るうてる 2013年1月号
説教「突き刺さる時間」
日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師 浅野直樹
何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……」
コヘレトの言葉 3章1節~10節
年を越して新年を迎えた今は、一年のうちでいちばん「時」を意識する時期といえます。どんな一年になるのだろう。いい年にしたい。願いがかないますように・・・。期待を希望を膨らませて、それぞれの一年が始まりました。
物理の時間
「時間はどこで生まれるのか」という物理学者が書いた本を読んで、時間の不思議を思わされました。毎日時間にあわせて生活しているので、時間なしには生活は成り立たないのですが、物理学者に言わせると、そもそも時間などというものは存在しないのだそうです。あるのはただ時計であって、それが少しずつ動く様子をみて時間を気にしているわけですが、時計の中に時間の素など入っていない、というのです。そう言われればたしかにそうです。それはいいとしても、次のような説明にはちょっとびっくりしました 。 わたしとその隣にいる人は、ひとつの時間を共有していると普通は考えるのですが、科学者に言わせれば、今という瞬間はだれとも共有できないそうです。
さらには相対性理論と素粒子論という現代科学でみていくと、時間は空間といっしょに考えないと意味がないのだそうです。なんだか狐につままれたような気分になります。私たちの生活の中での時間感覚というのは、物理学者が考えるそれとはかなり違っているようです。けれども私たちにとって、日常の感覚が大切なのはいうまでもありません。
コヘレトの時間
科学が語る時間とはまったく異なるもうひとつの時間、それがコヘレトの言葉だといえます。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・」。 賢者コヘレトは時をしっかりと意識し、いいことも悪いこともひっくるめて時の中に位置づけます。時間という苗床に生活のドラマひとつひとつを植え付けていくように。そしてそうしたひとつひとつの人間模様には、「すべて定められた時がある」と、コヘレトは断言するのです。
この場合「定められた時」というのは、「あなたは来年素晴らしい人と出会いますよ」という占いめいた話ではありません。「何事にも時があり」とは、嬉しいことも悲しいことも、いつそれが起こるか、なぜそうなるかは私たちには知り得ないし、なかには理不尽としか思えないほどつらい時もあるが、確かなことは、そこには神が必ずおられ、泣いても笑っても嘆いても踊っても、どっちに転んでもその出来事をすべて神が支配しておられるということです。愛する時には神がいて、憎んでいる時には神がそっぽを向いて無関心なのではないのです。
神の時間
私たちが日常生活で使う時間というのは、日めくりカレンダーや時計の時間です。過去から現在そして未来へと刻みながらひたすら流れゆく時間です。それに対してコヘレトの時間は過去から未来へコツコツ流れておらず、突如上から降って突き刺さってくるような時間です。手帳で管理できない「出し抜け」の時間です。コヘレトのこの時間は、神の時間を語っています。神の時間なので私たちは予定できません。計画に入れられません。説明がつかないのです。ですからコヘレト自身も呻吟したのです。神がいてくださるのだったら、なぜ救い出してくれなかったのかと。
そんな彼らが最後に到達した結論は、「人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造る」でした。日めくりしながら自分で管理しているつもりの時間は、実は神のご支配のなかにあり、御心が働いていたのです。人間の時間と神の時間は、違っているようにみえても、実のところ同じ時間だったのです。
永遠の時間
コヘレトはこんなことも言っています。神は「永遠を思う心を人に与えられる。」永遠こそ私たちにはどうしようもない時間です。時計で計れません。そもそも長さがあるのかないのか。ただその言葉だけはちゃんとあって、それが私たちを捕らえて離さないのです。神のみに属する「永遠」、このことばによって、私たちは神を想います。神を慕うのです。
私たちの時間は、この永遠の中にすっぽりと包み込まれているのです。見えないのは私たちがその中にいて、外側からそれを眺めることができないからです。私たちは今、永遠の中を生きているのです。
これからの時間
去年同様今年も思いがけずにいろんなことが起こるでしょう。世界で、日本で、そして身の回りで。神は私たちを遠くから見守ってはいません。私たちに介入なさいます。イエス・キリストを私たちの世界に遣わされたように、神の時間は、今も私たちの時間に突き刺さってくるのです。私たちは永遠という神の時間を、生かされて生きています。2013年、時を共有しながら神を礼拝し、いつものように日めくりして暮らしていきましょう。
宗教改革五〇〇周年に向けて
ルターの意義を改めて考える(9)
ルター研究所 所長 鈴木 浩
