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機関紙るうてる

るうてる2019年1月号

説教「ユダヤ人の王はどこに」

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「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイによる福音書2章2節)
新年あけまして、おめでとうございます。正月に礼拝に出席し、讃美歌49番「新しい年を迎えて」と賛美し新年を迎えられたことでしょう。
 東方のペルシアから、占星術の学者たちが不思議な星に導かれて、エルサレムにやって来ました。彼らは高い学問を受けた天文学や薬学の博士で、ユダヤ人の王が生まれたと知りました。王に初めて会いに来た異邦人は、イスラエルの神と縁もゆかりもない占い師で、東方から夜に長旅をして来ました。 彼らは王であるキリストと出会う、全ての人々の代表です。
 学者たちはエルサレムに来て尋ねます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と。ヘロデ王とエルサレムの人々は不安になりました。ヘロデが王であると誰も疑わなかったからです。ヘロデは祭司長や律法学者を集め、王の生まれる地を問い、「ユダヤのベツレヘムです」と答えを得ました。彼は占星術の学者たちを呼び、星の出現した時を確かめて言いました。「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ」。ヘロデは学者たちの報告を受けて、次の手を打つ手はずを整えます。
 再び星が学者たちを導き、幼子の家の上で止まりました。 家に入ると幼子は母マリアと共におられ、学者たちは幼子にひれ伏し、黄金・乳香・没薬を献げます。遥か彼方から夜間に輝く星を頼りに、長い旅を続けて来たユダヤ人ではない異邦人が、初めて幼子メシアに出会ったのでした。
 ヘロデとイスラエルの人々をうろたえさせた「ユダヤ人の王」は、マタイ福音書27章でも語られます。主イエスは十字架にかけられる直前、総督ポンティオ・ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」尋問されます。これに対して主は「それは、あなたが言っていることです」と言われました。主は自らを「ユダヤ人の王」とは言いませんが、十字架の罪状書きに「ユダヤ人の王イエスである」と書かれました。それが真実でした。
 夢のお告げが「ヘロデの所に帰るな」と学者たちに示したので、彼らはヘロデに会わずに別の道から国に帰り、ヘロデの悪巧みは打ち砕かれました。福音書記者マタイは、メシア誕生の目撃者に占星術の学者たちを選びました。その証言は主イエスが救い主である、との信仰が生まれる発端になりました。学者たちは知恵を絞ってメシアをベツレヘムに見出したのではないのです。輝く星に導かれなければ、彼らはベツレヘムで、幼子に出会うことはありませんでした。
 東方の博士の訪問から、ヴァン・ダイク作「もう一人の博士」を思い出します。マタイ福音書に登場した学者は、3人とは書かれていません。この物語には4人目の博士アルタバンが登場します。 
 彼は輝く星からユダヤ人の王の誕生を知り、財産を売り払ってサファイア・ルビー・真珠を買い求め、王に宝石を献げようと旅立ちます。他の博士たちとの集合場所に急ぐ途中、王はベツレヘムに生まれると知らされますが、瀕死の男性を介抱するのに手間取って、約束の時間に遅れてしまいます。その後、砂漠を先行する仲間を追い、疲れた馬の代わりにラクダを買うためにサファイアを売り、3日遅れでベツレヘムに着きました。しかし、他の博士たちは既に帰路に着き、救い主と両親はエジプトに逃げ去っていました。
 彼はヘロデが幼子の王を殺すため、兵隊を差し向けた混乱にも遭遇します。そこで世話になった母親と赤ちゃんを助けるため、ルビーを兵士に差し出してしまいます。
 その後、彼は30年、救い主を捜し求め、エジプトからエルサレムに戻ります。捜していた救い主が十字架にかけられると聞き、王を救う身代金に真珠を差し出そうとしますが、借金のため奴隷として売られる娘を助けるために真珠を差し出してしまいます。王に差し出す宝物はすべて無くなってしまいました。
 救い主が息を引き取り大きな地震が起きた時、アルタバンと娘は天の声を聞いたのでした。「私の兄弟である小さな者のひとりにしたのは、私にしたのである。」
 彼は救い主に出会い、宝物は小さな者を通して、ユダヤ人の王に受け取られたのです。4人目の博士の望みはかなえられ、ユダヤ人の王は喜ばれたに違いありません。日本福音ルーテル函館教会 牧師 小山 茂

コラム 直線通り 久保彩奈

⑩「主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった」(詩篇122・1)

