るうてる2019年7月号
説教「時の中にある神の導き」
「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」 コヘレトの言葉3・1
3年前の熊本地震では、篤い祈りとご支援が寄せられましたことを感謝いたします。すっかり、熊本教会も、元気な姿に戻り、水道町交差点の行き交う人々や車の動きを見守るように、しっかりと、ここに建っています。あの4月16日深夜に起こった2度目の地震・本震の時、私は、てっきり木造の会堂が倒壊したと思ったのでした。事実、この近所では鉄筋コンクリート建物や家屋の倒壊がありました。第二次世界大戦も終わろうとする1945年7月1日未明、空襲でこの熊本市内中心部、水道町一帯を含めて、焼け野原になったのです。現在、この地域では、戦前・戦後の建物として残っているのは、熊本教会と隣の手取カトリック教会の他はありません。それですから、すぐ飛び起きて教会を確認しました。幸いなことに、木造であったことがよかったのか、しなやかに強い揺れに耐えたのかもしれません。その代わりに塗壁は崩落し、これまで見つからなかった雨水による柱の腐り、建築当初の白アリ被害が露見しました。聖壇で金色に輝く十字架も、大きな説教台も落下し、会堂の後方にかかって居た時計も落下し、「1時25分」をさしたまま、記念の時計として残っています。
聖書は私たちにすべてに「時」があることを教えます。地震が起こったように、人生にも、受け止めることができないことがあります。これまでの歩みから、歩んだことのない歩みへと変えられることが起こります。そして、今立っている場所を見失うことさえあります。筋の通った理解もできず、理屈が通らないこともしばしばあるのです。解決することや、答えを見つけることさえできないで立ちすくむばかりです。
「とき」と私たちが口にするとき、受け止める感覚は人それぞれでしょうが、しかし、不思議なもので、時間が経って、起こった出来事を受け止めた時に、よくても悪くても、「ふさわしい時間」だったのだということを教える言葉にもなるのではないでしょうか。もちろん、今でも、つらく、悲しみを持ちつつ歩むこともあります。
地震後1年のあいだ、修復もできずに、何もできない時間が過ぎました。「時」は止まったままでした。ブルーシートで屋根を覆ったままでした。しかし、実に幸いなことに、一番ふさわしい施工業者が与えられました。
震災による教会修復の経過の中で、私の気になっている「時計」があります。これは前田貞一先生も気にかけていた時計です。熊本教会の「教会七十五年のあゆみ」(昭和48年10月2日発行)に石松量蔵先生がこんな文章を残されています。「熊本の大空襲は七月一日の夜更けであった。その日はあだかも日曜日、・・・途中教会の前を通った時教会の消失もやっと知った位、その後会堂の後の壁にかかって居た二米ちかくもあるロシア捕虜兵の記念の大時計も運命を共にした事を特に淋しく感じた。」(「熊本教会堂焼失の事」)。また同じく「教会七十五年のあゆみ」の中で他の方も次のように記しています。「七月一日 七十五周年記念として大、山口、許田の三人は教会のために時計を寄附した。(昭和48年)今会堂の後方にかけてある。旧会堂にも後方中央(玄関上がって頭上)に大時計がかかっていた。あれは明治三十七、八年(1904―5年)日露戦争のロシア人捕虜のうちルーテル教会員の三十数人が日本を去る時の記念の時計であったが空襲のおり教会堂と共に焼失した。」(「熊本教会略史」・ロシア人捕虜とは当時ロシアの支配下にあったフィンランド人兵士。)
会堂修復を契機として、これに近い古時計を入手し、玄関部に、設置しました。教会員にとっても、私にとっても、「時」やこれまで刻まれた「歴史」や「教会で生活をした人々の生活のこと」を忘れないためです。うれしかったことも、悲しかったことも、みんな神のみ手の中で、まなざしの中で、過ごした時間だったということ思い起こし忘れないためです。
