るうてる2007年6月号
第13回伝道セミナー >>>>> 5.3~5 広島
第13回全国伝道セミナーが、5月3日~5日まで安芸の宮島で開催されました。2年ぶり、観光地で、しかも地方での開催に、「参加者がいるだろうか?」と心配しながら初日を迎えました。しかし、その心配はまったく必要ありませんでした。
世界遺産の厳島神社を通り過ごし、笑顔で集まった参加者は大人から子どもまで全体で118名。北海道から鹿児島まで、全国からの参加者が再会を喜び、テーマに期待を胸を膨らませながらセミナーは始まりました。
今回のセミナーは、「いやし」~主にある慰めの教会~をテーマに、まず私たちが癒されることを目指した企画でした。賀来周一牧師を講師に、スタッフは何回も先生と話し合い、全体を通して「いやし」を体験していただくセミナーとしました。そのため3つの柱をすえました。サックご夫妻によるヒーリングサービス、森祐理さん(福音歌手)による賛美と証、そして賀来先生による講演。これを中心に、それをつなぐ形で、いやされる礼拝を企画しました。もちろん自分達が癒されるだけではありません。癒された私たちがこの恵みを人々に伝えていこうと思いを新たにしました。
子どもたちも自然のなかで遊び、大人たちはプログラムに笑って、泣いて、感動した3日間でした。
アワーミッションレポート「函館教会」
天に向かって……
観光都市・函館市の人口は約30万人。1年間に函館を訪れる観光客はなんと約500万人に達します(2006年度)。函館教会の近くにある五稜郭の年間来場者数は、函館山(ロープウェイ)に次ぐ70万人にも上るといいます。その目玉の一つでもあるタワーは、昨年、老朽化の進んだタワーを壊し、その倍ほどもある新タワー(107m)がお目見えし、集客に期待がかかるところです。多くの観光客が集まる五稜郭に近い函館教会は、新タワー完成を受けて、屋根にメッセージを込め、訪れる人々に証ししています。
「前にも大きな看板を建てようという話があったが、半分冗談で終わっていた」とソベリ師は微笑を浮かべます。しかし、新しいタワーが出来て、早速上まで登ってみた信徒が「教会がはっきりみえた。書きましょう」と、以来話はとんとん拍子に進んだと言います。釧路教会の屋根に教会の名前と十字架が描かれていたことを思い出したのも、計画を後押ししました。6月の役員会で議題となり、知り合いの建築家に依頼。教会の増築工事を担当した方にデザインを頼むことにしました。デザインの希望は、教会の名前と十字架。早速、タワーから写真を撮り、その写真にデザインしました。十字架には「GOD LOVE」が描かれました。夏に仕上がってからというものの、「屋根の十字架をみた」と観光客が訪れるようになりました。函館を訪れていたルーテル教会の方がタワーから教会を見つけて立ち寄ることもしばしば。函館市内の朝祷会に参加する他教派のメンバーも積極的に紹介してくれます。
これからの展望や期待として「具体的なイメージはまだないが、できるだけ、夏場は教会を開けておきたい」とソベリ師。地域の方にオープンな教会にしたい。教会をきれいにして誰でも入りやすいようにしたい。決して派手さはないが、その思いは目標に向かってただただまっすぐ。誠実に思えます。
観光都市・函館市は、ハリストス正教会、カトリック教会、聖公会をはじめとする数多くの歴史の古いキリスト教会も観光名所となっています。そのような中にあって、函館教会は歴史では遠く及ばないが、その存在を通してキリストを証しする拠点として新たな歩みを始めています。
函館教会の屋根の十字架は、今日も五稜郭タワーと地域に、そして神に向かって証ししています。
『勝利の女神も昼寝する』
プロ野球観戦に娘といくことが楽しみです。じつは、我が娘は勝利の女神さま。彼女といくとかならず勝つというジンクスがあります。今日もいそいそと娘を連れての野球観戦になりました。
さて球場のどの席が一番楽しいでしょうか。我が家の定位置は外野。しかもライト側。そのチームのファンで一杯の場所です。試合が始まるとそれはもう大騒ぎ。一球一球に歓声があがります。大声を出して応援し、ジェット風船を飛ばし、一体感を味わう。教会もこうあればなあ~なんて思いながら。
