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るうてる  2009年 7月号

機関紙PDF

常議員会 6.8~10 市ヶ谷センター

6月8日~10日まで、ルーテル市ヶ谷センターにて「第23回総会期第4回常議員会」が行われた。「報告は短く、質疑応答・協議には多くの時間を」との議長方針に基づいて会議が行われた。
おもな議題は、人事事項、「牧師補からの身分変更」「牧師任命」が協議され、4名の牧師が身分変更の承認を受けた。申請事項、「九州教区、神水、健軍、甲佐、松橋、水俣、八代教会の教会共同体申請」他が承認された。提案事項、寮募金(96,085,403円)の達成感謝とともに剰余金(297万円)は神学校100周年に感謝し、神学校・学院大学にすべてを献げることとなった。その他、「宣教協力金の拠出変更」「現任教職の短期海外研修プログラム施行案」「市ヶ谷会館2階事務室機能変更」などが協議され承認された。
協議としては「事務処理委員会回数検討」「式文の今後に関する件」などがあり、予定通りに会議は終了した。        (事務局長 立野泰博)
会議終了後、その日のうちに「速報」を各教区長、信徒常議員に送付しましたので、そちらもご覧ください。

コンサート、続けて21年

宇部教会 阿部 勝

昨年20周年を迎えた「宇部ルーテル教会『珈琲コンサート』を開く会」の代表、阿部勝さんにお話をお聞きしました。

「珈琲コンサート」誕生のいきさつについて
21年前、1988年の初夏の日曜日の昼下がり、「だれでも気軽に聴きに来れるコンサートをやりたいね……」とつぶやいたのが、そもそもの始まりでした。
「それじゃ、やりましょう!」と応える数名の方と一緒に1回目をやりました。それが1988年7月のことです。以来、8月と12月を除く毎月第4土曜日の18時30分から開催しています。

そのコンセプトは?
「だれでも気軽に聴きに来れるコンサート」です。「入場無料」、「教会への勧誘なし」、「ジャンルの限定なし」です。

20年間続けてこられての感想は?
毎回の参加者(演奏者を含む)は25名~55名で、150名を超えたのでカウントを断念した時もありました。また、3~4名の聴衆と過ごした夕べもありました。演奏者は平均4~5名で、ソロ1名もあり40名を超えるコーラスなどもありました。最初の頃は、出演者に窮することもありましたが、3年目以降は、不思議なことに出演者が絶えることはありません。
教会員のみなさんの理解をも徐々にいただけるようになり、今では、コンサートのみで宇部教会へつながっておられるコンサートスタッフのみなさんと教会員のお世話係の方々が、和気あいあいと楽しんで参加しています。
昨年9月の201回目のコンサートは、20周年記念コンサートとして、西教区、西中国地区の支援をいただいて開催することができました。

運営はどのように?
運営に関しては「コーヒー代のカンパをお願いします」という箱を備えているのですが、参加者からのカンパは、1回平均1~2万円というところでしょうか。もちろん、出演者は交通費のみ、ノーギャラですので、何とかなっています。それだけでなく、休憩の「珈琲タイム」のためのお菓子の差し入れもありますし、教会の「愛餐会計」から、コーヒー代のカンパもいただけるようになり、財政的には支えられています。
感謝です。
このような「草の根」活動を続けられることの感謝を表すため「年末助け合い」に義援金を届けています。ほか国内外への支援を続けることができました。このことは『ここに、神様のみ手が働かれている』ことの証しであり、スタッフ一人ひとりへの恵みにほかならないと思います。
(インタビュー:徳野昌博)