信仰をもって生きるということは、生活の中で起こる出来事を、神の視点で見つめることであり、たった一人でとらえるのではないということではないでしょうか。
神さまの祝福が豊かにありますように。
日本福音ルーテル熊本・玉名教会 牧師 杉本洋一
コラム直線通り 久保彩奈
⑯「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」(ヨハネによる福音書6・9)
学校にいて「わたしはなんて無力なのだろう」と打ちひしがれる瞬間があります。生徒たちとかかわる中で「教師」という仕事の限界に、またわたし自身の限界に向き合わざるを得ないのです。
かつて非常に困難な状況におかれた生徒がいました。生徒本人の力、わたしの力ではどうしようもない状況に、ただ寄り添うしかできませんでした。また、何もできない無力さを感じながらも、どこかで自分なら助けてあげられるかもしれないと思い上がっていたことにも気付かされ、激しく打ちのめされました。
卒業後しばらくして、その生徒から連絡がありました。久しぶりに再会し「先生、ずっと会いたかった」と言われ、思わず涙がこみ上げました。元気に、なんとか生き抜いてくれて本当に良かった、ただそれだけでした。「あの時は何もできなくてごめんね」と言うと、「わたしは、先生が話を聞いてくれただけで十分でした」と。何年もくすぶっていた悔しさや後悔が、ゆっくり溶けていくような気持ちになりました。また同時に冒頭の聖句を思い出しました。
少年が差し出した食べ物を見て、弟子たちは「何の役にも立たないでしょう」と言いました。しかし、それさえもイエスは用いて祝福し、みんなで共に食します。それを人びとは「奇跡」と受け止め語り継ぎました。少年は、自身の精一杯をイエスに受け止めてもらえて、嬉しかっただろうな。
わたしも、わたしの精一杯を差し出し、できることであれば「役に立たないなんて、そんなことないよ」というイエスの声を聞きたいのです。そして、わたしの小さな精一杯の積み重ねが、誰かを生かす働きとして用いられることを願い、委ね祈りながら生きる者でありたいと思うのです。
第1回オープン・セミナリー
2019/10/13(日)-14(月・休)
日本ルーテル神学校(東京・三鷹市)にて
●参加定員10人
●参加費無料・交通費補助あり
牧師の働きや教会関連施設での働きに関心を持つ方々が集まり、これからの教会のあり方について共に学び、生き方と信仰について分かち合うプログラムです。参加希望者は、所属教会牧師からの推薦とともに各教区長にお申し込み下さい。
●申込締切9月8日
※詳細は各教会牧師までお問い合わせ下さい。
議長室から 総会議長 大柴譲治
爲ん方つくれども希望を失はず」文語訳コリント後書(2コリント)4・8
「レジリエンス」という語があります。本来はバネの復元力を意味する語でしたが、そこから「逆境力」とか「折れない心」とも訳されるようになりました。私はそれを「七転び八起き」と理解しています。この言葉は1995年の阪神淡路大震災以降に次第に日本でも用いられるようになってきましたが、特に2011年の3・11以降は大切な概念として強調されるようになりました。しぶとくしなやかに「再起する力」を意味します。
復活のキリストを信じる信仰は、私たちに究極的なレジリエンスの力を備えてくれるのだと思います。パウロは言います。「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマ5・3b―4)。苦難を耐えるためにはどうしても希望が必要です。ヴィクトール・フランクルも言いました。強制収容所で最初に倒れていったのは体力のない身体の弱い人たちではなく、希望を見失った人、絶望した人たちであったと(『夜と霧』)。希望がなければ私たちは片時も生きられません。パウロは別の言い方でもそれを表現しています。「爲ん方つくれども希望を失はず」と。なぜか。復活の主が私たちを捉えていてくださるからです。復活されたキリストこそが私たちの希望です。