 帰りのホームルームが終わり、当番の子どもたちと掃除を始めようとしていた時のこと。部活のユニフォームに着替えたクラスの子どもたちが「先生、いってきまーす」と元気に声をかけてくれました。「部活がんばってね、さようなら」と言うと「先生違うよ。ここはホームルームで『ホーム』だから、先生にいってきますって言ったんだよ」、「先生、ここはみんなのもう一つの家なんだからさ!」と言われました。なるほど!と感心しているとまた他の生徒が言いました。 「だからさ、先生は、これからはいってらっしゃいって言ってね!」と。子どもたちとの何気ないやり取りは、改めてもう一つの「ホーム」の大切さを気付かせてくれるのと同時に「いってらっしゃい」という言葉の温かさを感じる出来事でした。
 社会で生き抜くために努力し続けることを強要されがちな10代の子たちがかけて欲しい言葉は、もしかしたら「頑張りなさい」ではなく、そっと背中を押してくれる「いってらっしゃい」という言葉なのかもしれません。みんな、気付かせてくれてありがとう。これからは「いってらっしゃい」って言うようにするね。
 思えばキリストにつながるわたしたちは毎週温かな「いってらっしゃい」を礼拝を通して神様から受け取っています。もう一つのホームである教会から、それぞれの生活の場へと「派遣」される、その温かく優しい神様からの「いってらっしゃい」はわたしたちを労い、励ましてくれるのです。
 「おかえりなさい」
 「いってらっしゃい」
 温かな恵みを感じるこの言葉を、今年も変わらず神様とみなさんと「もう一つのホーム」で交わしたいのです。

議長室から 大柴譲治 「千年を視野に入れて今を生きる」

新年おめでとうございます。1992年にヒロシマで開かれた宗教者平和会議での相馬信夫カトリック司教の言葉を思い起こします。司教は1993年のJELC宣教百年記念熊本大会のゲストでもありました。司教は「カトリック正義と平和協議会」の会長を務め、1991年の湾岸戦争の際には自衛隊機の派遣に反対し民間機をチャーターしておよそ3000人の避難民を母国に移送したことでも知られています。
 ヒロシマでの講演を司教は次のような言葉で始められました。「私たち宗教者は20年、30年を視野に入れているだけではダメです。一千年を視野に入れて、今を生きなければなりません」と。私にとってそれは度肝を抜かれるような、目からウロコが落ちるほどスケールの大きな衝撃的な言葉でした。
 「千年を視野に入れて今ここを生きる」 ?具体的にそれが何を意味するのか、以来ずっと考えさせられてきました。今この場所で永遠なるお方(神)とつながって生きるということなのか(「永遠の今」を生きる)。確かに聖書には「千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません 」 (詩編90・4)、「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」と記されています(2ペトロ3・8)。神の視点を持って生きるということなのか。
 詩編90編が告げるように私たちの人生は70年ないしは80年ほどの儚いものにしか過ぎません。労苦に充ちたこの世の人生においては「瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ってゆく」(10節)のです。 モーセと共に私たちも「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」と祈りたいと思います(12節)。
 司教の言葉を思い巡らせることの中で一つ気づいたことがあります。人が活動できる一生を仮に「40年」(聖書的な数字ですが)とすれば「千年」は「25世代」です。神はその御心を実現するために「世代」を超えて私たち一人ひとりをその平和の道具として用いてゆかれるのです。新年も共に主の御心の実現を祈り求めてゆきたいと願います。皆さまの上に神の祝福をお祈りいたします。

