1. HOME
  2. ブログ
  3. るうてる福音版2010年1月号

刊行物

BLOG

るうてる福音版2010年1月号

機関紙PDF

春、ただいま準備中!

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ/花を咲かせ/大いに喜んで、声を上げよ。/砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。/人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』イザヤ書35章1~2節

俳句の季語に、「日脚伸ぶ」という言葉があります。冬至を過ぎた頃から少しずつ日が長くなる、それをふと実感できる頃のことを、このように呼ぶのだそうです。
雪の多い北国に住み始めてから、この冬から春にかけての「日脚」の伸びを、本州に住んでいた頃と比べて、より深く感じられるようになりました。
たとえば、元旦の空の明るい日差し。本州に住んでいた幼いころから、元旦の空の色はなんだかいつもと違っているように感じていました。年が改まって、気持ちも新しくなったせいかな、とも思っていましたが、やはりそれだけではなく、明らかに冬至の頃と比べて光の量そのものが変わっているのだということが、北国にいると実感としてわかります。
たとえば、雪かき。雪が積もった早朝、玄関の前の雪を大きなスコップでかいて道を作ります。どんなにスコップで地面をがりがり削ったとしても、日が短い時期はどうしても道の表面に白い氷の層が残ります(これがまた、滑って危ないのです)。けれども、2月を過ぎたあたりから次第に、その残った氷もすぐに溶けてしまうようになり、ついには雪かきをしてもその氷の層は残らなくなる。長くなってきた太陽の光が大地に蓄えられて、日ごとに路温が高まっていくからでしょう。
雪はうず高く積もっているし、気温だってまだまだ氷点下です。肌を刺すような風の厳しさも、変わらないように思えます。しかし私たちが気付かないところで、私たちをとりまく天地は、春に向かって確かに歩みを始めている。終わりが見えないように思える厳しい寒さの中で、それでも見えない地面の下では、春の準備が確かに進められている。寒さが最も厳しいとされる大寒の頃、それでも日ごとに伸びる日脚に「そうか、今は春の準備中か。だったらもう少しだけ、がんばってみてもいいかな」と慰められ、励まされます。
いのちの冬だと思えるような、厳しい現実に置かれるときがあります。すべてが雪に閉ざされてしまったように思えて、出口が見えなくなってしまうときがあります。それでも私たちを支える大地に、確かに春はすでに来ている。私たちがあずかり知らないところで、ひっそり、けれども確実に、春の歩みは進められている。ほら、あなたが気付かないうちに、あなたの足元で、いのちの春はもうすでに、準備を始めてくれていますよ。
Aki

イエスの生涯

【その7】嵐を静めるイエス

マタイによる福音書 14章22~33節
【祈りの言葉】
主イエスよ
この世の嵐に翻弄される時、
あなたの偉大な力とみ言葉によって
私たちの心を静め、
信仰へと導いてください。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生
ナマステ、サンチャイチャ

(日本の医療についてのお話の続きです)
Q. 日本の制度は整っていると思っていましたが?
日本の医学は医療の分野では、まだまだです。それは国民一人ひとりが声をあげていないからです。どういう医者を作ってほしいかというニーズを政府に伝え、動かしていないからです。
今の制度は、少し語弊があるかも知れませんが、医者のための制度みたいなものなのです。国民のための制度になっていないのです。
よく講演会でも話すのですが、一人ひとりがどういう医療制度を作って欲しいか、どんな医者を自分達の身の周りに欲しいか、どういう生き方、死に方をしたいか……ということをちゃんと意思表示していかないとシステムは変わっていきません。
Q. それは、日本の国民性みたいなものもあるのでしょうか。
国民性だと思います。極端な言い方をしますと、今の日本の医療制度を変えていくには、大学の医局制を変えなければいけないと思います。
日本は1講座1教授制というドイツの制度を採っていますので、臨床と研究と教育の3つを教授は期待されています。しかし一人3役は到底出来ません。ですからアメリカでは、臨床教授、研究教授、教育教授と分けて入れています。教育教授は医学知識をいかにわかりやすく医学生に教えるかってことを一生懸命します。研究に勤しんでいる教授、臨床において腕のいい教授がいます。そのように、いわゆる適材適所なのです。日本では研究で評価されないと教授になれないのです。臨床で優れていても、どんなに学生に評判が良くても、教授になれない人もいるわけです。そうなると教授制(選?)にも問題があることが分かってきます。「もっと根本的に変えていかないと」となると、医学部の入試制度から変えていかないといけないわけです。
日本の場合は大学に入るのにセンター試験の結果が評価されたりしますが、アメリカではそういうことはしません。「この人を医者にしたい!」という人を大学に入れていきます。それは中学高校から町の人たちが見ていて、この人をなんとか自分達の医者にしよう! というときにバックアップしていくのです。
そういうところから変えていかないといけないのです。そうすると社会そのものを変えていかないと、なかなか医学の教育1つ取っても良くならないわけです。
Q. ネパールの話に戻りますが、全てが開発途上かもしれませんが、薬などはどうなっていますか?
8割はインド製、残りはネパール製です。ただ、薬は作っているのですが、発注しても遅い場合は届くまでに3ヶ月以上かかります。
それは、まず輸送の問題。道路がないので、途中からロバの背中に乗せて運んだりしています。それから問屋の問題。在庫管理ができていないので、いつも商品があるとは限らず、それを探したり、製薬会社に行ったりインドへ行って買ったりして用意しなければならないのです。
薬があっても「使える」には繋がらないのです。
(つづく)

毎日あくしゅ

子どもたちは新しい年を迎えてそれぞれの家庭でお正月を過ごし、いよいよ3学期が始まります。暖冬と言われてはいても、やはり寒い時期です。朝、子どもなりに”寒い”とか”冷たい”という理由で、目が覚めてもなかなか温かいお布団から抜け出せないで、ぐずぐずしがちです。それでも、いざ起き出して朝食をすませると、「幼稚園に行こう」と気持ちを切り替え、身支度を始めます。
玄関を出ると、もう「今日は何をして遊ぼうかなぁ?」と遊ぶことを考えます。いざ幼稚園に着くと足どりも軽やかに保育室へと駆け込んで来ます。
寒い時期の子どもたちの遊びは、サッカーやドッジボールや縄跳びなどがさかんです。毎年1月の下旬に「縄跳び大会」をしていますが、ある年の大会までの日々は、保育者や数名の保護者をはじめ、納品に来た保育業者の方までが子どもたちと一緒になって二重跳びに挑戦する光景がありました。
子どもたちは大いに刺激を受け、競争心をあらわにする姿が見られ活気にあふれていました。その成果でしょうか、「縄跳び大会」当日はレベルの高い結果となりました。年長組女児が「縄跳び大会」をするようになって以来の驚異の2300回を超える回数を30分間跳び続け、大記録を達成することにつながったのです。縄跳びにはあまり積極的ではなかった子どもたちもいたのですが「縄とび大会」が終わってから跳べるようになったり、後ろ跳びや二重跳び・X跳び・走り跳び・ケンケン跳びなどにも挑戦する姿が見られ、縄跳びは続いていきました。
子どもたちが見せる意欲や競争心を目の当たりにして、一人ひとりが秘めている力を再確認することができました。繰り返し取り組むことで、ますます力を蓄え、持てる力を発揮することになるような機会を日々の保育のなかで大切にしていきたいと思います。(園長)

関連記事