私たちの内外の現実世界では様々なことが起こります。私たちは心が引き裂かれるような悲嘆や断腸の思いを体験します。しかしそのような中にあっても私たちは復活のキリストを見上げるのです。すべてをその希望の光の中で見ることが許されている。それが私たちの慰めです。「地の塩」「世の光」としてのキリスト者の使命とは、この暗い世界の中でこの希望の光を証しし続けることでありましょう。
ある米国人の研究者からレジリエンスには3つの重要な要素があると聞いたことがあります。�@明るい性格、�A1人でよいので傍に自分の思いを聴いてくれる人を持つこと、�B温かい共同体に属すること、の3つです。なるほどと思いました。暗い性格よりは明るい性格の方がより逆境力は強いでしょうし、自分のありのままの気持ちを受容してくれる人が傍にいる人の方がいない人よりもレジリエンスは強いと言えます。互いに厳しく裁き合う集団に属するより相互に支え合う温かな集団に属する者の方がその力は高いのです。そのような意味でも現代社会の中で私たちの教会が共同体として果たすべき役割は小さくないと思います。聖霊なる神がその豊かな力を注ぎ、それぞれの場で私たちを希望の証人として用いてくださいますように祈ります
キッズケアパークふくしまのこれから 〈日本ルーテル教団(NRK)が中心となって始められた、毎月福島市で子どものための遊び場の運営を行っている「NPO法人キッズケアパークふくしま」の今を、理事長の栗原清一郎さんよりご寄稿頂きました。〉
皆様にはいつもご支援とお祈りをいただいていますことを感謝申し上げます。
おかげさまでこの5月18日には、第56回目の子どもあそび場を、大変楽しく終了することができました。
終了時間になったとき帰りたくなくて泣き出す子どもがいたり、帰り際にボランティアの高校生のお姉ちゃんをぎゅっと抱きしめて、またね!と言って帰る子どもたちを見ていると、この活動を続けてきたのが報われるような気がします。
今年、高校1年生になりボランティアとして参加している生徒さんたちは、原発大事故の2011年3月にはまだ小学1年生でした。まだまだ放射線の悪影響を受けやすい時期にかなりの被ばくをしています。その悪影響が現れないことを願いつつ、その子どもたちが元気に楽しく幼い子どもたちと遊び世話をするのを見ると嬉しくもあり、これからも健康であることを祈らざるを得ません。
政府はオリンピックのソフトボールと野球を福島で行い、聖火リレーも福島からスタートすることにし、福島の風評被害を一掃し、原発事故からの完全復興を世界に向けて発信したいようですが、福島は復興からはまだまだ程遠い状況です。
このような状況の中で真の復興につながるキッズケアパークふくしまの活動はどうあるべきかを話し合いました。
今福島県には中国、フィリピン、ベトナム、韓国、ネパール、などの国々からの人々が増えています。 福島大学教授の菅家礼子先生の教えを受け、あそび場は全人教育の場だと理解し活動を進めてきましたが、これからの時代を生きていく子どもたちのためには、ますます国際化する時代を考えて、国際全人教育の場を意識していこうということになりました。
子どもたちが、肌の色が違っても、言葉が違っても、ハンディキャップがあっても、同じ仲間なのだと自然に受け入れるような場にしていきたいと思っています。そのためには親たちもそうする必要があります。一歩一歩進めていきたいと思いますので、どうかこれからもご支援とお祈りをよろしくお願いいたします。
ルーテル・医療と宗教の会 公開講演会報告 原仁(むさしの教会)
生命倫理、ターミナルケア、自死の問題、精神障害者支援、発達障害児の理解など、今までのルーテル・医療と宗教の会が取り組んできた主なテーマです。対象の領域を広げようと、昨年度はDV(ドメスティックバイオレンス)への理解と支援、そして今年度は海外医療支援を取り上げました。
