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るうてる2024年

るうてる2024年03月号

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「私の命は主の中に隠されている」

日本福音ルーテル大森教会牧師 竹田孝一

「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」 (マルコによる福音書16・6)

 「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」という天使の「ここにはおられない。」という言葉に耳を傾けたいのです。「ここ」とは、すべての終わりの死が支配する墓です。
 ルターは次のように言います。
 「死の支配する地上でキリストを捜すべきではありません。キリストを見、キリストをつかみ、キリストに向かって歩むには、違った目と指と足が必要です。主の納められていた場所を示しましょう。しかし、主はもうそこにはおられません。…(中略)…そこで今や主の御名は、『もうここにはおられない。』と言われます。…(中略)…キリストはもうこの世におられません。ですから、キリスト者もこの世にいるべきではありません。だれもキリストを地上に縛り付けることはできず、またキリスト者を何かの規則で縛ることもできません。『もうここにはいない』のです。 主は、地上の正義、信仰深さ、知恵、律法など、この世に属するあらゆる殻を捨て去りました。完全に脱ぎ捨てられました。ですから、地上に現れるものの中に主を求めてはなりません。それらは殻にすぎず、殻は二度用いられることはないのです。…(中略)…あなたの命は隠されています。しかし、何かの箱の中にではありません。見つけられてしまうかもしれないからです。あなたの命は地上のどこにもおられない主の中に隠されているのです。」(『マルティン・ルター日々のみことば』マルティン・ルター著・鍋谷尭爾編訳・いのちのことば社より)
 マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは死者を求めていきました。「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」しかし、自分たちが慕う主イエスの亡きがらがない。死はなかった。命が隠されていた。
 私たちは、不条理な死に向かって生きています。しかし、死がどのようなものであれ、キリストが死を、十字架の死をもって引き受け、死に勝利したのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」と言われたように死はなく、復活の命だけがある。新しい命にあふれているのです。
 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16・7)
 弟子たちと共に生活をしたガリラヤに先立って復活されたイエスさまは行かれ、共にいてくだったように私たちの生活の場にも命にあふれた主・イエス・キリストが来られ、共にいてくださいます。命にあふれた主・イエス・キリストと共に生きるのが私たちなのです。
 「死は勝利にのみ込まれた。」(コリントの信徒への手紙一15・54)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊽「いつまで」

  「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。/ほうっておいてください/わたしの一生は空しいのです。」(ヨブ記7・16)

 「こんなに長く続けていただけるとは思いませんでした。」
 その方はご自分が勤務を引退されるときこのように私に言われました。
 確かに私は急に進行性の病気が分かったため自分が働けなくなり勤務を自分が予定していたより早く退いた経験がありましたので、新しい仕事が始まるたび自分ではよく「いつまでできるか分かりませんがよろしくお願いします」と挨拶していました。
 しかし、いざ人から「こんなに長く続けていただけるとは思いませんでした。」と言われるとドキッとしました。
 「いつまで」も「いつから」も「いつ」も私たちには分からないことがたくさんあるのに、いつの間にか忘れることが多いような気がします。
 「年を取ったらわかるよ」と良く言われます。でも年を取れるのかな?とかいつまで生きられるのかしら?とか考え出すときりがありません。
 なんで生まれてきたのだろう。こんな人生要らなかったよ。と嘆く方がいます。自分が思い描いていた人生は送れず思いがけないことが次々と起こり辛い思いしかない。私もそのような思いを描くときもあります。誰が答えてくれるのか?
 誰もいない。そんな絶望感いっぱいでどうしようもないときでも、あなたは一人ではありません。「こんなところ私しか居るはずない」と思うところでも、思うときでも神様は居られます。あなたがいるから。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

