でありましたが、ようやく1931年となって現在の池袋の地に第一会堂となる教会が建築されました。
 この地は、1923年にフィンランド・ミッションにより神学塾開校のために購入されたものであり、1926年には9名の卒業生が伝道師として派遣されています。そこを宣教の地と定め、フィンランド・ミッションによる「東京福音ルーテル教会」との名乗りをあげました。
 この「教会名」は、1953年にフィンランド系「福音ルーテル教会」と「日本福音ルーテル教会」が合同し、1963年の新規「日本福音ルーテル教会」の「東教区」結成に伴い、現在の「日本福音ルーテル東京池袋教会」へと整えられていったと思われます。
 東京池袋教会の歴史においては、開拓伝道の度重なる「転宣」に加えて、会堂建築においても3度の変遷があります。1931年に第一会堂が建てられて以後、1951年には第二会堂が献堂され、そして1985年に第三会堂としての現在の礼拝堂が与えられました。
 100年を超える歴史は尊い。初めから居た者はおらず、すべては受け継いだ恵みです。今も交わされる「100年前に私のおばあ様がね」という教会の思い出話はあたたかい。フィンランドの献身的な祈りから始まった灯は、今も池袋の地に掲げられています。

改・宣教室から

永吉秀人 総会議長(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師)

 「レクイエム」と呼ばれる楽曲があります。これは「死者のためのミサ曲」であり、典礼文に曲が付けられたものです。よく知られたものにモーツァルト、ヴェルディ、フォーレ作曲のミサ曲があります。
 昨年の夏、小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラによる「戦争レクイエム 作品66」というCDを聴く機会がありました。作曲者はベンジャミン・ブリテン(1913~1976)。1961年、ブリテンは「戦争レクイエム」の作曲にあたり、教会の伝統的な典礼文だけによるレクイエム(ミサ曲)ではなく、反戦の詩を織り込んで作曲しています。それゆえ、ミサ曲として数えられることはなく、戦争レクイエムという一つの作品として扱われています。
 ブリテンが織り込んだ反戦の詩とは、第一次世界大戦の戦場を体験したイギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェン(1893~1918)による、戦争の悲惨さを描く詩でありました。オーウェンは25歳で戦死するまで戦争の苦悩をつづり、イギリスの詩壇で反響を巻き起こしました。それから40年を経て「戦争レクイエム」で再び詩に命が吹き込まれます。その第3曲の場面で創世記22章のアブラハムとイサクの物語を用いたオーウェンの「老人と若者の寓話」が挿入されます。
 《イサクが言った。「父上、火の準備をご覧ください。ですが、この燔祭のための仔羊はどこにいるのでしょう?」すると、アブラハムは帯と革ひもで若者を縛り上げ、ナイフをかざしたとき、天使が彼に向って呼びかけた。「手をかけてはならぬ、また、どのような危害を加えてもならぬ」見よ、そのとき一匹の牡羊が森の中でとらえられていた。つまり、若者の身代わりとして神が提供されたのである。だが、老人は天使の言うことに従わず、自分の息子を殺害した。いうなれば、ヨーロッパの子孫の半ばを、ひとりずつ殺したのである。》(筆者意訳)
 アブラハムとイサクの物語を想像しながら「戦争レクイエム」のくだりを聴いていた者にとっては衝撃的な結末です。オーウェンは、この「老人と若者の寓話」を通して、戦争とは天からの声を聞きつつも、従わなかった者たちの罪であると告発しているのです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ノルウェーのキリスト教法

 ノルウェーにはキリスト教法という法律があり、2024年の今年は施行されて1000年目を迎えました。名前が示すように、この法律はノルウェーの教会と社会において歴史上非常に大きな意義があります。
 この法律は1024年、オラフ2世の治政下に制定され、ノルウェーはここからキリスト教国としての国づくりが始まりました。5月24日から6月2日にかけて「過去を祝い、未来をつくる」をテーマに、南西の海岸都市モスターで記念式典が行われ、LWF議長も出席しました。

