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るうてる《福音版》2008年11月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  心からの良い音

わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく/神への賛美はいかに美しく快いことか。
詩編 147編1節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

私は月に一度、体を整えてもらう先生の所へ通っています。その先生は音楽にも造詣が深く、いつも室内にはクラッシック音楽が流れています。あるとき「慌ただしいだけの毎日を繰り返すのではなく、これからはゆっくりと音楽を聴く時間を持ちたいと思っています」とお話したところ、「オーディオはあるの?」と先生。それに対して、「いいえ、これから揃えていこうかと……」とこちらが言い終わらない内に、「じゃあ、私のスピーカーを持っていきなさい。今は、使っていないから」と先生。それから話はどんどんと進んでいき、結局、イギリスの有名なメーカーのスピーカーをお借りすることとなりました。
間もなくして木製のずっしりと重量のあるスピーカー2台が、先生のご自宅の本格的なオーディオルームから我が家の単純な居間へと引っ越してきました。
そしたら、今度はオーディオに詳しい近所のG君がこれを聞きつけて、「それはとても良いスピーカーだから、使わないと勿体無いよ」。そして、「僕が前に使っていたアンプとCDプレーヤーだけど」と言って夫々をスピーカーに繋ぎはじめ……ついにスピーカーから音楽が!! 最初に聴いたのは、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。流れ出てくる音の、特に高音部は、まるで天空を垂直に突き刺すかのように美しく伝わってくるのが、私なりにも分かりました。良い音をちょっと理解できた、そんな気持ちでした。
そして、次の日。私が外出先から帰って来て、まず居間に入ったときのことです。何か空気の感じが、空気の色が違うのです。居間全体がいつもより澄んで明るく見えるのです。それを隣の台所に居た母に言うと、「昼間、居間で音楽を聴いていた」とのこと。そして、後日そのことを先生にお伝えすると、「そうです。良い音は空気の波長を変えて、空気を清らかにします」と一言。
毎日の生活は、忙しさに追われ慌しく過ぎていく繰り返しです。その為に私たち自身の気持ちにも余裕がなくなってしまい、それが顕著に言葉や行動に表れてしまうことは多くの人が経験しています。そのとき空気に伝わっているのは、緊迫感や不安感。そして、その波長は相手の気持ちをも乱していってしまうのです。そのことは、我が家の猫でも体験済みです。かつて電話口で深刻な話をしていた時、傍らにいた飼い猫がふだん出したことのない怯えた声で鳴き始めまとわりついてきたのです。会話の内容と言うより、いつもと違う低くテンポの遅い私の声から不安定な波長を感じ取ったのだと思います。
私たちに必要なこと……それは、相手をやさしく包み込んであげる波長をいつも発信していくことです。そのために、み言葉と賛美によって心を整えておくことが大切です。決してやさしいことではありません。でも、神様が指揮者になってくださいます。そして、それに合わせて皆で心から良い音をとき放したら、一瞬にしてこの地球は美しく澄んだ世界になるにちがいありません。        JUN

十字架の道行き

【第八留】イエス、エルサレムの婦人らを慰める  ルカによる福音書 23章 28節

【祈りの言葉】
イエスよ、あなたは「私のために泣かないで、ただ可哀想なあなたがたと子供たちのために泣きなさい」と言われます。苦しみがあまりにも重く、身も心も、その激しさのために耐え得ない時にこそ、あなたがそばにいてください。

