1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2026年
  5. るうてる2026年10月号
刊行物

BLOG

るうてる2026年

るうてる2026年10月号

機関紙PDF

説教「1517、そして今」

日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会・浜名教会牧師 徳弘浩隆

「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(エフェソの信徒への手紙 2・8~10、14a)

 私の車のナンバープレートは「1517」です。記憶力が衰えても宗教改革の年だからと即答できるように選びました。人事異動で登録地が変わっても同じ番号にし、以前のプレートも手元に残しています。高校生のころ暗記した世界史の年号が、後にルーテル教会の牧師とされた私にとって、自分を赦し、救い、生かす福音を思い起こす特別な数字になりました。
 しかし宗教改革記念日が近づくたびに、自問もします。五百年以上前の「あの時」「あの場所」を繰り返し語り・聞き、仲間内で自己満足するだけの時になってはいないだろうか、と。
 そんな問いに対して語り掛ける神の言葉として心に留めたいのはエフェソ書2章です。この手紙は伝統的にパウロ書簡とされてきましたが、今日ではパウロの教えを受け継いだ次の世代の文書とする見方もあります。いずれにしても、そこにはパウロが語った福音が明確に響いています。
「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました」。救いは努力して獲得するものではなく、神からいただく恵みです。宗教改革が大切にした福音もここにあります。
 しかしエフェソ書はそこで終わりません。私たちは「善い業を行って歩む」ために造られた、と続きます。ここには大切な順序があります。善い行いをしたから救われるのではない。恵みによって救われた者が、感謝のうちに隣人へと向かい、善い業へ送り出されるのです。
 この順序を取り違えれば、信仰さえ人間が達成すべき条件になってしまいます。逆に、「信仰のみ」という大切な教えを他者を測る物差しにするなら、人を裁く新たな律法主義と他者の排除に陥りかねません。宗教改革を受け継ぐとは、自分たちの正しさを誇ることではなく、私たち自身の信仰と生き方が、繰り返し福音によって問い直されることなのでしょう。
 エフェソ書はさらに、ユダヤ人と異邦人という、宗教・文化・生活習慣の異なる人々の間にあった深い隔たりへと目を向けます。そしてキリストこそ、二つのものを一つにし、「敵意という隔ての壁」を取り壊された方だと語ります。福音は、私と神との関係だけにとどまりません。恵みに生かされた私たちを、隣人との間にある壁を越える歩みへと導くのです。

 同じ歴史も、立つ場所によって違って見えます。1945年は、日本では敗戦と戦争の終わりを覚え、平和への決意を新たにする年ですが、インドネシアでは8月17日に独立を宣言した年です。1517年も、私たちには宗教改革の始まりですが、別の側から見れば教会分裂の痛みを伴う出来事です。その後、大航海時代の進展やカトリック教会の改革運動などを背景に、キリスト教はさらに世界へ広がり、聖書や信仰だけでなく文化や言葉にも大きな影響を残しました。一方、その歴史が植民地支配と結びついた陰も忘れることはできません。ブラジルや南米諸国の地名にキリスト教の歴史を見、関係ないように見えるインドネシアの言葉の中に日本へより少し前に到達した宣教師たちが残したポルトガル語由来の言葉をたくさん見つけるとき、「教会」の長い歴史の光と影を思います。
 今、日本でも、さまざまな言語、文化、宗教的背景を持つ人々が共に暮らしています。人口が減少し、介護をはじめ多くの現場で外国にルーツを持つ人々と支え合う社会になりました。教会もまた、変わらない福音に立ちながら、変わり続ける社会の中で、従来の宣教に取り組みながらも、組織や働きにおいて自らを問い直し、取り組む必要があるのです。
 1517年を大切にするからこそ、1517年にとどまらない。「あの日・あの場所」ではなく「今・ここ」に生きる自らを吟味し、隣人の声に耳を傾け、隔ての壁を越えていく。神に愛されている者として、神を愛し、人を愛するその歩みへ、共に招かれているのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(79)「わかって」

「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」 (ルカによる福音書2・50)