ユースナイト報告 市ヶ谷教会 森一樹

2018年10月にフィンランド・ルーテル福音協会(SLEY)の青年部である福音学生連合(EO)から、日本への宣教キャラバンのために、青年10名が来日しました。約10日間の滞在の中で、東教区のいくつかの教会を訪問し、賛美や礼拝の奉仕をしてくれました。 そして、同月27日には、日本のルーテル青年と是非とも交流したいという彼らの提案の下、フィンランド青年チームと日本福音ルーテル教会東教区青年会(ルーサーリーグ)が共同で企画したイベント、『Youth Nightユースナイト』が開催されました。
 会の前半では、フィンランド青年によるコンサート形式の集会がわれ、関係を深めるためのゲームをしたり、フィンランドで親しまれている賛美歌や彼らが熱心に練習をしたという日本語での賛美に耳を傾けたり、彼らの救いについての証を聞いたりと、その日初めて出会い、住む場所も使う言葉も違う彼らと、神様を通して繋がることができたと心から感じるひとときとなりました。
 また、会の後半にはフィンランドと日本のお菓子を囲んでの懇親会が行われ、文化や言語の違いについて話をしたり、オススメの観光地を教えあったり、互いの日常生活や教会生活について分かち合ったりと、こちらも恵み溢れるひとときとなりました。
 日本での生活の中で、特に私のように大学生として教会生活を送っていると、周りの友人との考え方や価値観にはっきりと違いを感じる時や、クリスチャンとして生きていく難しさに心が折れそうになる時があります。
 しかし、遠く離れた地でも同じように教会生活を送っている信仰の友と出会い、交流をし、そして祈り合うことができた今回の『Youth Nightユースナイト』は、そんな私にとって大きな励ましであり、大きな恵みでした。最後に、このイベントのために準備をし、祈りに覚えてくださった方々ひとりひとりに、そして何よりも、この出会いと交わりを備えてくださった神様に心から感謝をして、報告を終えたいと思います。

脱原発社会のための推薦図書 日本福音ルーテル教会社会委員会編

「日本福音ルーテル教会は、…一刻も早く日本にある原発が廃止されることを…総会声明として社会と教会に呼びかけます。…学びを含めて取り組みを開始していきます」、と謳った全国総会での声明(2012年)にもとづき、社会委員会から下記推薦図書による学びを呼びかけます。

『原発と宗教 未来世代への責任』冨坂キリスト教センター編 2016年 いのちのことば社
 現代に生きる私たちは否応なしに核の問題に直面している。とりわけ3・11の東京電力福島第一原発の事故は、そのことを明らかにした。現在に至るも事故は収束していない。この事態に宗教は、キリスト者は、どのように向き合っていくのだろうか。核の問題に対して、「宗教、教会の倫理的責任とは何か」が問われているのだ。本書は、この課題への一つの取り組みである。神学者、牧師、弁護士、チェルノブイリ被害者支援を行っている女性、小児科医、市民科学者、市民運動家、漫画家、僧侶といったそれぞれの立場から、核兵器と原発の問題について専門的な論考と提言が寄せられている。「科学技術」に対する「宗教・信仰」の姿勢はどうあるべきなのか、興味深い示唆を与えてくれる一冊である。(秋山仁)

『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』

木村朗+高橋博子 2016年 創元社
本書では、日米政府は広島・長崎の原爆投下後、ビキニ環礁での水爆実験後、被爆者調査をしたにもかかわらず、放射能の人的被害を巧妙に隠蔽してきたという事実を、克明な調査により明らかにしている。なぜ隠蔽が行われたのか?現在の福島でも同じことが起きており、小児甲状腺癌の検出数増加も、スクリーニング効果と説明されている。また、原発事故後も再稼働を止めることができないのは、1988年の日米原子力協定があるからと書かれている。著者は、なぜ放射能の人的被害は軽視されるのか? 人権がないがしろにされているのでは?これ以上のグローバルヒバクシャを生まないために何ができるのかと問いかけている。本書の中に確実にヒントがある。(佐伯里英子)

『福島・被曝安全神話のワナ』

DAYS JAPAN 2018年8月号増刊号 わたしたちの良心を取り戻すためにシーベルト、あの時は気にしていたのに。たった7年でどこか遠くのことみたいに感じてしまいます。その一方で、次々に各地の原子力発電所が再稼動し、被曝安全論が語られるようになりました。福島で、「保養」にでかける家族、放射線測定や甲状腺がんの実態など実際に寄り添っているライターが現場の様子を伝えてくれます。
 自主避難をする人と帰還をする人、お互いが被害者なのに対立する差別する構造、それも家族のあいだでも。今一度、私たちもあの日に立ち返って、忘れないようにしたいものです。社会正義の実践を愛の精神で行っていくキリスト者の良心にかけて。(高田敏尚)