いつの間にか我が家の勝利の女神は昼寝中。この大歓声の中でよく寝てられるものだ。あっというまに同点ホームランを打たれ、逆転された。女神を急いで起こさなきゃ。寝起きの女神は「お父さん。勝っても負けてもいいじゃん。楽しいね」と。勝利の女神に一喜一憂するよりも、この楽しい時間をくださった神様に感謝でいっぱいになる。さよならホームランはきっとあると信じながら。
(柿のたね)
牧師の声 私の愛唱聖句
九州教区 長崎教会・佐賀教会 牧師 濱田 道明
あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように
エフェソの信徒への手紙3章18節
教会には高校2年の春、夕礼拝に参加しました。当時はクラブ活動(バレーボール)をしており夜にならなければ時間がなく、聖書研究会と夕礼拝は特別なことがなければ欠かさず参加していました。夕礼拝も聖書研究会も参加者は少なかったと記憶していますが、かえって熱心さが伝わってくる充実した時間を与えられたと思います。
その中で一人の大学生がいて、いつも何か本を読んできて質問をしていました。牧師とのやりとりをいつも聞きながら、ひそかに彼にあこがれていたのですが、途中から姿を見ることはなくなりました。彼からは本と聖書をきちんとていねいに読むことを教えられました。その後、高校3年のイースターに洗礼を受けました。洗礼を受けた後も、本当はわたしではなく、彼の方が洗礼を受けるのにふさわしかったのではないかと考えることがありました。しかし、わたしが洗礼を受け牧師になり、彼は教会から立ち去っていきました。いつも歩むべき道に人の知識や思いを超えた大きな御手を感じます。あの時、別の道を歩んでいたら? きっと現在のわたしはいなかったでしょう。いつのまにか、人知れず土の器として用いられる不思議さを思うのです。
現在は小さな群れのメンバーとして歩んでいます。教会の中には、それぞれの人生があり、歴史もあり、歩みの独自性・固有性があります。キリストの愛に包まれ、その中に招き入れられている喜びを「すべての聖なる者たちと共に」、教会に生きているさいわいと祝福を感じています。教会に生きている者たち、兄弟姉妹がその中で生きている愛を知るように、神さまの豊かさに満たされながら、また、この愛の中に、多くの人々が招かれるように、祝福された教会の成長を祈っていきたいと思います。
信徒の声 教会の宝石を捜して
九州教区 箱崎教会 信徒 中村 園
教会に来られたきっかけは?
生まれは福岡でしたが、父の転勤で名古屋、東京そして徳山と度々引っ越しました。10歳の時、近くのメソジストの教会に誘われたのがきっかけです。牧師のお嬢さんが教会学校の先生で、その子どもが同級生でした。家が教会に近かったこともあり、通うようになりました。
洗礼を受けたときは?
教会も子どもも大好きだったので、教会付属の幼稚園の先生をしていました。でも、子どもの前でお祈りをしているときに、クリスチャンでない私が祈っていてもよいのだろうか、といつもためらいがあったのです。そして母に洗礼を受けたい気持ちを打ち明けました。すると、「あなたは何でも長続きはしない。一生ちゃんとできるの?」、「お父さんにまず話さないといけない(まだ中国にいたため)」と反対されました。それでも引かずに、すぐにでも洗礼を受けたいと言って、こおりに衣類を詰めて家出をしようとしました。するとたまりかねて来た母が、「途中でやめたらいかんよ!」とゆるしてくれたのです。1946年の6月、受洗しました。今振り返ると、もしあの時、母が「いいよ、いいよ」と簡単に洗礼を受けることを許可していたら、こんなに信仰生活は続かなかったと思います。その後、帰国した父も、私が教会の信者になったことを知って「お前は心配いらない」と、喜んでくれました。神様がちゃんと道備えをしてくださったのです。6月号の「るうてる」に載るのですね。受洗した月なのでうれしいです。
教会学校の先生を今も続けておられますが……
幼稚園の先生も長いのですが、教会学校の先生はもっと長いです。幼いうちに主と出会えたことが喜びでした。ですから今も、子どもたちに伝えたいという気持ちがあるのです。
愛唱讃美歌、聖句は何ですか?