 「〇〇○」「えっなに?」やだ、何回言っても通じないの?そのように思った時すごく怖くなりました。他の国へ行ったわけではないから同じ言語で話しているはずなのに何回も同じことを言っているのに通じない。私が困っていた時、近くにいた他の人が「〇〇○じゃない?」と分かって下さいました。
 私、そんなに分からない言葉しゃべってますか?そんなふうに思い、なんだかいたたまれない思いの時、ふと思い出したことがありました。それは赤ちゃんが泣いていると、その子のお母さんらしい人が「あら、かゆいのね」とか、「あら、おなか空いたの?」と、誰が聞いてもただの泣き声としか思えないような泣き声でさえ意味を聞き分けていました。
 あと幼い時に不思議に思っていたことがありました。言葉をうまく発せない人の声を近くにおられる家族の誰かが分かってあげているときです。あと、知っている施設で、ただ叫んでいるとしか思えない声でも、近くに居る人がちゃんとその意味を分かっていました。
 「誰も分かってくれない。」「誰も聞いてくれない。」と叫びたくなるようなときがあります。もしかしたら自分では気づかず心が叫んでいるときがあるかもしれません。「こんな言葉通じないよね」と諦めて泣いてしまうかもしれません。そのようなあなたでも、どんなあなたでも近くに居られ、心を澄ませておられる方が居られます。「分からない」とは言われません。だってあなたの近くにおられて、いつもあなたに関心を寄せておられるから。

リレーコラム「全国の教会・施設から」㊵

日本福音ルーテル沼津教会

高野利夫(日本福音ルーテル沼津教会代議員・会計)

 沼津教会は、天候に恵まれると道路を挟んだ北側に富士山を望むことができます。会堂にはパイプオルガンが設置されており、毎週の礼拝をオルガンの豊かな響きと共に守っています。毎週木曜日には、教会内外のメンバーが集うトーンチャイムの練習が続けられています。
 沼津教会は、一泊修養会、ペンテコステの餅つき大会、献堂式、クリスマスのトーンチャイム、転入・洗礼式など、これまで多くの方々が教会に集い、交わりと宣教の歩みを重ねてきました。
 しかしながら近年、沼津教会は課題に直面しています。ここ十数年、礼拝出席者は減少を続け、教会会計も厳しい状況となりました。毎年提出している教勢報告を見てみますと、1995年には年間の礼拝出席者が1372人でしたが、2025年には出席者526人となっています。
 横田弘行牧師を最後に現職の牧師が不在となり、藤井浩牧師の牧会委嘱を経て、現在は月2回、東和春牧師に説教応援をお願いしています。残りの週は主任牧師の説教を代読、もしくは静岡教会の礼拝をオンラインでつないで共に守っています。来年からは、礼拝開始時間を午後2時からに変更し、光延博牧師が担当してくださる予定です。
 「存続の危機」という言葉を前にしながらも、私たち信徒は教会のこれからを諦めているわけではありません。教会員の家族、とりわけ子どもや孫たちにも教会へ足を運んでもらい、子どもや青年の居場所となること、それぞれのご事情でなかなか教会に来て、礼拝に集うことができない会員を覚えて祈ること、毎月の教会だよりを教会内外へ届けること、オンラインで礼拝に加わる方とのつながりを大切にすることを考えています。また、教会を身近に感じていただく行事を企画し、近隣の教会と共にできるプログラムを増やしていければと願っています。
 富士山を望み、パイプオルガンの音に包まれて礼拝を守ってきたこの場所が、これからも御言葉と祈り、人と人との出会いが生まれる場所であり続けるように。沼津教会の歩みを皆さまのお祈りに覚えていただければ幸いです。

松崎保育園

梶原啓介(松崎保育園児童発達支援管理責任者)

 高校野球、夏の甲子園。今まさに勝敗を決さんとするその時、中継映像がアルプススタンド(応援席)を映します。成り行きを、固唾かたずをのんで見守る人、声をからして応援する人、汗と涙で頰がずぶぬれの人、そして、祈っている人。手を合わせて拝んでいるのではありません。指を組んで目を閉じ、祈っているのです。彼らが皆クリスチャンかと言われれば決してそんなことはないはずです。私は、このなんとも不思議で尊くもある「祈りの姿」にいつも胸を打たれます。
 さて、当園は今から75 年前、ロイド・ネイビー宣教師によって開かれました。開園当初は、戦後復興のさなかでまだまだ貧しく、町内のお宮を借りて保育を行ったそうです。現在は、自前の園舎と自慢の広い園庭が80人を超える子どもたちを受け入れ、園内のあちらこちらで子どもたちが元気よく遊び、美しい賛美歌の歌声が聞こえてきます。また、毎日の日課の中では、お祈りをする機会が何度もあります。朝の始まりでは園長先生が、給食やおやつの前には各クラスの子どもたちが、帰りの会の時には担任の先生が感謝の言葉とともにお祈りをささげ、子どもたちみんなで「イエスさまのお名前によっておささげいたします。アーメン。」と祈るわけです。よちよち歩きの小さな子どもたちも、先生や大きなお兄さん、お姉さんのまねをして小さな指を組んでお祈りをしています。
 ロイド・ネイビー宣教師が始めた神様の御言葉を胸に子どもたちを愛する保育は、七十余年がたった今なお脈々と受け継がれ、今も昔も変わらない「祈りの姿」がキリスト教保育を実践する当園の礎となっているのです。
 経済や文化の発展、社会情勢など刻一刻と変化するこの時代にあって、ずっと昔から変わらないものがあります。その変わらないものが、私が甲子園の中継に映る「祈りの姿」を見て感動したように誰かの胸を打つならば、保育園に響く賛美の歌と祈りの声、そして何より子どもたちの「祈りの姿」をこれからもずっと守り続けたいと思わずにはいられません。