ブラウンシュヴァイク領邦教会公式訪問報告

今年2018年は日本福音ルーテル教会(JELC)とドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会(ELKB)のパートナーシップ締結50年にあたります。それを記念して大柴議長が招待され、合わせて西教区を中心に訪問団が組まれました。議長の他に西教区長、喜望の家代表、そして各教区から推薦された牧師4名、信徒とるうてるホームの職員合わせて7名の計14名がメンバーでした。
 訪問団は10月25日(木)から11月2日(金)までの日程で、ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会を訪ねました。日記風に振り返ってみます。
 10月25日(木)関西空港からアムステルダムを経て、ハノーバー空港へ。現地時間の夕方、同地でワルター元宣教師の出迎えを受け、列車でブラウンシュヴァイクへ。
 翌日の26日の午前中「アウグスティヌム」事業団の高齢者住宅の見学。かなりハイグレードな施設でしたが、「ただ死を待つ場所ではなく、生きることを楽しむための場所」というコンセプトが印象的でした。
 神学センターで昼食後、海外宣教主事のノイエンフェルト牧師によるオリエンテーション。今回の訪問で期待していることや質問、また課題としていることの確認と共有をしました。参加者のそれぞれの目的が明確化されました。その後、ELKBのマインス監督による夕礼拝後、訪問団の歓迎会がヤーパン・アルバイツ・クライス(日本協同委員会)のメンバーも交えて行われました。
 27日(土)は市内のブラウンシュヴァイク大聖堂でオルガンによる祈りの時に出席。大聖堂の見学と集会所での昼食。
 その後、都市部における教会の働きについての短い紹介があり、続いてパウル・コッホさんによる「世界的な課題の脈絡からみたブラウンシュヴァイク地域の原発・被曝問題」という講演を聞きました。 これは、ELKBの領域にある四か所の「放射性廃棄物の処理場」問題について、地元の教会での取り組みを紹介したものでした。コッホさんはチェルノブイリの原発事故以降に原発被災者の支援活動を行っている方ですが、講演の中でフクシマの問題についても触れ、「放射性廃棄物の処理場」の問題が単に一地域の限られた問題ではなく、世界的な広がりを持ったことであることを強調されていました。私たち訪問団にとっても、大変刺激になりましたし、フクシマに代表される原発の問題への日本の教会における取り組みを考えさせられる機会となりました。

 28日(日)ブラウンシュヴァイクから車で30分ほど離れたフェッヒェルデの教会で、パートナーシップ締結50年記念礼拝が催されました。マインスELKB監督による説教、大柴譲治総会議長が挨拶。礼拝後、昼食。ブラウンシュヴァイクに戻ってから宿舎の近くの教会で行われている「排除に抵抗する芸術」展を見ました。
 29日(月)ヴォルフェンビュッテルのELKBの本部を訪問。朝の祈りのあとマインス監督とホーファー高等教会参事と共に、「パートナーシップ締結50年の評価と今後の展望について」懇談のときを持ちました。話題は、釜ヶ崎「喜望の家」の活動の総括と展望、ディアコニア奉仕者や牧師の交換プログラム、幼児教育や堅信教育といった信仰教育の課題、高齢者に対する課題など多岐にわたりましたが、 両教会が共通の課題を抱えていることを認識した時間でした。
 その後、ザルツギッター・バートの民間NGO「母のセンター」を訪問しました。一人の女性が始めた働きでしたが、大きな動きに発展し、母親の子育て支援に始まり、若者と高齢者の出会いの場であり、また難民の最初の受け入れ場の場所にもなっています。保育園なども併設されている他、子どもたちが放課後に過ごす場としても解放されています。職業訓練や資格取得教育なども行っています。
 昼食後は、同じくザルツギッター・バートのノア教会を訪問し、シュタットタイル・トレッフェ(街角の出会いの場)という施設での公的な福祉と教会のディアコニア活動によるネットワークの働き、たとえば地域に住む高齢者や生活困窮者、難民支援への取り組みを見学しました。ELKBが行っているディアコニー活動を知るよい機会でもありました。
 その後は、ノア教会で日本協同委員会と懇談のときを持ちました。パートナーシップをサポートするための活動を続けている日本協同委員会との交流は、人と人のつながりの大切さを思わせてくれました。
 30日(火)は知的障がい者の施設、ノイエルケローデ事業団の総合福祉村を訪問しました。ここは、こどもから高齢者までの知的障がい者が、安全に自立して生活できるように様々な福祉施設が整えられ、一つの村を形成しています。
 昼食後、ブラウンシュヴァイク郊外のリッダクスハウゼンにあるノイエルケローデ事業団の園芸部門を見学しました。その後、リッダクスハウゼンの修道院教会を見学、オルガンの演奏を楽しみました。
 31日(水) ブラウンシュヴァイク聖ブラジイ大聖堂で行われた宗教改革日の記念礼拝に出席しました。この日は特にエキュメニカルな礼拝で、説教はカトリック教会のヒルデスハイム教区のハイナー・ヴィルマー司教でした。福音書の朗読を大柴譲治議長が担当し、挨拶もしました。
 午後はまとめの会。今回の旅で参加した一人一人が得たもの、未消化に終わったことなどを分かち合い、またJELCとELKBの両教会の今後の課題について確認することができました。大変よく考えられ準備されたプログラムでした。準備くださった海外宣教主事のノイエンフェルト牧師に感謝。
 11月1日(木)早朝、列車でハノーファー空港駅へ。ワルター元宣教師に見送られ、午前10時45分の便でアムステルダムを経由し関西空港に向かいました。翌日2日(金)関西空港に到着し、訪問団の解散となりました。お疲れさまでした。
 今回、参加者一人一人の関心や動機が高かったことで、充実した時間を過ごすことができました。皆さんに感謝です。そして、今回の訪問を通して、改めてJELCとELKBとのパートナーシップ50年の歴史に感謝するとともに、両教会が共に手を携えて共通の課題に取り組み、現代の世界・社会に福音宣教を行っていくことを期待しました。このパートナーシップがこれからも続いていくようにと願わずにはいられません。(団長 秋山 仁) 

