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るうてる2024年05月号

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「主に向かって心からほめ歌おう」

日本福音ルーテル小鹿教会・清水教会 笠井春子

「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」
(エフェソの信徒への手紙5・15~19)

 「今は悪い時代なのです」とパウロは言います。主イエスがこの世に来られてから今に至るまで、世界は悪い時代であり続けています。神のみことばが伝えやすかった時はない。争いのない時代はない。差別のない時代はない。この世界が平和であったことはいっときもありません。旧約聖書、創世記の時代、神がこの世界を創った最初から、アダムとエバの夫婦げんか、その息子カインとアベルの兄弟殺しに始まります。聖書を読んでほっこりするか、安心するかしたいのに、聖書の中に平安な心で生きた人々はほとんど出てこないのです。
 聖書の世界で平和が実現されたこともありません。平和を作ろうとすると、迫害が始まるのです。それは、誰かが自分の権力を失うからです。聖書の中の権力者たちは人を痛めつけることで自分を大きく見せて、その地位を保とうとしました。主イエスが十字架につけて殺されたのは、主イエスが真実を語るお方だったからでしょう。真実が明らかになると人々は自分たちの罪の現実を見せつけられてしまいます。自分の罪を見せつけられたら、心の平安は乱れてしまいます。だから人間はキリストの口をふさごうとしたのです。
 けれども聖書は、罪の現実では終わりません。それ以上の大いなる現実を伝えます。それは主イエスのもたらすものが、人間の生み出す争いや憎しみを、人間の汚れを拭い、人智をはるかに超えた大きな力であるということです。
 私たちは自分では自分のことをどうしても救うことのできない愚かさを抱えています。思ってもいないことを口にし、自分の保身のために他人を傷つけます。その愚かな私たちのもとに主イエスは来てくださいました。主イエスの十字架によって、私たちが賢い者として光の内を歩むことを可能にしてくださいました。
 だから聖書は教えます。「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。」私たちが賢く歩むには、自分自身を敬い、自分自身に感謝することをやめて、敬い、感謝すべき方は神様であることを知らなくてはなりません。
 私たちは主イエスに神の正しさと神の愛の中で、主の御心を求めて生きるようにと言われるのです。賢い者とは、学のある人間のことではありません。主の御心を第一として歩む者なのです。貧しい者の元に降っていかれ、弱い者と共に歩まれたキリストと共に歩むようにと言われるのです。主の御心がなんであるかを求め、どんな悪い時代であっても、その悪の中に入っていき、傷つきながらも、平和を作り出すものとされていくようにと言われます。
 そうして、聖書は教えます。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」と。コロナ禍が過ぎ去って私たちは礼拝で賛美歌を歌って賛美できるようになりました。声たからかに賛美をささげることができるのは嬉しいことです。
 しかし、「酒に酔いしれてはなりません」とあります。自分が酔いしれるために、自分が楽しくなるために歌うのではありません。自分が気持ち良くなるために歌うのではありません。自分の気持ちではなく、主を第一として賛美をささげるのです。主に向かって心からほめ歌うのです。賛美は安心と平安を生み出すだけのものではありません。苦しみに立ち向かうために、平和を作り出すために、悪い時代に出ていくためにほめ歌うのです。キリストに仕える者として、真に賢い者であるために、私たちは霊に満たされ、霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いましょう。その時、私たちは自分自身のなすべきことを教えられるでしょう。
 私たちを奮い立たせてくださるキリスト、この主を土台として、感謝し、畏れ、互いに仕え合う、教会はこのことに生きてきました。奇麗なだけではない罪の現実を知ってなお、これからも私たちは主によって生かされ、主を見上げ、ただ主に向かって、心からほめ歌い続けたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊿「私は誰?」

「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙3・20)