改 宣教室から

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・宣教室長)
京谷信代(日本福音ルーテル札幌教会信徒)

小泉 京谷さんは、札幌教会札幌北礼拝堂で高齢者サロンを主宰しておられますよね。どういう経緯ではじめられ、どのような活動なのですか?
京谷 現役を退いたら福祉活動をしたいと思い、介護福祉士の資格を取ったことがスタートです。教会の女性2人を誘いボランティア主催のサロンとして、社会福祉協議会の支援を受けて開始しました。男性が参加できるサロンを目指しましたので、一般のサロンより男性が多いです。例会は毎月第3木曜日、教会の集会室を使って4時間。高齢者に必要な情報を中心に、学び、聞き、話し、笑い、体を動かし、食べて、歌って、ベルの演奏等の活動をしています。参加者は平均10人前後です。
小泉 教会のクリスマスの祝会でも、サロンの方々が参加して、ミュージックベルを披露して下さるなど、教会との交わりも少なくありませんね。
京谷 サロンの登録をしたとき、教会とは関係がないことを伝えていましたので、会場の集会室と礼拝堂の間の戸を閉めていましたが、「ここは教会ですよね」と聞く方がいて、それからオープンにし、礼拝堂の十字架が見えるところで例会を開くようになりました。参加者も教会に抵抗感がないように感じたので、教会の行事にお誘いしたところ協力してくれるようになり、今では参加することを楽しみにしています。
小泉 働きの中で感じておられることを教えて下さい。
京谷 ある参加者が、「ここのサロンは他のサロンと違う」といってくださった言葉が今も忘れられません。サロンの中で伝道はできませんが、私たちの活動がキリストを証しているのであれば身に余る光栄です。今、サロンに来ている96歳の女性は「また勉強に来ます」と言って歩行器を押して帰ります。毎回来られない高齢者が、サロンを楽しみに過ごしているかと思うと祈らずにはおれません。
小泉 京谷さんと教会との出会いについて教えてください。
京谷 18 歳で上京すると姉が洗礼を受けていて、教会に行くことを勧められましたが、「神に頼るほど私は弱くない」と逆らっていました。が、受験に失敗し人生の先が見えなくなっていた時、教会に行くようになり20歳の時、都南教会で洗礼を受けました。それでも80歳の今まで、教会を離れることはなく歩んでこられたのはまさに「神の恵み」です。
小泉 ありがとうございました。最後に、京谷さんが大切にしておられる聖句を教えていただけますか。
京谷 「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」(ヨシュア記1・9)です。今年の書き初めで書いたこの聖句が、地域活動の役を担うことになり、困難にぶつかるたびに大きな力となり、励みになります。

教会とディアコニア⑩

石居基夫(ルーテル学院大学学長・日本ルーテル神学校教授)