「あるがままの姿で受け入れたい」~重野信之牧師を天国に送る~ 

定年教師 明比輝代彦
重野信之牧師
 1939年12月19日生まれ
 1962年12月23日受洗
 1971年 按手
 2018年11月26日召天
重野信之牧師が2018年11月26日、78年の地上の歩みを終え、天に召されました。
 奄美大島の出身で、地元の高校卒業後、浜松の静岡大学工学部へ入学、英会話の取得のため浜松ルーテル教会へ行き、導かれて受洗。その後、鷺宮時代のルーテル神学校・神学大学に入学。
 1971年、按手を受け牧師に。東海教区の半田、常滑教会に派遣されました。1977年から7年間、大阪釜ヶ崎伝道に奉仕、「喜望の家」設立の土台作づくりをされました。
 その後、室園、名古屋、ひかり、鹿児島、阿久根、神水の諸教会で奉仕され、2010年3月、満70歳で引退、39年間の伝道者生活を全うされました。
 神学生時代から労働者伝道に関心を持ち、夏の「関西労働者伝道」にも一ケ月間参加されました。釜ヶ崎での働きでは、キリスト教7団体が組織する「釜ヶ崎協友会」の代表となりました。
 朝日新聞の「この人登場」で紹介され、こう語っておられます。「私はいつも心の中で言い聞かせているのです。あるべき姿ではなく、あるがままの姿で受け入れたい」。まさに「DoイングではなくBeイング」を示唆しています。
 総会副議長、東海教区長として忠実に奉仕してくださったことに心から感謝します。天国でゆっくりお休みください。ご遺族に神様の慰めをお祈りしています。

着任宣教師の紹介 安達 均 牧(神水教会、松橋教会/熊本県)
  主イエスの不思議な導きにより2018年5月よりアメリカ福音ルーテル教会から宣教師として派遣されました。もともとは横浜の日吉に生まれ、当時は新宿にあった聖ニコライ正教会にて幼児洗礼を受けました。
 日本光電という会社で技術者として勤務している時、新宿に生まれ普連土学園(クウェーカー)を通して導かれた さと子と知り合い結婚しました。結婚後は日本基督教団野方町教会での信仰生活が始まりました。3人の子どもに恵まれる中、会社から派遣されロサンゼルスで勤務することになり、日本語礼拝も行われていた復活ルーテル教会へ導かれました。
 癌になった同僚への伝道に神が大きく働かれて、ミネソタ州セントポールにあるルーサーセミナリーにて学び始めました。6年を要しましたが2010年に按手を授かりました。神の恩寵、洗礼と聖餐の御業のために、日本福音ルーテル教会のメッカ(?)でも奉仕できますこと、身にあまる光栄に感じております。神に感謝!

