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バイブルエッセイ

「善意を贈る」

 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。」
(ルカによる福音書6章27節b〜29節a)

  京都市交響楽団定期演奏会が、3月12日(土)に京都コンサートホールにおいて開催され、藤村実穂子さんが、マーラーの『リュッケルトの詩による5つの歌』を熱唱しました。その中の第4曲「真夜中に」の歌詞を紹介します。
「真夜中に/私は目を覚まし/天空を仰ぎ見た/群れなす星のどれひとつとして/私に笑いかけてはくれなかった/真夜中に/真夜中に/私は思いにふけり/それは暗闇の果てにまで及んだ/真夜中に/〔だが〕私を慰めてくれるような/明るい思いつきは何ひとつなかった/真夜中に/真夜中に/私が注意を払ったのは/心臓の鼓動/たったひとつ苦悩の脈動だけが/あおり立てられていた/真夜中に/真夜中に/私は闘いを挑んだ/おお人類よ、おまえの苦悩のために/私は闘いを終わらせることができなかった/自らの力では/真夜中に/真夜中に/私は自分の力を/あなたの手に委ねた/主よ、この世の死と生を/あなたは夜通し見守っておられる/真夜中に」(山本まり子訳)。
 藤村実穂子さんは、今、このマーラーの歌曲を歌う意味について、インタヴューに答えて、およそ次のように述べています。「ウクライナの映像が、毎日流れています。昨日まで普通に暮らしていた人たちが、1日で、自分たちの国から出て行けって言われる。こんなことが起こるなんて、誰も思っていなかった。醜悪なものに対する答えは、『美』だと思うんです。大きな声をあげる方も素晴らしい。デモンストレーションをする方も素晴らしい。だけど、私は歌手なので、音楽という、天才たちが残してくれた作品を通して、自分が言いたいことも伝えられたらいいな、と思います」(『クラシック音楽館』NHK・Eテレ2022年4月17日放送)。
 私たちは、キリスト者なので、醜悪なものに対する答えは、美しい「神の言葉」である、と信じています。そして神は、この世の生と死を、夜通し見守っておられる方である、と信じています。ですから私たちは、自分の力を神の御手に委ねるのです。
 神は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)方です。このような神の無限の愛を経験する者は、その愛に満たされて、その人自身も敵を愛する者とされます。
 だから、キリストは私たちに、こう命じられたのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」(ルカ6・27b〜29a)。そしてキリストは、教えられた通りに、自分を殺す者たちを、神に執り成しながら、彼らによって殺されました。
 このようなキリストの在り方を説明して、哲学者の岩田靖夫さんは、次のように述べています。「自分を守るために、他者を殺さない。復讐しない。不正を加えられても、不正を返さない。どのようなときでも、どのような他者にも、善意を贈りつづける。それは、他者に対して限りない畏敬の念をもつ、ということである。他者のうちに、神の似姿を見る、ということである。そこを目指して努力するのでなければ、どのような工夫をこらしても、それは、戦争の可能性の危うい隠蔽に過ぎない」(岩田靖夫著『いま哲学とはなにか』岩波書店2008、202頁)。
 神は私たちに、「殺してはならない」(出エジプト20・13)と命じておられます。なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。それは、人を殺すことが、神の無限の愛にもとる行為であるからです。私たちはキリストにならい、他者に対して限りない畏敬の念を持ち、どのような時でも、どのような他者にも、善意を、そして美しい「神の言葉」を贈りつづけたい、と思います。

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