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エンキリディオン・必携

「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

 宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。

 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。

 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。

 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。

 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。

 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。

 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。

 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32

日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

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