風の道具箱

「その症状に効果あり」

阿蘇垂玉温泉に行ってきました。大浴場もさることながら、露天風呂が最高でした。子どもたちと露天風呂に入っていますと、路線バスが目の前を走っているという素晴らしさ。のどかというか、ゆったりとした時間でした。
大浴場につかりながら窓を開け放ち、阿蘇の山々を見ていると、神様が創られた自然がせまってきて「あなたのことを包んでいるから、安心していいよ」と聴こえてきました。
「ゾウの時間・ネズミの時間」という本があります。その中に「人はたえず自然に触れていなければ、自分の頭の中だけを見つめるようになります。そして頭でっかちになってしまうものです」という言葉があります。信仰は頭だけで受け取るものでなく、外から感じるものかもしれません。
考えこんでばかりでいないで、たまには外へ出て土に触れてみましょう。草花のつぼみは膨らみ、花が咲き、確実に季節が動いているのがわかります。神様が造られた自然は、どんな心の症状にも効果ありです。
(柿のたね)

インフォメーション

■第3回カンボジア・ワークキャンプ
■日程 2009年9月1日(火)~11日(金)
■対象 18歳以上の健康な方(高校生不可)
■申込締切 2009 年7月7日(火)必着
■問合せ・申込先
JELA+JELC ボランティア派遣委員会
メール:workcamp@jelc.or.jp
Tel:03-3260-1908 FAX:03-3260-1948

■アメリカグループワークキャンプについて
今夏予定していましたアメリカグループワークキャンプは、新型インフルエンザの警戒レベルがWHOによってフェーズ6に引き上げられたこともあり、医療従事者の意見をも踏まえ、今回は中止することにしました。参加申込み者やその家族、また教会の皆様には申し訳ありません。ご了解ください。

日本福音ルーテル教会・日本福音ルーテル社団 共同事業委員会

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 室園教会・小国教会 牧師  後藤 由起

わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです
テサロニケの信徒への手紙一 1章5節

伝道者を志して神学校に行き、牧師となった。どうやって伝道しようか、楽しみで燃えていた。まずは新しい人が教会に来るきっかけを作ることだ! 伝道集会を企画し、音楽伝道をはじめ、インターネットやチラシで宣伝、ミッションスクールにもがんがん働きかけた。新しい人々は教会にやってきた。ハレルヤ! しかし、次の週にはもう来なかった。そこではたと気がついた。
肝心の「福音」はどうなっているか?? 私は福音を伝えているだろうか?? 年齢、職業、学歴さまざまな方が教会にやってくる。その方々に、「通じる言葉」を語ることができているだろうか?? 猛反省した。私は教会の中だけで通じる説教をし、せっかく教会に来てくれた、社会の真っただ中でもまれている新来会者には縁遠い、「ザ・クリスチャン」たちの世界を作りあげていなかっただろうか。
大いに恐れはじめた。「私にはできません……」。たとえば「この世の知恵ある人々」が教会にやってきた時、神学校を出たての私が何を語れるというのだろうか? 絶句するような悲しみの中にある人がやってきた時、どんな慰めを語れるというのだろうか?
その時、神は私にこの言葉を語られた。異教の街テサロニケで伝道をはじめたパウロたちは、短期間にもかかわらず大きな成果を得、異邦人から改宗者が多く生まれた。それは「ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったから」だと聖書は告げる。「力と聖霊と強い確信」、これが私に欠けていたものだった。自分の知恵と言葉遊びに頼ろうとしていた罪を主は示された。すぐに私は天のお父様に「力と聖霊と強い確信をください」と祈り始めた。
土曜の夜になると、私はいつも恐れに取りつかれる。1コリントのパウロのように。しかし宣教とは、人々が「人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになる(コリントの信徒への手紙一2章5節)」ことだ。ルーテル教会に「力と聖霊と強い確信」が与えられるよう、私はこれからも祈り続ける。

※お詫び
6月号では、後藤由起牧師からいただいた原稿の最後の段落を、広報室の不手際で欠落させたまま掲載してしまいました。後藤先生と読者の皆様に深くおわびすると共に、ここに原稿を再録いたします。