私って何者なんだろう?
自分が全く意識していないときに急に自分の所属のことや、性のことや、健康のことなどを言われ急に自分が分からなくなったときがあります。
言った相手の方がどのような思いで言われたのかはわかりません。ただ私には刺さりました。私って何者なんだろう。
そのようなとき「わたしたちの本国は天にあります。」とみ言葉から聴くと慰められます。私は神様に造られいつも神様と生きて一人じゃないと。
自分はここに生まれ、親はこの人でこうしなくてはいけないと縮こまるときがあります。
入院したとき私はほとんど多人数部屋です。たまにいかにも病人ですというように暗い顔をして下を向きほとんど話さない人がいます。もちろん本当にしんどくて上を向けない人もいます。でもほとんどの人は病人を演じておられるみたいです。
ある日、他の部屋の方が退院されるときお礼にと言って紅茶のティーバッグを下さった方がおられました。
なんでだろう?と思ってたら「挨拶してくれてありがとう嬉しかったわ。」と言われました。
家族に挨拶をするのって当たり前ですよね。入院して何回もお会いする方々も同じような気がします。
例え名前を知らなくても出身の国を知っています。
「わたしたちの本国は天にあります。」いつもお会いする方々にご挨拶するのは特別ではありません。同じ天の出身の家族だからです。天の父は神様です。例え自分が所属や性、健康についてわからなくなったとしても大丈夫。あなたは神様にそのままを受け容れられています。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑫

日本福音ルーテル本郷教会・本郷学生センター
水上利正(日本福音ルーテル本郷教会役員)

 本郷教会は、東京大学赤門(重要文化財)の反対側、本郷郵便局の裏側にあります。本郷教会は、1956年4月18日に東京の大学生のために開所された「学生センター」と兄弟組織にあたります。アメリカの福音ルーテル教会伝道部による日本の大学生への宣教活動の一拠点として、東京では文京区西片に宣教師館(東大農学部前)を設け、そこを大学生伝道のためのセンターとしました。
 ちなみに、本郷教会から本郷通りを少し北上しますと、言問通りが交差する「本郷弥生」交差点があります。東大農学部は、言問通りの北側「文京区弥生」にあり、この弥生地区の、本郷通りを挟んだ反対側が「文京区西片」です。
 学生伝道の開始は、その「西片」の学生センター開所4日後の4月22日(日)に最初の礼拝が行われた時で、学生センター並びに本郷教会が誕生しました。
 学生センターでは、今でも学生にネイティブな英会話と聖書を教え、本郷教会で聖日礼拝を守り、み言葉による宣教が続けられています。センターとしての伝道開始時には、まだ「本郷教会」という名はなく、礼拝を守り受洗した教会員の間から、老若男女、誰でも集まれる教会堂を持ち、教会活動専任の邦人牧師を招聘したいとの要望が強くなりました。
 その結果、種々の検討、選択、資金の積立、アメリカルーテル教会への資金援助要請などが粘り強くなされ、1966年6月11日、文京区本郷(本郷郵便局の裏)に、3階建てコンクリート造りの教会堂が竣工されました。
 多くの方々の祈りと努力が叶えられた瞬間です。1階は学生センターのための集会室、事務室、2階は礼拝堂、3階は牧師館です。
 本郷教会の特徴は、東京の大学生が生きた英語を学びつつ、聖書に触れ、神様についての理解と信仰を身に付けることです。大学生が卒業すると就職し、東京ばかりではなく全国、海外にも派遣されるため、本郷教会は「通過する教会」としての役割とその維持、卒業生のその後の信仰あるいは宣教支援が課せられていると思っています。
 これからも本郷教会は、人口が減少する中での子どもたちへの伝道、高齢化が進む社会、「本郷教会」家族に「心安らぐ場所」を提供し、更に常に活気ある、前向きな教会を育て維持し続けていけるのかなど、まだまだ多くの諸課題に、祈りつつ取り組まなければなりません。テレビ番組ではないですが、「ぼーっ」としてはおられません。

牛津ルーテルこども園
北村佳枝(牛津ルーテルこども園 園長)

