るうてる2015年5月号
説教「違うけれど同じ」
日本福音ルーテル雪ヶ谷教会牧師 田島靖則
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(コリントの信徒への手紙一12章14節)
早いもので、牧師になって20年が過ぎました。思い起こせば「阪神淡路大震災」や「オウム地下鉄サリン事件」など、日本社会の転換点にあたる年に、私は牧師としての歩みを始めたわけです。前任地は大学でしたが、現任地は附属幼稚園をもつ教会です。右も左も分からない状態からスタートした幼稚園の園長職も、8年経ってようやく板についてきたのではないかと思っています。
また不思議なことに昨年度から、私が卒業した二つの大学より兼任講師の依頼を受け、久しぶりに大学の教壇でキリスト教倫理を講じる機会をいただいています。生殖補助医療や人工妊娠中絶、安楽死・尊厳死の問題をあらためて論じる必要に迫られて、この20年間の経験を通して、私の視点も変化してきたことを実感しています。この8年間、幼稚園で出会った様々な園児たちと保護者たちとのかかわりが、私を成長させてくれています。
世界で最初の幼稚園を創立したのは、ドイツ人フリードリッヒ・フレーベルです。彼はその著書 『人間の教育 』のなかで、こう述べています。「遊戯すること ないし遊戯は、幼児の発達つまりこの時期の人間の発達の最高の段階である。というのは、遊戯とは‥‥内なるものの自由な表現、すなわち内なるものそのものの必要と要求に基づくところの、内なるものの表現にほかならない‥‥あらゆる善の源泉は、遊戯のなかにあるし、また遊戯から生じてくる。力いっぱいに、また自発的に、黙々と、忍耐づよく、身体が疲れきるまで根気よく遊ぶ子どもは、また必ずや逞しい、寡黙な、忍耐づよい、他人の幸福と自分の幸福のために、献身的に尽くすような人間になるであろう‥‥母親よ、子どもの遊戯をはぐくみ、育てなさい。父親よ、それを庇い、護りなさい」。
私の園では毎年、卒園する年長さんとのお別れ焼きそばパーティーを行っています。年中・年少児が野菜を刻み、先生たちが大きなフライパンで作ってくれた山盛りの焼きそばを、皆で食べるのです。
ある年のパーティーでのこと、年少さんのRくんとKちゃんが、同じテーブルに着いて2人で泣いています。Rくんはダウン症児。ちょうどそのそばを通りかかった私は、頭の中で勝手に想像を膨らませ、Rくんは泣いているKちゃんに共感し、一緒に泣いているんだろうと考えました。実際、Kちゃんはちょっとしたことで泣いてしまうことが多い園児でした。まさしく「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12・15)という聖書の言葉を、Rくんは自然に実践しているのだろうと。
後になって、クラス担任の先生から事のいきさつを聞きました。Rくんはいたずら好きで、テーブルに置いてあったKちゃんのランチョンマットをわざとテーブルから落としたというのです。泣いて訴えるKちゃんに気づいた先生がRくんを注意したので、2人そろって泣いていたというわけです。もちろんRくんに特別な悪気があったわけではなく、ちょっとしたいたずらのつもりだったことは明らかです。しかしこの一件を通して、KちゃんはRくんに悪気がなかったことを学び、Rくんは自分のいたずらが他人を傷つけることがあることを学んだのだと思います。そして私は、ダウン症児はいつも無垢で善意に満ちているという、ステレオタイプの障がい観の間違いに気づかされました。園児たちも、園長先生も、こうして成長していきます。
もしもこの幼稚園に、テーブルからわざとランチョンマットを落とすような園児が1人もいなくなったら、園児たちも先生たちも成長する機会を奪われるということに気づく人は少ないと思います。
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(コリント一12・14)
多様性の担保される社会は、豊かな社会です。教会はぜひ、多様性の擁護者であって欲しいと思っています。
宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(37)
ルター研究所所長 鈴木 浩
ルターが、罪が赦された人は、「義人にして同時に罪人」だと言ったのは、よく知られている。『ローマ書講義』の中では、人間は「健康にして同時に病人」だとも言っている。