信徒の声

教会の宝を捜して

東教区 むさしの教会  橋本 直大

受洗のきっかけ
両親がクリスチャンだったので子どものときからキリスト教的な雰囲気の中で育ちました。成長するにつれて反抗的になり離れかけていきました。でも軍国少年にはならず、こちらにも反抗的でした。戦後、伝道者と称する方が開いていた集会に出ていました。ある時、洗礼を受けなくては、との思いが急におこって次の週に受洗しました。そのときのことを思えば神様からの呼びかけだったのかも知れません。
その後転居などで、いくつか教会をかわりましたが、神様を礼拝するというよりも、牧師の説教が中心で、それにあわせて聖書や讃美歌が選ばれているように思えて満ち足りない思いでした。
むさしの教会への転入のきっかけ
クリスマス礼拝の案内チラシが新聞に入ってきて、それこそ呼ばれているような感じで出席してみました。すると子どものときからの知り合いがいらして、初めて来た教会というのでなく、親しい人たちとまた逢えたことがうれしく、主日礼拝にも出席するようになりました。
礼拝は式文を使っており、その言葉がすばらしく、特に礼拝のはじめに懺悔の祈りがあることが嬉しかったのが一番でした。他の教会では自分のおかした罪の赦しはどうやって得られるのかと考えていましたし、カトリック教会のように告悔ができるとよいと思い、そちらに移ろうかとすら思っていました。それがこのルーテル教会で満たされたのは素晴しいことでした。
教会での奉仕
教会にパソコンが入り、会員や来会者の住所などをデータベースソフトで入力したりしていました。自宅のパソコンでも少しずつやってみることにしました。続けているうちにいろいろ面白くなり、古い住所など地図を広げて探し確認したりもしました。何でも面白がることは継続の方法なのでしょう。
信仰生活を一言で
ずいぶん病気などしましたが、「闘病」という言葉は好きになれません。病気も神様から与えられたものであれば素直に受け入れ、付き合っていくほうが楽だと思います。すべてお委ねしていこうというのが楽天家の信仰生活なのでしょう。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

米国の高齢者解放思想に学ぶ

日本福音ルーテル雪ヶ谷教会牧師 田島靖則

9年前に米国に留学していた時、私はよく指導教授のJ先生に「日本は国民皆年金・皆保険の国で、高齢者福祉も充実しています」と胸張って話したものです。しかし日本のその後の高齢者福祉施策の大転換は、そんな福祉国家幻想をすっかり消し去ってしまいました。政府は北欧型の高福祉国家への幻を捨てて、個人主義的な「自己責任論」がまかりとおる、自由競争型の社会施策へと方向を転換したのです。もちろん米国などは、はじめからそうだったのですから、そんなに驚くことはないという意見もあるでしょう。しかし、自助努力を旨とする米国の高齢者の中には、奥ゆかしさを美徳とする日本の高齢者にはなかなか見られない、「反骨精神」のようなものが満ちていて、そこから厳しい現実を乗り越えるための活力を得ているように見受けられるのです。
1970年代、米国東部の都市フィラデルフィアの長老派教会に属する一信徒、マギー・クーン(Margaret E. Kuhn)は、自分自身の定年退職を機に「グレイパンサーズ」という団体を組織し、高齢者解放運動の旗振り役となりました。「我々は年長者(長老)である。我々は経験を積み、成熟しており、社会の存続のために大人としての責任を負う者である」という彼女の主張は、私たちが無意識のうちに、「高齢者は、責任ある立場から撤退した隠遁者である」という「老年神話」を無批判に受け入れがちであるという事実に気づかせてくれます。教会に「若者がいない」と嘆くことをやめて、私たちは「豊かな知恵の貯蔵庫」である彼らとともに、行動する道を考える時がきているのではないでしょうか。

いのちはぐくむ 中井弘和

第4回 野菜と肉

神は言われた。

「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる」(創世記1章29節)