自動車と運転手の比喩を続けよう。この逆転で重要な言葉の意味合いが劇的に変わってしまった。
「恵み」という重要な言葉を見てみよう。従来の意味では、恵みとは「注がれるもの」であった。言って見れば、自動車に注入されるガソリンだ。無論、神の恵みだから、無料だ。ここでは、その多い少ないが問題になり得る。この前は二〇リットル入れたが、今度は三〇リットル入れた、という具合だ。
ところが、ルターによる逆転で、恵みとは、キリストが運転席から悪魔を追い出し、代わりにハンドルを握ってくれるという「出来事そのもの」を指すように変わってしまう。ここでは「多いか少ないか」ではなく、「あるかないか」だ。言い換えれば、「恵み」が「救い」とほとんど同義語になった、ということだ。
それだけではない。信仰、悔い改め、教会、礼拝、聖餐、罪、善行など、重要な言葉がその意味内容をすっかり変えてしまった。無論、大もとにあったのは、あの「神の義」の理解の逆転であった。
ルターとカトリックの論敵との論争が、たのは、それが原因であった。
牧師の声
「一貫した教会の教育へ」
唐津、小城教会 箱田清美
牧師になって30年以上になりました。わたしよりも若い牧師方の方も多くなりました。何も出来ないで年数だけ経ちましたが、教会教育という方向から聖書を読んできました。それは教会学校のことだけではなく、クリスチャンがその信仰を成熟していくためには何がステップになるのかというクリスチャン教育のことです。勿論、自分自身の未熟な信仰のあり方も含めています。
パウロが言うように、「何とかして捕らえようと努めているのです。」彼は「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」から、そうするのだと言っていますが、教会の皆さんも、そのような意識をどこかでお持ちでしょう。それを生涯の信仰のなかで発展させたり展開したりしていく援けになるもの、それが教会教育でしょう。
この17年ほど、教会の運営する幼稚園に関わる機会を得ましたが、そこで初めて保育者の喜びと、大変なご努力とご苦労とを知りました。教会は、特に女性の努力で幼児教育に多大の力を注いで来ました。現在100年を超える園の歴史を積み 、 社会からも高い評価を得てきました。キリスト教の保育者は「子どもたちに抱き上げ、手を置いて祝福される」イエスの御心を伝えてきました。
しかし、残念ながら小・中・高・大という一貫した祝福の制度がルーテル教会の教育には欠けていますので、祝福を幼稚園から大学まで一貫して繋いで行くことが途切れています。わたしの担当しております園でも、卒園後は教会学校でとか卒園生のクリスマスにということで繋いでいますが、やはり社会制度としては弱いものがあります 。 幼児教育の保育者が心を込めて送り出している卒園児たちを、受け留めていく一貫教育がどこかに備えられないものかと願っています。
「わたしの魂は主をあがめ・・、わたしの霊は・・神を喜びます」という心を心の奥に頂いて、学生が卒業できる一貫したシステムがどこかに欲しいと願っています。
信徒の声
「露払いとして」
大岡山教会/総会選出信徒常議員 小林恵理香
地域活性化の分野では、近年「よそ者、若者、ばか者」の存在が重要視されているそうです。外部視点でその地域の良さに気付き、従来のやり方にとらわれない手法と、「突拍子もない」と思われるような発想を取り入れられるので、彼らの関わりが欠かせないというのです。地域の人がそのような存在を好意的に受け入れ、活用できるかが成功の鍵になるそうです。この話を聞いて、自分が信徒常議員に選ばれたのは、このためかもしれないと思うようになりました。
時間的な制約で信徒常議員は退職後でなければ勤まらないと聞いていたので、現役で朝から残業時間まで働いている私が常議員になるとは想像すらしていませんでした。時間の融通がきき、社会経験豊かで、神学的な知識もある方が選出されれば良かったのに、なぜ私なのだろうというのが就任時の正直な気持ちでした。
実際、常議員会という世界において、年齢的にも私が異質な存在であることは間違いありません。最初に会議に出席した時には、大変な所に来てしまったと先行きに不安を覚えたものです。冒頭の話は成功事例にそのような傾向が見られるということであり、私一人が加わったところで、劇的な変化が生まれるわけでも、ぽんと画期的な施策が出てくるわけでもありません。しかし、私だから言えることも、私だから貢献できることもあるはずだと信じています。 平日の昼間に開催される会議が多く、現在も欠席率ダントツ1位を更新中ですが、どういうことが困難なのかを互いに認識する中で、仕事を持った人や幅広い世代の人が関わりやすいやり方も見えてくることでしょう。
私はこれまで青年活動や次世代育成の取り組みに関わってきました。何よりもうれしいのは、より若い世代が「次は自分たちもやってみたい」と言ってくれることです。近い将来、彼らが信徒常議員に選ばれたとき、思う存分「よそ者、若者、ばか者」力を発揮できるように、露払いとして頑張ってみようと思います。
JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート
JLER派遣牧師 野口勝彦
被災地も震災後二度目の新年を迎えました。皆様のお支えとお祈りによりルーテル教会救援の支援活動も今年、三年目を迎えます。今年も引き続きご支援いただければ幸いです。
さて、今月号では昨年の被災地でのクリスマス風景を二つご紹介します。
『こころに沁みるクリスマス・ハープコンサート』
昨年に引き続き、ルーテル学院大学と日本ルーテル教団・Lutheran Church Missouri Synodのご協力により石巻市の相川保育所、ディサービスセンターはまぎく、仮設追波川多目的団地集会所でレベッカ・フラナリーさんによるクリスマス・ハープコンサートが開催されました。(写真)
コンサートはルーテル学院の学生の方によるアイスブレークではじまり、レベッカさんの素敵なハープ演奏、武蔵野教会員の方の指導による「ふるさと」などの合唱。そして、最後は、ピーター・リースさん扮するサンタクロースからのプレゼントで思い出深いクリスマスのひと時を終えました。
仮設団地のコンサートは、被災児支援の地元NPO子育て支援アシスト・エフワンさんとの共催により開催しましたが、コンサートの最後には、そのプログラムに参加されている男の子から素敵な花束がレベッカさんに贈られました。仮設団地では「ふるさと」を合唱しながら涙ぐまれる方もおみえで、また、来年も来てほしいという声が会場には溢れていました。
『こころのこもったクリスマスプレゼント!』
現在、「となりびと」では、石巻市内6ヶ所(約1000世帯2300人)の仮設団地でお茶っこサロン活動を展開しています。昨年の12月には、そのサロンに参加されている方々に北海道特別教区女性の会からのクリスマカードと雪ケ谷教会からのお菓子袋、そして、東教区女性会の方のクリスマスオーナメントをクリスマプレゼントとして差し上げました。生まれてはじめてクリスマスカードを受け取った方もおられ、どの方も喜んでクリスマスカードとプレゼントを受け取ってくださいました。
バッハのカンタータを聴く
クリスマスオラトリオ (第4部~第6部 BWV248)
楽譜を見ると、頭に♯や♭がついている。今のわれわれにはドレミの音の高さを表す記号くらいにしか思えない。今は「平均律」になり、楽器もそのように調律されているからである。バッハの時代は漸く平均律が導入される頃、ピアノの隣り合う鍵盤の音の間隔もまだ平均的ではなかった。だからハ長調とか、ヘ短調とか言っても、計24になる長調と短調の趣はそれぞれかなり違っていた。これらの調を論じる当時の何人もの音楽評論家の記述を読んでも、調毎の響きの模様を伝えていて面白い。バッハと親しかったマテジウスもいろいろな調について論じて、たとえばロ短調などは「傷心の、メランコリックで、常に修道院からは斥けられており、あまり用いられない」調と言っている。 ところがバッハはこの調をキリストの苦難や十字架の調として用いて、遂には「ロ短調ミサ」まで残している 。 当時としては格別のことだったのだ。
クリスマス・オラトリオの後半は一月一日、新年であって「主の命名日」の礼拝で歌われた第四部から始まる。音楽の面で言うと、クリスマス・オラトリオは総じて♯の調性(ニ長調、ロ短調とその平行調)で整えられている。それが長調であれば、神の栄光や勝利、その救いの確かさを示し、短調であれば、苦悩や苦難を示すのが当時ある種音楽上の約束事でもあった。 その中で第四部だけは♭ひとつのヘ長調であるのに注目させられる。CDで続けて聴いていると、そこで調性が変わることがはっきり分かる。
バッハからほぼ百年前のシュッツのクリスマス・オラトリオもヘ長調である。ルカ二章二一節、主の命名のみを伝える聖句に拠るこの第四部をバッハはこの伝統の調で歌い上げようとしたのだろう。「固くて、あまり用いられない」この調を使って、イエスの命名の、稀な、確固たる出来事の様を示そうとしたのだろうか。バスのアリア(38、40)も、第四部の結びのコラール(42)もほとんど各行の冒頭で、頑なまでに「イエス」の名を繰り返すのが印象的である。
だから跳んでしまうようだが、第六部つまりオラトリオ全体の結びにもなる終曲のコラール(64)がまた印象的である。キリストによる勝利を歌う歌詞に用いられるメロディーはまたも受難のコラール「血しおに染みし」であり、しかも全体はこれに基づいた、トランペットの鳴り響く勝利の全楽器演奏がリードしている。これまた、キリストの降誕の出来事の信仰的な意味をルターの語った逆説でとらえた見事な音楽的説教と言わなければならないだろう。
「希望のはと」
ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)
四十余年前、衝撃的出来事に遭遇し、暗転した心に平安を求めてヨーロッパの旅に出た。
ローマでは 、 アッピア街道傍らのカリストのカタコンベを訪ねた。キリスト教徒迫害の嵐が激しくなった頃、この地下の暗いトンネルの中に逃れ、礼拝を守っていたといわれる。
