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機関紙るうてる

るうてる2018年12月号

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説教「闇の中に現れる光」

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 」 (ヨハネによる福音書1・4~5、14)

本福音ルーテル教会の降誕祭の聖書日課(福音書)は、毎年、ヨハネによる福音書の1章1~14節です。光と暗闇の対比が印象的なこのロゴス讃歌ですが、クリスマスでは、ここに「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(9節)とあることから、まことの光が世にやって来たという出来事(降誕物語)の方に焦点があるように思います。しかし思うのですが、ここには「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(5節)ともあるわけで、「暗闇」にピントを合わせてみることも、クリスマスの季節には必要なことなのではないでしょうか。
さて、ジャン・バニエは、『コミュニティー』(一麦出版社)の中で、「人は、光と闇の混合体(です)」と言っているのですが、そうであるならば、自分の内にある暗闇を見つめることからはじめてみよう、と思います。「自分の内にある暗闇」と聞いて思い出す詩があります。それは、岩田宏さんの「住所とギョウザ 」という詩です。この詩を初めて読んだのは、ずいぶん昔のことで、たしか、茨木のりこさんの『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)に収められていたものでした。その本が見つからないので、平川克美著『言葉が鍛えられる場所』(大和書房)から引用させてもらいます。

《大森区馬込町東四ノ三○
大森区馬込町東四ノ三○
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消える少し前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りていった
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や紙風船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなが叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい

今それを思い出すたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!》。

平川さんは、この詩を紹介した後、次のように言われます。「この詩が描き出した世界は、わたしが小学生のときの体験そのままであり、わたしもまた「くさい 朝鮮 くさい」と叫ぶふりをしていた子どもだったことをありありと思い出させてくれるのです。そして、今でも、この詩を読むと、なんだか泣きたい気持ちになります。その泣きたい気持ちは、ほとんど言葉にすることができません」。 私は、この詩が描いている時代を体験したわけではありません。しかし、この詩が描いている「おれ」の心の動きを、自分のことのように感じることができます。そしてそのあたりに、自分自身の内にある暗闇を見つけ、平川さんと同じように「なんだか泣きたい気持ち」になってしまうのです。
ところで、田川健三さんは、ヨハネによる福音書1章5節を次のように訳されています。「そして光は闇の中に現れる。そして闇はそれをとらえなかった」(『新約聖書 訳と註5 ヨハネ福音書』作品社)。
自分の内にある暗闇を見つけ「なんだか泣きたい気持ち」になっている私としては、この気持ちをすっきりさせて欲しいと思ったりするわけですが、聖書は、闇は光をとらえることができない(「なんだか泣きたい気持ち」はなくならない)と記します。 私たちは、できることなら、「なんだか泣きたい気持ち」を抱いたまま生きたくはありません。けれども、私たちの社会において、光をとらえたと自称する人たちが排外主義的な言葉を発していることを、私たちは心に留めなければいけないのではないでしょうか。
「光は闇の中に現れる」のです。「なんだか泣きたい気持ち」を抱える〈わたし〉と「なんだか泣きたい気持ち」を抱える〈あなた〉の間に、み子イエスの光は灯るのです。
日本福音ルーテル門司教会、八幡教会牧師 岩切雄太

コラム 直線通り 久保彩奈

⑨H「I have a dream」(キング牧師)

キング牧師の演説「I have a dream」を取り上げた授業中、突然 「先生の夢は何ですか?」と質問されました。
多くの子どもたちは「教師になる夢を叶えた人」として教師を見るので、「なぜ聖書科の先生になったの?どうやったらなれるの?」とは聞かれます。そのためか、わたし自身が夢を叶えたと思っていました。しかし教師には教師の夢があると考えるこの質問に思わずドキリとしました。わたしもまだ、夢の途上にいる…そう考えるとなんと希望に満ちた質問でしょう。あなたなら何と答えますか。
思えばキリストにつながるわたしたちは、いつも夢の途上にいます。神様の夢は途方もなく実現不可能に感じるときもありますが、それでもなお実現しなさい、と背中を押されているように感じます。「平和を実現する人々は幸いである」、この祝福に与ることができるような夢の途上を歩みたいのです。
ちなみに冒頭の質問に答えようとした時、他の生徒が「俺、先生の夢、知ってるよ」と言うのです。驚いて「何だと思うの?」と聞き返すと「だれも炊き出しに来なくていい世界になって欲しい、でしょ?」と。東京・渋谷で野宿者支援活動に10年ほど携わってきました。またわたしが属す本郷教会もこの活動に連なっています。生徒たちには礼拝などを通してこの活動の話をしてきましたが、まさかわたしの夢をわかってくれていたとは。夢があるからこそ、夢を分かち合う喜びがある。夢の途上にも神様からの恵みがあることを、生徒たちを通して教えられました。

