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るうてる2025年

るうてる2025年1月号

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「神の召し」

日本福音ルーテル保谷教会牧師・神学校専任講師・チャプレン 平岡仁子

「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。」(エレミヤ書1・5)
「この人はヨセフの子ではないか。」(ルカによる福音書4・22)

 イエス様はご自分がお育ちになったナザレという町に来られ安息日に会堂で朗読をされた後、人々に言われました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」人々はイエス様の口から出る恵み深い言葉に驚き、しかし「この人はヨセフの子ではないか。」と言いました。人々はヨセフの子であるイエスを知っていると。ナザレの町で、私たちの間で、暮らしていた人、私たちは、あの人の家族を、生まれ育ちの全てを知っていると。そして、町の人々はイエス様に疑いを抱きました。人々は安息日に会堂において、神の言葉を聞きました。しかも、恵み深い御言葉として人々は聞くことができたのでした。しかし、にもかかわらず、人々はイエス様に尊敬ではなく、敵意を抱いたというのです。ガリラヤで尊敬を受けたイエス様に対してナザレの人々は反対に、イエス様を崖から突き落とそうとしました。「この人はヨセフの子ではないか。」そして、この御言葉は私たちが行う日曜日の集まり(礼拝)の意味と実践についてのイメージを与えます。しかも、警告として私たちに与えられるのです。私たちの集まりがどのようなものであるかを自己吟味するために。私たち全ては神から召され、御許に招かれました。聖書においてイエス様は常に、権力や富を求める者たち、他者を軽視する人々にではなく、徴税人や罪人たち(アウトサイダー)、神の御前に謙虚な人々に目を向け、彼らをご自分のもとへ引き寄せられました。私たちの教会は、そして、その交わりはそのようにあるでしょうか。仕えるのではなく、誰かの上に立つことを求めてはいないでしょうか。互いに相手に敬意をもって接しているでしょうか。競い合ってはいないでしょうか。
 預言者エレミヤは神に召された時、こう応えました。「ああ、わが主なる神よ。わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」エレミヤは自分がただの人間であることを知っていました。神様の御用のために、何かができるようなものではないと神に訴えたのでした。しかし、聖書は語ります。「主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた』」。ここで言われる「言葉が臨む」とは、エレミヤの心の中で神の言葉が「生きて働くものになる」と言うことを意味します。すなわち、神が語るということは神の業が起こる、出来事として起こることを示すのです。神は存在の最初から「あなたを知っていた」と言われます。聖書の「知る」とは信頼をおいた親密な交わり、また契約を意味し、人の性格や本質、考え方まで推察でき、いろいろな状況下での振る舞いさえ知っている関係を示します。そして、青年エレミヤを選んだのは主であると言われるのです。エレミヤは自分の力で、神の御業を成し遂げることなど、到底できるはずはないからです。神は言われます。「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」。神はエレミヤの苦しみの同伴者であり、遣わし、語らせるのは神ご自身であるのです。だから、私に従って来なさいと。エレミヤは神の言葉を繰り返し受け取り、従ってゆきましたが、心の葛藤を訴える神との対話はエレミヤの生涯を貫きました。しかし、その苦闘の度にエレミヤが立ち返った原点がまさに、この御言葉だったのです。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。」そして、この聖句は1996年の「神学校の夕べ」で私が説教したテキストでした。あれから29年、聖書は常に「警告と招き」へと私を導き続けてきました。そして、これからも、私たち全てを導くことでしょう。
「これら全てをうまく成し遂げようとする時、あなたは失敗すると心得なさい。両手を差し出し、乞い求める者となりなさい
―礼拝において神の恵みを受け取るために。」(Gordon W. Lathrop著『The Pastor: a spirituality』より/私訳)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(59)「与えられているから」

「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」(マタイによる福音書25・29)

