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機関紙るうてる

るうてる2019年3月号

説教「オンリーワン」

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「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」
                 (マタイによる福音書20・1~16より)

 ある日、マザー・テレサのところに小さな女の子がやって来て、「これをね、マザーのかわいそうな子どもたちにあげてちょうだい」と握りしめていた片手を差し出して、そおっと開きました。そこには、角砂糖一粒が乗っています。この子にとっては宝物以上に大事なお砂糖でした。それを、自分よりもっと貧しい子どもたちに分けてあげたいという、その心にマザー・テレサは感動したのでした。
 このことを通して、シスター菊池多嘉子さんは、「自分の口には、もう入らないかもしれない貴重なお砂糖だからこそ、独り占めにするのではなく、もっと貧しい子どもたちに分けてあげたいと思ったのです。でも、『これさえあれば』という極限状態にあって、それを隣人と分かち合えるのは、神様への信頼と愛のなせるわざではないでしょうか」と言われます。(心のともしび・2004年4月「明日のことを思い煩うな」より)

 さて、ぶどう園の労働者のたとえとして有名な聖書の冒頭は、「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」で始まります。朝早く雇われた労働者の1日の労働賃金が1デナリオンという取り決めが成立しています。これは当時の1日の報酬としては普通の金額でしたので、労働者は納得したことでしょう。それから遅れること3時間、朝9時に雇われた人も同じ思いであったでしょう。
 しかし、仕事を終え、1時間しか働かなかった人々が同じ1デナリオンの賃金を手にしたときから変化が生じてきます。そして、1時間働いた者も、3時間の者も、6時間、9時間、12時間の者も、まったく同じ1デナリオンだったのでした。ただ、ぶどう園の主人は、自分から一方的に約束を不履行にしたのではありません。みなそれぞれに、1デナリオンと約束し、それを履行したに過ぎません。
 そこで、夕方5時に雇われた人について考えてみましょう。あと1時間でその日の労働が終わり、夕闇迫る時間を迎えようとした時です。まだどこにも行かないでいる人々がいました。彼らは「誰も雇ってくれないのです」と答えたので、主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言ったのでした。彼らの夕方5時に雇われるまでの11時間という長い時間は、彼らには絶望と不安でしかなかったかもしれません。それが夕方5時に雇われた人々です。
 この5時に雇われた人々の姿は、他人事ではなく、私たちも何時そのような立場に置かれるか分かりません。そして、いつか自分たちもそうであったことを忘れてしまっていないでしょうか。今、私たちがこのぶどう園の主人の報酬計算が不合理だと感じるとき、私たちはすでに、朝早く雇われた者の側に立っていると言えるでしょう。朝早く雇われた人々には、その1日の保証と安心が伴っていました。6時間を働いた人、3時間の人々もそれぞれに労働時間外の不安と苦悩を背負っていました。しかし、ぶどう園の主人は労働時間に加えて、その背負っている苦悩や絶望という悲しみの時をも計算しているのです。
 ぶどう園の主人は、この不安と絶望の11時間をも見てくださいます。そして、私たち一人ひとりの持つ苦しみや悲しみをも計算に入れて1デナリオンという豊かな恵みを与えてくださっているのです。
 先ほどの幼い少女が、一粒の角砂糖を、「マザーのかわいそうな子どもたちに上げてちょうだい」と差し出す姿には、一番遅く雇われた者の苦しみや悲しみを共にしている姿があります。
 SMAPによって大ヒットした「世界に一つだけの花」(詞曲・槇原敬之)は、「そうさ 僕らも、世界に一つだけの花、……NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と歌います。神さまは、5時に雇われた人々の11時間という絶望と悲しみの時をも、「オンリーワン」として受け入れ、救いの御手を差し伸べてくださるのです。感謝をもって日々過ごしてまいりましょう。日本福音ルーテル蒲田教会 牧師 渡邉純幸

コラム「直線通り」久保彩菜

⑫「かかわらなければ」(「胸の泉に」塔和子)