2019年度教会手帳 住所録について

住所録に下記の誤りがありました。深くお詫びし、ここに訂正いたします。

P.7 東教区付嘱託任用
【誤】後藤由紀 →【正】後藤由起

この他、下記の修正がありますので、あわせてお知らせいたします。

[表記の変更]
P.7 東教区付信徒宣教師
P.65東教区付信徒宣教師/東京教会
【旧】セーラ・ウィルソン →
【新】サラ・ウィルソン

[住所表示の変更]
*2019年2月4日より、変更となります。
P.10 岐阜教会
【現】岐阜県岐阜市鷺山緑ヶ丘新町 1768-92
【新】岐阜県岐阜市鷺山南21-43

 

議長室から「初めに言があった。」 総会議長 大柴譲治

聖書には二つの「初め」が記されています。創世記とヨハネ福音書の冒頭部分です。両者とも極めてダイナミックで、味わい深い描写です。これらの言葉は私たちに世界の初めを想起させてくれると共に、私たち人間存在が初めから神の言の中に造られていることを想起させてくれます。私たちの魂は太初から神の呼びかけに応答するようにと造られているのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ福音書1・1~3)。
「言」はいつも「声」によって伝達されてゆきます。声を抜きにして言葉は考えられません。声は言葉を乗せる器であり車です。そうであるとすれば私たちは先の言葉を次のように読み替えることもできましょう。調べてみるとここで「言」と訳されているギリシャ語の「ロゴス」という単語には「声」という意味もあるからです。
「初めに声があった。声は神と共にあった。声は神であった。この声は、初めに神と共にあった。万物は声によって成った。 成ったもので、声によらずに成ったものは何一つなかった」。
この方がストンと私の腑に落ちます。私たちを取り囲む現実世界の闇がどれほど深く見えようとも、そこには「光あれ」という太初からの神の声が響いている。どのような時にも私たちはこの神の声に耳を澄ませてゆきたいのです。

アドヴェントを迎えます。クランツの4本のローソクが1本ずつ点されてゆきます。点されるローソクの光が増えてゆく中、私たちは救い主イエス・キリストの到来を待ち望みます。その光は私たちの希望を表しています。
希望がなければ私たちは生きてゆくことができません。希望の光に向かって私たちは目を上げてゆくのです。Lift up your heart!
従って先の言葉は次のように読み替えることもできましょう。「初めに光があった。光は神と共にあった。光は神であった」。お一人おひとりがこの希望の光の中に良きクリスマスを迎えられますようにお祈りいたします。シャローム。

開かれた神学校へ 神学一般コースの新設

2019年度に、日本ルーテル神学校は新しくなります。
1909年に熊本で建学以来、神学校は牧成とキリスト教の信徒リーダーを育てることを使命としてきましたが、来年度110周年を迎えるにあたり、「神学一般コース」を新規に開設します。

従来の「牧師養成」を堅持し、これに加えて、信徒の方々やキリスト教に深い関心を持っている方々に神学の学びができる場を提供するため、2年間の
プログラムを新設するものです。礼拝や聖書、信仰や人間、文化について深

く学びができるようにカリキュラムを工夫しています。
またチャペルのパイプオルガンを用いたオルガン実習や関連研究機関(ルター研究所、デール・パストラル・センター)とあわせて多様な学びができます。教派を問わず、様々な方に学んでいただけるコースです。2019年4月に開始されます。