『キリスト者の自由』の冒頭には、キリスト者は「すべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服さない」と同時に「すべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する」とある。
互いに真っ正面から矛盾する概念を「同時に」という言葉で結び付けるのが、 ルターの思想の目立った特徴である。論敵が戸惑ったのも理解できる。
1518年、ハイデルベルクで開かれた修道会の討論会で司会をしたルターは、神はどのようにして知られるのか、という問題を取り上げて、神は「イエス・キリストの十字架の苦難と死以外には決して認識されない」と言い切った。
ルターは、しかし、同時にこうも言った。「神は十字架において啓示されていると同時に隠されている」。「啓示されている」のなら、隠されてはいないはずだし、「隠されている」というのなら、啓示されていないはずなのに、これはいったいどうしたことか。この謎めいた発言の真意は何なのか。
議長室から
「宗教改革500年という風」
総会議長 立山忠浩
5月に入りました。私の暮らす地では新緑の季節を終えつつありますが、教会の暦は今月下旬に聖霊降臨日を迎えることになります。
聖霊を、私たちの肉体の目は見ることができませんので、イエスは様々なものに譬えて語られました。議員であったニコデモには風に譬えて説明されましたが(ヨハネ3・1以下)、聖霊は人の理解をはるかに超えた神の働きであることを教えるためでした。
総会議長を務められた故小泉潤牧師が「るうてる」の紙面で 、 聖霊の働きを鯉のぼりに譬え、鯉のぼりは強い風が吹くほど勢いよく泳いでいるではないかと記されたことを思い起こします。逆風に漕ぎ悩んでいる私たちの教会を鼓舞する内容でした。
教会の宣教は聖霊の働きなしには語り得ないことを教えているのが、使徒言行録です。ここに記されていることは、聖霊の働きによって使徒たちの宣教が力強く前進したことですが、ただ時として使徒たちは、聖霊によって御言葉を語ることを禁じられたことも見落としてはいけません(使徒16・6)。もちろん宣教することへの怠慢を勧めているのではありませんが、時として宣教に実りがないことも聖霊の働きとしているのです。
私たちの教会、施設、学校、幼稚・保育・こども園の宣教も同じだと思います。宣教に誠実に一生懸命に取り組んでも、いつも成果があるわけではありません。聖霊の働きによる宣教の実りは 人間の働きに応じて量られるものではなく、神様がお決めになることだからです。鯉のぼりで譬えるならば、一生懸命に鯉のぼりを吊るしたとしても、風が吹かないことには泳ぐことはないわけですから、聖霊の風が吹くことを待つしかないのです。
このように宣教の実りは聖霊の風を待つしかないのですが、しかし私たちの教会にはこれから確実に吹く風があるように思うのです。それは2年後の2017年に吹く宗教改革500年の風です。500年に一度しか吹くことはないのですから、これを用いない手はありません。 2年後に備えて、これから福音という鯉のぼりの絵を自分たちなりに描き、縫い合わせ、吊るす竿も皆で準備していくのです。この準備の輪への皆さんの参画を願っています。
インドに行って考えるようになったこと
森 奈生美(むさしの教会)
私は、何を期待してインド・ワークキャンプへ行ったのか。クリスチャンホームに生まれ、幼い頃からルーテルの暖かな環境の中で育ったが、何のために人はキリスト教を信じ教会へ行くのか、自身の感覚としては理解できずにいた。その答えを求めるため、具体的に言えば、いつかするかもしれない「堅信」の意味を知りたくて、申込用紙を手にした。
私たちは、CRHP(総合的地域健康プロジェクト)の施設に1週間滞在した。病院を拠点としたCRHPの働きは、医療の提供にとどまらない。衛生管理や幼児教育等、幅広いアプローチを通じ、地域改善に取り組む。CRHPは仕組み作りの役割を担っており、実際に貧困を解決していくのは村の人々だ。
例えば、活動の要となるソーシャルワーカーは、村の低カーストの女性から選出し育てる。それにより、彼女たちは知識と職を得るだけでなく、自尊心を高め、村の他者からの信頼も勝ち得る。ひいては、女性差別やカーストといったインドの文化的問題に対する草の根の活動となる。上手いシステムだ。