教団讃美歌494番「わが行くみちいついかに」です。そして、やはり「神は愛です」(一ヨハ4:16)が一番好きです。
東洋と西洋の対話③
第3回 私達は御言葉を聞きます。(聖書朗読 福音 説教)
「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」
(エフェソの信徒への手紙 1章2節)
平岡(以下「平」):私達は御言葉を聞きます。聖書日課に従った聖書朗読と説教を通して。
Lathrop(以下「L」):キリスト教典礼の中心は私達が捧げる神への讃美や捧げものではなく、神から私達に与えられた驚くべき賜物にあります。日曜日、私達が礼拝に集まる時、そこに聖書が与えられ朗読されるのを聞きます。
平:説教者によって語られる御言葉は、「教会成長」という収穫をもたらすためではなく、信仰の成長をもたらす神の恵みを受け取るため私達に与えられた賜物です。
L:聖書は困窮している人々、罪や死、喪失に苦しむ人々の物語で溢れています。物語は全ての人々について語り、私達の場所もまた、その物語りの中にあります。
平:現実の中で自分自身の場所を見失い絶望する時でさえ、私たちは聖書の中に自分の居場所を持つのです。私達の叫びを聞き届ける神の恵みと平和に満ちた場所を。
L:聖書はまた、神の激しい熱情故の裁きと限りない憐れみについて語ります。御言葉が朗読される時、私達はこの神の御前に立ち神と顔と顔を合わせます。そして、その御言葉の中心には、福音書の朗読で語られ、説教者によって指し示されるイエス・キリスト―十字架につけられ甦られたお方がおられるのです。だから、まさにイエス・キリストは、聖書が語る神の約束の要約であると言えるでしょう。
平:イエス・キリストこそ、受肉した神の言葉です。
L:イエス・キリストは、全ての人に与えられた神の大いなる憐れみです。聖書が朗読され説教される時、イエス・キリストは私達の集まりの只中におられ私達にその両手の釘跡を示し、神の恵みと平和を告げ知らせます。(エフェソ1:2)そしてその時、私達はトマスと共にこう応えるのです。「私の主。私の神よ」
信仰の学び、養いを生涯続ける③
ルーテル学院大学・神学校名誉教授 徳善 義和
第3回 十戒の深まり
宗教改革の始めに民衆に「十戒」について説き始めたルターは、中世以来の伝統に従って、一つひとつの戒めを説きながら、それらの戒めに背いたことを人々に認識させようとしただけではありませんでした。もちろん、戒めに照らして自分の具体的な生活やそのあり様を顧みることは大切なことです。自分に甘くなるのではなく、厳しく自分の姿を問い直す姿勢は重要です。中世の教会がとかくそう教えるようになっていましたし、いつの時代、どんな人も自分に甘くなり、「自分は大丈夫。自分は別」と思い込んだり、「自分は十分」と自己満足に浸ってしまうことが多いからです。その点でルターは自分にも厳しく、人々にも厳しく問い掛けたのです。その問い掛けは一つひとつの戒めに即した、一つひとつの具体的な罪を問うことだけに止まりませんでした。