5月11日土曜日の午後、東京教会の会議室をお借りして、長年ネパールでの医療支援に携わってこられた楢戸健次郎先生に「医療支援・なぜネパールなのか?私の思いと願い」と題したご講演をお願いしました。
楢戸先生は千葉大学医学部で学ばれ、学生時代より日本キリスト者医科連盟の活動に関わられました。大学1年目に受洗された、日本福音ルーテル札幌教会の会員でもあります。大学を卒業後、家庭医を目指し、独自に研修を積まれています。日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の常務理事(医療従事者を送り出す仕事)も10年務められています。そして2005年、ついにご自身がネパールに派遣されることになりました。
ご講演は楢戸先生の魅力の詰まったあっという間の90分でした。40名ほどの聴衆が皆楽しく聴き入っていました。その会場の雰囲気の明るさをまずご報告したいと思います。
内容を振り返れば、決して軽いお話しではないのですが、とにかく一度ネパールに行ってみたいなという興味を引き出されるのです。いままでの公開講演会の聴衆よりも若い方々、ネパールに関心のある、楢戸ファンが多数参加されたためかもしれません。ネパール観光大使を自認されている楢戸先生の面目躍如というところでしょうか。
楢戸先生のご推薦があり、講演会の前後の時間でネパールのご婦人方が造られた衣服や小物、ネパールの子どもたちの写真集の紹介と販売も行われました。いつもの硬いまじめな講演会というより楽しいイベントになりました。
楢戸先生のインタビュー記事は、 W E Bサイト
doctor.mynavi.jp/doctory/29/
でご覧になれます。海外医療支援にご興味のある方は是非アクセスしてください。
るうてる社会委員会コラム
脱原発に向けて~2011年春をふりかえり~内藤文子(栄光・掛川菊川・知多教会牧師)
2011年4月、夫・内藤新吾牧師が東教区稔台教会へ着任した。これは、2011年3月11日に東日本大震災が起きた直後。静岡から千葉・松戸に向かいながら、東北と関東圏の大変な状態の中を見つめていた。福島第一原発の事故が起き、放射能被害が日本での初の経験として取り沙汰されていた。私たち家族は息子高校1年生、猫1匹・犬1匹(大型犬)。犬のジローは稔台教会の3階牧師館のテラスで犬小屋を置いて、空のもと過ごしていた。1ヵ月もせずに、白い毛のジローが、何だか、すすけてきた。「あ、放射能の影響だ!」大型犬なので、部屋の中で飼うことは無理で、小屋で昼寝させ、たびたびシャワーで洗ってやった。
私は4月より松戸の民間保育園に保育士として勤め始めた。クラスは0~2歳児担当。福島よりちょうど200キロメートル、千葉の松戸と柏は、「放射能のホットスポット」として大変な不安と危険が叫ばれた。特に小さな乳幼児ほど甲状腺に影響を受けやすいことが知られているので、行政も動き、働きかけがあった。乳児へは汚染されないよう「ミネラルウオーター」の支給があった。1年以上をかけ、松戸市すべての乳幼児施設の園庭は、3センチほどの表面をはがす。うちの園は滑り台の下が一番放射線量が高かった。保育士も交代で「放射能測定」も行った。保育園ではおさんぽ・外出をストップした。半年は室内遊びだった。散歩を再開した時も、保護者に連絡し着替えを多めに準備してもらい、散歩後は下着以外を全部着替えさせた。小さな子どもの命を守るため、保護者も保育者も必死だった。
現在私は東海教区にいるが、「脱原発」については教区女性会が率先して学びを進めている。片岡輝美氏を呼んで開いた講演会では、「危ない」と感じたら、国の御用学者が「安全」と言っても、自分で判断して逃げて良いと勇気を与えられた。誰がかわいい幼子たちを危険な目にあわせようとするだろうか!環境汚染の真実を知りたい。被害者にできる限りの支援をしたい。命を優先することは主イエスによって示された私たちの生き方である。
