るうてる《福音版》2006年6月号
バイブルエッセイ「選ばれし人、それは……」
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
ヘブライ人への手紙 11章8節(日本聖書協会・新共同訳)
じっくり人を育てる余裕がなくて、何かと「即戦力」が求められることの多い世の中のようですが……。
こんな逸話はどうでしょう。
Aさん…アイデア不足を理由に新聞社をクビになる。何回も倒産。
Bさん…教師から「頭が悪くて、何一つ学ぶことができない生徒」と酷評される。
Cさん…4歳になるまで言葉をしゃべらず、7歳になるまで字を読めなかった。先生は彼のことを、「頭は悪いし、友達とは遊べないし、ばかげた空想の世界にいつまでもひたっている」と言っていた。結局学校を退学になり、チューリッヒ工業学校にも入学できなかった。
Dさん…彼の父は、「不肖の息子を持って情けない」と嘆いた。学校では最低の評価をつけられるし、美術学校の入試にも三回落ちた。彼のおじに言わせると、“どんな教育も無駄”だった。
Eさん…大学を成績不良で退学に。「何も学ばず、学ぶ気もない」とみなされたため。
Fさん…倒産を五回も経験。
Gさん…最多三振記録保持者。
著作品『H』…18社で出版を断られる。
Aさんの名は、ウォルト・ディズニー。ディズニーランド建設前のエピソードです。Bさんの正体は、発明王トーマス・エジソン。Cさんは、アルバート・アインシュタイン。Dさんは、彫刻家ロダン。Eさんは、『戦争と平和』の著者トルストイ。Fさんは、自動車王といわれたヘンリー・フォード。Gさんは、かつて大リーグの最多ホームラン記録を持っていたベーブ・ルース。著作品『H』は、マクラミン社で出版されるや5年もたたないうちに米国内で700万部を売り上げた『かもめのジョナサン』でした。
(上記の情報は、ダイヤモンド社『こころのチキンスープ』から)
結果が出ないのは辛いことですね。気持ちばかり焦って、空回りばかり。
でも、いつ、どこで、どんな形で、答えが出るのか、おそらく人にはわからないのです。そんなもんです。
だから、くよくよしないで。
あなたの中に眠っている才能は、いつか、きっと開花します。今は芽も出ていないかもしれない。でも、人の心を動かしたり、世の中を変えたり……あなたが思っている以上に、あなたはすごいんです。
えっ? 何を、キョロキョロしてるんですか。
あなたに言ってるんですよ、あなたに!
絶対に希望を捨てないで! お願いしますョ。
パパレンジャー
心の旅を見つめて 堀 肇
「柔らかな新芽であるから」
幼少期の育てられ方が
長い間、人の心のケアなどに携わってきて身に沁みて思うことは幼児期とそれに続く児童期の育てられ方の大切さです。問題を抱えておられる方の多くが、この時期の辛く悲しかった思い出を語られます。
友だちにいじめられたり仲間外れにされたり、というような子ども社会での問題もありますが、子どもから見れば圧倒的な力をもって存在している親の不適切な養育態度などによって傷つけられてきたことを、まるで昨日の出来事のように語られるのをどれほど聞いてきたかわかりません。
学校であった辛いことを家に帰って親に話したら「何よ、そんなことぐらいで」などと取り合ってもらえなかったり、時に甘えたい気持ちがあって「おかあさん」と話しかけたら、「うるさいわね」と撥ね除けられたりする、こんなことで子どもの心は傷つくのです。また成績のことなどで、まるで「駄目な人間だ」と言わんばかりの評価をされたりすると心は歪んでしまいます。
柔らかな芽が
これらの多くは親に悪意があるわけではなく、子どもの心の動きに気づいていないということなのです。ことに頑張って生きてきた親たちは子どもたちの心の苦しみが分かりにくくなっているところがあるのではないでしょうか。この幼少期の心は植物の成長過程にたとえると分かりやすいと思います。