小泉 あゆみの家は、私がまだ行ったことのない施設のひとつです。今回はその、まだ見ぬあゆみの家のスタッフの秋田明子さんにお話しを伺うことが出来ました。
 ジョン・ボーマン宣教師が心血を注いで設立なさったあゆみの家は、今ではたくさんの施設群となったと伺いました。いくつの施設があって、何人くらいの利用者さんがおられるのですか?
秋田 自宅から通う通所施設1か所から始まったあゆみの家は今、通所施設3カ所、自宅から離れて泊まる入所施設、グループホーム7カ所、地域生活支援、西濃障がい者就業・生活支援センターがあり200名以上の方が利用されています。
小泉 秋田さんは、そのなかでどんな働きをなさっておられるのでしょうか?
秋田 パート職員として3事業所に所属しています。日中活動の支援員(週2日)、地域支援のヘルパー(週3日)、グループホームの世話人(週1日)。各事業所によって働き方が違って難しく、支援力の無さを感じ落ち込むこともありますが、利用者さんとの関わりには恵みがたくさんあり、長く働かせていただいています。
小泉 秋田さんがあゆみの家と出会われたきっかけを教えてください。
秋田 学生の頃に大垣で、障害がある方たちが地域で生活をするための活動をしていて、その中にいた人にあゆみを紹介して頂いて就職出来ました。
小泉 あゆみの家が、どんなことを大切になさってこられたのか、教えていただけますか?
秋田 神から愛され、かけがえのない個性を与えられている一人ひとりが、互いに尊重しあい、共に生き、共に学び、豊かな社会生活を送れる事を目指しています。
小泉 最近あった嬉しかったことを教えていただけますか?
秋田 コロナ禍で3年間色々な行事ができず、利用者の方はいっぱい我慢を強いられてきました。でも昨夏は入所施設の方々の日帰り旅行を実施でき、笑顔がいっぱいでした。秋には全事業所が一堂に集まるお祭りで盛り上がりました。楽しかったです。
小泉 最後に、大切にしている聖書の箇所があったら教えてください。
秋田 あゆみの家は「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたをあいしている」(イザヤ書43・4)です。私は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピの信徒への手紙4・4)を大切にしています。
小泉 ありがとうございました。あゆみの家を訪問できる機会を楽しみにしています。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑩

日本福音ルーテル小岩教会 内藤文子(日本福音ルーテル小岩教会牧師)

小岩教会は、戦前は本所教会(当時)の集会所として存在しました。本所教会の内海季秋牧師が当時ベタ二ヤホームで職員や母子寮の人々のために礼拝を始められそのベタ二ヤホームの宣教の一環として、小岩にあった牧師館において開始されました。
 礼拝と、託児所の働き。そしてそれが、現在の小岩教会とルーテル保育園へとつながっていったのです。託児所開設の初めには、子どもの使う椅子や机は、木のみかん箱に色紙を貼ったものでした。費用は一切無料でしたが、保護者の方からの願いで少額の保育料を頂くことになりました。戦争が始まると、若い女性たちも、軍需工場の働き手となる事を強制させられたことによって保育が不可欠になり、1941年「戦時託児所」になりました。そこでは、教会関係の女子青年たちが入れ代わり立ち代わり子どもたちの面倒を見ていたそうです。その一人の山本さん(現在108歳)は、1945年の東京大空襲で焼け野原となった本所の母子寮(墨田区)から、13人の母子たちを歩いて小岩の保育園まで引率しました。小岩地域の近所の方々と一緒にその方たちの看護をしたということです。戦前から地域に根ざし、地域の人たちと支え合ってきた教会と託児所は、戦後も救援物資の拠点となり活動をますます盛んにします。
 1962年には教会棟を新築し保育室も増築しました。時が経ち、2011年東日本大震災が起こり、老朽化の加速で、新築に向けた動きが始まります。解体後、2017年に教会と保育園が新築されました。1階保育室、2階礼拝堂・保育室、3階牧師館。新しい時代への教会の宣教と、地域の子どもたちへのキリスト教保育の実践、この2つの社会に向けての視野も広げ現在に至っています。
 コロナ禍を経て、教会、保育園とも、通常の活動、保育が戻ってきました。今年のクリスマスには2つのコンサートを行いました。保育園では「一時保育」の事業も始まり、喜ばれています。
 小岩教会は、保育事業を大切な地域への奉仕活動として、多くの教会員が携わってきました。主イエス様に託された働きとしてこれからも、御言葉の種がそこに育つことを祈りつつ歩んでまいりたいと願っています。