ある日のディボーションで、仲間の一人がCRHPを「天国のような場所」と言った。私は心から共感した。そこには確かに、神様の働きがあったのだ。挙げればきりがないほどに、私たちは日々、様々な愛の行為に触れた。貧困の中にありながらも最善の生き方をしようとする人々の姿を目にし、彼らに手を差し伸べ続けるCRHPの働きを学び、その一員としてワークをした。
ここでいう「天国」とは、キリスト教に限らないと思う。世界には様々な宗教
や考え方が存在し、それぞれに確かな価値がある。CRHPも、現地の人々にキリスト教を押し付けることはしない。大切なのは、何をどう信じるかではなく、その信心の上に何をどう生きるかだと、気付かされた。それを踏まえて尚考えさせられたのが、ではキリスト者としてどう生きるのか、だ。
インドで答えを得ることはできなかったが、キリスト教における「愛の働き」の感覚は掴めた。キリスト者として真に他者のために働くことができた時、私はこのキャンプに参加した意味を理解するだろう。
(インド・ワークキャンプは、日本福音ルーテル社団が主催し、2月12~22日に行われた。)
「3・11」を憶える礼拝報告
プロジェクト3・11企画委員 高垣嘉織
「”あなたは2011年3月11日のその時、どこにいましたか”という問いが投げかけられ、何度となく、なされてきました。その問いが色々な意味をもって問い続けられているのではないかと思います。」という投げかけから、日本基督教団常磐教会の明石義信牧師の説教が始まりました。
東日本大震災より4年を憶え、5年目を歩むために、3月15日に東京教会で”「3・11」を憶える礼拝”が行なわれました。50名以上の方々とともに、思いを共有することが出来ました。礼拝式文では会衆の言葉が交互に交わされ、あの日の出来事を思い起こし、その苦しみの中でも共におられた主を思い、被災地との連帯を感じるものでした。未だに続く、放射線被害の恐怖や一向に解決へと進んでいるとは思えない福島第一原子力発電所事故の問題は、被災地ばかりではなく、今を生きる私たちに問いかけています。
礼拝後は、元ルーテル教会救援スタッフの佐藤文敬さんによる被災地報告に耳を傾けました。現地の映像や具体的な数字を通して、現在の情報を得ることができました。出会った方々から元気な印象を受ける反面、4年が経った今、未来のことに対する不安や苦しい現実があることも知りました。その中で2人の10代のメッセージを聞き、その率直な思いを分かち合いました。佐藤さんは「これからも”となりびと”になり続けることができるだろうか、あるいは、なろうとするかどうか、私たちは問われている。」 と言います。
私たちは、問われ続けています。その時のこと、今までのこと、これからのこと。その問いにどのように応答するのが”正しい”のかは分かりません。
明石牧師は被災地に向かったとき、ひとつの思いを持ったそうです。それは「笑かしてやろう」という誰にでもできる、普通のことでした。一緒に泣き、一緒に笑い、日常の中でふれあうことで信頼関係が作られること、そして「被災地の教会に向けられた問いに、向き合い続けることができるのは、被災地を見つめ続けていてくださる主のまなざしであり、主のまなざしが重なっているように見える被災地以外の方々からのまなざし、その暖かさによるものです。」と語られました。
私たちが様々な問いと向き合い、考え、互いに支えながらともに生きることがひとつの応答なのではないかと思います。
礼拝式文の改訂
「アンケートQ&A」(その2)
式文委員 松本義宣
今年の春の全国ティーンズキャンプでは「礼拝」を共に学び分かち合いました。テーマは「おかえり、いってらっしゃい」。難しいことはさて置き、とにかく礼拝には意味があること、招きから派遣へ、そして再び招かれること、ティーンズが各個教会の礼拝に連なっていくことを目指しました。
参加申込書のアンケートに、自分の教会の「洗礼盤」がどこにあり、どんな形か、という設問をしました。詳細報告はこの場の責任ではありませんが、前号の続きで言えば、普段ほとんど目にせず、置いてあってもそれが何か知らないでいる実態が垣間見えました。改訂案が礼拝の始めに「洗礼の想起と洗礼への招き」を入れたゆえんです。未受洗者の排除ではないかという側面も大切ですが、配慮すべきなのは、「神があなたをここ(礼拝)に招かれたのは、何より洗礼による赦しを与え神の子とするため」。そのことをまず伝えることではないか、という提案であることをご理解いただきたいのです。