あのことを思い出すとあのことばかりが気になりだすし、心配になってしまう。そのようなことが時々あります。もしかしたら誰かが持っていってしまうかも。見つかったらどうしよう。そのようなことを考えているとどんどん怖くなって、何もできなくなりどこも行けなくなってしまいます。
 「おかしいな。なんでだろう。」ふと考えます。
 あれ?「守る」と「隠す」は違うんだ。何か大切なものや大切なことがあるとそれを守ろうとして隠すことがあるけど、守ることは隠すことではないみたいだな。なんとなくそのようなことを考えます。大切なものや、大切なことを守ろうとする時、人は大胆にもなるし自由にもなる時があります。でも自分にとって大切なものや、大切なことを隠してしまうと、隠しているものや、ことが見つからないようにだけ必死になります。とらわれてしまうのです。
 与えられている大切なものや大切なことは隠さないで守ると良いのかもしれません。私が与えられている大切なものやことを私は守っていく。そこには自由や希望が満ち溢れています。しかし隠すところには不安や恐怖があり、隠しているものをそのままにしておくことに必死になり自由どころか人を縛りつけます。
 私たちが与えられている大切なものに「命」があります。他の人と同じようにあなたの「命」も大切です。「命」はお一人お一人が自由に守るものです。隠さないであなたらしく自由に大胆に育てるためにあなたに与えられた大切なものです。

「全国の教会・施設から」㉑

日本福音ルーテル保谷教会 古財武久(日本福音ルーテル保谷教会代議員)

 保谷教会は、2025年教会誕生から72年目を迎えています。私たちの教会を訪れた皆さまは、「温かい教会」ですねとその印象をお話して下さいます。高齢者の多い教会ですが、年齢を問わず明るく楽しい教会です。それは教会のルーツにあるのかも知れません。
 教会の誕生は、東京老人ホームに入居されている方々を中心に行われていた、日曜日の礼拝からと思われます。その時は、礼拝堂も牧師館もなく東京老人ホームの建物を借用しての出発でした。少しずつ地域の方々がその交わりに加わり、その輪が広がっていく中で礼拝堂と牧師館が与えられ、1971年に自給教会になりました。
 私たちの教会は礼拝が大切にされ重視され、礼拝に関わる奉仕のほか諸集会の交わりの中で、信徒の信仰が養われ育まれています。老人ホームとの関わりも深く、主日礼拝後には出席することが困難な会員を牧師と共に訪問し、その日の聖餐を分かち合う「信徒訪問グループ」があります。クリスマスイブにはキャロリングを行い、入居者の皆さんと一緒に主のご降誕をお祝いします。
 また、地域に生きる教会としても活動しております。明治学院中学ハンドベルクワイアのご奉仕による「親子で祝うチャリティーコンサート」を継続して行ってきました。コロナ禍などで5年間ブランクがありましたが、26回目となるJELA世界の子ども支援のためのチャリティーコンサートに、今年は明治学院東村山高校のグリーハンドベルクワイアがご奉仕くださいました。
 これからの教会活動を考えますと、信徒の約半数が後期高齢者という状況ですから、不安が顔をのぞかせます。しかし、今年の年間主題聖句「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(ヨハネによる福音書14・1)のみ言葉が、今の私たちの教会員一人一人へ力強く語られ、次世代へのメッセージとしても語られているように思われます。

改・宣教室から

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・宣教室長)
髙山修(日本福音ルーテル箱崎教会信徒)