 教師を目指し免許取得に向けて励んでいた学生の頃、その思いとは裏腹に「現場に出ることが怖い」と感じていました。それはわたしが多くの教師から影響を受け、変えられ、生かされたからでした。わたしが影響を受けたように、子どもたちの人生を変えてしまうかもしれない。「聖書科の教師になりたい」と思ってしまったこと自体に畏れのような気持ちを抱いていました。
しかし現場で子どもたちと出会い、かかわらなければ気付くことができなかった様々な思いを知ることができました。愛しさや寂しさ、甘い思いや悲しみ。そして、かかわったがゆえに起こる幸や不幸を積み重ね、繰り返すことで磨かれ、思いを削り、思いをふくらませ、生をつづってきたのです。
あぁ、「あなた」に出会えて本当に良かった。かかわらなければ、何億の人がいようとも路傍の人。すべてはあなたと出会い、かかわることからはじまりました。思えばあの喜びの日も、笑いあったあの日も、涙したあの日も、すべての瞬間に主が共にいてくださいました。あなたの人生にほんの少しの時間、かかわれて本当に良かった。
そんな思いを交わし合う、別れの3月。お別れは寂しいけれど、ずっとずっとあなたのために祈っているよ。喜びがあればまた教えてね。そして挫けたとしてもわたしはあなたの味方だから、いつかまたこの学校に帰っておいで。あなたの帰ってくる場所は、いつもここにあります。
(塔和子「胸の泉に」より引用)

地域イベント「いくいくみしる」と復活教会

 名古屋市に江戸時代からの歴史を残す「文化のみち」で、探検、体験、発見!と銘打ち、地域にある仕事やお店などを開放して行われる街のイベント「いくいくみしる」が3月23日(土)と24日(日)に開催されます。復活教会(名古屋市東区徳川町2303)は、地域に対する関わりのひとつとして今回もこのイベントに参加します。
 「うたうた♪みしる」としてイースターのお話しと賛美歌を歌う機会を、そして「つくってみしる」としてイースターエッグを作る体験が提供されます。礼拝も公開し参加を歓迎するとのこと。教会と街が一緒になり人と人、人と文化が出会う場が豊かに用いられるよう願っています。(広報室)

議長室から 総会議長 大柴譲治

レント断想~ブルックナーとマーラー

 「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」(ルカ18・13)
 「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」。 これはマーラーの弟子であった指揮者ブルーノ・ワルターの言葉で、アントン・ブルックナー〔1824~1896〕とグスタフ・マーラー〔1860~1911〕という対照的な作風を持った二人の偉大なオーストリア人作曲家の特質をよく言い表した言葉です。
 二人は師弟関係でした。ブルックナーは幼い頃からの敬虔なカトリック信徒で、教会のオルガン奏者。作品はミサ曲などのほかに9曲の交響曲があり、いずれもオルガン的な響きを持ち重厚で規模壮大。それは彼自身の信仰をよく表していてその音楽には揺れがありません。それに対してマーラーはユダヤ教からカトリックに改宗した作曲家で、生前は優れた指揮者としてヨーロッパ中に名をなした人物。歌曲や9曲の交響曲、そして「大地の歌」など、その音楽は華麗なオーケストレーションと、美しい天上の響きがあるかと思うと次の瞬間には苦悩に充ちた不協和音があるというようにダイナミックな揺れ動きでよく知られています。
 先の「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」というワルターの言葉は、二人の音楽に対する深い共感に充ちた言葉ですが、言い得て妙であると思います。マーラーは作曲家としては不遇な生涯を送りましたが、「やがて必ず私の時代が来る」という預言的な言葉を残しています。
 北陸の古都・金沢で過ごした学生時代、数こそ多くありませんでしたが私の周囲はブルックナー派とマーラー派とに二分されていました。圧倒的な神存在の栄光を顕現して動じることのないブルックナーの壮大な音楽と、信仰と疑いの間をダイナミックに揺れ動くアンビバレントな人間の現実に立ちつつ最後まで永遠なるものを希求し続けたマーラーの音楽。 私はなぜか後者に強く魅かれます。苦しみや悲しみという嵐の中で水に浮かんだ木の葉のように揺れ動く小さな人間存在。神殿から遠く離れた所に立ち、ただうつむいて、心痛む胸を打つ以外にはできない自分がいます。「キリエ、エレイソン」。これしか言葉になりません。
 時はレント(四旬節)。典礼色は悔い改めを表す紫。主の十字架への歩みを想う40日間を共に過ごしたいのです。