「聖餐」序詞の「心を高くあげて」にも、なぜ現行の「心をこめて」を変更したのかというご意見がありました。確かに日本語的には、心は人が主体的に「こめる」ものです。しかしその内在的方向性ではなく、自分の心がそれほど熱く信じている訳でなく、相応しい姿勢ではなくとも、そのありのままを神の出来事である聖餐に向ける、いえ向けさせられる、その神の働きの先行性を、あえてストンと来ない表現で示したいとの提案です。
その働きによって私たちも「心=存在すべて」を上げることができるのです(哀歌3・41やコロサイ3・2参照)。また、設定辞の、十字架の贖いである受難を強調した「苦しみを受ける前日」から、「渡される夜」に戻されました。ルターの設定辞に従ったことと、キリストの十字架が私たちの裏切り(背きの罪)のためということを強調するためです。
「ヌンク・ディミティス」の詩句や位置へのご意見もありました。「異邦人」 は「諸国民」になりましたが、「イスラエル」は、これが新約聖書から採られた賛歌(カンティクル)であり、現行聖書訳から大きく逸脱しないことを前提に変更せず、現代の同名の国ではなく新約聖書では「新しい神の民」のメタファー(隠喩)の用語であることの解説付記を載せる方向で検討中です。
それに、この賛歌は礼拝式本来の構成要素から言えば、絶対に省けない部分ではなく、詩句を独自に改変するより、むしろ省略する方向で考えてよいのではないでしょうか。位置も「派遣の部」となったのは現行式文からであり、伝統的には「聖餐後」に置かれたのですが、連続して「派遣」になり、従来との変更はそう大きくはありません。
また、「アタナシウス信条」の「三位一体主日」へのオプション提示は、現行式文の「取扱い原則」にもあることの注意喚起ですが、確かに「呪詛の言葉」があり繰り返しが多く長いので、典礼に用いるため、専門家によって簡略に整える可能性はあるのではないでしょうか。
最後に「毎週聖餐」前提の是非もありました。教職減少の現状は十分承知していますし、決して聖餐のない礼拝の排除ではありません。現行式文の「聖餐を伴わない礼拝」の可能性や「取扱い原則」を参照していただければと思います。
限られた紙面では十分な説明、回答はできませんが、各地で予定される説明会や、式文委員会への直接のお問い合わせ等で、より良い改訂案となることを願っています。
連載 マルティン・ルター、人生の時の時(4)
江口再起
なぜなら、人間は「神の義」を無償でいただくことによって(恩寵)、義と認められる(義認=救済)からです。人間が努力して信仰することによって救われるのではないからです。ただ、ひたすら「恵みのみ」です。そして、この体験によって、ついにルターは宗教改革運動への地固めができたのです(ですから「塔の体験」のことを、神学用語では「宗教改革的転回」と呼んでいます)。ここがルターの信仰(思想)の最大ポイントです。
(4)95ヶ条(1517年、34歳)― 宗教改革運動の開始
1517年10月31日、ヴィテンベルクの城教会の門の扉に、ルターは「95ヶ条の提題」を掲示しました。これが宗教改革運動の始まりです。贖宥状(免罪符ともいう)の是非をめぐる討論会の呼びかけでした。
ルター本人としては地方都市ヴィテンベルク内でのささやかな呼びかけのつもりでしたが、しかしそれは60年ほど前にグーテンベルクによって発明されていた活字印刷術によって、たった2週間で全ヨーロッパに拡がっていきました。1000年間も続いた(カトリック)教会への挑戦と受け止められたのです。ヴィテンベルクの一介の修道士ルターは、今や、全ヨーロッパで最も有名な人物となりました。
「95ヶ条」は何を問題としているのか。第1条には、「全生涯が悔改めである」と書いてあります。信仰とは、単に生活上の習慣ではなく、まさにその人の全生涯をかけた神との関係だ、というのです。そして全体を通じて贖宥状を問題にしました。贖宥状とは、それを買うと天国が約束されるという証書のようなものです。ローマ教皇庁は財政上の必要からもその販売を許可したのです。
しかし、そこをルターは問題にしました。贖宥状を購入するといったような人間の行為(善行)で人が救われるのではない、人が救われるのは神の恵みのみによる(「恩寵義認」)。こう考えたルターは、それゆえその是非を問う討論会を呼びかけたのです。
それは小さな一歩でした。しかしやがてこのささやかな一歩が全ヨーロッパを宗教改革の渦の中に巻き込み、結果としてプロテスタント教会を誕生させ、結局は「近代」という時代を準備することとなる世界史上の出来事となったのです。(つづく)
