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バイブルエッセイ

突き刺さる時間

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……」 コヘレトの言葉 3章1節〜10節

年を越して新年を迎えた今は、一年のうちでいちばん「時」を意識する時期といえます。どんな一年になるのだろう。いい年にしたい。願いがかないますように・・・。期待を希望を膨らませて、それぞれの一年が始まりました。

物理の時間
「時間はどこで生まれるのか」という物理学者が書いた本を読んで、時間の不思議を思わされました。毎日時間にあわせて生活しているので、時間なしには生活は成り立たないのですが、物理学者に言わせると、そもそも時間などというものは存在しないのだそうです。あるのはただ時計であって、それが少しずつ動く様子をみて時間を気にしているわけですが、時計の中に時間の素など入っていない、というのです。そう言われればたしかにそうです。それはいいとしても、次のような説明にはちょっとびっくりしました 。 わたしとその隣にいる人は、ひとつの時間を共有していると普通は考えるのですが、科学者に言わせれば、今という瞬間はだれとも共有できないそうです。
さらには相対性理論と素粒子論という現代科学でみていくと、時間は空間といっしょに考えないと意味がないのだそうです。なんだか狐につままれたような気分になります。私たちの生活の中での時間感覚というのは、物理学者が考えるそれとはかなり違っているようです。けれども私たちにとって、日常の感覚が大切なのはいうまでもありません。

コヘレトの時間
科学が語る時間とはまったく異なるもうひとつの時間、それがコヘレトの言葉だといえます。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・」。 賢者コヘレトは時をしっかりと意識し、いいことも悪いこともひっくるめて時の中に位置づけます。時間という苗床に生活のドラマひとつひとつを植え付けていくように。そしてそうしたひとつひとつの人間模様には、「すべて定められた時がある」と、コヘレトは断言するのです。
この場合「定められた時」というのは、「あなたは来年素晴らしい人と出会いますよ」という占いめいた話ではありません。「何事にも時があり」とは、嬉しいことも悲しいことも、いつそれが起こるか、なぜそうなるかは私たちには知り得ないし、なかには理不尽としか思えないほどつらい時もあるが、確かなことは、そこには神が必ずおられ、泣いても笑っても嘆いても踊っても、どっちに転んでもその出来事をすべて神が支配しておられるということです。愛する時には神がいて、憎んでいる時には神がそっぽを向いて無関心なのではないのです。

神の時間
私たちが日常生活で使う時間というのは、日めくりカレンダーや時計の時間です。過去から現在そして未来へと刻みながらひたすら流れゆく時間です。それに対してコヘレトの時間は過去から未来へコツコツ流れておらず、突如上から降って突き刺さってくるような時間です。手帳で管理できない「出し抜け」の時間です。コヘレトのこの時間は、神の時間を語っています。神の時間なので私たちは予定できません。計画に入れられません。説明がつかないのです。ですからコヘレト自身も呻吟したのです。神がいてくださるのだったら、なぜ救い出してくれなかったのかと。
そんな彼らが最後に到達した結論は、「人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造る」でした。日めくりしながら自分で管理しているつもりの時間は、実は神のご支配のなかにあり、御心が働いていたのです。人間の時間と神の時間は、違っているようにみえても、実のところ同じ時間だったのです。
永遠の時間
コヘレトはこんなことも言っています。神は「永遠を思う心を人に与えられる。」永遠こそ私たちにはどうしようもない時間です。時計で計れません。そもそも長さがあるのかないのか。ただその言葉だけはちゃんとあって、それが私たちを捕らえて離さないのです。神のみに属する「永遠」、このことばによって、私たちは神を想います。神を慕うのです。
私たちの時間は、この永遠の中にすっぽりと包み込まれているのです。見えないのは私たちがその中にいて、外側からそれを眺めることができないからです。私たちは今、永遠の中を生きているのです。

これからの時間
去年同様今年も思いがけずにいろんなことが起こるでしょう。世界で、日本で、そして身の回りで。神は私たちを遠くから見守ってはいません。私たちに介入なさいます。イエス・キリストを私たちの世界に遣わされたように、神の時間は、今も私たちの時間に突き刺さってくるのです。私たちは永遠という神の時間を、生かされて生きています。2013年、時を共有しながら神を礼拝し、いつものように日めくりして暮らしていきましょう。

日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師 浅野直樹

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