小泉 箱崎教会にはメディアチームがあると伺いました。どのような働きを担ってこられたのですか?
髙山 コロナ禍で礼拝に集えなくなった時に牧師がYouTube配信を始めましたが、礼拝が再開すると牧師の負担が大きくなってしまいました。また礼拝のメッセージを個人情報を含めて発信したいという牧師の希望もあってメディアチームがスタートしました。いつもはZoom配信の準備、礼拝動画のYouTube限定公開アップロード、公式LINEで緊急連絡ができるような体制づくりなども行ってきました。
小泉 チームとして役割を担う意義は、どんなところでしょう?
髙山 私もパソコンに関係する仕事をしていますが、特に詳しいというわけではありません。私は主日礼拝以外の、テゼや幼稚園関係の企画動画の録音や編集を担当していますが、それも必要があって楽しんでやっているうちに少しずつ身についてきた気がします。他にSNSが得意な方がインスタグラムを担当しますし、年配の方にも分かりやすいような説明会の開催や、操作のためのマニュアル作りなど、それぞれの賜物を生かして自由に活動しています。
小泉 取り組みのなかで、喜びや難しさを感じるのはどんな時ですか?
髙山 礼拝は集って参加できるのが一番です。でも、私自身が体調不良の時にリモートで参加したことがあり、こんな時こそ必要だと実感しました。活動を通して皆さんに喜んでもらえることがうれしいです。引っ越された方や病床の方、外出が難しい方と礼拝後に交流ができることも、みんなの喜びになっています。一方、年配の方が遠慮して使い方を聞くことができず、参加をあきらめてしまうことがあるようにも思います。できるだけ「分からなかったら何回でも聞いてくださいね」と伝えるようにしています。
小泉 ありがとうございました。最後に髙山さんと神様との出会い、そして大切にしておられる聖句を聞かせて下さい。
髙山 クリスチャンの姉家族と過ごした若い頃に洗礼を受けたのですが、しばらく教会から離れていました。娘のピアノの発表会がルーテル岡山教会で行われたことをきっかけに教会に戻り、箱崎教会へは仕事の都合で転籍しました。ローマの信徒への手紙12章15節を心に留めています。新約聖書にも多くの「手紙」がありますが、遠方にいても慰め励ますことができるような働きをメディアチームとして続けていきたいです。

短期信徒宣教師(J3)・ステファン・ライリー氏自己紹介

ステファン・ライリー(短期信徒宣教師・ルーテル学院中学・高等学校英語助手)

 機関紙るうてるの読者の皆さま、初めまして。ルーテル学院中学・高等学校で勤めている短期信徒宣教師(いわゆるJ3)のステファン・ライリーです。このたびは機関紙るうてるに寄稿する機会を得て光栄です。自己紹介文を書かせていただきました。

 私はアメリカのアイダホ州で生まれ、800人しかいない村で、日本好きの家庭に育ちました。大学時代、短期留学で札幌に行き、札幌教会新札幌礼拝堂に通っている間に小泉基牧師、岡田薫牧師との出会いでJ3のことを知り、卒業後、22歳の若輩者で去年の7月に来日し、今日に至ります。

 熊本での生活はとても楽しいです。生徒と一緒に英会話の授業をするのも楽しいし、ルーテル学院の教員ハンドボールチームに入部し、先生方と一緒に大会に出たり、私が通っている神水教会の教会員に茶道を教えていただいたり、いろいろな方々のおかげで思い出深い滞在になっています。
 去年、初めて親から離れてクリスマスを祝いました。どう向かおうかとても悩んでいましたが、ありがたいことに大切なことを再び学びました。それは、私たちクリスチャンはお互いに兄弟・姉妹を呼ぶのはただ言い回しではないということです。熊本にいる日本福音ルーテル教会の兄弟・姉妹たちとの親しき交わりのおかげで「神の家族」の一員であることを実感しました。この大いなる恵みに深く感謝しています。

 最後に、1番の特徴は身長2メートルあることです。どうぞ私と、私が日々関わるルーテル学院にいる生徒をお祈りの内に覚えていただければ幸いです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会牧師)

カトリックからルーテルへ~チリルーテル教会 監督アルファロ氏に聞く~

―ルーテル教会につながったきっかけは何ですか?

 私の家族はカトリック教会でしたのでその信仰のもと育てられました。子どもの頃から信仰に導かれたことを 両親に感謝しています。ですから神様を信じる心はずっとありました。また私はドンボスコが創立したサレジオ会のシスターだった2人の叔母にもお世話になりました。サレジオ会は学校教育に熱心な修道会です。その影響も大きかったです。14歳の時、たまたま母の枕元にあった聖書を手に取って読んでみたのです。初めて自分で聖書を読みました。するとイエスのイメージがくっきりと浮かび上がり自分が変わったのです。それまでの自分の夢と目標が変わったのです。人生にはもっと大きな意義と目的があるのだと考えるようになりました。