 ノルウェー教会のオラフ・フィクセ・トゥベイト監督はこの法律について次のように説明します。「神がご自身のイメージをこめて人を創造したというキリスト教信仰の価値観を社会に活かし、争いごとは報復でなく法と正義に基づいて解決することを意図してこの法律は制定されました。今日では女性や子ども、貧困者の権利を守るための法律ともいえます。」「この法律が1000年にわたりノルウェーに存続し、その間キリスト教の教えによって私たちが共に生きていくよう導かれたことを感謝できることは意義深いです。」「ノルウェーだけでなく世界的にも、人間の価値観が絶えず試されています。キリスト教的人間観を重んじる教会そして国家として、こうしたチャレンジに対してどう向き合うかを考えていかねばなりません。」
 伝統的にノルウェーでは教会と国家の関係は深く、1537年にはクリスチャン3世が改革を行いルター派の教義が国の宗教となりましたが、この教会と国家の結びつきは2017年に終わりました。
 記念会ではパネルディスカッションがあり、ストゥブキャル監督LWF議長とトゥベイト監督、それにアングリカン教会のマレット主教が対談し、そのなかでLWF議長は次のように述べました。「人権は、人間の尊厳の基盤であり、それゆえ我々キリスト者、ルター派の信仰そしてアイデンティティの基盤でもあります。神から賜ったすべての人の尊厳、殊に抑圧された弱い立場の人々の尊厳を高めるために私たちは召されています。LWF加盟教会が人権について学ぶことは神学と信仰の鍵となります。人権擁護は教会がなすべき宣教のコアであり、教会が発する預言の声です。不義、暴力、憎しみ、不寛容を社会からなくすために戦うことで人権、尊厳、正義と平和を実現していく。それがLWFのビジョンです。」。

詳細はこちらから

報告:「課題の視点で聖書を読む」オンライン学習会

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・社会委員会委員長)

 日本福音ルーテル教会の社会委員会は6名の委員からなる小さな委員会で、全国に委員さん方が点在する中、継続的な活動を行う難しさを感じてきました。ところがコロナ禍によってオンライン機器が一般化したことにより、思いがけず委員会活動の新しい地平が開かれてきました。今総会期の委員は、課題と聖書を切り結ぶオンラインでの連続学習会を開催したいと話しあいました。その結果が、以下の3回の学習会です。

第1回「ヘイトクライムの視点で聖書を読む」
(2023年9月11日 
秋山仁牧師)
 昨年は、関東大震災における在日朝鮮人・中国人の大量殺害事件から100年目となる年でした。けれどもこの事件を歴史における一過性の事件としてしまうわけにいはいかないのが、近年表面化しているヘイトスピーチ・ヘイトクライムです。外国人住民を危険な、かつ人間以下の存在として切り捨てていこうとする悪辣な言動がSNSにもあふれています。秋山牧師は、旧約時代のユダヤ民族の異民族理解と現代とを対比させつつ、私たちの課題をご提示下さいました。

第2回「脱原発の視点で聖書を読む」
(2024年2月26日 内藤新吾牧師)
 内藤牧師はいつも、日本の原子力政策の危険性と、原子力の平和利用の名のもとに行われる核兵器開発の問題性を明瞭にお話し下さいます。今回は加えて、天地創造の物語やイザヤ書、マタイ福音書などに示された私たちに対する神様の期待、といった聖書的な観点からも、私たちが直面している課題についてわかりやすくお話し下さいました。

第3回「ジェンダー正義の視点で聖書を読む」
(2024年5月21日 安田真由子さん)
 都南教会の信徒であり、NCCジェンダー正義に関する基本方針策定プロジェクトでも中心的な役割を果たされた安田さんが、性の多様性やジェンダー正義についての基本的知識の解説にはじまり、聖書の中でも表現されてきた性をめぐる差別や偏見や抑圧を、教会に集う私たちがどのように越えていくことが出来るのか、といった私たちの課題に至るまで、新約学が専門の安田さんらしく、聖書翻訳の課題などにも触れながら、示唆に富んだお話しを下さいました。

 特に、第2回の学習会は講演録も発行されて各教会に配布されていますから、ぜひ手に取って学んでいただければと思います。

部落問題に取り組むキリスト教連帯会議報告

沼崎勇(日本福音ルーテル京都教会・修学院教会・賀茂川教会牧師・部落問題に取り組むキリスト教連帯会議常任委員)