入試要項など入学について、ご関心のある方はルーテル学院・神学校ホームページ、または学院に直接、お問合せください。
電話0422(31)4611。

釧路教会・新しい ステージへ  岡田 薫(帯広教会牧師)

9月22日に釧路教会(現・帯広教会釧路礼拝堂)において感謝礼拝が行われました。釧路教会は1966年より国内外の方々の祈りと献財によって生まれ、今日まで支えられてきましたが、今年の11月24日に行われる聖霊降臨後最終主日の礼拝をもって礼拝堂を閉じることになったからです。このような決断に至るまで、教会に連なる一人ひとりの心のうちには様々な葛藤もありました。しかしながら、足掛け10年の準備期間を経て「建物の維持管理の責任から解かれ、新しいステージに踏み出そう」という決意へと導かれたのです。
昨年4月に仕舞いの業を託された牧師として遣わされてきた私は「教会に連なる方々のご苦労と痛みがわかるのか?」と問われるならば、正直なところどこまで理解できているかわかりません。ただ、重い決断をした教会の皆さんに可能な限り寄り添い、しっかりと受け止め、なすべきことをしっかりとなしつつ、この痛みを超えて主が示しておられる道に目を向け、共に歩みたいと願い、希望につながる仕舞いとなるように折に触れて話し合いを重ねてきました。
教会(礼拝堂)を閉じるといっても帯広を拠点とした宣教体制に移行するわけですから「気候のよい時に感謝の礼拝を行いましょう」ということになりました。普段は4~5名での礼拝ですが、当日は39名の老若男女が道内外から集い、礼拝堂も集会室もいっぱいになりました。市川から駆けつけてくださった中島康文牧師は合田俊二牧師との思い出を中心にお話くださり、遠方におられる歴代牧師からは在任中の思い出が寄せられ、折々のご苦労や主の計らいと導きにあらためて思いを馳せることができました。
「予想を超えて本当に大勢の皆さんが釧路を覚えて祈り、集ってくださったことに、ただただ感謝」と言われるのは長年に渡って会堂守を担ってくださった岩瀬洋子さん。「限られた時間と予算の中でどれほどのおもてなしができるか不安でしたが、皆さんが美味しそうに食べてくださる姿、笑顔を見ることができて、料理人としては嬉しいです」とは腕を振るって昼食を準備くださった岩瀬真由さん。また、代議員の石田リツ子さんは「私は礼拝堂ができる前にこの教会で最初に洗礼を受けた者の一人です。こうして出身教会の最後を湿っぽいものではなく晴れやかに迎えることができて嬉しいです」と言われました。
記念品として配られたのは、かつて一人の会員が河原から拾い丁寧に磨き上げ、道内の教会に送られた小さな十勝石。建物としての教会は手放しますが、主によってたてられた信仰者の群れは健在です。 新たなステージへと導きだされた私たちの歩みは頼りなくおぼつかないこともあるかもしれません。共におられる主に信頼し一歩一歩進んでゆきたいと願っています。これからも祈りに覚えてお支えくださいますならば幸いです。主の平和が共にありますように。

第28期第2回本教会常議員会報告 事務局長 滝田浩之

11月5~7日、ルーテル市ヶ谷センターを会場に第28期第2回日本福音ルーテル教会常議員会が開催されました。以下、3点のご報告をいたします。

(1)ハラスメントの学びの件
矢萩新一先生(日本聖公会管区事務所総主事)をお招きして、聖公会のハラスメントに対する取り組みについてお聞きし、学びを深める時を持ちました。相談窓口を各教区に設置し、また各教区の教職・信徒が対応していたが、ケースを重ねる内に相談窓口を外部委託も可能な体制に整え、問題が大きくなる前に利害関係のない第三者委員会に事実関係の確認を委ねることの大切さ、教区の相談能力の向上のために管区(全国)にも機能を開設したことなど、具体的な事例を伴った学びを行うことができました。日常的にアサーティブコミュニケーション(自他を尊重した自己表現・意見表現)を行うことが重要であることが分かち合われました。今後も学びを継続します。