また、先日行われた教区女性会の集いでの夫・新吾師の講演会では、福島の子どもたちの甲状腺がん・異常についての報告があり心が痛んだ。また原発事故後、骨のガンを発病し死んだ犬のジローについても触れ、獣医より、「こんな骨太で元気な犬の背骨一つだけがガンになるとは考えられない」と指摘されたことを話した。日本は、初の被爆国であり原発事故の未曾有の被害を受けつつも、国家権力の圧が強い。しかし、近年その危険性から、世界で原発開発・日本からの原発輸出にストップがかかってきた。最後に、近頃発売されたDVDを紹介したい。
「モルゲン、明日」(監督・坂田雅子、ドキュメンタリー・71分、2018年 日本語・英語・ドイツ語)。
ブラジル伝道の区切りと将来(2) 徳弘浩隆
〈10年にわたるブラジル・サンパウロ教会での宣教師派遣から日本へ戻られた徳弘浩隆牧師よりブラジル伝道についての報告をご寄稿いただきました。今回はその第2回です。〉
3 たくさんの出会いと恵み
教室の壁に鏡を設置しサンバ教室に貸し、月に1度シュラスコ会(ブラジル風バーベキュー)を続け、日本語教室は2~4世の日系人やブラジル人中国人も。パソコン教室もご高齢者も楽しくスマホをいじってお茶を飲んでお喋りする場に。ご高齢日系人のひとり暮らしも増えてきましたから、礼拝後の教会食堂も大切な場でした。
「もう1世は少ないから」と思われますが、この数年にも1世が数人受洗されました。日本語の説教が聞ける、心の安らぎが得られる貴重な場所です。ブラジル最南の州にも日本人集落があり、先輩宣教師の時代から日本語礼拝旅行に行っています。「私はイタリアでも留学や仕事もし、ブラジルのカトリック大学でポルトガル語で医学の教鞭もとっている医者ですが、聖書の話だけは、ブラジル人神父さんのお話は心に響かない。日本語で聖書を語り祈ってくださるのがとても楽しみなんです」といわれる方もおられます。
ブラジルは治安が悪く、先輩宣教師も泥棒やピストル強盗にあいましたし、私も強盗に襲われたりパソコン一式のカバンを盗まれたことも。そんななか教会ゲストルームはポルトガル語も日本語も通じて安心だと、地方学生や日本人旅行者に喜ばれました。景気後退で利用者が減った時は、民泊サイトに登録をして世界中から招き復調しました。家族のように過ごし「教会は異国で心細く暮らす私の第二の家でした」と感謝されています。
ジアデマ集会所は大野先生が貧民街住民を支援するために始めましたが、大野先生が亡くなった後停止していました。メロ先生が音楽教室を始め子どもたちも数人集まり礼拝も再開しました。彼の日本研修の間また閉鎖するのもよくないと、私と妻とで引継ぎました。インターネットを引き、古いPCを修理してパソコン教室、英語教室、日本語教室、妻がリズム体操や音楽教室、お絵かき教室などをやると、珍しさもあったのか、みるみる参加者が増えて、3~4人が30~40人に。食糧事情もよくない様子で、軽食も提供しました。日本と違い協調性に欠ける子どもたちとのバトルは大変でした。騒いだり塀を登ったり、喧嘩をしたり物を壊したり、時には大声で叱り、一時出入り禁止にするなどした子どももいましたが、少しずつ良くなり、助け合い、手伝いもしてくれるようにもなり、彼らの学校の先生からも感謝されました。洗礼を受けたり転入した生徒も現れました。教会員も手伝い、寄付や、英語やパソコンを教える人、「食育」をと料理教室や手作りの料理をする人も。日本福音ルーテル社団(JELA)も楽器購入や環境整備費用を支援してくれ、みんなのおかげで、子どもたちへの支援と伝道ができたことは、本当に感謝でした。彼らの将来が、勉強と信仰でより豊かなものになればと祈らされます。
これらのことを考えると、私はブラジルに行かせていただいて、本当に良かったと感謝しています。
NCC日独瑞教会協議会に参加して 秋久 潤(小鹿・清水・沼津教会牧師)
