1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2017年8月号

刊行物

BLOG

機関紙るうてる

るうてる2017年8月号

説教「すべてをご存じの方に」

機関紙PDF

 「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ福音書6・31~33)

イエスさまが山上で語られた説教です。ここでイエスさまは、何度も「思い悩むな」と言われます。イエスさまの説教を聞いていたのは弟子たちであり、また群衆でした。彼らは、みな思い悩む者たちです。日々の生活の中で、何を食べ、何を飲み、何を着ようか、と思い悩む市井の人々です。当時イエスさまの福音に喜んで耳を傾けた人々は、貧しく、権力者から虐げられ、罪人として社会の隅に追いやられていた人たちでしたから、思い悩みに事欠くことはありませんでした。人々は、本当に身も心も思い悩んでいたのです。
 そのように思い悩める人々を前にして、イエスさまは叱責されたわけではありません。自分の思い悩みにとらわれて視線が定まっていない人々に対して、空の鳥を見よ!野の花を見よ!神が創られたありとあらゆる被造物を見よ!と促されたのです。彼らは人間のように種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしないのに、神は美しく装い養ってくださるではないか!と。
 この御言葉によって、イエスさまと一緒に山上までやって来た人々はハタと気がつくわけです。足元で咲き誇っている名も無い草花に、頭上でさえずっている鳥たちの声に。彼らの美しさと、たくましさに。神から与えられた命を懸命に使って、はばたき、咲き誇っている彼らに。
 私も最近山登りをするようになって、この御言葉が実感できるようになりました。神が創られた素晴らしい被造物にあふれた山に登っていると、自分が悩んでいたことは実はたいしたことではなかった…と、気付かされることがあります。然り、思い悩みをことさらに大きくしていたのは、他ならぬ自分自身だったのだ、と。

 とはいえ、私たちの思い悩みには思いがけず外から降り掛かってくる出来事もあります。自分の願いに反して押し寄せてくる社会的な状況もあります。はからずもそれらに遭遇してしまった時に、私たちはまた思い悩むことになります。私の目下の思い悩みは、先日、政権与党の強引なやり方によって成立してしまった「共謀罪」です。人の内心にまで踏み込もうとするあの法案は、個人の尊厳を奪うだけでなく、人と人との信頼関係も損なってしまうでしょう。今でさえ自分の意思を押し殺して相手の顔色を伺う忖度がまかり通っているのに、もっと物が言えない社会が到来してしまうのではないかと危惧します。
 イエスさまは、このような思い悩みまでを一笑に付されたのでしょうか?そんなことはないでしょう。当時ユダヤ社会の権力者であった祭司長、長老、ファリサイ派たちと常に激論を交わし、彼らによって抑圧されていた人々のために福音を語られたイエスさまでした。人々の思い悩みに耳を傾け、彼らが負っている悲しみや苦しみをつぶさになめられ、最後にはご自身の身に担われたイエスさまでした。だから、イエスさまは言われたのです。「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と。あなたがたの思い悩みもその解決のために必要なものも、神はすべてご存じなのだ!だからまず、神の御言葉に耳を傾けなさい!神のご支配がこの世に広がり、神の義がこの世に実現するように祈り求めなさい!そうすれば、すべてのものはみな与えられる!と。
 私たちは、思い悩みに押しつぶされてしまってはなりません。なぜなら、私たちの思い悩みのすべてを神はご存じで、私たちに必要なすべてのものを神は与えてくださるからです。だとすれば、私たちはむしろ大いに思い悩みましょう。自分にも、他者にも、この社会、この国、この世界に対して思い悩みましょう。そして、それらの思い悩みを分かち合うのです。自分の内に隠すことなく、他人に忖度することもなく、共に思い悩みを分かち合うのです。そうして、それらすべての思い悩みを神に伝える。私たちに必要なすべてのことをご存じの神に伝え、訴え、祈りましょう。イエス・キリストの御名によって。
日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会牧師 日笠山吉之