少し前、『粗食のすすめ』(幕内秀夫、1995)という本がベストセラーになったことがあります。ここでいう粗食を一言で表すと、ご飯・みそ汁・漬物を基本とし、副食に季節の野菜・魚介・海藻を、ということになりましょうか。肉や食肉加工品、乳製品、油脂類、砂糖類などの食材に偏る、いわゆる西洋化した日本人の食生活に対する警鐘として、人々の耳目を集めたのでしょう。
神が最初人間に与えた食べ物は、穀類や野菜、果樹類でした。菜食のすすめということになります。肉食が許されるのは、ノアの洪水の後、ノアとその息子たちに「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記9章1節)と神の祝福が与えられた時以降のことです。ただし、肉食に際しては、血や脂肪は決して食べてはいけないとか、新鮮なうちに食べるべきだとか、いろいろな条件が付されました。
バビロン捕囚の時代、歴史を彩る国々の興亡を予言し、救い主イエスの到来を告げた預言者ダニエルの少年時代のエピソードを聖書は伝えています。肉類と酒をさける菜食によって少年の健康と知性は一段と輝きを増したというものです(ダニエル書1章、12~15節)。
この何気ない記載からも、聖書の食に対するメッセージが伝わってきます。肉を禁じてはいませんが、パンやその土地で取れる野菜、果樹類そして魚を主とした食生活を聖書は勧めているように思います。地中海沿岸を含めた聖書に登場する土地には野菜や魚が豊富にありました。私たちが日ごろ目にするキャベツ、レタス、ニンジンなど多くの野菜類はその土地に起源し世界中に伝えられたものです。
鶏卵、鶏肉、豚肉、牛肉を1㎏生産するのにそれぞれ3、4、7、11㎏のトウモロコシを要するといわれます(2006年国連食糧農業機関資料)。先進国の肉の消費量は途上国の約3倍です。飢餓の10億人に対してほぼ同じ栄養過多の人口があるという資料もあります。飢餓も栄養過多のどちらも病んでいることに変わりはありません。私たちの一人ひとりが食べ方を少し変えることによって地球は元気を取り戻す、というと幻想になりましょうか。

路帖百年。 1909年~2009年

ひたむきな学びに注がれた優しい目

上林暁の『野にて』(新潮文庫、絶版?)という短編集がある。これが縁で一時期、鷺宮のルーテル神学校は「武蔵野文学探訪」のひとつとなっていた。「神学校前」というバス停を入って小道を行くと、屋根の上に十字架のついた小さな学校が見えてくる、というような書き出しだったと思う。昭和の初めの風景である。
寮の2階の窓にきれいな布団が干してあって、それを見ながら、著者はそこでひたむきに学ぶ青年たち、このきれいな布団をもたせて彼らを送り出した故郷の両親を思うのである。
寮の前庭には弓道場があったらしく、何度弓を引いても的まで届かないのに止めることをしない小柄の青年にも、一途な学びへの思いを好意的に認めて、武蔵野の風景の中の一コマとしている短編である。
1969年の三鷹移転までの44年間は、戦後最盛期の55人以上の神学生を擁した時期を含めて、「路帖百年」の第2期に当たる。
その最後の卒業生たちもそろそろ引退の時期を迎えつつある。
(徳善義和)

 

関門の丘から  松隈 勁

そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音書10章37節)