ルターはそうした一つひとつ具体的な罪を問うと共に、いろいろな罪の背後に根源的にあるものにも眼を向けました。それは『ローマ書講義』でも強調した、「自己愛」、「自己追求の思い」、自分の利益を追求して止まない、人間のありかたの根っこにある、罪の根源とも言うべきものでした。
十戒をこのように、一人ひとり、一つひとつの具体的な罪において考えるという側面と、およそ「人間というもの」の避けられない、どうしようもない「どす黒い」姿という側面との、両面からとらえて、一人ひとりの人に、神の前での自分の姿を考えさせたのです。
これだけなら、人間は自分に絶望するしかありません。しかしそこにルターは、この戒めを具体的にも、根源的にも、ご自身の愛において満たしてくださるキリストを示したのです。ここに「十戒」の成就がある、完成があると告げたのです。「十戒」から見えてくる逆の面です。キリストの姿は、神の愛に応える神への愛の極みであり、それゆえにここからさらに、人間のためにご自分のいのちまで投げ出して止まない、人間への愛の生き方でした。こうして「十戒」に照らしての人間の絶望は、キリストにおける救いへと導かれます。中世が十戒を教えて自己満足か、恐怖へと導くことしかできなかったのに、ルターは十戒を教えて、キリストへと導きました。更に、キリストを信じる者が新しくされて、神への愛と隣人への愛に生きるよう、新しい生き方をも示すのです。
神学生寮の思い出
北海道特別教区長 恵み野教会 藤井 邦昭
私が「ルター寮(神学生寮)」に入寮したのは、大学が三鷹に移転して間もない1970年4月、25才の時であった。隣の東京神学大学には、まだ70年安保闘争のバリケードが敷かれていたことを覚えている。それから、神学校卒業までの5年間を過ごした。この期間は、寮生すべてが神学生だった時代である。
寮は2階の階段で校舎とつながっており、通学時間は一分以内、お陰で朝寝坊の私は、その恩恵にいつも浴していた。学問としての神学は多くの優れた先生たちにより教室で多くの事を学んだが、しかし、私にとって「ルター寮」での生活と、そこで得た経験は、今の牧師生活の基礎であり、無くてはならないものとなっている。
なぜか私の部屋は喫茶店のように人が出入りし(いつでもコーヒーが飲めるようにしてあったので)集まれば雑談から神学談義までしばしば深夜まで、ある時には時間を忘れて夜を徹して語り合った。それは、将来牧師たるべき者の心構えを互いに培い、また揺らぎがちな召命の確認を行うために、欠かせない機会であったと思う。
またこの時期には、NRK(日本ルーテル教団)の神学生も沢山いて、その人々とも交わりをさせていただいた。私にとって神学生仲間との交わりは、不安になったり、空しさに襲われたり、くじけそうな時の慰めとなり、励ましとなり、力となった。敢えて言うなら、「牧師に必要なすべてのことは、教室と教会と、そしてルター寮で学んだ」のである。
牧師になって30年を過ぎたが、今でもその当時の寮生仲間たちと数々の苦楽を共にしたことを思い出し、心が熱くなるのである。
クリスチャンのライフカレンダー
~教会を離れた友へ~
あなたは、ある人の言葉につまづき他の教会へ転会して行きました。心が痛みます。その傷は教会を変われば癒されますか? 心の中では、許しているのではありませんか?