―ルター派の信仰との出会いを教えてください。

 18歳までカトリックになじんだのですが、そうでないキリスト教信仰にも触れてみたいと思うようになりました。インターネットがない時代ですから電話帳で教会を探したところ選択肢がたくさんあり過ぎて、これにしようと決めてダイヤルしたのがチリのルーテル教会だったのです。
 青年の集まりは土曜日でしたが、私は待っていられずその週の水曜日にすぐ教会へ行きました。扉が少しだけ開いていたので思い切って入ってみたら2人の青年が迎えてくれて、青年集会に招かれたのです。彼らは私がしゃべれないドイツ語で会話していたのです。若い女性が私のために通訳してくれました。それから2年が経過して、私も会の運営に携わるようになりました。以後スペイン語の人たちも招くようになり青年会は成長しました。
 この経験が生きてルーテル教会の礼拝になじめました。大学卒業後は神学へと導かれ、最初はバプテストの神学校へ、次に長老派へと進みましたが、LWFから奨学金をいただくことができたので最終的にはブラジルで7年間神学を学べました。妻との出会いもそのときで、長女がブラジルで生まれました。チリに戻って子どもが2人与えられ、32歳になって牧会を始めました。

―御教会のことを教えてください。

 教会数が全部で10、牧師数も10人、信徒数が2千6百人という小さな教会です。礼拝にはもっと集まるのですが、正式に信徒ではない人もいます。ドイツ文化をルーツにもちプロイセン典礼を使ってスペイン語とドイツ語で礼拝します。約4分の1がドイツ語、残りがスペイン語礼拝に来ます。
 1846年にドイツ人がチリに来たとき、当時の政府はカトリックでない礼拝を禁止していました。1世紀以上もの間、教会はそんな状態でした。1982年ごろになり、ようやくチリでもルーテル教会の礼拝ができるようになりました。それ以来私たちはスペイン語宣教に力をいれています。中心は信徒の皆さんです。信徒の奉仕が教会を支え伝道しています。

―チリにはピノチェト独裁政権の傷跡がありますが、教会は和解にむけてどんな働きをしていますか。
 対話の場を設けて、一致と和解に向けての取り組みに協力しています。軍事政権の影響でチリは今でも社会に分断があります。教会もそうです。信徒が支持する政党はいろいろです。教会では政治の話はせず、みなさんキリストにつながっています。軍事政権の影響は今でも残っていて、国全体が今も癒やしに向けての日々と言えます。もう一つのルーテル教会と連帯しながらこの問題に取り組んでいます。困難な道のりですが、一致に向けての志は強いです。時間はかかっても、対話集会を通じて分かち合える部分を見いだしていきたいです。

https://lutheranworld.org/news/working-towards-healing-and-inclusion

典礼委員会・典礼策定進捗報告

松本義宣(日本ルーテル東京教会・板橋教会牧師・典礼委員会委員長)

 2022年6月の全国常議員会で、式文委員会と讃美歌委員会を改組し「典礼委員会」が発足しました。それまでこの二つが担ってきた働きを統合し、「礼拝(典礼)」全般を担当し、細かい作業はそれぞれ作業部会で担うという位置付けです。
 旧式文委員会は、日本ルーテル教団との共同作業で、17年「宗教改革五百年」を目指して改訂式文策定にあたり、式文ハンドブック・主日礼拝式文・御言葉の礼拝を19年に刊行、試用に付しました。20年には、聖餐の「特別序詞(その日の序詞)」の追加分、「灰の水曜日礼拝」、受難週のための「主のエルサレム入場」「聖木曜日」「聖金曜日」「主の復活の夜」といった特別の式文、諸式として一連の葬儀関係、結婚式等の改定案、新たに策定した「諸活動就任の祈り」「人生の折々のための祝福の祈り」「癒しの祈り」等を全国総会資料として配布・公開しました。ただ、折からのコロナ禍のため、各教会での紹介、試用実践にはなかなか至っていないのが課題です。皆さまからのフィードバックをいただき改訂、策定を進めます。聖餐「設定辞」の別の版の改訂と、諸式については、「洗礼式」と新たに「洗礼までの準備過程」を教会共同体で見守り、支える祈りを加味したものを準備中で、また、今後の必要が考えられる「教会改組・閉鎖の祈り」等の策定に取り組んでいます。
 旧讃美歌委員会は、やはり「宗教改革五百年」を目指し、「教会讃美歌・増補版」(約二百曲程度の追加)編さんを、四ルーテル諸派で取り組みましたが、諸般の事情で遅れ、2021年に「教会讃美歌増補・分冊1」として刊行し、ひとまず役割を終えました(「るうてる」24年2月号拙稿参照)。翻訳その他、準備した楽曲は残されましたが、刊行のための諸条件(著作権交渉等)が、とても片手間ではできない作業で、今後の歌集制作の大課題です。典礼委員会となって最初の作業は、現行の「教会讃美歌」印刷版下が劣化し、近く増刷が不可能となる事態を回避するための「デジタル版下」作成です。従来版と併用可能なものを目指しつつも、今後の大改訂や他教派との共有も加味した改訂版下作成をしており、なんとか25年度には作業を終える予定です。しかし、本来は、刊行50年を経た「教会讃美歌」大改訂(新編さん?)が一番の課題です。が、もっと大きな課題は、各部作業を担う人材の急募で、全国教師会等との連携が考えられないかと願っています。