(2)教区における「原発問題」学習会の件
社会委員会から、「教区における『原発問題』学習会の件」が提案されました。これは2012年の総会で承認された声明「一刻も早く原発を止めて、新しい生き方を!」に基づき、各教区での原発に関する継続的な学びを促すものです。社会委員会からは推薦図書(声明と合わせホームページでもダウンロード頂けます)が紹介されました。議場では、各教区のこれまでの学びや活動が確認されつつ、この学びの必要性、また重要性を共有し承認されました。

(3)諸規定の改正
財務委員会から「奨学金貸付規定」、「旅費規定・牧会委嘱実施規定」、「信徒育成基金規定」改正について提案が行われました。
「奨学金貸付規定」改正は、貸付金額の増加、貸付対象の拡大によって教職子女、また信徒の幼稚園・保育園従事者、社会福祉従事者、聖書科教師を目指す学生への支援を手厚くするためのものです。何よりも大学卒業用件を必要とする神学校を目指す学生への支援については、献身を促す契機になることが期待されます。
「旅費規定・牧会委嘱実施規定」改正は、牧会委嘱を受けられる定年教師が教職転任制度を利用できるようにするものです。これまで牧会委嘱の教職の転任費は招聘教会の負担となっていましたが、これの80%を教職転任制度でカバーできるようになります。
「信徒育成基金規定」改正については、TNG委員会の働きを支えるために宣教室会計に利金配分を可能にするものです。これによって、現状のTNG委員会の働きを継続的に行うことが可能になります。
その他の案件につきましては後日送付されます議事録をご確認頂きますようにお願いいたします。

母子生活支援施設ベタニヤホームについて  施設長 伊丹 桂

母子生活支援施設ベタニヤホーム(社会福祉法人ベタニヤホーム/旧称・本所ベタニヤ母子寮)は今年度から建て替え事業に入りました。と言いますと「あの施設がなくなったの?」と思われるかもしれませんが、実はまだこの「特徴的な」建物は残っています。
社会福祉施設の建て替えは、行政からの補助金が大きな財源となり進められるもので、この補助金はかなり大きな金額となります。そのために数多くの手続きが必要です。今年度から3カ年度での建て替えと言っても、その多くが工事ではなく「打ち合せ」が主となります。もちろん、補助金だけで賄えるものではなく、資金面においては更に工夫が必要です。
私どもが利用者と関わり、その課題を解決していく場としての現在の施設は、1967年(昭和42年)に建てられました。建築学の研究者からはこの建物の思想に強い関心が寄せられ、建て替え前に既存施設の設計図はもちろんのこと、写真、実践報告書等、日本女子大学の定方教授のゼミにより資料化が進められています。
建物の歴史は約50年ですが、現在地で母子支援を始めた歴史は古く、1923年(大正12年)の関東大震災にさかのぼります。歴史的な評価としては、母子を支援の対象と位置づけた日本における最も古い施設とされていますが、戦後、児童福祉法が制定された際に児童福祉施設として位置づけられ、現在に至ります。この長い歴史の端緒を開いたのがルーテル教会でした。
関東大震災に端を発し、太平洋戦争では職員、利用者共に空襲で命を落とし、それでもなお支援の意思を持ち続けた先達の思いを、改めて今、新施設に活かす計画として、防災対策の拠点化、児童福祉の新たな課題への対応、地域社会との協働を軸としました。
なお、この建て替えが完了する2020年、社会福祉法人ベタニヤホームは創立100周年まで2年となります。大きな節目を迎える法人、母子生活支援施設共に、ベタニヤホームへのお祈りをいただければ幸いです。
所在地 東京都墨田区江東橋5l4l1
ホームページhttps://bethanyhome.jimdo.com/

第26回全国ディアコニア・セミナー報告「よかったよ!愛農高校」
高田敏尚(修学院教会)