キリストの心を生きる教会 日本福音ルーテル教会 社会委員会

②道徳の教科化 社会委員 高田敏尚
 道徳の教科化が始まりました。これまでは「特別の教科」として「各教科」のあとに「道徳」とぽつりと置かれていたものが、新しい学習指導要領では「各教科、道徳科」と教科として位置づけられています。教科となると2つこれまでとは違う扱いになります。教科書を使うことと、先生が評価をすることです。
 今のところ評価は4とか5の数値ではなく記述なのですが。小学校では2018年度から、中学校でも2019年度から道徳科が始まります。
 各教科書会社の6年生の教科書には「6千人の命のビザ」の杉原千畝かマザー・テレサのどちらかが、青の洞門や和歌山沖で難破したエルトゥールル号も定番です。どれもいい話なのですが、はたして国が教えることなのでしょうか。
  この教科の目標である「善悪の判断」や「誠実」、「国や郷土を愛する態度」が先生によって評価されるのです。模範的な答えを出すことによって個性が失われないでしょうか。全体のことを重んじて個人を軽視する風潮に拍車がかからないでしょうか。私たちは、ただ神と向かい合って自分の良心を問い直す、そんな個人を理想としているのですが。
 高校でも、これまでの『現代社会』がなくなり『公共』という教科が登場します。「公共的な空間に生きる」人間としての資質や能力を身につけるのですが、ただでさえ同調圧力が強い日本で、世間や学校、家庭というしがらみから自由に生きられるでしょうか。お手本を国に教えてほしくはありません。
 しっかりした個人こそがこれからの社会では求められています。こんな教育の現場の変化にも、みなさんに注目しておいていただきたいと思います。
*社会委員会委員によるコ ラムを6回掲載します。

『自分を愛するように~教会におけるハラスメントを防止するために~』をご活用ください

 第28期常議員会では全国総会での要望を受けて、ハラスメント防止に取り組むことを基本方針として議長が提案し、これを承認しました。
 常議員会のたびに、すでに2回の学びを行い、6月には与語淑子先生(フェニミストカウンセリング東京)からハラスメントの定義について、また11月には日本聖公会の矢萩新一司祭(総幹事)から日本聖公会での事例と取り組みを聞きしました。いずれも送付済みの常議員会議事録に資料と共に報告がされています。
 日本聖公会からは、その取り組みの中で発行された『自分を愛するように』という書物が紹介されました。役員会、そして教会全体で学ぶのにとても有益だという声が多く、各教会への配布を求められましたので、このたび日本聖公会のお許しを得て印刷し、送付いたします。是非、教会でご活用ください。
 日本福音ルーテル教会では、2月の常議員会でバプテスト連盟の取り組みを吉高叫牧師(常務理事)から伺い、その後ハラスメント防止規定、また相談窓口の設置等を検討していくことになります。それまでは、現行の通り教区長を中心とした教区常議員会が窓口となることを確認しています。
 信徒、牧師、牧師家族はもちろん、誰もが安心して教会生活を送れるように、いつも自他を尊重する関わりや言葉かけをすることができるように学びを深めていきたと思います。

2019米国ワークキャンプ参加者募集

2019年7月24日(水)~8月6日(火)14日間
◆内容:イリノイ州で一週間のワークキャンプ(家 屋修繕、聖書の学び 等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加し、近隣の州でホーム ステイもします。
◆参加費用:20万円
 ※お友達を誘って参加いただいた方には、それぞれの参加費から5千円割り引き ます!
◆問合わせ・申込用紙請求先:
  150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-20-26
日本福音ルーテル社団(JELA)アメリカ・ワークキャンプ係
電話:03-3447-1521 FAX:03-3447-1523 E-mail:jela@jela.or.jp
◆申込締切:2019年4月末日
 ※募集要項の詳細は、ホームページ(www.jela.or.jp)でもご覧に なれます。
  http://jelanews.blogspot.com/2019/01/2019.html
  皆さまの参加をお待ちしています。