お知らせ 奨学金制度が拡充されました

 日本福音ルーテル教会には以前から、将来は教会の関係で働こうという志を持った若者を、応援する奨学金制度がありましたが、今回その内容が拡充されて使いやすくなりました。
 他の多くの奨学金や教育ローンと違って、利子が不要です。保育者、聖書科教諭、社会福祉者、牧師になる夢を持っている高校生などにお勧めください。
 「1号貸付」は、キリスト教学校教育同盟加盟の大学、短大又は専門学校の、幼児教育、聖書教育及び社会福祉の資格が取れる課程で学ぶ人が対象です。「クリスチャンの働き人が欲しい」、という幼稚園、保育園、学校及び社会福祉施設の声を受けてできた制度です。今回の改正で、�@受洗後すぐに申し込めます、�A対象に聖書科教諭免許が加わりました、�Bまた貸付金額が上がりました。4年制大学なら121万円まで、短大・専門学校なら73万円まで借りられます。
 「2号貸付」は、牧師の子弟が対象です。高校から大学までをカバーします。今回の改正で、貸付金額が上がりました。高校なら36万円まで、高等専門学校なら60万円まで借りられます。他は1号と同じです。
 「3号貸付」は、卒業後に日本ルーテル神学校に進学するために、ルーテル学院大学で学ぶ人が対象です。今回の改正で、貸付金額の上限が121万円に上がりました。大学卒業後に神学校に進学した人には、神学校卒業まで返還開始が猶予されます。
 どの貸付も、申請はいつの時点でもできますし、上限金額の範囲内で必要な金額をまとめて借りられます。そこでたとえば、1号貸付では受洗が条件ですが、高校3年のクリスマスに受洗した人は対象の学校に入学後すぐに借りられますし、在学中に受洗した人が他の有利子ローンからの借り換えに使うこともできます。
 それぞれの貸付には、条件や書類が決められていますので、詳しいことは「奨学資金貸付規定」(2018年12月施行)をご覧ください。

着任宣教師の紹介

安達 均 牧師(神水教会、松橋教会/熊本県)
  主イエスの不思議な導きにより2018年5月よりアメリカ福音ルーテル教会から宣教師として派遣されました。もともとは横浜の日吉に生まれ、当時は新宿にあった聖ニコライ正教会にて幼児洗礼を受けました。
 日本光電という会社で技術者として勤務している時、新宿に生まれ普連土学園(クウェーカー)を通して導かれた さと子と知り合い結婚しました。結婚後は日本基督教団野方町教会での信仰生活が始まりました。3人の子どもに恵まれる中、会社から派遣されロサンゼルスで勤務することになり、日本語礼拝も行われていた復活ルーテル教会へ導かれました。
 癌になった同僚への伝道に神が大きく働かれて、ミネソタ州セントポールにあるルーサーセミナリーにて学び始めました。6年を要しましたが2010年に按手を授かりました。神の恩寵、洗礼と聖餐の御業のために、日本福音ルーテル教会のメッカ(?)でも奉仕できますこと、身にあまる光栄に感じております。神に感謝!

2019年度 日本福音ルーテル教会 会議日程
【2019年】
1月16日(水)   教師試験委員会(市ヶ谷)
1月17日(木)  教師試験(市ヶ谷)
1月18日(金)  任用試験(市ヶ谷)
2月12~13日  会計監査(市ヶ谷)
2月18~20日  第28期第3回常議員会(市ヶ谷)
2月24日(日)  神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 3日(日)  教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 4日(月)  神学教育委員会(市ヶ谷)
3月 6日(水)  新任教師研修会(市ヶ谷)
3月 8日(金)  日本ルーテル神学校卒業式(三鷹)
3月21日(木)  教区総会(各教区)
4月 2日(火)  日本ルーテル神学校入学式(三鷹)
5月 日程調整中  LCM会議
6月10~12日  第28期第4回常議員会(市ヶ谷)
8月22~23日  るうてる法人会連合・総会(三鷹)
9月24~25日  宣教会議(市ヶ谷)
10月2日(水)  教師試験委員会(市ヶ谷)
10月 日程調整中  新任教師研修会(日本キリスト教連合会主催)
11月11~13日  第28期第5回常議員会(市ヶ谷)

【2020年】
1月15日(水)  教師試験委員会(市ヶ谷)
1月16日(木)  教師試験(市ヶ谷)
1月17日(金)  任用試験(市ヶ谷)
2月11~12日  会計監査(市ヶ谷)
2月17~19日  第28期第6回常議員会(市ヶ谷)
2月23日(日)  神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 1日(日)  教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 2日(月)  神学教育委員会(市ヶ谷)
3月 4日(水)  新任教師研修会(市ヶ谷)
3月 日程未定   日本ルーテル神学校卒業式(三鷹) 
3月21日(土)  教区総会(各教区)

※「事務処理委員会」は、教会規則に基づき、処理すべき事項が発生した時に、随時、開催とする。

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