第1回臨床牧会セミナー報告
それでも、主を見上げて ~牧会の光と闇~
デール・パストラル・ センター所長 石居基夫
昨年、日本ルーテル神学校のもとに創設されたデール・パストラル・センター(DPC)主催で、第1回の臨床牧会セミナーが、2月9日から11日まで、三鷹の神学校を会場として開催されました。毎年開かれているルーテル4教団のための「教職神学セミナー」を拡大したかたちで行われ、他教派の牧師にも広く呼び掛け、全体で40名を超える参加者を得ることができました。
現代を生きる私たちには様々な困難があり、悲しみや痛み、苦しみが心をとらえてしまいます。教会で、社会で共に生きようとしても、その人間関係においてさえ、傷つき、私たち自身の破れを経験します。そうした、牧会の闇ともいうべき実情にもかかわらず、私たちが養われ、生かされていく信仰の歩みを照らす光を確認し、牧会者として立つために、癒しと慰めと励ましを学び、分かち合うためのセミナーとなりました。
基調講演には、鈴木浩ルター研究所所長に「ルターと牧会」と題し、改革者・神学者とは違った牧会者としてのルターを、その牧会的書簡の紹介から浮き彫りにしていただきました。
2日目の分科会は、4つ。「グリーフケア」については、DPCの運営委員でもある大柴譲治牧師(上智大学グリーフケア研究所客員所員)にご担当いただきました。「教会と人間関係」については、ルーテル学院の非常勤講師でもある鶴瀬恵みキリスト教会の堀肇牧師(日本パストラルケア・カウンセリング協会事務局長)、「牧師のメンタルヘルス」については、放送大学教授の石丸昌彦医師(精神科医。日本基督教団柿ノ木坂教会員)、そして「高齢者と教会」は賀来周一牧師(キリスト教カウンセリングセンター理事長)にご担当いただくことができました。
礼拝やディボーションの時間も含めて、参加いただいた方々には大変好評で、他教派からの参加者にもルーテルの神学と実践の豊かさに高い評価をいただきました。
神学生道東研修報告 現場のエキュメニカル
森田哲史 (日本ルーテル神学校2年)
3月3日から9日の1週間、神学生の3人(多田・野口・森田)は、帯広教会の三つの礼拝堂を巡る道東研修を行いました。初日、帯広礼拝堂に向かうと、前日に降った雪が駐車場に積もっており、早速除雪作業を行いました。北海道の雪は、本州のそれと比べて軽いと言われていますが、慣れない除雪作業、春の湿気を含んだ雪に3人とも四苦八苦でした。
研修中は様々な教派のキリスト教会を訪問しましたが、その中で日本メノナイト足寄キリスト教会を訪問しました。足寄町は香川県ほどの面積にキリスト教会がメノナイト教会しかなく、様々な教派の信徒が集まり、礼拝を守っています。教職不在の中で、信徒同士がそれぞれの出身教派の礼拝を取り入れながら、礼拝を守っているとのことでした。もし自分がこのような教会にルーテル教会の牧師として派遣されたら、どのように教会形成をしていくことが出来るのかを想像しました。地域の唯一のキリスト教会として、集められた方々に対して、どこまで柔軟に対応出来るのか、 また出来ないのか。神学校で学ぶ理論以上の判断が求められているように思いました。
また期間中、世界祈祷日の礼拝があり、そこでも他教派との関わりを強く意識させられました。世界祈祷日の礼拝は都市部では多くの場合、NCC(日本キリスト教協議会)の加盟教派を中心に守られることが多いと思います。しかし、帯広では日本メノナイト帯広教会で、メノナイト教会の牧師によって執り行われました。さらにNCC加盟教派以外にも、いわゆる福音派と呼ばれる教派も数多く参加しているのが印象的でした。
昨年、カトリック・ 聖公会・ルーテルでの合同礼拝に参加させていただきました。そこからは綿密に議論されたエキュメニカルの成果が見受けられました。しかし、帯広で見たエキュメニカルは、お互いの伝統を超えて、同じキリスト者として臨機応変に支え合う姿でした。
最後になりましたが、神学生を受け入れてくださった帯広教会の皆様に感謝を申し上げます。
ディアコニア・セミナーに参加して
鳥飼勝隆(名古屋めぐみ教会)
2月11日に、第14回ディアコニア、環境・人権・平和セミナーが、名古屋めぐみ教会で開催された。東海地区を中心として、遠くは熊本、広島、千葉などから、総勢45名が、何を学ぼうかとの期待を胸に参加した。