教会生活は、礼拝を中心として主の賜物を受け、世に遣わされて行くキリスト者の共同体と言われていますね。そして、相互の交わりが密になればなるほど、人としてのシミもしわも見えてしまいます。「それでもクリスチャン?」と考えてしまいます。信徒にはいろいろの賜物があります。病床にいる方の賜物も、元気一杯の方の賜物も同じく大切です。そして、誰かが痛めば皆が痛む。誰かが喜べば皆が喜ぶ。一人が奉仕をすれば皆が手伝う。
悩んだ末かもしれませんが、相手のためにも自分のためにも、人を裁いてしまわないほうが良いですね。教会は、神さま中心の交わりですから、導きを祈りましょう。
心を新たにし、何が神さまの御心であるかを聴いてみませんか? 主の聖霊を信じて。
■募金活動にご協力下さい■
従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。
募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)教会事務局(03-3260-8631)
パレスチナ平和交流のお知らせ
募集要項
目的:ベツレヘム・クリスマス・ルーテル教会との平和交流プログラム
日程:2007年11月12日(月)~22日(木)
人数:10名程度
費用:30万円(予定)
締切:2007年9月2日
*情勢を見て十分検討し、危険が予想されれば、申込み受付後しかるべき時期に中止となることもあります。
問合せ・申込先
教会事務局宣教室
FAX 03-3260-1948
e-mail mission04@jelc.or.jp
備考:日本文化を紹介する企画にて特技を提供してくださる方歓迎いたします。
東京池袋教会宣教100年祭
4月15日午後「東京池袋教会 宣教100年祭」が開催されました。SLEY(フィンランド・ルーテル福音協会)会長であるニッカリコスキ牧師夫妻を始め、200人余の参列者をお迎えし、感謝と喜びをもって祝うことができました。
東京池袋教会の宣教の歴史は1907年に、フィンランドの宣教師(ウーシタロ婦人宣教師とコスケンニエミ牧師夫妻)によって千駄ヶ谷に始まりました。まもなく巣鴨に移り、1931年になり池袋の地に足場を固め、現在に至っています。首都圏では、一番古い歴史を持っています。
宣教100年を迎えるために、いくつかの準備を進めて来ました。『宣教100年から 新しき宣教へ』と題した記念誌は、編纂委員会によって17年間をかけ作成されました。道行く人々のために、教会の歴史を説明する「記念プレート」と、特に夜間に遠方からも教会の存在が分かるように、看板と照明を設置しました。
100年の歩みへの感謝と共に、新しい宣教100年に向かうための良き備えができたことは感謝すべきことでした。
NCC教育部設立100周年記念礼拝
日本日曜学校協会を前身とするNCC教育部は、今年、設立100周年を迎え、様々な記念事業が計画されています。記念事業の一環として5月11日、AVACOチャペルにて記念礼拝とシンポジウムが開催され、116名が出席しました。
記念礼拝の冒頭では、教育部総主事の大嶋果織氏よりその歩みが報告されました。説教は吉高叶牧師(日本バプテスト連盟牧師)が「和解の網を打とう」と題してメッセージを語られました。
礼拝後のシンポジウムでは江藤直純牧師が、信徒教育に関するルーテル教会の取り組みについて語られました。
人間成長とカウンセリング研究所 創立25周年記念式典
4月28日ルーテル学院大学にて創立25周年記念式典が開催され、会員、関係者、ルーテル教会関係者、教職員等、223名が出席しました。
式典では渡辺和子シスターによる記念講演「日々の生活でもう一歩踏み出すために」や、ケネス・J・デール先生のピアノ独奏というサプライズもありました。
ルーテルこどもキャンプ
第9回ルーテルこどもキャンプは、8月7日~9日にかけて、ルーテル学院大学にて開催されます。すでに各教会へはご案内が届いていると思います。
詳しくはそちらをご覧ください。また、ウェブサイトでもご案内しています。
また、実行委員会ではスタッフを募集しています。ご応募ください。
お問い合わせは、佐藤(千葉教会)まで。
ルーテル世界連盟(LWF)設立60周年記念会 スウェーデン・ルンド
ルーテル世界連盟(LWF)の理事会そして設立60周年記念会がLWF設立の地であるスウェーデンのルンドで行われました。
