るうてる《福音版》2007年4月号
バイブルエッセイ 「見えないものは永遠」
見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリント信徒への手紙 二 4章18節(日本聖書協会・新共同訳)
「体力自慢のわたし」のはずでした。ところが……。
長男とかけっこしていたとき。喜ばせてやろうと思って、走りながら長男のわき腹辺りを後ろから捕まえて、抱えたまま走ろうとしました。四歩か五歩走ったところで、足がもつれて転倒。喜ぶどころか、地面に落とされて、したたかに打ちつけられた長男は、手や足に傷を負う始末。血もダラダラ。骨が折れなかったのは、不幸中の幸い……。あれ、こんなはずではなかったのに……。この子を抱えたまま走れるくらいの体力があったはずなのに……。こんなに体力落ちていたか……。
新聞を読んでいたら、「どんな時に加齢を意識しますか」という問いに対するアンケート結果が掲載されていました。
男性の1位は「体力の衰えを感じた時」で、58%。納得しました。「記憶力の低下を感じた時」、「肌の老化を感じた時」と2位以下は続きます。男性が、(たぶん特に女性の前で!)自分の体力を誇りにしていることが見えてきます。
「これ開けてェ」と女性からジャムのビンを渡されると、「フン」と言って開ける。「うわあ、すごぉい、さすがぁ」と黄色い声で言われると、「まだあるなら、持って来なさい」と社長さんになった気分です。その体力が、少しずつ失われてくる……歌を忘れたカナリア。いや、そんな美しいものではなく、つのを折られたカブトムシみたいです。
一方、女性は……。「肌の老化を感じた時」が78%で、堂々の第1位。2位も「体型に崩れを感じた時」、そして、「体力の衰え」、「記憶力の低下」と続きます。女性が(たぶん男性の前で!)見てもらいたいと誇っているもの、あるいは見られていると意識しているものが何か、うかがえます(ご心配なく。男性の一人として申し上げますが、美しさは、内面からジワーッと出てくるものですよ)。
「草は枯れ、花はしぼむ。」
紀元前6世紀ごろに書かれたといわれる旧約聖書の一節です。
「雑草のごとく」とたとえられるたくましさの象徴である草。その草も枯れる。
「蝶よ、花よ」と、美しさの代名詞である花。その花もしぼむ。
時間と共に失われていくものが、たくさんあります。≪それ≫を失った時、いかに、自分が≪それ≫に頼っていたか、知らされます。≪それ≫を持っている間は、≪それ≫をそんなに頼りにしているとは思っていなかったけれど、≪それ≫を失った時、≪それ≫を頼みにしていた自分を知らされる。
どんなに力強く見えるものも、どんなに見目麗しく目を奪い、心を奪うものがあっても、≪それ≫はいつか消えていきます。
消えないものはあるのでしょうか?
「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」「あなたのこと、生まれた時から、ずっと見守り続けている。何が失われても、だれが見捨てても、わたしはずっとあなたの味方。いつも、あなたを見守っている」という、神の言葉は、永遠に変りません。旧約聖書の書かれた紀元前から、21世紀の今に至るまで。
頼るべき≪それ≫を、今日から、ここに見いだしてみませんか。
パパレンジャー
大人を育てる 絵本からのメッセージ
いいこって どんなこ?
絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。
「褒め育て」? 「叱り育て」?
世間では、褒めて育てるのがいいと言われたかと思うと、叱れない親が問題にされることもあります。情報過多の中で、どれが本当?と思われる方もいるかもしれません。その中で私はこう思います。自分流が一番!だと。表面に見えるものは「褒め育て」でも「叱り育て」でも良いのです。大切なのは、そのベースに子どもに対する「愛するこころ」をどんなときも持ち続けることではないでしょうか。静かにおとなしくしてくれるから子どものいいなりにゲームやビデオを与える、日常のストレスをぶつけるような叱り方をする、そんな「(大人に都合の)いいこ」として育てられた子は、本来の自分を出す場所と機会を見失ってしまいます。子どもが自分でいられる時間と場所を提供することが親の役割のひとつではないでしょうか。
いいこってどんな子?
絵本の中で、うさぎのバニーがおかあさんに尋ねます。『ぜったい なかないのが いいこなの?ぼく、なかないようにしたほうがいい?』おかあさんは答えます。『ないたっていいのよ。でもね、バニーがないていると、なんだかおかあさんまで かなしくなるわ』その後にも『いいこって つよいこのこと?』『おこりんぼは いいこじゃないよね』など、バニーの質問は続きます。その度に、お母さんはバニーの心に真っ直ぐに向かいながら丁寧に答えていきます。そして、最後にバニーが『じゃあ、おかあさんは ぼくがどんなこだったら いちばんうれしい?』と尋ねると、おかあさんはニッコリ笑ってこんな風に答えました。『バニーはバニーらしくしていてくれるのがいちばんよ。だっておかあさんは、いまのバニーがだいすきなんですもの』
ある牧師先生に「神様は、わたしたちひとりひとりをパーフェクトなものとして、この世に作られたんだよ」と教えられました。私たちは、表面の部分において「もっと美人だったら」「足が不自由で無かったら」とか、内面においても「もっと思いやりがあったら」と自分自身に対しても周りの人に対しても、あれが足りないこれが足りないと思ってしまったり、人をうらやんでしまうことがあります。でも神様は、そのままのわたしたちを「よし」としてくださっているのです。決して欠けている足りない人間ではなく、大切な個性を持つひとりひとりとしてこの世に生命を与えてくださったのです。
絵本からのメッセージ
親になる訓練を受け、親免許を取って親になるわけではありません。子どもを育てる機会が与えられて初めて親になるわけですが、実際には子ども育てながら親としての自分も少しずつ育てられていくのだと実感しています。
この本には、子どもを丸ごと受け止めて抱きしめることが難しくなったとき、「こんな風に気持ちを伝えられたら」と思える心と心を結ぶためのヒントがちりばめられています。
HeQiアート
Elijah is taken up to Heaven by He Qi, www.heqiarts.com
エリヤ天に上げられる
彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。
列王記下 2章11節
たろこまま いのちを語る
私は裸で母の胎を出た(ヨブ記1章21節)
新しい方の新コーナーを期待してた方、すんませんっ! 再々度たろこままです。
これまた何かのご縁で更に1年ここにお邪魔することになりました(いいのかなあ……悩)
昨年度は毎月一つ、様々な「とき」について語ってきましたが、今年いただいたお題はズバリ「いのち」です。―う~ん、これが実は難しかったりして(笑)。漢字一文字で簡単と思いきや、その実態はいい年こいたワタシにも分からないんですよね←いいのか? 大好きなアイドルの名前の下に「○○命」と書けば憧れの人への気持ちを表し、名の上に命をつけると「命名」で、生涯その人を示すたった一つのものにもなり。命自体、生命のすべてが持って生まれる「かけがえのないもの」にも関わらず、誰一人「これだ!」と示すことのできないものなんですよね。
あなたは、この「いのち」の響きから何を連想なさいますか? 自分の命、大切な人の命でしょうか?
人の命の枠を越え、植物にも命があり……見渡せば私たちは実に沢山の命に囲まれて生きています。こんな感じで決して語り尽くせはしないだろうけど、来月から11回にわたり、たろこままが命を語ります……って、なんだか古の書物(宇宙を語る?)みたいなタイトルになっちゃいましたねえ(笑)。中身はいつものノリの予定(爆)、3時のおやつをつまむ気分で読んで頂けたら幸いです。