開会礼拝(谷川卓三牧師、三原教会)に始まり、次いで、参加者への活性剤として、 二つの講演が続いた。そのひとつは、浦野聖さん(名古屋めぐみ教会員)による「コーヒー1杯からの身近な国際協力」。気軽に楽しむ1杯のコーヒーの中に、生産流通過程の不公正さや、環境へのしわ寄せなどが潜んでいることが指摘された。その是正に働くフェアトレードネットワーク(フェアトレードラベルジャパンhttp://www.fairtrade-jp.org)が紹介され、参加者の関心を集めた。
第2の講演は、山内恵美さん(小石川教会員)の「沖縄旅行からディアコニアを考える」。訪問した沖縄で、丸木位里・俊夫妻が画く沖縄戦の苦悩の絵画(佐喜眞美術館)や平和祈念公園の慰霊碑を前にして、胸に湧き上がった平和への熱い思いが語られ、それは会場に拡がった。
セミナー後半は、全員参加方式で、太田立男さん(復活教会員)の指導で、小グループに分かれ、各人が「自分とディアコニアとの関わり」や、「今、何が自分にできるか」などを紹介し合った。さらに、それらを地球環境、貧困、人権等々の分野に分類し、集約する作業に入ったが、時間の制約もあり、結論を充分に集約しきれない面もあった。しかし、各人がそれぞれにディアコニアへの思いを新たにしたことは確かだ。
この社会を見廻すと、様々な痛みに溢れている。災害や病いによるもの、あるいは人為的なもの。その中で、私たちはどこまでこれらの痛みと共にできるかを考えれば、それは至難のことである。しかし、イエス様のご生涯を想い、み言葉に耳を傾けることから再び出発しなければなるまい。
新任宣教師 ミルヤム・ハルユさんの紹介
昨年9月、フィンランドの宣教団体SLEYの宣教師として日本に派遣されたミルヤム・ハルユです。現在、2年間に渡る日本語研修を受けています。
フィンランド国教会の各個教会の職員の基本構成は、牧師、音楽担当、ディアコニア担当、青年活動指導者、給与会計、事務員から成っています。私は大学で勉強してディアコニア担当及び社会福祉士の2つの資格を取得し、5年程、国教会のディアコニア担当職員を務めました。ディアコニアの仕事は、病気、高齢、障碍等により支援が必要な人たちに対して信仰的、経済的なサポートを、時に自治体とも協働して行います。
私の実家は、国教会の中でSLEY派が伝統的に強い地域にあり、私の信仰もその伝統に培われたと思います。宣教師養成学校の修了後に、派遣先が日本と決まりました。神様の導きと信じ、決定を受諾しました。将来の働きについて神様のみ旨が示されることを祈りつつ、今は日本語の習得に努めています。
世界宣教委員長 大柴譲治ブラジル宣教50年 記念訪伯団募集
世界宣教委員長 大柴譲治
今年は宣教師として最初にブラジルに派遣された藤井浩牧師が1965年10月31日にサンパウロで宣教を開始して50年目の節目を迎えます。私たち日本福音ルーテル教会(JELC)にとっては世界宣教50周年の年でもあります。そして、この記念すべき年の4月からサンパウロ教会では経済自給も達成されます。これまで私たちはブラジルに8人の牧師を派遣してきました。
藤井浩(1964~71) 塩原久(1972~76) 土井洋(1976~83) 竹田孝一(1983~88) 塩原久(1988~95) 紙谷守(1995~2000) 渡邉進(2002~09) 徳弘浩隆(2009~16)の各牧師とそのご家族です。
10月11日に行われる記念聖餐礼拝に参加するために、JELCは訪伯団を派遣します。
期間は10月9日から22日までの13日間で、費用は43万円。訪問先はサンパウロ、 リオデジャネイロ、ポルトアレグレ、イヴォチ、イタチという関わりの深い場所です。募集人員は25名で、団長は大柴が務めます。
なお、追加オプションとしてイグアスの滝まで足を伸ばされる方は帰国が23日となり、費用は8万円増となります。
申込先はJELC事務局(Fax.03-3260-8641)。申込締切は8月25日です。
旅行についての詳細は募集要項をご覧くださり、ツニブラトラベル
担当・佐藤さん
電話03-3272-2865
Fax.03-3271-5319 sato@tunibra.co.jp
までお問い合わせください。
ブラジルの教会員と共に、神さまの救いの御業に感謝し、宣教50年の歴史を心に刻みつつ、ご一緒に50年を喜び祝い、日伯それぞれの地での世界宣教へのさらなる出発の節目としましょう。ふるってご参加ください。