スイスでは2019年からはじまる10年にもわたる時が宗教改革500年にあたります。2019年4月29日~5月6日にスイスにて、ツヴィングリの宗教改革とディアコニア(奉仕)をテーマに、NCC日本・ドイツ・スイス教会協議会が行われました。約30名が出席し、日本福音ルーテル教会からは秋久が出席しました。喜望の家をサポートしてくださっているブランシュヴァイク領邦教会のオラフ・ノイエンフェルト氏と出会えたことも喜びです。
日程の前半はツヴィングリと改革派神学を学び、後半はチューリヒ・バーゼル・ベルンのディアコニア施設と教会、神学者K・バルトの家を見学しました。社会的・政治的事柄への取組みと福音とが結びつくことを知りました。ヨーロッパで小山晃佑や栗林輝夫が読まれていることや、移民の増加が印象的でした。
2日にチューリヒのリマット河畔に行き、約500年前に再洗礼派が迫害された場所で和解の祈りを行いました。日本バプテスト連盟の吉高叶牧師がメッセージと祈りを担当され、バプティストとして迫害を受けた歴史を持つ自分たちが、形を変えて異質な者や少数者と見なされる人々を排除しようとしてしまう課題に言及されました。歴史を知り、他者と出会う中で私たちが砕かれ、神が「私たちのなすべきこと」を導かれると語られました。
明石義信牧師(日本基督教団 常磐教会〔いわき市〕)がスイスのラジオと新聞から取材を受けたことも印象的です。スイスは、原子力発電所を5基持ちながらも、福島の事故以降に脱原発を決めました。このことからも原発事故が人類への挑戦であると再認識しました。
5日にウンターエントフェルデンの教会にて、秋久が主日説教を担当致しました。準備をしてくださったスイス・プロテスタント連盟(SEK)と、ドイツ・プロテスタント教会(EKD)、Evangelisches Missionswerk in Deutschland (EMW)、日本キリスト教協議会(NCCJ)ドイツ語圏教会関係委員会(委員長・菊地純子氏)に感謝致します。
CCA「アジアにおける無国籍と人身売買」会議に参加して 藤原佐和子(鶴ケ谷教会・CCA常議員)
2019年5月21日から23日にかけて、タイ北部のチェンマイにあるアジア・キリスト教協議会(CCA)において、世界教会協議会(WCC)と共催する「アジアにおける無国籍と人身売買」に関する会議が開かれました。1954年以降の国連条約は、無国籍者(どの国によっても国民とみなされていない者)が差別なく基本的人権を享受することを保証するものですが、統計によれば、世界には約1000万人の無国籍者が存在し、約45%がアジアで暮らしています。その多くは、タイ北部の山岳少数民族をはじめとする民族的マイノリティに属する人々です。
この会議で出会った若い女性キリスト者で、チェンマイのNGOで働くアカ族のオームさんに話を聞きました。彼女は4人目のアカ族の弁護士として、山岳地帯で暮らしている無国籍の人々が、バットプラチャーチョンというタイ国籍の証明書を得られるように支援しています。これがないと学校に通えず、就職できず、自由に移動することもできません。無国籍者は法律に保護されていないため、特に女性たちや少女たちは人身売買の被害に遭う危険性が増します。オームさんは村々を訪ね、相手がキリスト者かどうかを問題にすることなく、「あなたが国籍を持つ正当な権利のために立ち上がるなら、全力で支えます」と語りかけています。
他国と国境を接していない日本で暮らす私たちにとって、「無国籍」は想像のつきにくい問題かもしれません。ですが、この社会において「見えなくされている人々」と言い換えてみれば、どうでしょうか。CCAは毎年、「アジア祈祷日」のための礼拝式文を作っており、今年のテーマは「無国籍と人身売買」です。日本キリスト教協議会(NCC)のウェブサイトに日本語版がありますので、ぜひご覧になってください。
マイノリティの人々の人権を大切にするために、私たちは何ができるでしょうか。アジアの諸教会と心を合わせて、「祈り」と「課題」を分かち合いませんか。
本教義先生を偲んで 逸見義典(定年教師)