メコン・ミッション・フォーラム報告

森田哲史(日本福音ルーテル大森教会牧師)

 2024年11月18日~21日にタイのバンコクで行われたメコン・ミッション・フォーラム(以下、MMF)に参加いたしました。
 MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界中の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。昨年からは神学的なテーマを決め、グループワークにも重点が置かれるようになりました。
 前半では、「リーダーシップ」をテーマにグループワークが行われました。初めにエフェソの信徒への手紙4章1節~16節からリーダーシップについて考えました。ある人はリーダーシップについて上からの物言いではなく、聖書においてイエスが250以上の質問を通して弟子たちを導いたように、対話や考えることが大切だと話します。また、各国のリーダーシップのあり方について共有され、ミャンマーでは軍事政権下において、どのように預言者的リーダーシップが発揮されるべきか課題が与えられました。また、カンボジアでは「女性は台所から出ることができない」という古いことわざが示すように、女性がリーダーシップを発揮することが難しい現状を分かち合いました。また各国での牧師の働き方について共通するところがあり、牧師は特別であるという期待ゆえに過労となり、メンタルに悪影響を及ぼしていることが課題としてあげられ、これは日本も同じ課題を共有していると言えるでしょう。
 後半ではMMFの総会があり、この1年間のMMFの活動報告、予決算の承認、審議事項の協議などが行われました。
 JELCでは2023年の全国総会において、アジア宣教、中でもカンボジア宣教を行っていくことが決議されました。参加されたカンボジアの牧師からは、日本からの農業に関わる支援の要望を聞くことができました。カンボジア宣教のためにお祈りいただければ幸いです。

北海道特別教区修養会報告

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

 2024年10月13日と14日、北海道特別教区は5年ぶりの修養会を、北海道クリスチャンセンターで開催しました。コロナ禍をはさんで久しぶりの修養会に、全道から64名の教区の仲間が集まり、学びと交わりの時をたのしみました。今回の修養会で特徴的であったことをいくつかおわかちしたいと思います。
①準備にエネルギーを注ぎ過ぎない
 スタッフに過重な奉仕を強いることがないよう、準備会はわずかに2回。Googleスプレッドシートを用いた情報共有などで準備のために集まる回数を減らして、スタッフ自身がまた開催したいと思えるような省エネ準備を実現しました。
②大きなディアコニアでなく小さなディアコニア
 この2年間、教区はディアコニアをテーマに据えてきました。そこで今回は、九州学院から小副川幸孝先生をお招きし、他教区が教区をあげて取り組み、成果を上げてきたような大きなディアコニアではなく、わたしたちひとりひとりが日常の中でも大切にしてきた、わたしたちの身の丈に合った小さなディアコニアに焦点をあてた学びを行うことができました。小副川先生のお話はたとえが多くて耳に優しく、特にボスザルマッキーの話はみんなの心に残りました。
③共に囲む食卓の交わり
 遠隔地に点在している教会の垣根を越えて、わたしたちがひとつの共同体としてあゆむことができるようにと、食卓の交わりを意図しました。広い会場を学びのスペースと交わりのスペースに区分して、小グループによる2回の食事の時間を交わりの時としました。また、教会ごとの賛美とスライドショーで、お互いの教会の様子を知ることができました。それでも参加者からは、次回はもっといろいろな人と話す時間がほしい、との希望も聞かれました。
 5年ぶりの修養会で、少し世代が入れ替わりつつあるとも感じられましたが、コロナ下の教区オンライン聖研によって学びを共にした仲間と、はじめて対面で出会うことのできた、喜びに満ちた教区修養会となりました。

