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機関紙るうてる

るうてる《福音版》2008年8月号

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バイブルメッセージ  東の空のふたつ星

自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
マルコによる福音書8章35節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

まだもう少し先の話ですが、夜風がだんだん涼しさを増してくる9月ごろの夜更け、東の低い空を眺めていると、少し北寄りに仲良く並んでのぼってくる、金色と銀色の2つの星を見つけることができます。冬の星座であり、流星群でも有名な、ふたご座のカストルとポルックスのふたつ星です。
この2人はギリシア神話の中では、双子の兄弟だったということになっています。見ると、兄のカストルよりも弟ポルックスの方がやや明るいのですが、これは、この2人の出生に関係があるとされています。父親は、ギリシア神話の神々の中のひとりゼウスで、母親は普通の人間。兄カストルは母親の血を濃く引いていたので人間に近く、弟ポルックスは父親の血を濃く引いていて、神々と同じように不老不死だったのだそうです。
2人はとても仲が良く、片時も離れないほどだったのですが、人間の血を引く兄カストルは、やがて寿命を迎えてしまいます。それを悲しんだ弟ポルックスは、父ゼウスに、自分のいのちの半分をカストルに分け与えてくれるように頼んでみました。そのようにして、カストルは命を永らえましたが、その代わりにポルックスは不老不死のいのちを失いました。その兄弟愛を記念するために、二人は天に上げられ、星座として今も仲良く隣り合わせで輝いているのだというのです。
もちろんこれは、昔の人の作り話にすぎませんし、仮にもキリスト教信仰を持っている身としては、この物語を丸ごとそのまま事実として受け入れることはできません。しかしこのカストルとポルックスの物語は、「生きる」ということについて、大切なことを教えてくれているように、私には思えるのです。
人間は、いつも本当にたくさんのものを欲しがらずにはいられません。不老不死ということも、人間が求めてやまないものの一つでしょう。しかし、自分の願いをかなえるため、自分が生きるためなら他の人はどうなってもいい。もちろんすべてがそうだと言うわけではありませんが、そのような考え方が、多くの悲惨な事件や冷え切った関係を生んでしまっているということもまた事実です。
しかし、たとえ自分だけが不老不死のいのちを持つことができたとしても、周りの人たちがみんないなくなって独りぼっちになってしまったら、それに何の意味があるのでしょうか。心臓が動いている、呼吸をしていると言う意味では、確かに「生きて」いることになるでしょう。しかし周りとの関係を失ってしまったらそれは、本当の意味で「生きて」いるとは言えないのではないでしょうか。
自分ひとりが長く生きることよりも、隣にいる兄カストルと自分のいのちを分け合って、いっしょに生きることを選んだポルックス。彼は確かに不老不死のいのちを失いました。しかし、空に並んだふたつの星は、本当に「生きる」とはどういうことなのか、大切な問いを私たちに投げかけてくれているように思います。

Aki

十字架の道行き

【第五留】イエス、シモンの助けを受ける ルカによる福音書 23章26節

【祈りの言葉】
イエスよ。十字架を何よりも尊いものとするように導いてください。苦難を恐れず、主の御名のために進んで十字架を負うことができますように。主こそ、険しい道を歩むときの力強い道連れであることを教えてください。

毎日あくしゅ

いのり

1人の少年が、「神さま、明日は遠足に行きます。どうぞ、いいお天気にしてください」と祈りました。同じ頃、そこからあまり遠くない農家の少年が、「神さま、日照りが続いて、家の畑の作物が枯れそうです。どうぞ、明日は必ず雨を降らせてください」と祈りました。神さまは、二人の祈りのうちのどちらを聞かれるのでしょう。
同時に、「神さまは、本当に祈りをきいてくれますか?」という問いが起こってきます。