このセミナーの案内がきたとき、これは行きたいと思っていた場所だと思い、すぐに申し込みました。その理由は、少し前に『日本一小さな農業高校の学校づくり』という岩波書店からでている新書を読んだからです。
今回のセミナーの主題は「土に生きる」。愛農高校の場所は三重県伊賀市、決して便利な場所ではありません。この高校は「神を愛する、人を愛する、土を愛する」という三愛精神を教育の土台においていました。一学年25名定員の全寮制の学校です。ここを会場にして、中井弘和さんの食の倫理、土を愛するという立場から農薬を使うことの危険性、現場の泉川道子さんのこの学校での20年の勤務を経た間の生徒たちとの格闘、といっても触れ合う生徒との愛情はたっぷり、卒業生の村上真平さんは放射能で汚染された飯館(福島)から逃れ、愛農高校の近くで再び自然農法による農業をされているお話でした。それぞれの立場から、土(農業)について熱く語ってもらえました。
2日目は、早朝から牛の搾乳や鶏のえさやりなど生徒の実習を見学できるということで、10時就寝、5時起床という実際の農家のような生活も体験しました。鶏は動き回れる比較的余裕のある鶏舎に千羽いるとか。卵はどこにあるのかとみていると、1メートルくらいの高さの所に横1列に巣箱があるのです。世話をしている生徒さんに「どこで卵を産むのですか」と尋ねると「ニワトリは飛べるから」といってその巣箱を指さすのです。「エッ!飛べるの!?」、それからは羽をばたばたさせて飛ぶニワトリをじっとみていました。

参加者は全国の教会から30名。建学の精神を紹介しましょう。「神を忘れた良心は麻痺し、土を離れた生命は枯渇する」という文言で始まります。そして「聖書の神の言葉に呼びかけられることによって人間の良心は覚醒される」と続きます。忖度や打算で良心を省みる余裕もないのが現在でしょうか。いま一度、土と向き合い、人と向き合い、そして神と向き合い良心を失わないようにしたいものです。

トーマス・スティンバーグ先生を偲んで  大野比奈子(なごや希望教会)

1980年、東海教区の東部開拓伝道にスティンバーグ牧師が任命され、名古屋市名東区の地において伝道が始められた。宣教師館で礼拝が行われ2~3年後に何人かが洗礼を受けた。1988年に宣教師館が増改築され名東教会となり、様々な伝道活動が行われた。
2001年、スティンバーグ先生は定年によりアメリカに帰国される迄の21年の間、神の愛とその絶対性が説教で語られ、またどのような事にも、いかなる時にも一貫して祈ることから始まり、まさに祈りの人であった。
寡黙でいらしたがユーモアがあり、「赤ちゃんはミルクも飲ませ、おむつもきれいにしてあるのに何故あんなに泣いて困らせるのか?」「それは原罪があるから」とか、「私はイエスさまの囚人、でも妻の主人」などウインクしながら言われたりして・・・。

今年3月、先生夫妻とご家族が来日され、なごや希望教会の礼拝に出席されて何十年?ぶりの再会をした。お二人ともお元気そうで雰囲気は当時のままであった。
10月15日に先生の娘さんからメールが来た。先生が9月21日にホスピスに入られ、月末にご家族が全員揃われたときに、自ら聖餐式をされた。そして父はこう言ったとテサロニケ信徒への手紙一5・16~18の箇所が書いてあった。
そして10月20日スティンバーグ先生召天・・・。 神さま、先生と出会わせてくださってありがとうございました

福島における原発震災の今と、教会にお願いしたい支援
内藤新吾(稔台教会牧師)