連載コラムenchu 17

【 Democracy2 】

 高橋源一郎さんは、朝日新聞に連載していた「論壇時評」(2014年5月29日)で、台湾の学生たちが立法院(議会)を占拠した出来事にふれています。
 〈占拠が20日を過ぎたころ、学生たちの間では占拠を継続するか撤退するかで意見が分かれます。『その時、ひとりの学生が、手を挙げ、壇上に登り「撤退するかどうかについて幹部だけで決めるのは納得できません」といった。
 この後、リーダーの林飛帆がとった行動は驚くべきものだった。彼は丸一日かけて、占拠に参加した学生たちの意見を個別に訊いて回ったのである。最後に、林は、妥協案の受け入れ(撤退)を正式に表明した。すると、再度、前日の学生が壇上に上がった。固唾をのんで様子を見守る学生たちの前で、彼は次のように語った後、静かに壇上から降りた。「撤退の方針は個人的には受け入れ難いです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう」』。〉
 このエピソードを紹介した後、高橋さんはこう言われます。『学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、「ありがとう」ということのできるシステム」だという考え方だった』と。
 そして僕は思うのです。福音書の中に描かれている主イエスの業とは、社会の中で、「最も小さい者の一人」(マタイ25・40)が、それでも、自己を肯定し受け入れ「ありがとう」ということのできる関係(コミュニティー)を築くことだったのではなかったか、と。僕は、自分の意見が少数派のときに、自分が病気になったり障がいを負ったりしたときに、それでも、「ありがとう」といえる社会で生きていきたい。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

議長室から

平和の発信者たち 総会議長 立山忠浩

 私の牧する都南教会の牧師室の壁には、「二人が描いた日々」というタイトルのカレンダーが掛かっています。丸木美術館の開館50周年を記念して作成されたものです。
 その「二人」とは丸木位里・俊夫妻のことです。すでにご夫妻は天に召されていますが、ある月のページには、絵を描く心得として、上手に描くとかなんとかいうことを考えてはいけないという位里さんの言葉が添えてあります。「下手でもええ。下手のほうがええ、その方が面白いんだ」とユーモアに富んだ言葉は、絵心のまったくない私にとっては実に慰めです。
 ただ、二人は「原爆の図」を水墨画を基調にして描いた夫妻として有名なのです。埼玉県は東松山市にある同美術館にそれらは展示されていますが、初めて鑑賞したときの衝撃は忘れることはありません。中でも心を揺り動かされたのは「からす」という題の図でした。積み上げられた原爆の被害者たちの遺体にからすが止まり、ついばんでいるのです。目を背けたくなるような酷い光景ですが、丸木夫妻は敢えてそれを描いたのです。それが原爆の現実だからです。
 この図にはもうひとつの辛く、悲しい現実が描かれています。からすがついばんでいるのは朝鮮人の遺体なのです。日本人の遺体が先に埋葬され、朝鮮人の遺体が後回しにされて、より長く放置されていたからなのです。
 暑い真夏の8月を迎えるたびに憶えなければならないことは、過去の戦争の過ちの歴史であり、原爆に代表される人の命をいとも簡単に奪ってしまう兵器の存在です。そこで生まれる辛く悲しい現実。しかもそれが今このときにも世界中のどこかで生じていることを忘れてはいけないのです。
 キリスト者にとって、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5・9)という主イエスの教えは大切です。では、平和の実現のために何をすれば良いのでしょうか。まず、イエスの平和の教えとその生き方に少しでも近づけるようにと願い、たゆまず祈るのです。そこから生まれた信仰と良心に基づいて、自分にできることをたとえわずかでも行うのです。
 ただ、実際の行いはそれぞれが異なることでしょう。私にとっての行動のひとつは、この図の存在を忘れず、平和のために発信し続けている人を支援することなのです。

広がる「まつもと子ども留学」の働き

東教区プロジェクト3・11 谷口和恵(松本教会)

 自主避難をしてきた福島の子どもたちが生活をする松本市郊外の一軒家。年月が経ち、子ども留学の形も少しずつ変わってきました。長期での生活を受け入れながら、休みの時に一時保養をする家族の受け入れが始まっています。今回は子どもたちのサポートをされている現地スタッフのレポートをお届けします。子ども留学の働きを祈りに覚えて頂き、ご支援いただければ幸いです。