カトリックの近藤雅広神父は、中学生の頃から、ミッション系の学校に通い始め、学校から帰る時、チャペルに立ち寄って祈ることが習慣になっていました。その当時の祈りを今でもはっきりとおぼえているそうです。それは、「神さま、私に忙しい人生をください。私はヒマでたいくつが大嫌いです。たいくつな人生ではなく、忙しい毎日をください」と。
その後、彼は神父になり、教会で働くようになってすぐに気づきました。「しまった。あんな祈りをしたばかりに、こんな忙しい毎日をおくる破目になった」それで、その後は祈る時は気をつけるようになりました。神さまは祈ったとおり、いやそれ以上に与えてくださることが分かったからです。そのせいか最近、祈りとは、ただ感謝で十分であることを知るに至りました。

幼稚園では、園児たちが入園と同時にキリスト教に親しみ、礼拝をとおして祈ることをおぼえ、「アーメン」と元気な声で唱えます。
園児たちは、雨を必要とする子どもがいれば、同時にお天気を必要とする子どももいることを知り、どんなお天気でも、感謝をもって受け入れることのできる豊かな優しい心の持ち主に成長していただきたいと願っています。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第5 回 ユダヤ式の教育に学ぶ その1

イスラエルと日本は良い意味でも、また悪い意味でも対比される。イスラエルの代表的都市である「Jerusalem」と日本「Japan」、その頭文字が共にJで「2つのJ」と言われたりもする。
最近の日本の教育熱心さは、やや下降気味で、フィンランドに抜かれてしまう。中央教育審議会の答申は「2003年に実施された国際的な学力調査からは、我が国の子どもたちの学力は、全体としては国際的に上位にあるものの……(中略)……低下傾向が見られた」と書いている。マスコミが「日本危うし」式に書くので、文部科学省もキリキリしているのが現状といえる。
閑話休題、本題に入ろう。
イスラエルは国家存亡、民族絶滅の危機を3度も味わっている。
その①
12部族から成る王国は南北に分裂し、紀元前722年にイスラエル王国は滅亡する。そしてイスラエル10部族の名前は歴史上消滅する。残ったユダ王国もバビロニアに攻められ、紀元前586年、指導者はバビロンの地に拉致される。民族滅亡の危機を前にして、預言者エゼキエル、エズラが立ち上がり、新たな民族宗教を形成する。
その②
紀元66年から72年にかけて、ローマ帝国に対してユダヤ人たちの武装闘争が繰り広げられる。紀元70年には、圧倒的なローマ軍によってエルサレムが陥落する。神殿は徹底的に破壊されて、ユダヤ教徒らは国外追放となる。ディアスポラ(ギリシア語で離散の意)となり、世界各地に移り住む。
その③
第2次世界大戦中のヒトラーによるユダヤ人の大量殺戮は、記憶にも生々しい衝撃的な出来事だった。戦後のアラブ諸国で民族主義が勢いづくと、またもやディアスポラが発生し、イスラム圏からのユダヤ人流失が後を断たなかった。
ユダヤ民族にとって最大の危惧は、異教徒との同化だった。いかに民族としてのアイデンティティを保持するかが最大の課題だった。指導者や長老たちは、民衆をシナゴーグ(会堂)に集め、聖書に書かれた教えを平易に力強く説いた。そしてタルムードという523条もの生活指針を考案し、各家庭でもねばり強く教えた。そのような宗教教育は、紀元前6世紀以来のものであり、ユダヤ人の骨の髄まで染み込んだものになっている。
『アンネの日記』で、アンネの父親が隠れ家で、娘のために新約聖書を買い与えて、教育しようとする場面がある。
「『ハヌカー祭の贈り物が、アンネへの聖書なの?』と、マルゴーが戸惑ったように言うと、パパは『いや……まあ、聖ニコラウスの方が、聖書を贈るには、もっとふさわしいかもね』と答えました」(ハヌカーはユダヤ教、聖ニコラウスはカトリックの祭日)。
ユダヤ人家庭における宗教教育やしつけ、父親オットーの娘たちへの心くばり、家族の連帯を大切にする態度など、日本人の見習うべきことが多く、感心させられる。

次回はタルムードに絞って、ユダヤ式の教育を書くことにします。

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