7月。期末試験も終わり、やがて長い夏休みが始まる。この頃、高校2年生全員は市内各所にある福祉施設などにボランティア活動に出かける。
やがて創立140周年を迎える梅光女学院は、開学以来決まった曜日の1日を宗教活動の日としてきた。一日は早天祈祷会に始まり、午後は福祉施設の訪問や奉仕活動を続けてきた。
赴任して10年ほど過ぎた頃だっただろうか。当時の文部省より高等学校の特別活動に勤労体験学習を取り入れるようにという指導がなされた。ミッションスクールにおいて奉仕活動は普段の活動であるが、勤労体験学習の中にどのように位置付けたらいいのかを生徒会を中心に検討するようにとの校長からの指示を受けた。そこで、生徒会では今まで有志で行ってきた奉仕活動を学年全員に広げ、ボランティア活動の橋渡しにすることを提案した。
本来、ボランティア活動とは自らの意思で取り組むべきものであるが、ボランティア活動を学校教育として義務付けるべきであるとの意見などが論議されていた時期があり、少々違和感を覚えていた。
学生時代にドイツから宣教師として来ておられたヘンシェル先生が主催するディアコニアに参加することがあった。さすが合理性の国ドイツの人らしくすべてが明確に定義付けられていたように思う。先生が関係を持っておられた島田療育園の園生たちとのディアコニアキャンプにも参加した。そこでは、園生たちを積極的に町へと連れ出すような試みをしておられた。一人ひとりが社会の中で役割を担って共に生きているという事実を教わった。そのような学びをミッションスクールであるからこそ実践できる機会が与えられたと思った。社会福祉施設の現場でも現実を多くの人に知ってもらいたいという希望もあって快く生徒たちを迎えてもらえた。
既にその当時、社会福祉事業の現場では今後補助金が減額されていくであろうという危機感があった。ボランティアに委ねなければならない部分が今以上に増えることになるであろうから、ボランティア受け入れの組織づくりが必要になると見通しておられた。
今こそディアコニアが必要な時かもしれない。

九州地域教師会より

九州教区の教師会の、最近の動きをお知らせしましょう。
年に一度教師会として牧師の集まりをします。課題図書なども決めています。この2年は『ポストモダン世界のキリスト教』(A・F・マグダラス著)、『困難な自由』(E・レヴィナス著)でした。
牧師が集まることが困難になってきています。兼牧が多くなり、遠距離で教会を担当していることが、大きな原因でしょうか。ITの時代ではありますが、「顔の見えない」関係は、情報交換以上の間柄を生み出してくれません。九州では、牧師が距離的に孤立して仕事をしておられるやもしれませんので、教師会は大切なひと時です。年齢差・経験もまちまちですので、それぞれご自分の最近の課題からの発題もしていただいて、「牧師職」という一点で研鑽しています。
今年度は新人事で2名増えて、27名の牧師が現職としてその職にあります。教会のみでなく、様々な場所での働きを展開しています。伝統のある教区として、幼稚園・保育園から大学までの学校施設、大小の社会福祉事業など、100歳を迎えんとする事業体が数多く本教区にはあります。教会が生み出し、社会から信頼も受けてきました。牧師の職務もそれらを包み込んで、なお「礼拝する民」としての教会をリードするための研鑽が、牧師の生涯教育でしょう。教区内の信徒の方々の高齢化が議題にもなり、若い世代へのアプローチも、時代の急速な変化の中で捉えていけるような研修も考えています。
「九州地域教師会」はそのように活動しています。
書記 箱田清美(西九州教会共同体、唐津教会、小城教会)

LCM会議

5月19日~20日まで、日本ルーテル神学校にて「2009年度LCM会議」が行われた。石田アジア局長(アメリカELCA)、フフティネン伝道局長(フィンランドSLEY)、両教会・団体からの宣教師、そして日本からはJELCスタッフ・各教区代表・神学校教授が参加した。
今年のテーマは「宣教志向の神学教育~宣教的教会の再構築と宣教の心を持つ牧師の養成を目指して~」であった。江藤神学校校長は基調講演で、宣教研修、牧師の継続教育、他教派のカリキュラム参加について述べた。それぞれの立場から、「行動する牧師」「教育より実践に合わせた牧会」「多文化理解の必要性」「伝道スピリット」「新しい信仰復興運動の必要性」などが話された。
来年のテーマは「教会・ディアコニア・ミッション」
(事務局長 立野泰博)