プロジェクト3・11活動報告

プロジェクト3・11企画委員 小泉 嗣
 東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の発生から8年が経とうとしています。
 東教区プロジェクト3・11の立ち上げから5年目を迎えようとしています。「最低でも5年間は継続しよう」という祈りをもってはじめられて5年が経過します。
 この5年間でプロジェクト3・11として成されたプログラムは決して多くはありません。しかし、様々な場で祈り、被災地を支援している方々が集まって委員会が結成され、東教区を越えてJELCを越えて、被災地を支援している教会や個人の祈りが集まって続けられたプロジェクトです。
 「3・11」を憶えつづける、その痛みや悲しみに直接寄り添うことはできなくとも、想いを馳せ、心を寄せる。そのような方々の祈りと心に支えられた活動でした。この5年間に集められた祈りと心は決して小さくはありません。
 しかしながら、この5年間で震災によって生じた痛みや苦しみが無くなったかと言えば、決してそうではありません。むしろ隠されているような気にさせられる今日であるように思います。今なお、痛みや苦しみを負う方々は多く、新たな不安や痛み、苦しみもまた、日々生まれているのです。
 プロジェクト3・11の企画委員会は、この5年間の活動を「この委員会の働きを通して、一人では連なることができなかった多くの人々が、被災地やそこに生きる人々、そこから出て生きる人々につながったのではないか」と総括しました。そして「たとえ更に活動の幅が小さくなったとしても、委員やプロジェクト3・11につらなる人々が被災地やそこに生きる人々とのかかわりを持ち続ける限り、この活動を続けてきたい、続けていくことが可能ではないか」という結論に至りました。
 先述の通り、活動の規模は縮小しますが、東教区を活動の拠点とし、できる限り現地に足を運び、それぞれの思いを受け止め、そしてその思いを伝えていきたいとの思いを強めています。
 今年も3月11日が巡ってきます。

改訂礼拝式文が発行 されました

2016年総会においてテキストが、そして2018年総会において典礼音楽が承認され、これまでの礼拝式文に加えて、各教会の主日礼拝などで使用できる改訂礼拝式文が発行されました。2月には各教会へ配布しました。ぜひ、新たな選択肢として提供された式文を使用してみていただきたいと思います。
 今後、必要な修正を加え、主日礼拝以外の諸式の式文と合わせ、2026年には現行の最新の式文集である「青式文」(1996年)以来の新たな式文として出版の運びとなります。折しも、日本聖書協会共同訳『聖書』の出版と重なりました。新たな翻訳の聖書からも刺激を受けて、礼拝のために吟味されることを期待しています。
 日本聖書協会共同訳『聖書』は朗読されるみ言葉ということにも一層の配慮がなされたものです。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」(ローマ10・17)とのパウロの言葉にもあるように、文字を読むことによって言葉が味わわれる以前より、み言葉は空気の振動とそれによって響く声として届けられるものでもあります。そこから、朗読により適した言葉や文節が選択されることには大きな意味があるでしょう。
 同時に現代社会においてその重要性が叫ばれる多様なあり方を尊重する姿勢(ダイバーシティ)を教会内においても推進するために、長く当たり前のように用いられてきた言葉を、例えばそこに差別や排他的な感覚が含まれていないかを点検し、そうではない言葉に置き換えるなどの作業が必要であると思います。そのような立場から、目で読むことに偏重せず、聞くことや聞かれることへの意識を高めていくことも大切なことであると思いますから、新たな翻訳の活用は伝道的な側面も持つと言えます。
 これらは礼拝式文にもそのまま当てはまります。言葉の変化や神学的な研究の成果を反映させるべく、継続的に礼拝式文を見直していく必要がありますが、2007年にアンケートを実施し、具体的に改訂式文作成へと歩みだすきっかけとなったのは、式文の中で用いられている「生まれながら罪深くけがれに満ち」という言葉への問いでした。それは原罪を表現すると共に日本の歴史的かつ具体的な状況下における差別的な表現ともなるのではないかとの問いかけが、式文を生きたものとして用いていくために大切なものでした。
 また改訂式文の作成中には、国民という言葉について、国境線で区切られた従来の国家を想定しているのであれば、難民を始めとする世界の課題と現実から目を背けることになるのではないかとの指摘を受けました。委員会にとってそれは大切な気づきを得ることとなり、「諸国民」としている言葉について、検討を続けています。
 つまり、30年ほどの時間は一つの目安にしつつも、より重要なことは、30年を経過するならば、自分たちの用いている言葉そのものを点検、評価し、修正すべきは修正するということです。変化は私たちの姿勢を問い、動かすものであり、容易なことではありません。しかし、教会は世に存在し、世に福音を伝えていく使命を与えられているのですから、自身の正しさを疑わないということではなく、世に語る神に聞く群れとして、ふさわしく整えられていきたいと思います。
 さて、改訂式文として用意されたものは4種類です。テキストは共通であり、洗礼という恵みを思い起こすこと、ヌンク・ディミティス(シメオンの賛歌)を聖餐への応答と位置づけたこと、献げものを聖餐と切り離し派遣の意味を強めたことなど、いくつかの特徴があります。
 典礼音楽は、3つの新曲と「青式文」の礼拝式Aの音楽を編曲したものを含め、ルーテル教会に連なる4人の作曲家が作成ました。それぞれに個性を持った音楽を楽しみながら、礼拝を形作っていただければと思います。なお、各教会の礼拝のテンポなどに合わせて、音源データを作成することも可能です。楽器がなくともスマートフォンやパソコンなどで演奏が可能です。それぞれの状況に合わせて用いていただければと思います。