 他教派との交わりの場などで、ルーテル教会はディアコニアの教会として評価されることがあります。具体的なこの世における奉仕としての宣教がルーテル教会の柱とされてきたことに由来するのでしょう。ルーテル世界連盟は2013年に、ルターの紋章をデザイン化した新しいロゴマークに変えましたが、その中に描かれる「手」のモチーフは具体的に神と隣人に仕えるディアコニアを教会の使命としていることを表しているのです。
 ルター自身は、ディアコニアについてまとまって何かを論じたことも、神学的主張を展開したこともありません。もともとルターのしたことは、告解の秘跡や贖宥しょくゆうを中心とした当時の教会とその信仰のあり方に対する福音に基づく改革の呼びかけでした。純粋に神学的な問題だったのです。それでもこの宗教改革の進展は、単に信仰や教会のあり方を変化させるということだけではなく、むしろ当時のキリスト教世界そのものへの根本的な改革運動となっていきます。とりわけ、教育や福祉に関わって、共同社会の課題に向かい合うことの必要を市参事会に提言をしていくことになりました。修道院などの特定の敬虔けいけんが問題を解決するのではなく、キリスト者として全ての人々が助け合うように、とりわけ貧困の問題は急務として、繰り返し改善していくことを社会的地位のある者たちに訴えています。
 私たちのよく知る『キリスト者の自由』に示されているように、信仰によって義とされ、神の恵みに生かされていく信仰者は皆、一人一人が小さなキリストとして神と人を愛し、誰にでも仕えるものとされていくと、ルターは教えています。聖餐の恵みについて語る中でも、それは私たちをキリストの赦しといのちに結びつけますが、同時に聖徒の交わりとしてキリスト者同士を結びつけ、痛みや苦しみを含めあらゆることを共有するものと述べ、具体的な社会の困窮する人のために奉仕を生き、助け合う者として生きるようにと勧めています。
 すなわち、義認の信仰は、救われるために良い働きをする必要があるのではなく、自由な奉仕者として共に生きるというわけです。
 修道院や教会が何かをするということよりも、むしろキリスト者一人一人がディアコニアを生きるように、私たち自身の手がキリストのものであることをルターの信仰から受け取ってきたと言って良いでしょう。

第31回東教区宣教フォーラム
「五感に響く豊かな礼拝Vol.3」

八木久美(日本福音ルーテルむさしの教会代議員・宣教フォーラム実行委員会委員長)

 「祈りは、言葉だけだろうか」
 7月11日(土)、第31回東教区宣教フォーラム「五感に響く豊かな礼拝Vol.3」が日本福音ルーテル東京教会で行われました。
 「わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとしてください」(詩編141編2節)を全編の主題に、今回は「見る祈り、香る祈り、平和の祈り」を軸に、祈りで始まり、祈りに終わる。賛美で始まり、賛美に終わる。五感を通して、礼拝の豊かさをあらためて見つめる一日となりました。
 安井宣生牧師による開会礼拝、説教「祈りへの招き」。「喜ぶ人とともに」「平和の祈り」の賛美から、集った私たちの歩みは始まりました。
 高村敏浩牧師の基調講演「和解と癒し―宣教の神学」を礎に、真下弥生氏の「見る祈り」では、美術表現を通して、目に見えるものから目に見えない恵みへ。上村敏文氏の「香る祈り」では、フランキンセンス(乳香)を焚きしめ、その香りを「聞く」ことから、聖書と香り、典礼へとつながる祈りを体感しました。
 見ること、聴くこと、香ること、歌うこと、願うこと。そして、その場に身を置くこと。五感は礼拝に新たに加えるものではなく、全身で神の恵みにあずかるため、すでに私たちに与えられていることに気づかされます。
 「こころに主イエスを」、Dona nobis pacem(われらに平和を与えたまえ)、教区聖歌隊による「すべての垣根はとりはらわれる」。賛美に心を合わせ、共に歌うなかで、祈りは平和への願いへとつながっていきました。
 一日の締めくくりは、松本義宣牧師による夕べの祈り、説教「立ちのぼる香りの祈り」。最後に「いま主のみまえを」を賛美し、再び「われらに平和をたまえ」と祈り、それぞれの場へと送り出されました。
 この一日を共につくり、支えてくださったすべての皆さまに感謝いたします。
 東教区宣教フォーラムでは、実行委員と協力者で検討を重ねながら、参加者が共に学び、体験を分かち合い、そこから新たな問いや気づきが生まれる場を大切にしてきました。
 今回も一つの答えを得て終わるのではなく、むしろ始まりとして、「私たちの礼拝には、まだどのような豊かさが眠っているだろう」。そんな問いを、それぞれの場へ持ち帰る一日となりました。
礼拝で全身に受けた恵みを、隣人へ、社会へ、平和を求める歩みへと。
祈りを、かたちに。

世界の教会の声

森田哲史(日本福音ルーテル大森教会牧師・世界宣教委員)

