笑顔で、寄り添う
「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」
ルカによる福音書6章21節
1983年4月2日、その日はイースターの前日で、私は黒崎教会(既に解組)で最初の礼拝を迎える準備をしていた。按手を受け、牧師として最初の礼拝に、緊張しつつも熱い意気込みを抱いていた私に、友人から電話があった、「るつちゃんが死んだ!」と。意味が分からず黙している私に、友人は「フィリピンで溺れた子どもを助けようとして飛び込み、子どもは助かったけど彼女は亡くなった」と状況を説明してくれて電話は切れた。
藤崎るつ記さんは旧日本ルーテル神学大学福祉コースの学生で、私より2学年下級生であった。同じボランティアクラブに所属していたこともあって、食堂で一緒になるといろいろな話をしてくれた。笑顔を絶やさない活動的な学生で、卒業後フィリピンに留学して1年後のことであった。あれから17年後、私は市川教会に着任した。数カ月たったある土曜日の午後、笑みをたえた白髪の男性が教会の庭に立っておられた。藤崎信牧師、るっちゃんのお父様であった。近くにある信徒の方が始めた教会で月1回説教の奉仕をしていること、ルーテル教会だったから寄ってみたとのこと。それからは殆ど毎月のように訪ねてくださっては「元気ですか?」と笑顔で声を掛けてくださった。るっちゃんがそうであったように、笑顔で寄り添うことは多くの言葉よりも慰めや励ましになることを、私はお会いするたびに感じていた。
「ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちのところに来られたイエスは、どんな表情をされていたのだろう。手とわき腹をお見せになりつつ、表情は穏やかで微かな笑みをたえておられたのではないだろうか。だからこそ彼らは「主を見て喜んだ」(同20・20)のだ。エマオの途上(ルカ24・13以下)、暗い顔の2人の弟子が主イエスの十字架の死と空の墓のことを話しているのを聞き、一緒に歩きながらイエスはどんな表情をされていたのだろう。ガリラヤ湖畔に戻っていた弟子たちに現れたイエスは(ヨハネ21・15以下)、ペトロに三度「私を愛しているか」とお尋ねになりながら、どんな表情をしておられたのだろうか。穏やかで微かな笑みをたえたイエスを思い浮かべたとしても、決してそれは間違っていないだろう。主の十字架と復活の出来事は、私たちの恐れや不安を取り除くためであり、私たちが笑顔を取り戻すためなのだから。
「助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉(引用者注・マタイ25・35~36)があるんです。」「私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、『そんなこと(引用者注・食事支援等)で得意顔をするな﹄ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに『ありがとう』と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。」「調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。『私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた』」「ない人には施してやれ、ということではなかったのです。」(本田哲郎神父、2011年7月8日真宗大谷派圓光寺での講演より)主イエスが十字架に付けられ復活されたのは、単に恵みとして与えられたのではなく、私たちが地上の命を喜んで生きるため、何よりも私たちが笑顔を取り戻せるようにと、罪を贖い、死への恐れを取り除いてくださったのではなかったか。
笑顔で寄り添ってくださる主は、十字架と復活を受け入れた私たちに告げてくださいます、「あなたがたは笑うようになる」と。
(参考・藤崎るつ記記念文集編集委員会編『るっちゃんの旅立ち—ボトランの海で命ささげて』キリスト新聞社1984年)