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バイブルエッセイ

使命に生きる

「そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。』」 ルカによる福音書10・2〜3a

新型コロナウイルスの蔓延は、国内ではいったん下火になってきたように見えます。しかし第2波、第3波が心配されていますし、世界的に見れば、南半球に感染が拡大し留まることを知りません。今や世界史的な人類の危機と言っていいと思います。現代の私たちが、かつて経験したことのないこの事態を受け入れることはなかなか難しいのですが、私たちはそれでも立ち向かっていかざるを得ません。
 危機的な感染拡大と自粛ムードの中、イタリアのクレモナの病院の屋上で演奏した日本人のヴァイオリニスト横山令奈さんの姿が、ニュースやSNSで話題になりました。その美しい演奏には医療関係者への感謝と患者さんたちへの励ましの祈りが込められていたといいます。私も大変感動しました。そこでは何曲か演奏されたようですが、私が聴いたのは「ガブリエルのオーボエ」という曲でした。私はなぜこの曲が選ばれたのか不思議に思いました。これは映画「ミッション」のテーマ曲です。ここからは私の思い込みです。そこに込められたのは、「ミッション」に描かれていた宣教師の使命と医療従事者の働きと使命感を重ね合わせたのではないか、つまり「使命」に生きる者への敬意ではなかったかと思うのです。患者も医療関係者も有効な治療法のない中、命の危険に冒されながら立ち向かえるのは、この使命感をおいては何もないと思います。医療関係者には人の命を救うという使命感、患者さんたちは生きるという使命感です。
 人はいろいろな生活の場、働きの場、環境に遣わされています。自分で選んだ働きもあるでしょうし、成り行きでその場にいることになったかもしれません。何かの力に押されてその場にいる人もいると思います。イエス様の弟子たちの何人かはイエス様に直接選ばれて従いました。しかし多くの名もない弟子たちは、イエス様に引き寄せられて、さほど強い決意のないままに従ったのではないかと思います。冒頭の聖句で、イエス様は72人の弟子を宣教に遣わされます。それはみ言葉の伝道だけではありません。癒しの業であり、教育の働きであったと思います。聖書を読むと、彼らにその準備が十分にあったとは思われません。「何も持っていくな」と言われ、ほとんど「手ぶら」で、託された「使命」だけが与えられて出かけているように見えます。彼らの行く手には良い結果だけが待ち受けているわけではありません。むしろ困難なことが多くあることをイエス様は予告されました。どんなに不安なことだったでしょう。
 今私たち牧師が遣わされる時、多くの方の祈りと支え、そして派遣先に信徒の方々がおられることを知っていますので、安心して赴任することが出来ます。それでも不安がないわけではありません。しかしそこで支えとなるのは、按手時の聖霊の付与と派遣の命令です。遣わされる者は、時には孤独を感じます。自分の力の足りなさを嘆く時もあります。しかし遣わされる者は孤独ではありません。教会の祈りがあり、神様から与えられた使命があるのです。
 72人の遣わされた人たちも孤独ではありませんでした。イエス様の心が彼らと共にあったからです。神様が与えられる使命には、イエス様が共におられるのです。そして彼らは帰って来ると、自分たちの力以上に実りがあったことをイエス様に報告するのです。そこで主イエスはその成果を喜ぶのではなく、遣わされた者の名が天に記されていることを喜びなさいと言われました。使命が与えられることを喜べと言われるのです。
 私たちも生活の様々な働きに遣わされています。そこではいつも成果が伴うとは限りません。いつも喜びがあるわけでもありません。苦労しながら、もがきながら、不安や孤独と立ち向かいながら生きています。しかしその命と人生は神様から与えられ、愛の戒めを伴って託された使命なのです。私たちはこの使命を糧に喜びをもって歩みましょう。

日本福音ルーテル大岡山教会牧師 松岡俊一郎

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