認定こども園神水幼稚園
牧野惠子(神水幼稚園園長)

 神水幼稚園は、熊本市中央区神水1―14―1という同じ敷地にルーテル法人会の3つの施設(宗教法人の神水教会、社会福祉法人の慈愛園、学校法人の幼稚園)と共にある、ルーテル教会にとっても貴重で恵まれた幼稚園だと思っています。
 1929年に北米一致ルーテル教会子供会の会長クロンク夫人の外国伝道を応援し、日本の子どもたちのための事業資金としての寄付を受け設立されました。クロンク夫人を記念して、設立当初はクロンク幼稚園と命名されました。また、日本で初めてのナースリー・スクールを併設した幼稚園として発足しています。
 設立は慈愛園設立の10年後で、慈愛園園長のモード・パウラス先生の慈愛園の子どもたちと地域の子どもを一緒に教育したいという思いで設立されたようです。
 初代園長は、妹のエーネ・パウラス先生でアメリカのコロンビア大学で幼児教育を勉強された宣教師でありながら園舎の設計もなさっています。設立前から、多くの女性宣教師が幼児教育に関わっておられ幼児期にこそキリスト教教育が重要であると認識されていたようです。その思いを歴代の園長をはじめ多くの先生がつなぎ続け、今があると思います。
 1941年、戦況が厳しくなる中、幼稚園名を神水幼稚園に改名したり、北米一致ルーテル教会からの援助が難しくなったことで、慈愛園後援会を立ち上げて自給態勢を強化するなど存続のための努力がなされました。
 1985年に社会福祉法人神水幼稚園から学校法人神水幼稚園へとなり、 2015年には認定こども園に移行し0歳児から就学までの子どもたちの保育教育にあたっています。
 少子化が進む中で、幸いにも定員210名を超える園児が通う園として存続しています。熊本市の中央に位置しながら広い土地と自然に恵まれた環境を備えてくださったパウラス先生を始めとした宣教師の方々に感謝します。
 数々の困難を乗り越えつないでこられたキリスト教保育の場をこれからもつないでいきたいと思います。共に働く人たちと共に、力を合わせより良い保育をめざして。キリストにつながって。幼子をキリストへ。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

キリスト教一致祈祷週間

 教会閉鎖、司祭や牧師の誘拐と殺害。そんな危機的状況下のなか、私の隣人は誰なのか。極度の暴力と抑圧のただ中で善いサマリア人のたとえ話は何を教えてくれるのか。それが今年のキリスト教一致祈祷週間 (Week of
Prayer for Christian Unity)のためにブルキナファソの教会が掲げたテーマです。
 西アフリカに位置するブルキナファソは、60ほどの異なる民族が共存するイスラム教徒が多数の国です。2016年以降、度重なるテロにより無法状態に陥り、3000人以上が命を落とし200万人近くが生活の場を失いました。教会をはじめ学校や保健所、庁舎が標的となり、地域によっては公の礼拝は禁止となりました。
 Churches Together in Britain and Ireland (CTBI)のピーター・コルウェル牧師は言います。「善いサマリア人のたとえは私たちの心を揺さぶり、絶えず癒やしと和解を追い求めていくべきというビジョンを示してくれます。」
 キリスト教一致祈祷週間では、ルーテル教会や他の諸教派教会が1月18日から25日にかけて祈祷会や礼拝などを企画します。世界教会協議会(WCC)とバチカン教会一致推進委員会が共同でこれを推進しています。2024年は、コルウェル牧師によれば「西洋のメディアに忘れられている西アフリカのひとつの国に目を向けました。」「度重なる軍事クーデターやムスリムの反乱による暴力で崩壊の危機に瀕しながらも、キリスト者が信仰の一致を保ち証しをしていくにはどうすべきかについて、感動的なお話を聞けました。司祭や牧師が襲われ、公に礼拝ができないところがあると知り胸が張り裂ける思いです。」
 「逆境に立たされた地域においてエキュメニズムは単なる追加オプションではなく、サバイバルのための道なのです。キリスト者が一つになって支え合い祈りあっていかなければ、福音の証しはできないのです。」「希望が見えないなかにありながら、彼らは希望を持ち続けています。クリスチャン、ムスリム、他の伝統宗教の代表者たちは益々協力しあって、平和と和解の道を模索しています。そうした姿から多くを学びます。違いを超えてつながっていかなければ、国として社会として未来が見えてこないのだと彼らは言います。」
 「善いサマリア人のたとえ話は分かっていると考えがちですが、馴染み深さ故にかえってそれが足かせとなり得ます。このたとえ話は深く掘り下げていけばいくほど、新たなチャレンジが湧いてきます。責任や実践の仕方を細分化することに熱心なあまり、他者を思いやるという中心テーマをないがしろにしがちになりますが、そうした見方に変化を与えてくれるのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