 本園は、戦後の混乱期が落ちついた1953年4月、地域の要望を受けて当時の佐賀地区宣教師であったマヤ・ウインテル女史と日本福音ルーテル小城教会の中尾忠雄牧師の多大なお働きがあり「牛津幼稚園」として設立されました。その後、新制度に伴い2015年4月に幼保連携型認定こども園牛津ルーテルこども園と園名を変更し保育の見直しをはかりました。未満児保育は、育児担当制と流れる日課を導入し特定の大人が子ども一人一人と丁寧にかかわり愛着形成を確立し、生活習慣を身に付けることを大切にしています。また、以上児クラスは、縦割りのクラス編成とし、多様な人間関係の中で興味や関心の幅を広げ、主体的に遊びこむ姿が見られます。
 約70年という長い歴史のなかで当初からキリスト教保育を基盤とする考え方や理念は変わりません。以上児クラスは、月に2回、ホールに集い岩切雄太牧師と共に礼拝を守ります。手品を交えた楽しいお話しを心待ちにする子どもたちです。
 子どもたちは、日々の生活や祈りのなかで神さまの存在を感じ、守られ愛されているという安心感がこころのよりどころとなります。そしてそれぞれが自分の良さを見いだしてのびのびと自己発揮していきます。子どもたち、また私たちも神さまから頂いた賜物を活かして互いに認め合い、かかわりを深めていけるよう願うものです。
 昨年、4年ぶりに小学生クリスマスの礼拝を守ることができました。久しぶりの開催にもかかわらず100名近くの卒園生が集い、祈りの時を持ち親睦を深めました。これからも神さまの祝福のうちに、一人一人が命を輝かせ光の子として成長していけるように寄り添っていきたいと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

 ロシアにもルーテル教会があります。大都市サンクトペテルブルクにあります。ロシア福音ルーテル教会(以下ELCR)の監督補佐、神学校長でもあるアントン・ティホミロフ氏はELCRの現状と神学教育について語ってくれました。
 「教会も政治も経済も混乱している状況下にあっても、神学教育は健全でありたいと思っています。」
 「敵意と敵意の間に橋を架けねばなりません。オープンかつ刺激的そして和解を目指すディスカッションができること、それが良い神学教育です。」
 「現在40名の神学生がいて3分の1は女性です。出身は旧ソビエト連邦のジョージア、ベラルーシ、モルドバ、カザフスタンから、そしてウクライナ人も4人います。」
 牧師研修は2019年からオンラインになり、ティホミロフ氏は定期的に各地を訪問してセミナーや会議を開催します。
 「学生たちは各地域に根差していて、多くはそこで仕事をもっているのでオンライン学習は彼らのニーズにかなっています。教育課程は3年で学士を取得できます。国際色豊かで様々な教派の教師が教えています。講義はほぼロシア語です。ただ神学校を認可しているのはロシアルーテル教会連盟だけです。国の認可を得られるといいですが難しいです。それに教派間の問題もあります。」
 ロシアでルーテル教会は小さく、世界最大の国土でありながら信徒総数は約2万人。「現在はELCRを構成するふたつの教会、ヨーロッパ・ロシアルーテル教会(ELCER)とウラル・シベリア極東福音ルーテル教会(ELCUSFO)の協力関係を強めて教会の安定化を図っています。」
 状況の安定化と政治的行動に反対すること、ティホミロフ氏によるとそれが教会指導者の主要な役割とのこと。
 「牧師がとても不足していて特に農村地区が気がかりです。多くの牧師は生計を立てるため牧会だけでなくパートでも働いています。」
 教会の収益が限られていることも心配な点で、モスクワやサンクトペテルブルクのような大きな都市では教会の荘厳な建物を収益のために利用しています。
 「モスクワのカテドラルでは文化事業に貸し出しています。立派なパイプオルガンもあるのでコンサートもしています。」
 「西側によるロシアへの経済制裁のため海外からの送金を受け取れません。友好関係にある教会や団体からの支援が得られないのです。自立してやっていくしかありません。」

https://lutheranworld.org/news/russia-being-small-church-large-country?ct=t(EMAIL_CAMPAIGN_NL_EN_COPY_01)