 東日本大震災による原発事故で放射能に汚染されてしまった被災地を離れ、安心して学校生活を送ることができる場所を作りたいという一心で、この「まつもと子ども留学」を立ち上げて4年目を迎えました。この間10人の子どもたちが、福島の親元を離れて松本へ来て暮らしました。現在は「子ども寮」で暮らす女子3人と一般のご家庭にホームステイという形で暮らす2人の男子中学生を受け入れています。
 原発事故さえなければ家族との生活があったであろう子どもたちは、様々な悩みを抱えながらも地域にあたたかく迎え入れて頂き、たくましく成長しています。私も3年前に被災地を離れて松本へ移住し、子ども寮で子どもたちの生活のサポートに携わってきました。日々、子どもたちの持つ生きる力の大きさを目の当たりにして、支えてくださる周りの人たち、世界中の皆さまからの温かいご支援は勿論のこと、子どもたちの力の大きさに深く感謝する毎日です。
 今年の3月には、政府による自主避難者への住宅支援が終了しました。けれども、放射能とそれによる健康の不安はまだ残っています。今の福島へは子どもを連れて帰れないという母子2組が、この春自主避難先から松本へ移住して来て、子どもたちのサポートを手伝ってくれるようになり、とても心強く思っています。
 3年前、松本へ来た時は中学1年生だった子どものうち2人は、松本での進学希望をかなえ高校1年生になりました。小学6年生だった子は中学3年生となり、同じく長野県での高校進学を希望しています。高校受験を機に、福島へ帰る子どもたちもいます。
 どんな道を選んでも、子どもたちが持つ力、その可能性を大切にできる、そんな社会であってほしいと切に願います。
 (まつもと子ども留学   スタッフ 中野瑞枝)
「まつもと子ども留学」のウェブサイトURLhttp://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/

愛する皆さんへ

ブラジル・ルーテル告白福音教会牧師 ルイス・メロ

「神なき人はなし。」とはドイツの神学者・牧師であったカール・バルトの言葉です。
 私はルイス・メロです。ブラジル人であり、ブラジル・ルーテル告白福音教会の牧師です。日本語と日本文化の研修のため、そして日本のルーテル教会を知るために来日しました。
 いま私は、岐阜県の大垣教会におり、信じられないほど豊かな経験をしています。母国から遠く離れたこの地で、我が家にいるような気持ちを味わい、同じ歌を歌い、喜びと神への賛美に満ちているからです。
 私たちは異なる言語を用い、見た目の姿にも違いがありますが、同じ信仰に生きる兄弟姉妹です。神は私たちを、異なる国で、異なる文化を持つ者であるにも関わらず、弟子として生きるように招き、兄弟姉妹とするのです。
 私は日本のルーテル教会について多くのことを知り、味わっています。それは私にとって、神の恵みが今こ確かにあることのしるしです。こにおいて私はみなさんから本当に多くのことを学んでいるのです。
 ここで教えられ得たことをサンパウロ日系ルーテル教会で生かそうとするならば、それはとても良いことになると信じます。
 日本の兄弟姉妹である皆さんと一緒に、日本のルーテル教会で生活する機会をいただき、ありがとうございます。主の恵みと平安がみなさんにありますように。
 ルイス・メロ牧師は、今年5月に来日され、来年2月まで、大垣教会を中心に、日本研修を継続されます。ぜひ、研修のために、その背後にあるブラジルの教会の皆さんに主の支えをお祈りください。

公 告 

 

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2017年8月15日
宗教法人 
 日本福音ルーテル教会  代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

日吉教会会堂・集会室・牧師館建築
・所在地 横浜市北区  下田町1丁目670番 地2、670番地3
・家屋番号 670番2
・種類 教会堂・教職舎
・構造 鉄筋コンクリート 造陸屋根・ルーフィングぶき2階建
・床面積
 1階 391・ 95㎡
 2階 139・26㎡
・理由 新たな会堂・集 会室・牧師館が完成した。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

