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バイブルエッセイ

にもかかわらず

「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」
(マタイによる福音書26・28)

全聖徒の日を意識して本寄稿の準備をし始めた頃、神水教会一信徒の門脇愛子さん(門脇聖子牧師のお姉様)が突然召され、聖徒となられました。一連の葬儀において、角本牧師とともに愛子さんが過去に神水教会の月報に寄稿されていた内容や人生の記録として残されていた事柄を分かちあいました。愛子さんにとっては空気のようで生ぬるい信仰であった一面を書かれていました。たとえば牧師家庭に育ったため洗礼を受けるのはあたりまえで感動はなく、教会が空気のようだったとか、山に行くといっては礼拝を休んでいた事。また教会役員に選出されてしまい辞退したが辞退を認められなかったため教会出席を半年間ボイコットした等々です。にもかかわらず神は愛子さんを愛しつづけました。周りにはやや不真面目にも見えてしまう愛子さんの姿に共感を覚える方がいて、洗礼を受ける決心をしたそうです。神が愛子さんと周囲の人々をすべて良きに導いてくださっていたことを確信するのです。そして、生前の愛子さんを知る人々は、愛子さんとの天国での再会を楽しみにできます。
しかし、この世から天への旅立ちにはいろいろなケースがあり、天国での再会を楽しみに待つような気持ちにはなかなかなれない方もいます。アメリカで牧会中、メアリさんという方が50年ほど前に体験した事件を聴くことになりました。当時メアリさんは30代になったばかり、幼い長男、長女、次男の3人の子育てに大忙しでした。彼女の父母もいっしょに暮らしていて、自分を育ててくれた愛情豊かな両親なので、大好きだったのです。

しかし、メアリさんの父は仕事を引退したころから、アルコールを飲みすぎるようになり、またドラッグにも手を出していたようです。ある日、彼は突然、銃をとり、娘のメアリさんと孫たちがいる前で、自分の妻、つまりメアリさんの母親を銃で撃ち殺し、さらに銃で自死したのです。銃声はひびきわたり、隣人、警察、そして、新聞社もつめかけてきました。メアリさんは、どうやって対応できたのか、数週間をどうやりすごす事ができたのか、今でも思い出せないそうです。しかし、両親が血だらけになったことは、はっきり彼女の記憶に残り、トラウマとなり続けました。そのときのことを話せるようになるには、何十年もかかりました。彼女は定期的にイエスの体と血をいただく信仰生活を何十年も続けました。現在は、あれほど悲惨な両親の死を体験したにもかかわらず、イエスの血により自分も天国にいる両親も赦されて平安を得ていることを確信できると言うのです。

イエスは人々に仕え、自らを無にし、十字架刑で人類の罪の赦しのための捧げものとなってくださいました。その十字架刑の前の晩には弟子たちに聖餐式をしています。それは、その場にいた弟子たちだけのためではなく、わたしたちを含む将来の弟子たちのための、罪の赦しの契約でありました。しかし弟子たちには、そのイエスの体と血をいただく意味はすぐにはわかりませんでした。翌日、ユダヤ人も異邦人も共謀して、神の子イエスを十字架刑につける時、弟子たちは、逃げ出してしまいました。そのような弟子たちであったにもかかわらず、三日目にイエスは復活され彼らの前にあらわれ、何ら咎めることもされずに赦し、聖霊を送り、あなた方に平安があるように、と言われます。
一度洗礼を受け、繰り返し受ける聖餐式を通して、この世に生きている者も、すでに天に召された者も、これからこの世に生まれてくる者も、罪の赦しと平安が約束されます。聖餐式の際、罪の赦しをメアリさんのように実感できるようになる人もいれば、空気を吸うように無意識に聖餐式を受けている人が多いのも事実でしょう。どのような人が聖餐式を受けていようが、人知を超えた全治全能なる神は、時代を超えて徹底的に一人一人を愛し、赦し、よき道へと導かれており、イエスの体である教会も強くなります。

日本福音ルーテル神水教会・松橋教会派遣宣教師 安達 均

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