山内量平探訪記③

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 山内量平がキリスト教に出会うことになったきっかけは、妹の季野が横浜のフェリス女学校に入ったことでした。
 みなべ町立図書館にあった町史には『植村季野と山内家の人々』という節があって、冒頭にこう書かれています。
 「植村季野は国学の本居宣長の四大弟子の一人と称された山内繁樹の孫娘として、安政五年(1858年)八月五日北道(紀州信用金庫南部支店の跡)で生まれた。父繁憲は、酒造業の傍ら国学ほか諸芸に通じ後に須賀神社の神官となる。季野は、幼少より文人に接し好学の志強く、国学は父繁憲、書画は富岡鉄斎から学び『秋華』と号した。明治十年(1877年)横浜に出て、ミッションスクールのフェリス女学校に入学、在学中キリスト教の信仰にはいり、明治十一、二年頃横浜海岸教会のジェームズ・バラより洗礼を受けた。」
 季野はフェリスでは漢学の教員を兼ねた学生だったようです。明治8年(1875年)の開校当初から加わっていたように読める資料もあるのですが、明治10年(1877年)としてもまだ10代でした。
 そして彼女は明治12年(1879年)に、後に明治最大のキリスト教指導者となる植村正久牧師と婚約しますが、家庭の許諾を得たいと、いったん帰郷することにしました。
 季野の思いは、家族に福音を伝えたいということだったのです。婚約者の植村牧師も、本を送って応援してくれました。この季野の帰郷が、実りを結ぶことになるのです。

『教会讃美歌』デジタル化について

小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会牧師・典礼委員会委員)

 あなたの教会では、どんな賛美歌集を使っていますか?
 日本福音ルーテル教会は、1974年9月に、ルーテル諸派で力を合わせて『教会讃美歌』を発行しました。伝統的な賛美歌だけでなく教会暦や世界宣教にも意識を向けた選曲により、当時、時代の先端を行く賛美歌集として前向きな評価を頂きました。それから半世紀。2000年の小改訂を経て、今日、多くのルーテル教会では緑色の表紙の『教会讃美歌』(緑版)が使われていることと思います。
 ただ、現在、『教会讃美歌』は、版下の劣化などの理由から、近い将来に増刷できなくなってしまう危機にあります。しかも、時代の流れはデジタル化。そこで典礼委員会では、今後も『教会讃美歌』を保持することを考えて、さらに、将来的には掲載している賛美歌を他教派と共有していくことも視野に入れて、『教会讃美歌』のデジタル化を決定しました。昨春、ルーテル諸派の委員で構成される作業部会(賛美歌委員会)を立ち上げ、外部委託業者やサポーターの方々の協力を得ながら、改訂作業を開始しました。完成目標は来年。著作権などの課題もありますが、冊子体だけでなくデジタル版の出版も目指しています。
 今回の改訂では、デジタル化の利点を活かして、文字や音符を見やすくすることや、楽譜内の歌詞を増やすことなどの改善も行なっています。ページ数が増える見込みですが、冊子体では、より薄い用紙を使うことによって現在の緑版(2000年小改訂版)歌集と同様に使えるようにします。
 委員会では、共に主を賛美する喜びを想い、また、より豊かに礼拝の恵みを享受するための一助となれば幸いと願って、日々、作業に励んでおります。どうか、お祈りにお覚え頂けますと幸いです。