山内量平探訪記⑤

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 山内量平の妹の季野は、植村牧師と婚約後にいったん帰郷し、まず隣村に嫁いでいた妹の熊子に伝道します。熊子はすぐに信仰を受け入れ、夫も許容してくれました。ところが姑は猛反対。「家の仏壇を守るのか、離縁して実家に戻るのか」と迫ります。すると熊子は、3人の子どもを連れて帰って来てしまいました。
困ったのは当主の量平です。彼はヘール宣教師を自宅に招き、「神は人の心を知っているのだから、心の中で信仰しておれば良いではないか。」と言い、婚家に戻るよう説得するのが宣教師の義務だとまで詰め寄りました。議論の間、季野と熊子は階下で熱心に祈り、熊子は「神ならぬ者を拝むよりは、野を耕し木こりでも何をしてでも」と、固い決意をしているのでした。
 翌月、ヘール宣教師が山内家を再訪すると熊子は受洗を申し出ました。ところが宣教師がその試問をしていることを知った量平は、激怒して刀に手をかけようとします。このときは、とりなす人がいて、ひとまず受洗は1年延期となりました。
 しかし、その2カ月後、熊子は日射病で亡くなります。遺言を聞かれた彼女は、「子どもたちのことは神様にお願いしてあります。私もまた主の御手に導かれてまいります。」と言い遺したのでした。
 後に熊子の長女・綾子は、山内直丸牧師夫人になりました。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

小泉 今回は、このたび盲伝(日本盲人キリスト教伝道協議会)の理事になられた中島共生牧師にお話を伺います。先生は、礼拝の主日の祈りを点字で作っておられると伺いましたが、どんなふうになさっておられるのですか?

中島主日の祈りをまずは墨字で印刷し、その紙に点字プリンターで点字を印刷しています。最初は教会員と手分けして、必要な3部を一文字ずつ手で打っていたのですが、その後、清水の舞台から飛び降りるつもりで、ネットオークションで点字プリンターを購入したのです。新卒牧師にとっては高価な買い物でしたが、いろいろ教えていただいて無事に使えるようになりました。

小泉先生は、もともと視覚障がい者とのかかわりがおありだったのですか?

中島牧師になるまでは全くありませんでした。遣わされた教会での礼拝中、主日の祈りになると必ず下を向く方がおられると気付いた時に、「お手元の週報をご覧ください」という案内の言葉が、誰にでも優しい言葉ではないと気付いたのです。それが、主日の祈りの点字版を作ろうと思ったきっかけでした。また、点字に精通した方が教会に連なっていてくださったことも、大きな助けとなりました。

小泉見えない方との出会いが大きかったのですね。その出会いによって気付かされたことなどおありですか?

中島「見えないことは分からないことではない」ということです。見えない方は、空気や太陽の温かさからその日の天気を感じ取られます。手を握ったときに「先生、少し体調悪くない?」と言われることもあります。私も、到底そこまでは及びませんが、誰かの変化を敏感に感じ取れるような、心の目を凝らす生き方をしていきたいと思っています。

小泉ありがとうございました。最後に、先生が大切にしておられる聖句をひとつ教えていただけますか?

中島「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1・4)です。聖書が私たちに語る、暖かくて透き通った光をこれからも精いっぱい伝えていきたいと思います。

ルーテル幼保連合会役員交代挨拶

竹田拓己(大森ルーテル幼稚園園長補佐)

 主の御名を賛美いたします。
 さて2023年8月に広島で開催されたルーテル幼稚園・保育園・認定こども園研修会後に役員選出があり、新役員が決まりました。2024年3月25日に新旧役員の引継ぎがZoomで実施され、2024年4月より本格的に新役員の働きが始まります。私自身右も左も分からない中、会長を務めさせていただくことには不安が尽きません。皆様の温かいご支援と、共に歩む役員の力を大いに賜り、頑張ってまいりたいと思います。
 ここ数年東教区、九州教区で役員を交代で受け持っていましたが、今年度より各教区から役員を選出することとなりました。各教区の役員の働きにより、多くの園が研修に足を運ぶことができるよう、また様々なルーテルの園の先生方が他園の先生方と交流できるよう願っております。
 保育の現場は現在激動の時代となりました。少子化が想定を上回るペースで進み、各園園児の獲得に苦労されている事と思います。その他にも共働き世帯も増え特に幼稚園は変化を求められる時代へとなったように感じます。園児獲得、ICT化、保育の見直し、人材確保、働く環境の改善などあげたら切りがありません。しかし向き合っていかなくてはならない課題でもあります。各園が互いに情報を共有し、意見を言い合える場や機会に本連合会がなり、それが子ども達へと還元されればと思います。