松本教義先生の訃報を聞き、さびしさとなつかしさで胸が一杯です。「教義」と言うお名前は、キリスト教の専門用語「教義(ドグマ)」と同じ名なので、わたしたちは「松本ドグマ」先生とお呼びしていました。
先生の若い日、わたしは九州甘木に松本先生を訪ねました。教会の入り口で、手拭いで顔を覆い、麦藁帽子を深くかむり、草取りをする人がいます。「松本先生はいらっしゃいますか」と尋ねると、「松本先生はお出かけです。」と、笑いながら立ち上がった、その人が松本先生でした。教会も幼稚園も、先生のお人柄が浸透して、素晴らしい雰囲気でした。小都市で、青年を中心に、伝道に励まれる姿に胸打たれた事を思い出します。
松本先生は佐賀教会、防府教会などで牧会に励まれた後、晩年体調を崩され、故郷熊本に引退されました。引退後も、病人とは思えぬ明るいご性格はそのままで千鶴子夫人の介護を受けながら、明るく楽しい老後を過ごされました。
ご長男義宣氏をすぐれた牧会者として残されたことも忘れてはなりません。松本先生の「ご逝去」は「巨星落つ」と言うより「大好きだった兄さんが旅に出て、今お留守」という思いです。「ドグマ先生、わたしも間もなく、そちらに行くから」と言いたい気持ちで一杯です。
松本先生は例のあのお顔で「あんたは、神さまの国には、ちょっと無理バイ」と笑うお顔が、心に浮かびます。
(写真)2017年12月、入居先の老人ホームにて大江教会の方々と。中央が松本教義師、左から岩?良子さん、谷口美樹さん、インターン中の中島共生神学生(当時)
内海望先生を偲んで 小 副川 幸孝(九州学院チャプレン)
なんだか大きな穴がぽっかり空いてしまったような気がしている。昨年(2018年)の秋に久留米教会の献堂100周年でお会いし、その後また大江教会の礼拝にご夫妻でお見えになった時は、普段の思いやり溢れる笑顔に接することができたのに、突然の訃報で、なんともやりきれない思いがする。そして、自分自身がいかに不肖の弟子であったかを痛感している。
内海先生との出会いは、わたしの人生を大きく変える出来事であった。16歳の冬、、わたしは生まれて初めて教会の敷地に足を踏み入れ、礼拝に出席した。格調高い文語式文を使った礼拝での先生の説教は衝撃的で、その広くて深い知識に驚嘆し、自分が何を考え、何をしなければならないかに大きな示唆を与えられた。それから毎週土曜日に教会堂の掃除をし、日曜日に礼拝に出席する日々が続き、それがわたしのキリスト者としての生涯の基となった。牧師として何を大切にしなければならないかも先生から教わった
内海先生が勉強家であり、ルーテル教会を代表する名説教家であったことは言うまでもないことであるが、ルターと同じように、いつも心に御言葉があり、人と共に歩む姿があり、人を包む包容力をもたれた名牧師であったと、今更ながらに思う。
先生の足跡は大きく、多くの重責を担われてご苦労も大きかっだろうが、先生から「愚痴」を聞いたことは一度もなかった。今、その先生を天に送り、本当に寂しい。しかし復活の希望の中で、お世話になった悌子夫人やご家族の平安を祈るばかりである。
益田チャペル最終礼拝の報告 水原一郎(シオン教会牧師)
2019年3月30日(土)12時から、シオン教会益田チャペルに於いて最終礼拝が行われ、約25名が集いました。礼拝後の感謝会では、召天会員が教会に託した「トーンチャイム」演奏など、音楽も教会に捧げられました。この報告を目にされた方の中には、このニュースを始めて知って驚かれた方もおられるかもしれません。しかし今回の決断は、益田チャペルに集う者、シオン教会の信徒達が、教会のあり方を祈りつつ知恵を出し合い辿り着いたものとご理解下さい。
1950年代より、「アウガスタナルーテル教会」は広島を起点として中国地方の伝道を行いました。1957年、同教会はR・カニングハム宣教師を益田に派遣します。教籍番号1番はH姉。2016年に召天された方のご母堂でした。以降、教籍番号は107番まで続きました。姓が変わられても益田を思い続けていた方。召天を間近にして教会を思い出し、近畿のルーテル教会でご葬儀を上げられた方もおられました。