毎日あくしゅ

「負けて勝つ」

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは、幼い時から母に、「負けるが勝ち」という諺を聞かされて育ちました。
彼女が運動会とか、学校の成績などで誰かに負けた時、彼女を慰める時に使われた言葉ではなく、むしろ、腹を立てたり、口惜しがって、相手に仕返しをしようとする彼女に対して、それを思いとどまらせるために言われたそうです。「ここは我慢して相手に勝ちを譲りなさい。それがのちのち、良い結果になることもあるのだから」。
このことは彼女の母親の長い人生経験に裏付けされたものだっただけにこの短い諺を、説得力のあるものにしていました。
「でも、負けるには勇気が要ることがあります。それは自分との闘いであり、負ける時点では、本当に勝ちに転ずるかどうかがわからないだけに、信仰も要るのです」と言われます。彼女は18歳で洗礼を受け、キリストを知るようになって、キリストの中に、人の目には惨めな敗北としか映らなかったイエスの十字架上の死を通して、復活の栄光、勝利に輝いた人の姿を見ることができたのでした。
そして更に、「日本語でいう『出来る人』と、『出来た人』とでは、たった一字の違いですが、内容はかなり異なります。いつもいつも勝っていて負けを知らない人を、私たちは『出来る人』だと評価します。それに対して私たちが、『あの人は出来た人だ』と言う時、それは、人間的に円熟した人、包容力のある人、負けることの大切さを知り、時に応じて、進んで相手に勝ちを譲ることのできる人をいう」と言われます。

今,キレる子どもが社会問題として大きく取り上げられています。自分の思い通りにならないがゆえにでしょうか。「負ける」ことの中に、心が豊かに大きくなる優しさの芽が潜んでいることを知って欲しいものです。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第8回 江戸時代の教育 その2

今回は「寺子屋」を取り上げ、江戸時代の教育事情を考えることにしよう。

徳川の幕藩体制が確立されると、幕府のお触れは、御家流で書かれた文書で全国各地に下知される。さらに国内経済の飛躍的な発展は、御家流の届書、願書の文書による契約が基本となり、田畑の貸借、売買、金銭の賃借も文書(証文)なしには済まなくなる。
となると当然、読み・書き・算用の技能がなければ、商売だけでなく、生活が成り立たない世の中となり、そのような時代変化により寺子屋は全国に急増する。天保年間の総村数は6万3千余といわれ、寺子屋が1村に1つ存在したとしても、かなりの数があったと推測される。
寺子屋の教師は、当初は僧侶だったが、江戸時代になると医師、浪人、村の素封家などが自宅を開放し、読み・書き・算用を教えて、そのような時代の要請に応えた。
しかし寺子屋は、現代の進学塾のような一斉指導ではなく、入塾を希望する筆子(生徒)の実力を師匠が観察して、適当な手本を与える個別指導によって進められた。筆子が増えるにつれ、自学自習や早い者勝ちの競争も取り入れ、筆子の切磋琢磨を推奨したが、基本的には、書くことに重点のおかれた個別指導であった。
驚かされるのは御家流の手本を教本に定めて、全国共通のカリキュラムで指導された点である。第1課|人名の読み書き(名頭)、第2課|近郷近在の地名(村名、郡名)、第3課|日本国内の名称(国尽し)、ここまでが初級。中級としては、「年間行事」「借用証文」「御関処手形」「東海道往来」などなど。上級になるにつれ、身近な規則をまとめた「五人組条目」、商売の心得である「商売往来」、証文類の記入要領をまとめた「諸証文手形鏡」などが手本として使用された。
1年に1冊の進度で、6年間の履修期間に、師匠からの手ほどきを受けた。「商売往来」には、商売関係の用語が網羅され、算用帳の記入方法に始まり、貨幣、度量衡、問屋制度、用途別の商品名、薬種などが詳しく書き出されていた。これらを書写しながら商売に携わる者の技能と心得を学んだ。商売往来の巻末には「全く以って、贋の薬種を用いず、かけいれ之なきよう、正直第一なり」と結んでいる。信用第一を心掛け、商人道徳として正直を教えた個所は、欲に目がくらみ、偽装商品を横流しする昨今の悪徳商人たちに読ませたい一節である。

江戸時代の識字能力の高さは統計がないので、正確な比較はできないが、塾生の筆跡を見る限り、今の大学生より数段優れている。「礼儀なき子どもは、読み書きを学ぶ資格なし」とした寺子屋の役割を再評価すると同時に、現代の学校における日本語教育の欠陥を明らかにすべきだろう。

次回は、にほんご・国語の問題を取り上げてみることにする。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

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