四旬節の黙想に

 2019年の四旬節は、3月6日の灰の水曜日より始まります。十字架へと歩むイエスの受難を覚え、それは罪人であるわたしたち一人ひとりへの赦しのためであることを深く味わう時です。この日々を過ごすのに、昨年、日本語版が出版された黙想集『神の恵みによる解放』の使用をお勧めします。2017年に四旬節などでの使用を想定し、世界のルーテル教会と聖公会の信徒により執筆されました。両教会における宗教改革500年の記念の取り組みでもあります。「神の宣教」、「神の恵みによる解放」、「救いは売り物ではない」、「人間は売り物ではない」、「創造は売り物ではない」、「仕えるための自由lディアコニア」とのテーマに基づき、1日ごとに聖書本文と黙想、祈祷書など両教会の16世紀以降の伝統的な文書が示されます。

定年・退職にあたって

木下 理
 熊本・大分で大地震がありました。また、福岡や広島・岡山でも大雨による甚大な被害が出ました。被災地に入って懸命に作業をされている、ルーテル教会の牧師や信徒の方々の様子を見聞きするたびに、いつも感動をおぼえます。
 「先生、何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」と問う律法学者に、主イエスは、善いサマリア人のたとえを語って、「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)と言われました。
 わたしは身体の不調から、被災された方々のところに行くことができませんでした。行って、同じように出来なかった自分をもどかしく思います。
 引退をしますけれども、健康を回復させ、再び伝道・牧会の現場に立てるようにと願っています。
 行く道が閉ざされようとするときがあるかもしれません。そのようなとき、「主は人の一歩一歩を
定め 御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩編37・23)の御言葉に希望を見出して、主と共に歩んでいきたいと思います。
 わたしは、2008年に按手を受け、シオン、宮崎、合志、荒尾の各教会で11年間伝道、牧会いたしました。多くの兄弟姉妹の方々に助けていただきました。心より感謝いたします。

小山 茂
 50代に入ってから神学校に入学を許され、牧師を目指して学びました。当時、榎津重喜さんが4年生にいらして、自分より年上の神学生が入って来た、とたいそう喜ばれました。若くないのに船出の機会をいただき、心から感謝をしています。私は自宅から通学しましたが、最後の年に入寮させてもらいました。3階の男子寮は満杯になり、共に学んだ仲間が身近な同労者になりました。
 初任地の鹿児島と阿久根で7年、西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」にどこか惹かれました。最初のイースター直前、桜島の噴火に迎えられ、代議員から新任牧師へ祝砲ですと言われました。函館で3年、新島襄が鎖国令を破り出航した町、箱館戦争の五稜郭に働きの場を与えられました。永吉秀人先生より函館教会は聖霊の降る教会と伺ったように、この地は強い風〔ギリシア語プネウマ〕が吹き抜けています。
 定年を迎える他の先生方と比べ、10年での退職は申し訳ない気持ちです。体調が整えられ、宣教の働きの隅に加えて頂けたら幸いです。牧会は精一杯したつもりでしたが、振り返ってみると足りないことばかりで、主と皆さまに助けていただきました。私の生涯にとって、思いがけない恵みを与えられました。

齋藤幸二      
みことばに仕える喜び

 私は20歳の時洗礼を受け、25歳で牧師への召命をいただき、31歳で最初の任地である焼津教会、藤枝教会に派遣されました。 
 それから今日まで、人間的に欠けの多い私が働きを続けることができたのは、神様の憐れみと兄弟姉妹の愛と寛容によるものと思っています。病気や事故などで日曜日の礼拝での御用を一度も休むことなく続けられたのも、主の憐れみと支えがあったからです。
 牧師として最も幸せだったことは、何よりも尊い神のみ言葉のために働くことができたことです。神の言葉を聞き、学ぶ人々の内に神への愛と信仰が生まれ、洗礼へと導かれてゆく様子を見ることは大きな喜びでした。
 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24・35並行)と主が語られたように、主の言葉は朽ちない種として、受け取る人の内に永遠の命を与えます。これからも私に許される形でこの尊いみ言葉に仕えてゆきたいと思います。
 任地は焼津教会(途中まで藤枝教会兼任。1981年~1995年)、大垣教会、岐阜教会(1995年~2019年)でした。