〈連絡先変更〉

西条教会
新電話番号
082(430)4343
*FAXは変更なし
新メールアドレス slk-1517@aurora.ocn.ne.jp

※「カトリックとルーテルの共同声明に学ぶ」は、紙面の都合により休載いたします。

宗教改革500年に向けて、ルターの意義を改めて考える 62

ルター研究所所長 鈴木浩
 「聖書(によって)のみ」と語ったルターは、「恵みに(よって)のみ」、「信仰(によって)のみ」とも語ったし、「キリストのみ」とも語った。ルターの神学はこのように、端的に「のみの神学」であった。
 対照的に当時のカトリック神学は、「恵みと人間の業(わざ)」、「聖書と伝統」という具合に「◯◯と◯◯の神学」であった。
 ここにそれまでの神学とルターの神学との違いが鮮やかに示されている。ルターはこの「のみの神学」を最後まで貫いた。
 この「のみ」は、通常、「聖書のみ」、「信仰のみ」、「恵みのみ」とされることが多いが、厳密に言うと「聖書によってのみ」、「信仰によってのみ」、「恵みによってのみ」である。
 この「◯◯によってのみ」とは、われわれは、「どのようにして、神を知り、そのことで神の救いにあずかることができるのか」という問いに対するルターの答えである。
 わたしが中学生の時であったが、伯父が無線長をしていた新造のカツオ漁船で、伊勢神宮に連れて行ってもらったことがあった。伊勢神宮で新造船を「お祓い」してもらうためであった。
 境内は、荘厳な雰囲気に包まれ、あくまでも透き通った小川には、勢いよく鮎が泳いでいた。その神秘的で森厳な雰囲気に圧倒される思いがした。
 だから、その広大な場所が神の臨在する「神域」とされていることも、納得できるような気がした。しかし、今思えば、それは単なる「雰囲気」に過ぎなかった。
 ルターが知りたかったのは、そんな「雰囲気」ではなく、「神ご自身」のことであった。辿り着いた答えが、「聖書によってのみ」、「信仰によってのみ」、「恵みによってのみ」であった。

第27回総会期第4回常議員会報告

事務局長 白川道生
 標記の定期常議員会が6月10日から12日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。主な報告を記します。

▼各報告事項

 この常議員会では、5月にアフリカで開催された「ルーテル世界連盟総会」に係る議長報告をはじめ、LCM会議(宣教協力関係にある海外教会と定期的に行う、日本宣教を考える会議)等、とりわけ、JELCが今まで保ってきた世界的な関わりの現状と課題に係る報告が重なった。質疑応答は、単に教会相互の歴史的パートナーシップの継承に留まらず、こんにち世界で、教会の外に起こっている様々な現実問題、変化する課題に取り組むための連携・学び合う関係を築く方向に進んだ。報告事項を巡る特徴として、この様子を記しておきたい。

▼協議事項

 まず、熊本地震に係る支援活動の態勢に関する協議が行われた。地震発生から1年を経てなお残る被害と生活する方々の様子に関して、九州教区と救援対策本部の判断が伝えられた。この態勢の検討に際しては、東日本大震災の体験を通じて常議員会でとりまとめられた「災害時におけるJELC活動基本方針」を考慮して協議を行った。そして、救援対策本部とJELC緊急募金の終了を決定し、6月より対策本部に託された課題の実現と九州教区に移管すると決定した。なお、九州教区常議員会では、この方向を既に承認していること、学校施設の復旧を含む募金実施の方針決定は審議中であると述べられた。
 帰国の相次いだ、宣教師の後任派遣に関する協議も行われた。既に昨年、神学教育並びに教会任命の派遣申請をしたが、現在までに米国でのリクルートに進展がないとの報告が共有された。しかし、生起している影響の大きさを鑑み、密接な連携をとって実行を図る姿勢の堅持が確認された。
 「宗教改革500年記念事業」は、各教区で展開されている取り組みの相互報告があった。加えて宣教室から、全国から積みあがってきている募金への感謝と更なる情報配信、カトリック教会との共同記念企画の拡散的な進展、ブラウンシュバイク教会の招待による合同聖歌隊への派遣公募の選考結果、宣教室担当のキャンペーン実施予定(8月にパンフレットと本を刊行する予定)と頒布計画等の情報共有と意見交換が行われた。

▼その他の事項

 2017年の人事委員会組織が提案され、例年同様の行程で進め、議長以下三役と各教区長による構成が決定した。
 この他に、るうてる法人会連合総会に係る教会代表正会員公募の実施、宣教会議の開催、日本福音ルーテル教会教師試験の実施、ブラジルから来日されたルイス・メロ牧師の日本研修期間の変更等につき承認された。
 詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
善い業のために 伊藤早奈