原発事故による影響は小さく放射能もそんなに心配ないことにしたい国と、県民流出を防ぎたい福島県との利害の一致、また農産物などの販売の妨げになるからと、福島では放射能に関する不安を人々が口にできない状況があります。さらに、昨年3月で自主避難者への住宅支援は打ち切られ、その前からもですが仕方なく帰った人たちが少しして、一度里を離れたことで冷たい視線を受けるというのが実情です。しかも、苦渋の決断の上で暮らしている人々に追い打ちをかけるように、せめて夏休みや春休みに子どもを保養に出したい親御さんたちへの非難が、公の立場にある人からも発せられるようになっています。
一例を挙げると、これは福島大学名誉教授の清水修二先生ですが、「子どもを〈安全な場所〉に保養に出すという行動は、福島が〈危険な場所〉であることを認める行動でもあります。それは農産物の生産者を苦しめ、保養に子どもを出していない親を苦しめ、福島で子育てをしているすべての親を苦しめることになりはしないか。」(『しあわせになるための「福島差別」論』)などです。事故による経済損失は電力会社と国が負うべきものであり、また年20ミリシーベルト以下で住めるというチェルノブイリの4倍も緩い基準(世界から非難がある)は、心配する親御さんたちにとって到底認められるものではありません(先日の国連人権理事会の声明も)。
本紙前号の「北海道寺子屋合宿」報告で、現在の福島県内の子どもの甲状腺がん発症者数は記したので重ねませんが、恐るべき比率です。この非常に稀なはずの病気の他にも、様々な疾患が心配されます。それは福島県内に留まりません。教会には、行政の及ばない医療や保養の間接的支援に終らず、不当な仕打ちを受けている人々の苦悩や状況がわかるよう、彼らと共に歩んでいる幾つもの機関に個教会や個人でも繋がりを持っていただければと願います。それは私たちの団体に足りない支援です。

 春の全国Teensキャンプ参加者募集

宣教室TNG委員会テーンズ部門と各教区教育部が主催する今年度の春の全国ティーンズキャンプを千葉市立自然の家において開催します。ぜひ、対象となる子どもたちを送り出してください。
第26回 春の全国ティーンズキャンプ
○テーマ ©very good
○主題聖句 創世記1章31節
○日程 2019年3月26日 ~28日
○対象 12歳~18歳(2019年4月2日時点)
○会場 千葉市少年自然の家 (千葉県長生郡長柄町)
○参加費 1万5千円(バス代込み)
*交通費別途必要。
*3月24日以降のキャンセルは参加費の半額のキャンセル料がかかります。
○申し込み締め切り
2月24日(交通の手配がありますので早目にお申込みください)
○申込み方法
専用URL(上記)から申し込みをしてください。
左記のQRコードからもアクセスできます。

*所属教会牧師の承認を受けてください。
*正式登録されると、TNGティーンズブログに教会名とイニシャルが表示されますのでご確認ください(申込みから数日かかります)。
TNGティーンズブログ    http://tngteens.hamazo.tv
○移動について
詳しい移動方法等は、各教区担当者からご連絡します。
○問合せ
永吉穂高牧師(小倉教会/福岡県北九州市小倉北区三郎丸1l2l
電話093(921)7715
携帯電話
080(6106)0794
メールアドレス
harukyan.moushikomi@gmail.com
○持ち物
聖書、筆記用具、保険証、 参加費、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります) 、3月26日の昼食・飲み物。

☆お知らせ☆
今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

私たちの宗教改革500年

【熊本・10月28日・手取カトリック教会】
熊本地区宣教会議による宗教改革記念プログラム。「カトリック教会の新しいあゆみl第2バチカン公会議と近年のカトリック教会l」として櫻井尚明司祭(手取カトリック教会)が楽しくお話しくださいました。カトリック教会からも多くの方が参加され、両教会から120名を超える方々が参加されました。

【半田・10月31日・ルーテル知多教会】
尾張岐阜地区宣教委員会による宗教改革記念集会。花城裕一朗牧師が司式し、礼拝説教を「真理l主の十字架・恵み、自由、生命」と題して斎藤忠碩牧師が取り次いでくださいました。また「ルターの宗教改革神学l聖書のみ」lルターとプロテスタントたちの聖書解釈の方法lとの講義を奈良部恒平牧師が担当してくださいました。

【市ヶ谷・10月31日・ルーテル市ヶ谷教会】
東教区による宗教改革合同礼拝。礼拝説教を清川泰司神父(カトリック高槻教会、元カトリック中央協議会担当)が担当し、人間を愛することを諦めない神に導かれ、違いを持った私たちが共にあることを互いに喜び、またそれを生み出す役割が与えられていると語られました。新式文による礼拝の司式を平岡仁子牧師が担当されました。

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