カンボジア宣教について②

「カンボジアルーテル教会のあゆみ」
 カンボジアルーテル教会(Lutheran Church inCambodia:LCC)は、21世紀に入って設立された若いルーテル教会です。ルーテル世界連盟(LWF)とメコン・ミッション・フォーラム(Mekong Mission Forum:MMF)、そして世界各地のルーテル教会との協働によって生み出された教会です。
 1990年代から、アジアのルーテル教会の指導者たちの間で、メコン川流域における宣教協力が検討されるようになりました。2000年、LWFの主導によって最初の「Mekong Mission Partners’Consultation」がタイのバンコクで開催され、2002年にMMFが組織されました。
 MMFの特徴は、ある一つの海外教会が宣教師を送り、その国に自らの教会を建てるという従来型の宣教ではなく、複数の教会と宣教団体が情報を共有し、支援の重複を避けながら協働する点にあります。
 カンボジアでは当初、既存のキリスト教団体を支援することが試みられましたが、十分な成果を得られなかったため、2004年、MMFはカンボジアに新たにルーテル教会を設立することを決定します。シンガポール・ルーテル教会が中心となり、オーストラリア、ドイツ、フィンランド、アメリカ、香港などのルーテル教会からの支援によって設立されました。
 初期の宣教では、医療活動や地域訪問を行いながら活動拠点が模索され、その結果、プノンペンから約2時間離れたコンポンチュナン州のクルス(Krus)村が選ばれました。2008年には土地を取得し、教会と地域奉仕施設を兼ねたセンターの建設が始まり、2010年に完成しました。初期の礼拝には約25人の大人と40人の子どもが参加し、英語教育や、貧しい家庭の子どもや高齢者に食事を提供する活動なども行森田哲史(日本福音ルーテル大森教会牧師・世界宣教委員)われました。2010年7月には最初の受洗者として9人が洗礼を受けました。
 LCCの宣教は、その始めから「福音宣教」と「ディアコニア」を一体として行うことを特徴としています。教会を建て、礼拝を行うだけではなく、教育、食料、医療、生計向上などを通して地域社会全体に仕えることが教会の宣教として理解されてきました。
 2011年には、地方から大学進学のためにプノンペンへ移住する若者たちを支援するため、CityChurchとRainbow Hostelの働きが始まりました。学生に住居を提供するだけではなく、聖書研究や交わり、礼拝を通して若いキリスト者を育てることが目的でした。これにより、若い世代の信徒やリーダーが多く育っています。
 その後、2023年にLCC最初の監督にスレリャック氏が選出され、さらに2025年にはLWFに加盟しました。現在LCCは5つの教会と2つの伝道所、7人の牧師を有しています。LWF加盟時の資料によれば、信徒数は1千人ほどとなっています。

※連帯献金「カンボジア宣教」を覚えておささげいただければ幸いです。

TNG委員会子ども部門「こどもキャンプ開催報告」

中島和喜(日本福音ルーテル大江教会牧師・TNG委員会子ども部門長)

 8月3日(月)〜5日(水)にかけて、小・中学生を対象としたこどもキャンプがルーテル広島教会で開催され、小学5年生から中学2年生まで計28人が参加しました。コロナ禍に開けなかったことで参加者は一気に減ったこともありましたが、年々参加者が増え、いよいよ今回をもって回復したと言える状況になりました。
 今年は広島での開催ということで、「来んさいヒロシマ Peaceじゃけん」をテーマに、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイによる福音書5・9)を聖書箇所として、1945年8月6日の出来事を学びながら「平和」について考える3日間を過ごしました。
 初日は、映画『鶴にのって』を視聴し、広島教会の立野牧師から現在の広島についてお話を伺いました。
 2日目は広島平和記念資料館を見学し、供養塔や慰霊碑、原爆ドームなどを巡りました。午後には、4歳の時に被爆された伊藤さんから、被爆当時だけでなく、その後の人生においても続いた苦しみについて証言をお聞きしました。夜には創作劇団体I PRAYによる公演を鑑賞し、子どもたちは一日を通して真剣に学びました。
 2日目の終わりから3日目にかけては、「平和」に対して神は何を望んでおられるのかを考えました。マタイによる福音書5章44節の御言葉から、神が求めておられるのは、「戦争をしない」「暴力を振るわない」という「〜しない」ことだけではなく、「愛する」ことであると分かち合いました。ただ「しない」「させない」にとどまらず、「愛する」ことこそが教会の語る平和であり、「平和を実現する」ことにつながるのではないかと思います。
 今回のキャンプが、子どもたちにとって「平和」を考え続ける一つの出発点となり、その出発点を神様の愛に置くことができたなら幸いです。お祈りをもって支えてくださった皆さま、キャンプへと招き導いてくださった主に感謝し、ご報告といたします。