その当時の壁画やレリーフの中に、石棺の表にオリーブをくわえた鳩を見つけた。無名の素人の印刻(写真上)であるが、今まさに新天新地に緑が蘇った「しるし」 を持ち帰った鳩の姿である。
ノアたちは、天窓をこじあけて、待望の緑を見て、どれほどの喜びと感動を持ったことであろう。罪人の世界が大洪水によって壊滅したが、真の平安のある新天新地が備えられているのである。
地上の有名な芸術作品よりも、この希望のはとの印刻に深い感動を覚えた。
古都奈良にも奈良ルーテル教会ができて、「希望のはと」 のステンドグラスを制作した。(写真右)ダル・ド・ベール(25①の厚板ガラス)のステンドグラス。
「鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉を加えていた。」 『創世記』8・11
第16回 全国青年修養会報告
実行委員長 豊田悠二(京都教会)
11月23日~11月25日の2泊3日で京都教会を会場に「第16回全国青年修養会」が行われました。部分参加の参加者が多いものの全国から牧師も含め総勢27名の青年が集められ、充実した時間を共有することができました。
今回のテーマは「信仰」でした。主題聖句を「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです 。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」(ヘブライ人への手紙11:1~2)とし、京都にゆかりのある二十六聖人やキリシタンの歴史を学びながら昔の人たちの信仰を知り、自分たちの信仰を見つめなおす機会が与えられました。
2日目の午前は「京のキリシタン史跡を巡る」という本の著者である杉野栄牧師(洛西バプテスト教会)をお招きして講演をいただきました。西洋の宗教画における先入観、フランシスコ・ザビエル、キリシタンの生活(信仰・文化・医療・教育)、二十六聖人を代表とされる殉教のことなど本当に多くの事を知ることができました。
私たちはクリスチャンでありながら知らないことだらけであること、迫害されていた時代も信仰があるからこそ現代まで続いていることを深く学ぶことができました。
また、マリア観音、踏絵、キリシタン魔鏡など普段目にすることができないような物も見せていただきました。
午後から京都のキリシタン史跡を巡るフィールドワークをおこないました。大徳寺の瑞峯院(十字の庭・キリシタン灯籠)・高桐院(細川ガラシャの墓石)、元和の殉教碑、二十六聖人の出発地を巡りました。京都の観光も兼ねながら、当時のキリシタンの思いを巡らせました。
3日目には自分がなぜ教会に行き出したのか/自分にとっての教会とは何か/自分の信仰生活をどうしていきたいのかをそれぞれグループでシェアをしました。自分の信仰生活のルーツ(過去)から未来への話をシェアできたのは良かったと思います。
*現在、青年会の活動予定や状況はブログやFacebookにて共有しています。是非、ご覧になってください。
全国青年連絡会ブログ http://jelcy.blog.fc2.com/
全国青年連絡会Facebook http://www.facebook.com/zenseiren
「神さまの時」
定年教師 山本 裕
2012年11月22日、神学校同級生、三浦芳夫くんが、天に召されました。前日、M牧師と、三浦知夫牧師と食事を共にし、お父さんのご様子をお聞きしたばかり。「マアマアです。車椅子ですが、割合元気にしています」。「そうか、よかったなー」と思っていましたが、次の日、午前9時頃、知夫牧師から「父が、今朝亡くなりました」。 まさに絶句です。
その後、さまざまな電話があり、みのり教会で11月25日(日)午後6時から前夜式、説教は山本、そして26日(月)午前10時半から葬儀、説教はやはり同級生であった、森部信牧師(九州在住)と決まりました。
前夜式の時、私は、彼の愛誦聖句『神のなさることは、その時にかなって美しい』(伝道の書3・11)から説教しました。その説教の中で、「神学校時代、他の友人たちが、勇ましく激論する中、彼が、ポツリポツリと語った、こんな言葉を、今でも覚えています」と話しました。『自分は不器用だから、小さい教会で一人一人に向き合いながら、神様の言葉を、地道に伝えていきたい・・』。 「彼が見つめる視点は、少し違うな」と、私は思いました。 「人間の時」よりも『神の時』を、思い見ているのではないか・・と。 そして卒業してからの任地は、彼が願ったような、教会でした。
そして一人一人に言葉をかけ、訪ね、手紙を書くと言う、地道な働きが続きました。
「残された者は、天に召されたものに、何もすることが出来ないが、召された者は、残されたものに、多くのことを語りかける」。これは真実です。
牧師としてのそれぞれの道を歩んで50年…、ご子息、知夫先生の所にいらっしゃった三浦先生は、私にとって再び「三浦くん」に戻りました。 お孫さんと共の、幸いな豊橋(愛知県)での9年間でした。 今も奥様に、知夫先生のご家族に、また私に、さまざまなことを語りかけます。 地上と天上は、続いています。
主の平安がありますように。