宮本新日本ルーテル神学校長就任式報告

石居基夫(ルーテル学院大学学長)

 すでに本誌(2024年11月号)で、宮本新神学校校長の就任ごあいさつをいただきましたが、2024年12月10日にルーテル学院チャペルにて同氏の校長就任式が行われました。司式は平岡仁子神学校チャプレン、説教は石居基夫が担当いたしました。また江本真理NRK議長、滝田浩之JELC副議長が両教会を代表し就任按手を執行してくださいました。
 振り返ると、前校長の立山忠浩先生のご就任は、折しも新型ウイルス感染症の影響もあったために就任式を執り行うことができませんでした。にもかかわらず、立山先生が教会兼務で校長の重責を負ってくださった4年半、特に後半の2年間はルーテル学院全体にとって大学・大学院の学生募集停止の決断に至る責務を校長としても共に担わねばならず、ご負担をおかけいたしました。もともとご引退まで1年を残す23年度いっぱいで校長をお退きになるという思いでいらしたところを、学院の最も困難な時期となったこともあって先生にはご無理をお願いし、退任を半年遅らせていただいたことでした。この場をお借りして、立山先生には心から感謝申し上げたいのです。
 宮本新新校長は、2013年度から教会兼務で神学校専任講師に就任され、また18年度からは大学兼務として校内住宅に移り、本格的に神学校での責任を引き受けてこられました。専門は伝道学なのですが、教員体制の事情から、それぞれの時に教義学、倫理学はもとより、歴史神学、信条学、日本キリスト教史やエキュメニズム論と本当に幅広い科目を担当いただいてきました。また、寮のあった頃には寮務委員長、以来スピリチュアルアドバイザーとしても神学生に寄り添ってくださってきています。
 宮本先生ご自身もご報告されていましたが、時代の節目の中、神学校はカリキュラムの在り方のみならず、牧師養成のあり方に関して抜本的改革を必要としています。JELC、NRK両教会の神学教育委員会を軸として教会との新しい協力体制において牧師養成、神学研究、現任教育・研修の仕組みを構築すべく、先生ご自身、すでに中心的な働きを担ってくださっています。
 DX(デジタルトランスフォーメーション)によって人間の生き方が大きく変わってきた新しい時代に、内容も方法も新しい神学教育を模索する歩みが始まっています。宮本校長とその取り組みのため、どうかお祈りくださいますようにお願いいたします。

教職授任按手式開催のお知らせ

李明生(日本福音ルーテルむさしの教会牧師・事務局長)

2025年3月2日(日)19時から21時に日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(日本福音ルーテル東京教会)を会場に教職授任按手式を開催予定です。
受按予定者は大和友子神学生(出身教会・大岡山教会)の1名です。
詳細が決まりましたら改めて各教会にお知らせをいたしますが、どうぞご予定くださいますよう何卒お願い申し上げます。

聖書日課ご購読の皆さま

 平素より聖書日課をご購読賜り、厚く御礼申し上げます。
 「聖書日課133号(2025年1月~3月分)」の2月23日(日)以降のページにおいて、誤植が発生してしまい、ご迷惑をお掛けし心よりおわび申し上げます。

【該当ページ】
2月23日(日)後半ページ、2月26日(水)、2月27日(木)、3月2日(日)2ページ、3月5日(水)、3月6日(木)、3月9日(日)前半ページの合計8ページ。

 誤植を修正し、新たに印刷を行った改訂版を、12月下旬に発送させていただきました。
 なお、刷り直したものには、冊子の背表紙下に、アスタリスク(*)のマークが入っております。
 また、不良本の回収の必要はございません。

 このたびは読者の皆さまに多大なご迷惑をおかけいたしますこと、重ねておわび申し上げます。
 よりよい冊子づくりのため、なお一層の努力をしてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

ルーテル聖書日課を読む会
委員長 松本義宣

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