〈祈り〉神様、年々暑さが増している気がしますが、それでもあなたから与えられる季節の恵みを受け入れています。文句や不平を言うこともあれば、感謝の思いが溢れることもあります。しかし、どんなにちっぽけでもどんなに迷惑に感じることがあっても、神様、あなたからの愛は私たちに注がれていることに感謝します。イエス・キリストのお名前を通して祈ります。アーメン
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたし、たちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソ2・10)
 今朝はイエス様のお話を聴いたから、一日私は善い行いができるわ、と張り切ったとしても、自分の理想通りに動けなかったり思っていたような結果が出なかったりして「やっぱり今日もダメだったわ」とか「私ってやっぱりダメね」と思ったりしたことがありませんか。原因を周りの人たちのせいにして自分を正当化してしまうこともあるかもしれません。
 私は高校生のときに洗礼を受けました。それこそ洗礼を受けるということは、それまでの自分とは違わなくてはならないのではないかと緊張しました。たとえば、あまり怒らずいつもニコニコしてなくてはいけないとか、イエス様のように生きなくてはいけないとか。洗礼を受けてクリスチャンと呼ばれるようになったら、こうならなければいけない、私は変わるんだ、とどこかで意気込んでいました。
 本当にそうなのでしょうか。イエス・キリストによって生きるようになるとは外見や行いが今までとは違う人間になることではありません。でも変わります。何が変わるのでしょうか。 それは「自分が生きていてもいいんだ」、「私は神様に大切にされているんだ」、「イエス様と共に生かされているんだ」と受け入れる生き方への変化です。神さまが私を通して善い業をなさることを受け入れる生き方です。そのために神様はあなたを造り、今もあなたがあなたらしく、そのままを生きるようにと包んでくださいます。

宗教改革500年記念ルーテル『聖書日課』読者の集い

日時 2017年10月16日(月)15時~18日(木)13時
講師 橋本昭夫先生(神戸ルーテル神学校元校長)
賛美 池上彩香さん(ソプラノ)
会場 日本福音ルーテル大阪教会
   (大阪市中央区谷町3-1-6)
宿泊 ホテル・ザ・ルーテル(同)
参加費 3万円
申込・問い合わせ 
  ルーテル聖書日課事務局
  〒514-0823 三重県津市半田3424-81-204 
  FAX 059-253-8789  (宿泊のシングル・ツインを明記)
申込金 内金として1万円
  郵便振替 01080-4-12181 ルーテル聖書日課を読む会
締め切り 10月3日

追悼 刈谷教会と野口先生

平岡仁子(保谷教会・日本ルーテル神学校)

 手元に刈谷教会宣教40周年記念文集があります。そこに「17年間の思い出」と題された野口先生の文章があります。「1958年(昭和33年)の3月、宣教師館を訪ねたのが、刈谷教会との最初の出会いでした。・・・伊勢湾台風の思い出、碧南集会、緒川集会などに行ったこと、・・・特に、伊勢湾台風の後、静岡の聖書学院に行くまでの間、教会の屋根裏を借りて居候をしていたことなど懐かしい思い出がいっぱいです。・・・もうひとつの思い出は、1972年から1984年までの12年間、牧師として母教会で御奉仕をさせて頂いたことです。まだ駆け出しだった私たち家族を暖かく迎えてくださった教会員の皆様との思い出は、終生忘れることのない思い出です」。
 そして、1971年より刈谷教会に在籍した故平岡正幸は同じ40周年記念文集に、野口牧師との思い出を次のように綴っています。「神学校へ行くまでの2、3年、毎日教会に通ったことなど、昨日のように感じます。よく野口先生と共に、皆さんの御家庭を突然訪問したりと、燃える思いで過ごしました」。  
 野口幹夫牧師は、刈谷教会2代目宣教師アルトン・クヌートソン牧師より受洗。東海ルーテル聖書学院、日本ルーテル神学校卒業後、高蔵寺教会、刈谷教会、ロスアンゼルス教会、徳山教会、松江教会。葬儀は花城裕一朗牧師の司式により、知多教会半田礼拝所にて、執り行われました。きよ子夫人を始め、ご遺族の上に主の慰めをお祈り申し上げます。