渡邊賢次
 私はこの度、牧会25年で引退することになりました。出身教会はルーテル京都教会です。1994年3月に按手を受け、4月より神水教会に1年、結婚して水俣教会で4年、続いて焼津教会で4年、津田沼教会で13年、そして飯田教会で3年、牧会に従事することがゆるされました。
 その期間に出会いを与えられました、信仰を通しての兄弟姉妹に心から感謝しています。この期間に多くの試練や失敗もありましたが、与えられました出会いや恵みはそれらをはるかに上回るものでありました。
 私は27歳で受洗し、最初は、ルーテル教会は地味な教会だと思っていましたが、年を経ると共に、その伝統の豊かさ、神学の確かさを徐々に知らされてきました。主たる牧会として、5つの教会を中心に使命が与えられましたが、振り返りますときに、それぞれの教会が、他にはない持ち味を有し、牧師として教え導くというよりも、共々に学び合い、信仰を培っていただくという体験をすることができました。 
 25年間の牧会・伝道が守られましたのも、多くの先輩牧師や宣教師の先生、また同僚の先生方の励ましとお支えによるものと感謝しています。私はまだ3月31日で、ようやく64歳を迎えようとしている若輩でありますので、健康と体力の許す限り、ルーテル教会につながって奉仕をしたいと念願していますので、今後ともよろしくお願いします。皆様のご健勝を祈りつつ、退職のご挨拶とさせていただきます。

渡邉純幸
 この度、2019年3月31日付けで、44年間の牧会生活を終えることになりました。
 1975年4月、初任地は四国松山でした。昨日のように当時の情景が浮かんできます。「若いって素晴らしい」と、今になって痛切に感じます。許される限り、青年たちと語り合った3年でした。着任早々、教会の境内地で町内会との共催で生ビール大会を開催して、教会役員からこっぴどく叱られ、色々な失敗を重ねたことが、爽やかに鮮やかによみがえって参ります。
 その後、柳井教会での4年間。この地も素朴で素晴らしい信徒の方々との出会いがあり、今も支えられています。そして、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会での5年間は、青年担当専従牧師として、なお青春時代が続きました。ここでも生涯通しての人々との出会いがあり、続いています。
 任を終えて帰国し、市ヶ谷教会に着任しました。この教会での18年は、これまでの私の浅薄な経験をすべて受け入れてくださり、牧会生活の充足感を日々感じた青春時代でした。
 そして、最後の任地は蒲田教会です。私は開口一番、「田舎の教会」と発しました。それは、都内にありながら、素朴な信仰生活を送る方々との出会いでした。
 そして今、青春の第一幕が降りようとする定年のカーテンを前に、欠け多き私を、これまで忍耐と寛容と優しさで育んでくださった主なる神と、皆様方のお祈りとお支えに、心より感謝申し上げます。これからは、邪魔にならないよう、静かに青春の第二幕を過ごして参りたいと思います。心からの感謝を込めて!

退任宣教師挨拶

ハナ・ジェンセン・ラインキ
 お別れの言葉は簡単ではありませんが、ひとつのみ言葉が与えられています。「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか」(テサロニケの信徒への手紙一3・9)。使徒パウロと同じように、ここでの働きと交わりが将来にどのような実を結ぶのか分かりませんが、皆さんの未来に希望を抱いています。神様が皆さんと共におられること、そして皆さんの豊かな愛がお互いの内に、そしてこの世界で豊かに分かち合われることを祈っています。キリストの故に霊的に成長されることも祈っています。
 日本で過ごした4年間はあっという間に過ぎ去りました。こうして日本に来て、教育の働きに加えられたことを感謝しています。九州ルーテル学院と熊本地区の教会ではすばらしい体験が与えられました。
 皆さんの健康と幸いとをお祈りしています。ありがとうございました。そして、さようなら。
 

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