長崎原爆の日 原爆殉難者慰霊祭 参加報告

白川道生
(日本福音ルーテル佐賀教会・長崎教会・小城教会・唐津教会牧師)

 8月8日、長崎原爆の日を覚えて、毎年、長崎県宗教者懇話会が主催する「原爆殉難者慰霊祭」が長崎大学中部講堂で行われた。
 第54回目となる本年より、日本福音ルーテル教会として公式代表を派遣し、参列をした。神道・仏教・キリスト教など、宗教宗派を超えて多くの宗教者が集い、原爆殉難者の方々を追悼し、平和への祈りをささげるこの場に私たちが歩みを共にするのは、遅れを自覚しつつも、被爆地長崎の歴史と痛みに向き合って歩む意思を明確にし、長崎における祈りに学びつつ、宗教者と共に、「核兵器なき世界」を目指して祈りと行動を積み重ねてゆく新たな一歩であると受け止めている。
 これまで長崎の慰霊の営みに、十分に連なってこなかった現実を率直に認めながら、今年は滝田浩之副議長が東京から長崎に赴き、全体教会として被爆地の祈りに加わる姿勢を示し、九州教区からも地域教会として共に参列した。背景にはカトリック教会や日本聖公会では長年、参列を続けてきた歩みに学び、私たちもその輪に加わり始めたいという思いもあった。
 慰霊祭では、公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の戸松義晴氏が「慰霊のことば」を述べ、被爆から81年を迎える今、「再び被爆者をつくらない」「長崎を最後の被爆地に」という被爆者の切なる願いを受け継ぐ決意が語られた。さらに、「広島宗教連盟」代表として立野泰博牧師(日本福音ルーテル広島教会・松山教会)が参列し、両被爆地の祈りが互いに響き合う場となったことは、教派を超えた協働の広がりを感じさせるものであった。
 慰霊祭の準備から実施に至る取り組みを通して、核兵器を巡る国際社会の分断が続き、世界各地で紛争が絶えない現状にあって、宗教者が対話と協働の輪を広げる重要性が改めて示された。

広島原爆の日 慰霊祈祷集会参加報告

「広島被爆81年 平和のための祈りの集い」

永吉秀人(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師・総会議長)

 2026年8月5日(水)午後6時30分、広島「原爆の日」の前夜である。平和記念公園内にある広島原爆供養塔前にて、日本聖公会、カトリック教会、日本福音ルーテル教会合同で被爆81年「平和のための祈りの集い」が行われた。共同司式者として、日本聖公会より上原榮正首座主教(沖縄教区)、八代智主教(神戸教区)、柴本孝夫主教(九州教区)、カトリック教会より中村倫明大司教(長崎大司教区)、白浜満司教(広島教区)、日本福音ルーテル教会より永吉秀人(総会議長)、立野泰博西教区長(日本福音ルーテル広島教会・松山教会)が行った。
 祈りは「献水」から始まる。これは、原子爆弾の投下後に、「水を、水を」と求めながら亡くなった多くの犠牲者の霊を慰め、鎮魂と平和を祈るために、きれいな水をささげる行為であるとされる。司式者のうち代表5人が一人ずつ水の入った器を持ち、献花台中央に置かれた大きな器に注いでいく。
 今年の説教担当はルーテル教会からとのことで私が仰せつかった。戦後生まれで、広島県民ではない私がお引き受けするには身のすくむ思いであるが、慰霊祭の「お客さま」ではなく、平和を担う当事者として語らせていただいた。ひと言に凝縮すれば、「日本を最後の被爆国とせよ」である。式典は高校生たちによる共同祈願へと進み、カトリック教会からは高校生の代表たち、聖公会からは松蔭、プール学院、神戸国際大学付属、平安女学院の高校生たちが祈りをささげ、参加者は互いに平和のあいさつを交わして終了した。
 翌朝「原爆の日」当日は、早朝5時30分に原爆供養塔前に集合、6時15分から、「原爆供養塔慰霊祭・宗教者平和の祈り」が行われ、キリスト教、仏教、神道の代表団がそれぞれ10分ずつ式典を担当した後、知事、市長、議員たちの焼香が行われた。これには、カトリック教会、日本キリスト教団、日本福音ルーテル教会の総勢10人がキリスト教の持ち分を担った。早朝から汗の滴る夏の日であった。

関連記事