幼い子どもの心は、ちょうど地中に蒔かれた種のように大地に根を下ろし時を待ちます。やがて芽を出し、太陽の光を受け、ゆっくりと地上へ伸びていきます。ふたばの時期(幼児期)を経て自我が拡張する新芽の時期(児童期)を迎えるわけです。P・トゥルニエ(スイスの医師・精神療法家)は、この時期を「それはやわらかな芽がふき出て、光に向かって開きはじめる時期であり、また巨大な恐怖を呼び起こすこの世へと足を踏み出す時期です。この柔らかな芽は、色とりどりの香しい宝をひそやかに身内に秘めています」と美しく述べています。ここで心に留めておきたい点は、この「柔らかな芽」が吹き出す頃の心は傷つきやすいデリケートな状態にあるということです。
愛をもって支えることが
大人はこの微妙な時期について意外に鈍感になってしまっているのではないでしょうか。トゥルニエはこのことを「蕾は感じやすく傷つきやすく、ほんのちょっと霜がおりてもしぼんでしまいます。ですから蕾は温度とおおいを必要としている」と言っていますが本当にそうなのです。子ども時代に親や教師から受けた温かな励まし(温度とおおい)がその後の人生の支えになったと語る人は少なくありません。逆に運わるく「霜の影響が老年に至るまで見てとれることがしばしばです」と続いて述べている観察も本当です。
芽を出した子どもたちは知的能力を発達させるだけでなく、やがて親の価値観や道徳観また社会の規範や自分をコントロールする能力も身につけていきます。そのためには、各々に合った「温度とおおい」が必要なのです。けれどもこのような理解を持つためには親はまず子どもを自分の所有物でなく「神から賜わった」(詩編127編3節・口語訳)尊い人格として受け取り、愛をもって育み接していくことが必要ではないかと私は思っているのです。
HeQiアート
The Risen Lord, by He Qi, www.heqiarts.com
「天に上げられる」
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にて、神をほめたたえていた。
ルカによる福音書 24章50~53節
たろこままの子育てブログ
「耐えるとき」
雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない(イザヤ書 55章10節)
6月。本州以南は梅雨真っ盛りでしょうか。
上記のセリフ、一見他人事に聞こえてなりませんが、北海道はそちらのようなじとじとした季節がありません。その代わりにこちらは1年の約1/4を雪に閉じ込められての生活です(笑)。夏も短く、海で唇を紫色にせず楽しむとするとお盆くらいしかありません。
どの道どこかで何かを我慢して生活しなくてはならないのは、日本中きっとどこも似たようなものかもしれませんね(お金があれば過ごしやすいのも、どこも似たようなもの??)。
母親的な視線からすると、このシーズンはあまり洗濯物も乾かず、折角作った料理も腐りやすく、いつもより神経を使わなくてはならない時期ですね。子どもが小さければお出かけもしづらく、自宅で子どもとみっちり向き合って過ごす毎日でしょう。
高校時代の親友の1人も、年子のお子ちゃまに翻弄された時期でした。
お片づけしなさいと言っても片づけるはずもなく、おもちゃも畳んだ洗濯物も積んだものを端から崩されるのが関の山で、しまいには棚もタンスも押し入れもまるで強盗に入られたかのようだったそうです。トイレに行きたくなったら教えてねとお願いしても事後報告専門で、毎日「ここは賽の河原か?」と思ったと溜息をついてました。
あれから5年。彼女は肝も据わって、鷹揚な笑顔の似合う素敵な「おかっつぁん」になりました。 「いいのよ、雪だって春になれば溶けるし、多少雨に濡れてもしばらく放っておけば乾くし。部屋が多少ぐじゃぐじゃにされたって、掃除機かけられなくったって、それですぐに死にはしないだろうし、ねえ?」
私は今でも彼女のこの言葉が大好きです。 涙や汗、雨や雪続きと思える出来事も、その人を温かく豊かにする「人生のスパイス」なのかもなーと、今日もカレーライスを作りながら思うのでした。