日本福音ルーテル教会からは山之内正俊総会議長、浅野直樹牧師(通訳)、関野和寛牧師、竹森洋子姉、日本ルーテル教団から高野公雄総会議長が出席しました。ルーテル世界連盟はスイスのジュネーブに本部を持ち、78カ国、140教会から組織されており、総会員数は6670万人に及んでいます。年に一度の理事会では世界の貧困・災害・医療・教育問題、エキュメニカル活動、そして世界のルーテル教会の宣教など多岐にわたっての議論を行います。今年のテーマは結婚と家族そして性の問題についてでした。教会内における同性愛者たちの問題や、教会内において女性の権利について議論が交わされました。
また今回行われたLWF設立60周年記念会ではこれまでのルーテル世界連盟の歴史の振り返りと次世代の宣教と活動のビジョンを共有することができ、500人の参加者と礼拝を共にしました。LWFで味わえる一番の恵みは世界のルーテル教会の礼拝や伝道方法などを共有し、その中でひとりのキリストを信じることができることです。
2010年には「わたしたちに日毎の糧を与えたまえ」をテーマにドイツのシュツットガルトで総会がもたれます。
るうてるTOPICS 4月~5月
4月11~18日 ニッカリコスキSLEY会長来日
フィンランド・ルーテル福音協会会長であるニッカリコスキ牧師ご夫妻は、東京池袋教会宣教100年祭への招待に応じ、来日した。来日にあわせて、日本福音ルーテル教会執行部との懇談と会食のときも用意され、さらなる協力関係の構築を確認した。
4月16~17日 PM21リーダー会議
4月24日 神学生寮設置のためのチャリティーコンサート
ルーテル市ヶ谷センターを会場に、オルガニストの湯口依子氏をお招きしての「チャリティーコンサート」が開催された。
会場は満席で、補助席を必要とする大盛況で、約230名の出席であった。コンサートのチケットの売上げも300枚を超え、無事終えることが出来た。
5月3~5日 第13回全国伝道セミナー(1面記事参照)
5月11~20日 シーグフリード・テッパー チャリティコンサート
5月11日から全国9ヶ所で日本福音ルーテル教会世界宣教委員会・日本福音ルーテル社団主催、テッパー氏によるピアノコンサートが開催された。
JELCの連帯献金をはじめ、海外の子どもたちの支援のために捧げられる予定。
5月14~15日 牧師補研修
ルーテル市ヶ谷センターにて、牧師補研修が行われた。主題を「日本福音ルーテル教会の教職、その責任と働き」とし、関野和寛、西川晶子、花城裕一朗各牧師補による自己研修課題の最終報告と最終評価を発表した。
LWFメコンミッション会議
5月14日、15日にカンボジアの首都プノンペンでメコンミッション会議が開かれた。この会議はLWFが主催である。
この地域での宣教を目指すアジアのルーテル教会と、ヨーロッパとアメリカの教会及び宣教会が協力しあって、メコン川流域諸国に福音を伝えるための総合プランを計画することが主旨である。
JELAとわかちあいプロジェクトが共同で計画中であるカンボジアの小学校建設支援に協力する計画を進めている。また、JELCからボランティアを派遣することも計画中である。
5月21~22日 宣教会議
「教区の伝道部長のミッションを明確化する」をテーマに5月21~22日にルーテル市ヶ谷センターにて行われた。
詳しくは「るうてる」7月号にて、掲載予定。
公告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇七年六月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 山之内 正俊
信徒利害関係人 各位
大垣教会
礼拝堂及び集会室新築に係る教会債募集の件
目的
本誌五月十五日号に公告済みの右新築工事に係る工事資金の一部に充てる目的
募集時期
二〇〇七年着工時
募集金額 八百万円
返済期間
二〇〇八年より五年間
支払利息 年利率一%
以 上
住所変更
■古財克成
〒187-0022
東京都小平市上水本町2-9-15
■田中良浩
〒156-0043
東京都世田谷区松原1-35-21-103
■釧路教会
FAX番号廃止
FAXの連絡が必要な場合は帯広教会にお願いします。
0155・25・3664(帯広教会)
■三原教会
FAX番号
0848・29・6002
手帳変更
■渡辺進(ブラジル)
FAX番号
011・5571・6014