 部落問題に取り組むキリスト教連帯会議(以下「部キ連」と略す)第41回総会が、2024年5月20日、在日韓国基督教会館において開催された。部キ連は、全国にあるキリスト教団・教派が連帯して部落差別を克服することを目的とする運動体であり、重要な活動の一つは、狭山再審・証拠開示要請行動である。(以下の記述は、黒川みどり著『増補 近代部落史』平凡社、および、黒川みどり著『被差別部落に生まれて』岩波書店に負っている)
 狭山事件は、1963年5月1日、埼玉県狭山市で高校1年生の女性が行方不明になり、警察が身代金を要求した犯人をとり逃がし、その後に被害者の遺体が発見された事件である。当初から周辺の被差別部落を中心に捜査が行われ、当時24歳だった被差別部落に住む石川一雄さんが、別件逮捕された。
 石川さんは、貧困ゆえに小学校にほとんど通えておらず、読み書きもほとんどできなかった。そのような石川さんは、殺人・死体遺棄についての自白を迫られたが、長らく否認を続けた。しかし、一家の大黒柱であった兄が犯人であるとだまされ、加えて「自白をすれば10年で出してやる」という捜査官の誘惑によって、6月23日、石川さんは「自白」に至る。
 1964年3月11日、一審の浦和地裁で死刑判決が出されたが、翌12日、東京高等裁判所に控訴。9月10日に行われた控訴審で、石川さんは否認に転じ、無実を訴えるも無期懲役となり、1977年、最高裁の上告棄却、それへの異議申立て棄却で無期懲役が確定した。それ以来、石川一雄さんは再審請求を続けているが、1994年、仮出獄となったものの、今もって再審は開かれていない。
 狭山事件の問題性は、被差別部落に犯人がいるという予断のもとに、捜査の段階から被差別部落に的が絞られた結果、石川さんが被差別部落住民であることによって、逮捕されるに至ったことである。
 さらに狭山事件の問題性は、取調べにおいて、石川さんが学校教育をほとんど受けていなかったことによる「無知」を利用して、彼を欺き「自白」をつくり出したのであり、部落差別が、冤罪を生んだ重要な要素になっていることである。
 石川一雄さんは、獄中で文字を獲得し、次のようなメッセージを書いている。「私にとって生命とは、真実をつらぬくということであります」(「奨学生の皆様へ」『解放新聞』第542号、1971年12月6日)と。

山内量平探訪記⑧「量平の回心」

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 昨年、山内量平先生をしのぶ旅に出た私は、かねて連絡してあった日本基督教団田辺教会の南澤牧師の案内で、昔の田辺教会の場所、教会墓地、五明楼跡地などを回り、最後に芳養(はや)の松原の手前で下ろしていただきました。
 明治17年5月12日の夜、山内量平は、旅館・五明楼での大石余平との議論を打ち切って馬に乗り、いわゆる熊野古道を西に向かって、芳養の海沿いに差しかかりました。
 彼は月光の下、波の音を聞きながら、「量平の大悪人、男なら悔改めを敢行しろ!」という、余平の叫び声を心の中で繰り返しました。「神は天地の造り主、万物は神の力で創造されたものだ」と考え及んだとき、突然神の霊光に触れた感じがして立ち止まりました。道沿いに一軒の掛け茶屋がありました。量平は、茶屋の老婦人に馬を頼んで、徒歩で五明楼に引き返しました。
 夜明け前に、彼は五明楼を叩いて、ヘール宣教師と大石余平の前に、前日の振る舞いを謝り、自分の回心を告げました。3人は終日語り合い、量平は宣教師から洗礼を受けました。35歳でした。
 量平が回心した地点はどこだったのか?佐波亘『植村正久夫人季野がことども』には、昭和10年ころの芳養の掛け茶屋の写真があります。明治17年にも同じ場所にあったかは分かりませんが、ともかくその写真に写っている橋を手がかりに、その場に立つことができました。

第30期第5回常議員会報告

李明生 事務局長(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 6月10日〜12日、日本福音ルーテル教会常議員会がルーテル市ヶ谷センターにて対面開催されました。今回は、3月の各教区総会後の常議員交代を踏まえて、今期の諸課題の共有の機会を持ちました。以下、主な事項について報告いたします。

第7次綜合宣教方策の件
 第7次綜合宣教方策の理念を再確認し、今後の主要課題としての、①教職数の見通しと対応、②神学教育の見通しと対応、③引退教師の他法人での働きの見直し、について共有しました。2034年には日本福音ルーテル教会の現職教職数は50人前後となることを踏まえて、全体教会組織のスリム化、また各個教会間の協力体制作りを進めることが必要となっています。また神学教育スタッフの減少の状況での教職養成継続も重要な課題となっています。そして、現職の教職のみで教会附属施設・関連法人の責任を担うことがさらに困難となる中、引退教師の協力を得やすくするための規則変更が喫緊の課題でもあります。

神学教育の課題とヴィジョンの件
 ルーテル学院大学・大学院は2025年度より新規学生募集を停止すること、日本ルーテル神学校は継続されることを今年3月に学校法人ルーテル学院理事会は決定しました。これを受け、今回の常議員会では大学報告・神学校報告と共に、今後の神学教育(教職養成)の課題とビジョンについて発題を受け、意見交換を行いました。教会に仕え、宣教と牧会の責任を着実に担う教職者を育てるためには、これまで以上により長いプロセスが必要となっている現状認識を共有しました。特に、神学校入学前の段階での教会生活の重要性、ならびに教職養成における教会現場での実践的学びの重要性は、今後さらに増していくことを共有し、神学校と教会とのより緊密な連携と協力が必要となっていることを確認しました。