ブラウンシュバイク・ボランティア紹介①

タベア・メイ

 こんにちは、私はタベア・メイです。タベアと呼んでください。私は昨年9月に来日して、熊本に住んでいます。私はドイツ出身で、2004年にドレスデンで生まれました。その後、私はザルツギッターの小さな村に引っ越しました。そこで私はたくさんの趣味などに挑戦しました。日本に来ることが決まって、いっそう日本のコンテンツに触れるようになり、とても嬉しかったです。
 エキュメニカル・ラーニング財団のおかげでこれが可能になり、何度か他国に旅行したり、行ったり来たりした後、ようやく日本に行くことが許されました。正直、これまで熊本のことをあまり聞いたことがなかったのですが、熊本の街を見て、そしていま熊本に住んでみて、ここに来られてとても良かったと思っています。
 私は幼稚園で働いていますが、とても楽しいです。私もドイツの幼稚園でお手伝いをしましたが、ここの幼稚園は私がドイツで経験したものとは大きく異なります。また、この仕事を通じて日本文化について学ぶことができ、子どもたちと一緒に日本語を上達できることも嬉しいです。
 熊本の自然も大好きで、何度か旅行に行って自然を堪能することができました。例えば、阿蘇を何度か訪れたことがあります。
 私も熊本が好きで、小さな村から、大都市とは言わないまでも大きな街に引っ越したのはとても楽しい変化でした。
 また、たくさんの素敵な人々に出会うことができ、彼らの忍耐強く接していただいていることにとても感謝しています。私は基本的に新しいことに挑戦するのが大好きで、さまざまな趣味に挑戦してきました。ここでもっとたくさんのことを挑戦し、学び、経験することを楽しみにしています。特にパン作りと料理が大好きで、たくさん日本料理の作り方を学びたいと思っています。
 また、旅行をし、新しい場所や人と知り合っていくこともとても楽しみです。1年間の海外留学が終わったら、客室乗務員になって、これからも自分の情熱を追求し、多くの新しい場所を訪れたいと思っています。今年はもっと日本中を旅して、たくさんの美しい場所を訪れたいと思っています。
 どうぞよろしくお願いいたします。

引退教職挨拶

「神は愛である」 竹田孝一

 1978年4月、初任地別府教会で、代議員、別府平和園の園長であった加藤しず子先生の「先生には、この子たちに『神は愛して下さる』ということだけを全身全霊をもって伝えてほしい。あとは何も期待していない」という言葉をもって牧師生活が始まりました。この言葉が私の出発であり全てでした。
 1983年ブラジルへ、帰国後は「刈谷・元町」「小鹿・清水」「希望・名古屋・名東・復活」「大森」「羽村」の教会で、つまずき、つまずかせながら、「神は愛である」という伝道、牧会をしてきたつもりです。46年間の牧師生活を振り返るとき、この欠け多き私が神に愛されてここまでどうにか生きてきたと神に感謝し、この私を支えてくださった教会の方々、出会ったすべての人に感謝しています。
 牧師夫人として、別府教会の時から長年ついて来てくれた家内・久美子のおかげで、牧師をどうにか務め、引退できます。心から感謝しています。
大変化、大激動している厳しい世界であるからこそ「神は愛である」というみ言葉をご一緒に伝えていかれればと祈っております。

「引退を迎えて」  岡村博雅

 私は2013年に教職授任按手を受け、湯河原教会と小田原教会の2つの教会に11年間奉仕させていただいた。今、引退の時を迎えて安堵と感謝の思いでいっぱいになる。
 私学の教師として長く勤めた私は53歳のとき人生の大きな転機を経て日本ルーテル神学校へ導かれた。入学式の前日、イースターの朝に父が召された。突然、頼りにしていた父を失い、軽いうつ状態に陥り、回復に4年かかった。そんな中で始まった神学校生活はこれまでのこの世の価値観で作り上げてきたストラクチャーを壊すことが手始めだった。古いキャンバスを白く塗って、そこに新しい絵を描くようなそんな作業だったと思う。卒業には6年かかった。それは主のご計画のなかにあり、自分にとって必要な時でした。
 そして、私の初めての任地は湯河原教会と小田原教会だった。初めて説教壇に立った日のことを今でも覚えている。「主は今日、ここに私をつかわしてくださいました。これまでの全てはここに立つためでした」と、喜びと緊張でいっぱいだった。
 顧みて、いたらない私を召し、育て、遣わしてくださった主に、教職の仲間に、そしてなんと言っても信徒の皆さんに心から感謝します。失敗は数限りなく、主の恵みは山のようでした。