甘木教会百周年

   梶原 潔(甘木教会)
初めに、7月の九州豪雨で被災され困難な状況の中にある方々に主の慰めがありますように祈ります。
 2017年は宗教改革500年。そして、実は甘木教会の100年でもあります。
 6月3日に80名の出席者で記念礼拝、併設する聖和幼稚園で祝会を行いました。1950年に献堂された礼拝堂は満席で主の恵みにあふれたひと時でした。司式を 本浩主任牧師、白髭義牧会委嘱牧師、森部信引退牧師が、説教を江藤直純ルーテル学院大学学長にしていただきました。同じ信仰を持つ方々と、共に歌う讃美歌は礼拝堂をふるわせ、ささげる祈りで心一つとなりました。その光景に甘木教会員20名は胸を熱くし百年の信仰の歴史の豊かさをいまさらながら感じることができました。礼拝後の祝会では、昔を知る方々に多方面からコメントをいただき、それぞれの時代の教会の姿に思いを馳せました。
甘木教会の初めて礼拝が行われたのは1917年6月2日です。初代「武藤醇」牧師が現在の礼拝堂からさほど遠くない川原町で礼拝をおこなったと記録が残っています。それから33年後に礼拝堂が献堂され10年後には今の恵比須町へ移築しています。さらに1952年には保育園の認可、翌年、幼稚園の認可を取得するなど社会事業にも力を注いできました。100年の歩みにつきましては、来年、記念誌を作成し詳しくご紹介したいと思っています。
 百年記念事業の取り組みも行っています。老朽化してきた礼拝堂は床下防湿工事、外壁の塗り直しと玄関の全面改修を行いました。またチェロのコンサートや記念ポロシャツ、バッグの作成にも取り組みました。今後、聖壇の明り取り窓にみんなでアクリル板を使ったステンドグラスを作成しはめ込む予定です。
 100周年は新たな始まりでもあります。教会が生き生きと地域の中でこれからも証ができるように会員が一つなって歩み続けたいと思います。
 皆様に主の平和がありますように。

大阪教会 宣教百年の歩み

 犬飼 誠(大阪教会)

①宣教開始時期

 日本福音ルーテル大阪教会は、1917年(大正6年イースターに、天王寺村脇ヶ岡の地で、ヘプナー宣教師の開拓伝道により始まりました。1927年(昭和2年)、天王寺区真法院(現在の天王寺教会の場所)に敷地を購入し、近隣の開拓伝道を試みながら、1939年(昭和14年)に会堂を新築し、1941年(昭和16年)に自給しました。

②戦争期

 1942年(昭和17年)、ヘプナー師は、太平洋戦争の影響により帰国。小泉昂牧師も病状が悪化し、休職して静養を余儀なくされ、その代務者として神学校を卒業した吉崎三郎牧師が着任しましたが、赴任後まもなく出征し、フィリピンにて戦死されました。

③戦後

 1954年(昭和29年)、稲富肇牧師は立地条件の良い、大阪市東区谷町に鉄筋の新会堂を建立します。天王寺にあった旧大阪教会礼拝堂は、1960年(昭和35年)に天王寺教会として株分けをしました。

④大阪会館建築

 日本福音ルーテル教会の経済的自立等のため、大阪教会は土地と建物をささげて、収益事業のホテルを併設した大阪会館の建築を決意しました。建築中、放浪しながら礼拝を守り、1975年(昭和50年)に大阪会館がオープンしました。収益は上がりましたが、宣教目的の教会(9階)と収益目的のホテル(1~8階)の同居には多くの問題がありました。

⑤大阪会館建替

 1997年(平成8年)、耐震構造等の問題により、大阪会館の建替えが検討されていたその矢先、松原清牧師が病に倒れられました。しかし、総会で建替は決議され、一方、後任の牧師は決まらず、大阪教会は礼拝堂がなくなり、牧師も不在となりました。この危機を隣の貸ビルの一角を借用して礼拝堂とし、引退されていた石居正己牧師に牧会委託することによって乗り越え、滝田浩之牧師を招聘し、2001年(平成12年)12月に新大阪会館がオープンしました。

⑥宣教100年とこれから

 ざっと、大阪教会の歴史を記載しましたが、この行間には、書き尽くせない試練と喜びのドラマがありました。歴代牧師の御尽力、信徒の貢献、全体教会や近隣教会の支援、そして何より神様が伴にいてくださり、2017年イースターに宣教100年の節目の「時」を迎えることができました。
 大阪教会は歴史に感謝し、「神様の恵みが教会員一人一人に増し加わり、それが教会を発展させ、ひいては日本福音ルーテル教会全体に貢献し、神様の御国の建設に役立つ働きができるように」と祈りつつ進んでいきたいと思います。

 

 

関連記事