ルーテル幼保連合会新役員
会長 竹田拓己
(大森ルーテル幼稚園・東京)
副会長 江口由美
(恵泉幼稚園・福岡)
書記 橋本真
(谷の百合幼稚園・広島)
会計 斎藤典子
(ルーテル保育園・東京)
補佐 古閑雅子
(清泉保育園・熊本)
監査 本田聡子
(認定こども園挙母幼稚園・愛知)

北海道特別教区 栞の取り組み

岡田薫(日本福音ルーテル帯広教会牧師・札幌教会協力牧師

 世界的なパンデミックに翻弄されていたさなか、北海道特別教区も試行錯誤しながら連帯や協働の取り組みを続けてきました。「主の祈りを祈るキャンペーン」やオンライン集会の開催と小冊子「み言葉に生かされる」の発行などに加え、2021年からは教区の主題聖句を身近に感じていただけるように「教区主題聖句カード」を毎年作成しています(教区総会後に作成し、ペンテコステの前後に全教会員に配布)。
 少し薄手の用紙にプリントされた栞は聖書に挟んでも邪魔になりません。片面には教区主題、もう片面には各教会の主題聖句や写真が印刷されています。往来自粛などの影響で互いに行き来ができなくなった時期、この栞にある御言葉に励まされ、それぞれの教会に連なる方々を覚えて祈るひと時が慰めにもなりました。2023年は新しい礼拝式文の導入にともない、主題聖句は片面に集約し、もう片面には「主の祈り―2000年共通口語訳―」を印刷しました。折々の集会でも配布し、身近に置くことによって新しい主の祈りの習熟のためにも豊かに用いられたようでした。
 牧師数の減少と広域兼牧も始まり大きな変化もありましたが、この数年間の取り組みによって、それぞれのつながりや支えあい、祈りあいが教会としての底力、柔軟性を醸成しているように感じています。広大な北海道に4教会6礼拝堂が点在する小さな教区だからこそ、ひとつの聖句に思いを寄せる、ひとつの教区の仲間であることを意識していくために、これからもこの小さな活動を継続していきたいと思っています。

第31回 春の全国teensキャンプ報告

森田哲史(日本福音ルーテル大森教会牧師・宣教室 TNG委員会teens部門)

 昨年に引き続き、対面での「春の全国teensキャンプ」(以下、春キャン)を開催しました。
 今年のテーマは「最強の絆」として、神様から与えられているつながりを考えるプログラムとなりました。序盤では、お互いの共通点を探しながら、お互いを知ることを通してつながりを考えてみました。中盤では、学校生活などの特定のシチュエーションの中で、「つながることが強制される世界」と「つながりが一切無くなってしまった世界」を想像し、発表しました。参加者からは、私たちの世界には良くないつながり、強制されたくないつながりもあるけれど、つながっちゃいけないと言われるのも困ってしまう、そもそもつながりが無いと世界は成り立たない、という意見が上がりました。そのような意見に対して、チャプレンの池谷牧師からは「一番大切なのは、それでも私たちがつながりの中で生きているという現実なのだ」と示されました。
 まとめとなる閉会礼拝では、再び池谷牧師からヨハネによる福音書15章5節を通して、枝と枝は直接にはつながらないが、イエス様という木を通してつながれていることを聞きました。キャンプの参加者は住む場所も年齢もバラバラで、偶然に集められた、ある意味では無関係な存在でした。しかし、春キャンを通して、自分と無関係とは決して言えない存在となりました。そして、その中心にいるイエス様を覚える3日間となりました。
 各教会を始め多くの方の祈りと、各教区、女性会連盟、JELAなど皆さまのお支えによって、恵みのうちに終了することができました。感謝して報告に代えさせていただきます。 近々に「思い出集」をお送りさせていただきますので、ぜひご覧ください。