教職者の育児・介護休業規定の件
 教職数の減少が現実となる中、「教職は献身者である」という認識にあくまでも立ちつつも、その働きを継続出来るための環境整備は必須課題となっています。そのための取り組みの一つとして、教職者の育児・介護規定の改正の検討が進められています。現在、方策実行委員会(憲法規則改正委員会を兼ねる)において検討中の「(牧師)育児・介護休業規定」案について経過が報告され、改正案が実際に有効活用されるためには、当該教会信徒だけでなく、近隣諸教会の教職・信徒の理解と協力が不可欠であることが共有されました。また財政的な課題についても意見交換を行いました。今後も各教区・各個教会からのフィードバックを受けつつ、引き続き検討が進められることとなります。

次回常議員会日程の件
 次回常議員会は11月11日〜12日、オンラインでの開催が承認されました。
 その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

ルーテル世界連盟(LWF)理事会に参加して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル甘木教会信徒)

 6月13日から18日にかけてスイスのジュネーヴ郊外で開催された、ルーテル世界連盟(LWF)の理事会に参加しました。(るうてる1月号にて、第13回アッセンブリーでの承認を受け、ユースの理事としての働きを始めることを報告させていただきました。)今回の理事会では2030年まで活動を共にする理事、LWFスタッフ、アドバイザーが初めて一同に集まり、共にLWFの働きを始めることができました。世界各国のルーテル教会の取りまとめやルター派神学教育だけでなく、貧困層や難民などへの人道支援、また気候変動問題への取り組みなど多岐に渡るLWFの働きの共有や、2025年から2031年までの活動指針の承認が行われ、また理事同士のコミュニケーションの場を持ちました。特に印象的だったのが、議長のストゥブキャル監督がユースの意見を聞きたい、と時間を設けてくれたことでした。LWFはユースのための活動を活発に行なっており、理事会におけるユースの割合も20%以上を占めています。ユースは牧師や神学生だけでなく、私のように社会人や学生の信徒もいます。長く聖職に就いている方、教会に関わっている方、神学者などが多く集まる会において、ユースの意見を積極的に聞きたいという姿勢があることこそが、ユースの参画や活動へのエネルギーを生み、LWFを作り出し続けているのだと感じました。
 私は都合上3日間のみの参加でしたが、ストラテジーについて議論する場やアジア地域の話し合いに加わることができました。新しいコミュニティー、たくさんの議題や飛び交う意見などの情報に頭の中が溢れかえりそうになりながらも、私に「I’m learning.で大丈夫、ただ会議を楽しんで!」と声をかけてくれたユースや、他の理事やスタッフによる助けが励みでした。これから彼ら、彼女らと共に神様から与えられたこの理事というミッションを楽しみ、応えていきたいと思います。
 最後になりましたが、みなさまのお祈りに感謝申し上げます。

「2024年 ルーテル聖書日課読者の集い」のご案内

『ルーテル聖書日課読者の集い』が神戸市郊外の緑あふれる「しあわせの村」にて開催されます。ルーテル聖書日課の読者ではない方もご参加いただけますので、皆様のご参加をお待ちしております。

〈主題〉聖書の中の女性たち~ディアコニアに生かされる~
〈講師〉正木 うらら先生(神戸ルーテル神学校・関西聖書神学校講師)
〈日程〉10月21日(月)14時~22日(火)14時*部分参加・日帰り参加も可能です
〈会場〉神戸しあわせの村(最寄り駅:名谷駅)
〈申込締切〉9月19日(木)16時必着
〈参加費用〉18,000円(受講料込・1泊3食付)日帰り参加:1講義1,000円(全5講義、食事代別途)
〈申込先〉以下を明記の上、メールまたはFAXにてお送りください。
①氏名・ふりがな ②所属教会 ③ご住所・最寄り駅
④ご連絡先電話番号 ⑤メールアドレス ⑥宿泊/日帰り
⑦ツインルームご希望の場合、同室希望者氏名
⑧禁煙ルーム/喫煙ルーム⑨介助者(1名)の参加有無
⑩性別※ ⑪ 65歳以上の方の年齢※
(※⑩・⑪は施設の利用申込時に必要な情報のため、お伺いしています)
*「65歳以上の方」と「障がい者手帳をお持ちの方」は、当日『証明書』をご持参ください。

〈お問合せ〉
ルーテル聖書日課を読む会事務局
(日本福音ルーテル教会事務局内)
TEL(03)3260―8631
FAX(03)3260―8641
seishonikka@jelc.or.jp

【訂正とお詫び】
機関紙るうてる2024年7月号、3面「世界の教会の声」のタイトルに「ペースメッセンジャー」とありますが誤りでした。正しくは「ピースメッセンジャー」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

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