富島裕史

 今年の3月で退職することになりました。これまでを振り返ると、宣教研修でお世話になった博多教会のこと、初任地の黒崎教会・直方教会、津田沼教会、九州学院、静岡教会(音羽町礼拝所・ひかり礼拝所・静岡英和女学院の非常勤講師として1年)、そして最後になった宮崎教会と鹿児島教会・・・。牧師として過ごした日々が走馬灯のように思い出されます。
 「光陰矢の如し」といいますが、改めて時の流れの速さを実感しています。その時の流れの中で、私は確かに神さまの恵みのみ手を感じることができました。それは、私のような者を教会に招き、私のような者を牧師として召してくださった神さまの恵みのみ手です。
 この私には、神さまに愛される理由は何もありませんでした。なのに神さまは私を愛してくださいました。私がキリストのもとに導かれたのは、神さまの恵み、愛のゆえであったということができます。考えてみると、こんなにありがたいことはありませんでした。
 最後に、皆さまのお祈りと励ましの言葉に支えられていたことに感謝します。そして、これまで共に歩み、苦労を共にし、支えてくれた家族にも、この場をお借りして感謝したいと思います。ありがとう。そして、ごめんなさい。

キリスト教一致祈祷週間共同礼拝大阪で開催される

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

2024年1月25日(木)午後6時30分から、カトリック大阪高松大司教区のカトリック玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)の小礼拝堂で「キリスト教一致祈祷週間共同礼拝」が開催されました。
 この共同礼拝では、カトリックの司祭であり、諸宗教対話委員会のメンバーであるロッコ・ビビアーノ神父が音頭を取ってくださり開催しております。今年の共同礼拝は、カトリックより前田万葉大司教・枢機卿、ヌノ・リマ神父(カトリック玉造教会司祭)、日本聖公会より内田望司祭(西宮聖ペテロ教会)、日本キリスト教団より井上隆晶牧師(都島教会)、東島勇人牧師(東梅田教会)、日本福音ルーテル教会より大柴譲治牧師(大阪教会)、竹田大地(天王寺教会)の7名が司式団として礼拝奉仕をいたしました。
 毎年この一致祈祷週間の最終日に開催されているこの共同礼拝によって、諸宗教間の対話と一致が進んでいくことをキリスト教諸教会の信徒、教職者で御言葉に聴き、祈りと賛美の声を合わせています。
 出席者は平日の夜にもかかわらず50名程を数え、今年の礼拝で捧げられた献金は、カトリック名古屋教区を通して1月1日に発生した能登半島地震のために捧げられました。
 今年のテーマでもあった「隣人愛」に根ざし、世界の教会と諸宗教による分裂と争いにピリオドが打たれ、平和が実現すること、また被災地の方々へ思いを寄せることにより、隣人となり、愛することを覚えることができました。
 大阪地区では、このような礼拝、集会が盛んに行われており、ペンテコステ・ヴィジルも毎年開催されています。エキュメニカルの働きにより、互いに理解を深め、キリストにあって一つであることを目指しています。その意味でペンテコステにこのような礼拝が実施されることも相応しいと感じています。来年も開催予定です。どうぞ機会がありましたらご参加ください。

連帯献金追加のお知らせ

機関紙るうてる2024年2月号でお伝えした連帯献金について送金者様から振り込み元のお名前に誤りがあったことに気が付いてくださりご指摘がありましたので「パレスチナ支援エルサレム緊急プログラム」に日本福音ルーテル福山教会を追加させていただきます。

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