時の中にある神の導き
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」
コヘレトの手紙3.1
3年前の熊本地震では、篤い祈りとご支援が寄せられましたことを感謝いたします。すっかり、熊本教会も、元気な姿に戻り、水道町交差点の行き交う人々や車の動きを見守るように、しっかりと、ここに建っています。あの4月16日深夜に起こった2度目の地震・本震の時、私は、てっきり木造の会堂が倒壊したと思ったのでした。事実、この近所では鉄筋コンクリート建物や家屋の倒壊がありました。第二次世界大戦も終わろうとする1945年7月1日未明、空襲でこの熊本市内中心部、水道町一帯を含めて、焼け野原になったのです。
現在、この地域では、戦前・戦後の建物として残っているのは、熊本教会と隣の手取カトリック教会の他はありません。それですから、すぐ飛び起きて教会を確認しました。幸いなことに、木造であったことがよかったのか、しなやかに強い揺れに耐えたのかもしれません。その代わりに塗壁は崩落し、これまで見つからなかった雨水による柱の腐り、建築当初の白アリ被害が露見しました。聖壇で金色に輝く十字架も、大きな説教台も落下し、会堂の後方にかかって居た時計も落下し、「1時25分」をさしたまま、記念の時計として残っています。
聖書は私たちにすべてに「時」があることを教えます。地震が起こったように、人生にも、受け止めることができないことがあります。これまでの歩みから、歩んだことのない歩みへと変えられることが起こります。そして、今立っている場所を見失うことさえあります。筋の通った理解もできず、理屈が通らないこともしばしばあるのです。解決することや、答えを見つけることさえできないで立ちすくむばかりです。
「とき」と私たちが口にするとき、受け止める感覚は人それぞれでしょうが、しかし、不思議なもので、時間が経って、起こった出来事を受け止めた時に、よくても悪くても、「ふさわしい時間」だったのだということを教える言葉にもなるのではないでしょうか。もちろん、今でも、つらく、悲しみを持ちつつ歩むこともあります。
地震後1年のあいだ、修復もできずに、何もできない時間が過ぎました。「時」は止まったままでした。ブルーシートで屋根を覆ったままでした。しかし、実に幸いなことに、一番ふさわしい施工業者が与えられました。
震災による教会修復の経過の中で、私の気になっている「時計」があります。これは前田貞一先生も気にかけていた時計です。熊本教会の「教会七十五年のあゆみ」(昭和48年10月2日発行)に石松量蔵先生がこんな文章を残されています。
「熊本の大空襲は七月一日の夜更けであった。その日はあだかも日曜日、・・・途中教会の前を通った時教会の消失もやっと知った位、その後会堂の後の壁にかかって居た二米ちかくもあるロシア捕虜兵の記念の大時計も運命を共にした事を特に淋しく感じた。」(「熊本教会堂焼失の事」)。また同じく「教会七十五年のあゆみ」の中で他の方も次のように記しています。「七月一日 七十五周年記念として大、山口、許田の三人は教会のために時計を寄附した。(昭和48年)今会堂の後方にかけてある。旧会堂にも後方中央(玄関上がって頭上)に大時計がかかっていた。あれは明治三十七、八年(1904―5年)日露戦争のロシア人捕虜のうちルーテル教会員の三十数人が日本を去る時の記念の時計であったが空襲のおり教会堂と共に焼失した。」(「熊本教会略史」・ロシア人捕虜とは当時ロシアの支配下にあったフィンランド人兵士。)
会堂修復を契機として、これに近い古時計を入手し、玄関部に、設置しました。教会員にとっても、私にとっても、「時」やこれまで刻まれた「歴史」や「教会で生活をした人々の生活のこと」を忘れないためです。うれしかったことも、悲しかったことも、みんな神のみ手の中で、まなざしの中で、過ごした時間だったということ思い起こし忘れないためです。
信仰をもって生きるということは、生活の中で起こる出来事を、神の視点で見つめることであり、たった一人でとらえるのではないということではないでしょうか。
神さまの祝福が豊かにありますように。
日本福音ルーテル熊本・玉名教会 牧師 杉本洋一