「リラ・プレカリア」を紹介します。

「リラ・プレカリア」。それは「祈りの竪琴」と言う意味です。ラテン語でリラは「竪琴」。を、プレカリアが「祈り」です。
死に逝く人に寄り添う音楽としての、「祈りの竪琴」の働きを日本に紹介され、現在精力的にその輪を広げようと活動しておられる宣教師キャロル・サック氏は、「竪琴」について、「ダビデはおそらくハープの元祖である竪琴を弾きながらいくつかの詩編を作曲したでしょう。そして、彼は精神的な苦痛を持っていたサウル王を慰めるために竪琴を用いて癒しの歌を演奏しました」。そして、「祈り」について、「ラテン語の祈り、プレカリアは、不安定な、危険な、という言葉と語源は同じで、この言葉は祈りにぴったり合うイメージを与えてくれます。なぜなら、人間は常に不安定で、危険な状態に置かれていて、常に神様の寛容と慈悲を必要としているからです」と。
音楽死生学の具体的な取り組みとも言えるこの活動について、サック氏は、「患者さんのベッドサイドに真心と声とハープのみで寄り添い、静かに挨拶し、その方の状態を見、特に脈拍や呼吸に注目しつつ、ハープと歌声で音楽を提供し、ところどころで注目して、瞬間瞬間の患者さんの状態に気をつけ、関心を向けていきます。呼吸の一定の速度や調子に注目し、それを通して患者さん本人が音楽の案内役となることを目指しているのです」と。
最後に、サック氏は「いやされるとは、自分が愛されていることを知ることです」と言われました。
この活動の担い手を養成するための講座が開かれており、その会場に今回お邪魔し、講義を聞き、練習を見学させていただきました。
静けさが支配する不思議な空間で、受講者はそれぞれに表現は違えど、死に逝く人に寄り添うことの重要性を確信しておられるようでした。
(広報室長 徳野昌博)

祈りの輪

5月号の「伝道セミナー」の報告記事にも言及されていた「祈りの輪」を紹介します。
「祈りの輪」はスウェーデン・ルーテル教会の監督マーティン・ルネボー師によって発案されたもので、18個の珠からできた輪は、その一粒一粒に祈りが託されていて、珠を繰りながら祈るというものです。これを日本に導入・紹介された長谷川(間瀬)恵美さんが翻訳された解説の書『祈りの輝き』もあります。
お問い合わせは(quatrefoilorder@yahoo.co.jp)までどうぞ。
(広報室長 徳野昌博)

お知らせ

第11回ルーテル子どもキャンプ参加者募集

●日程 2009年8月6日(木)~8日(土)
●場所 ルーテル学院大学・神学校
●テーマ 空にいちばん近い国、ネパール
~ナマステ、サンチャイチャ~
●主題聖句 「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」
詩篇121:1
●対称 小学校5、6年生
★お問い合わせ キャンプ長 小泉嗣まで(043-244-8008/t-koizumi@jelc.or.jp)

奨学金のおしらせ

LWFとELCAが指導者養成と障がい者訓練のための奨学金を提供しています。
いずれも個人的な研究のためではなく、将来、ルーテル教会および関連施設に資することを目的にしています。受給希望者は属する教会、施設等の所属機関を通して、JELC事務局へお申し込みください。詳細は世界宣教部(浅野)までお問合せください。
【締め切り 8月31日】

変更のお知らせ

長岡立一郎先生が九州学院専任理事長になられたため、左記の住所に転居されます。
■長岡立一郎先生 〒861-8043 熊本県熊本市戸島西1丁目23-110

甲府教会にFAX専用番号ができました。
■甲府教会 055-233-0813
電話番号は従来の通りです。

訃 報

■野村陽一牧師(大分教会、別府教会牧師)のご母堂、野村千鶴子様が、6月13日(土)午前0時8分、心不全のため、召天されました(享年80才)。
謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。葬儀、告別式は2009年6月16日(火)とり行なわれました。喪主は野村三郎様(野村陽一牧師の父)。

■清重尚弘牧師(九州ルーテル学院・院長・学長)のご尊父、清重喜一様が、6月15日(月)午後7時33分頃召天されました(享年99歳)。
謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。葬儀、告別式は2009年6月17日(水)とり行われました。喪主は清重尚弘牧師。

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