1970年代、益田では主日礼拝に加え、益田市内の小浜地区、県内の七日市、六日市での家庭集会、英語塾、「益田親子劇場」「ヤングフォークの集い」「サムエル会」等が行われました。当時の記録を見ると、様々な集会名称が記載されています。これらの集会から洗礼に導かれた方、ルーテル教会教職への志が与えられた方もおられました。
2013年、私の赴任当時から、益田での礼拝は牧師を交えて2~3人の礼拝でした。徳山からは車で2時間。冬季は豪雪の中国山脈を横断する旅程でした。それでも礼拝を待ち望む方々に支えられた日々を懐かしく思い出します。ただ、築61年に至る教会建物の保全上の問題、経済的な問題を踏まえ、最終礼拝という決断を2019年の定期総会で行いました。最終礼拝後も、益田の礼拝堂では月に1度祈祷会を行い、「シオン教会」に繋がる方々が集う時となっています。
これまでの、邦人牧師13人、宣教師2名、そして前記を含む教会員107名の方々のお働きに感謝し、最終礼拝の報告といたします。
TNG‐Youth部門
リーダー研修キャンプ
開催のご案内
ユース部門のキャンプは、これまで聖書からメッセージを作成し、み言葉を取次ぎ、分かち合うスキルを学ぶプログラムを通して、他のTNG部門のキャンププログラム、教会学校などでの働き人となるような学びができる機会を提供してきました。本年、TNG部門全体で話し合い、ユース部門のキャンププログラムは、こどもキャンプ、ティーンズキャンプのリーダー養成キャンプへと舵を切ることとなりました
本キャンプでは、こども・ティーンズキャンプの理念・歴史を学び、どのようなリーダー像が期待されているかを感じ取り、こども・ティーンズキャンプがより一層「次世代育成プログラム」として充実することを念頭に置いて開催いたします。もちろんこの学びを通して各教会における同様のプログラムの学びにとっても十分に役立つプログラムとなることと考えています。
こども・ティーンズ両キャンプのスタッフを目指している方々、各教会におけるプログラムに関わっている方々の参加をお待ちしています。
各教会へのご案内は既にお知らせさせていただいています。どうぞポスター、案内文を御覧ください。お問い合わせは竹田大地牧師(西宮教会)まで。
電話0798(23)5611
Eメール lt.nishinomiya@gmail.com
開催日程 2019年8月19日(月)‐21日(水)
会場 日本福音ルーテル西宮教会 (阪神電鉄「香櫨園」下車3分)
参加費 1万円(交通費補助有)
内容 TNGこども・ティーンズキャンプにおけるリーダー研修、キャンプの理念・歴史の理解、求められるリーダー像とは何か、各教会プログラムの充実など。
公 告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年7月15日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位
一、札幌教会新札幌礼拝堂牧師 館 解体
所在地 札幌市厚別区厚別 中央3条6丁目
所有者 日本福音ルーテル 教会
家屋番号 2番地
種類 教会
牧師館
面積
(1)50・51㎡
(2)52・17㎡
老朽化のため
二、別府教会牧師館 解体
所在地 別府市大字鶴見字 鶴見原
所有者 日本福音ルーテル 教会
家屋番号 4546番地79
種類 教会
牧師館
面積
(1)133・90㎡
老朽化のため
三、日田教会牧師館 解体
所在地 日田市三本松2丁 目
所有者 日本福音ルーテル 教会
家屋番号 787番地
種別 教会
牧師館
面積
(1)78・22㎡
園舎建て替えのため
四、久留米教会牧師館 解体
所在地 久留米市日吉町
所有者 日本福音ルーテル 教会
家屋番号 16番地3
種別 教会
牧師館
面積
(1)57・22㎡
(2)32・69㎡
老朽化のため