ルーテル学院大学・大学院次年度以降の学生募集停止について

 2024年3月21日開催の学校法人ルーテル学院理事会において、近年の少子化傾向等の影響を受けた学生数減少のため、ルーテル学院大学・大学院の2025年度からの新規学生募集の停止が決定され、3月25日付で下記インターネットサイトにて公開されました。詳しくは以下をご覧下さい。
 https://www.luther.ac.jp/
 なお2024年度時点の在学生が卒業するまで、大学での現行の教育活動は継続されます。また神学教育機関としての日本ルーテル神学校については今後も新入生募集は継続されます。本紙次号にて報告を掲載いたします。

新任牧師挨拶

笠井春子(日本福音ルーテル小鹿教会・清水教会牧師)

 この春、神学校を卒業し、小鹿教会と清水教会で牧師の働きに遣わされることになりました。これまでのお祈りとお支えに感謝申し上げます。
 私が5歳の時に天に召された父は、日本福音ルーテル教会の牧師でした。父が神学生の時に私が生まれましたが、その父が宣教研修生として学んでいたのは山本裕先生のもと静岡の富士教会であったと聞いており、私にとっては初めての東海教区の教会も父を通して生まれる前からのつながりがありました。
 生後半年のときにむさしの教会で徳善義和先生から小児洗礼を受け、その後、父の赴任先の二日市教会、聖ペテロ教会、父の召天後は田園調布教会で育てていただきました。キリスト教系の高校で多くの御言葉と聖書のメッセージを聞き、大学では聖書科の教職を取得しましたが、進路を選択していく時期に差し掛かった時、牧師が不足していると聞きました。たとえ働きは小さなものだとしても、もし用いてくださるのなら牧師として主に仕えていきたいという思いが生まれ、牧師を志すことを決めました。欠け多き器であっても主は豊かに用いてくださると信じます。
 宣教のために遣わされた地で、主と共に歩んでいきたいと思います。

河田礼生(日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師)

 主のみ名を賛美します。このたび、恵み野教会と函館教会に赴任することになりました。これまで多くの祈りとご支援に励まされ、按手を迎えることができましたことに感謝いたします。主に祈り委ねつつ、牧師としての生涯を歩んでいきます。
 私の名前は「礼」拝に「生」きると書きます。振り返ると、私の信仰生活は礼拝に支えられてきました。礼拝をサボることや神様に背くことがあっても、気付いた時には礼拝を通して、再び神様に引き戻されていたように感じます。そんな経験や名前に触発を受け、神学校でも特に礼拝に深い関心を持って学びました。赴任先の教会や街の様子を見て、あるいは若い牧師という立場で、私は地域伝道や青年伝道に強い熱意や使命感を抱いております。その土台となるのはやはり礼拝だと思います。ですからまずは毎週の司式、説教に尽力したいと思っています。
 ポストコロナや社会情勢の不安など、これからますます教会は苦しい状況に直面していくことが考えられます。しかし、主の言葉は決して滅びません。100年後、200年後にも礼拝が守られ、福音の喜びが語られていることを思い描きながら、牧師として歩んでいきます。共に御言葉にぶつかり、生かされてまいりましょう。

デイビッド・ネルソン(日本福音ルーテル宮崎教会・鹿児島教会牧師)

私はアメリカ国籍、母国語は英語です。しかし、日本で生まれ育って、幼児洗礼は浜松教会、堅信礼は札幌北教会、結婚式は東京の本郷教会。胎内の時からJELCと深いつながりを持っています。本郷教会の学生センターでボランティアする機会が与えられ、難しい時代にめげずに献身的な宣教の働きをする日本の牧師先生方の姿に感動し、尊敬します。50代に会社を早期退職した後、第二の人生において本郷学生センターで伝道師をしながら日本ルーテル神学校に入学しました。戸惑いはありましたが神学校の校長先生は私の話を聞き、「あなたがJELCの牧師になりたい気持ちは自然なものだと感じる。」と励ましてくれました。志や迷いを出来るだけ正直に沢山の面接で語り、5年間をかけ、多くの人に助けられて卒業、按手に至りました。JELCにはいいものがあると思います。日本のキリスト教会には、ルーテルというスパイスに意味があります。世界のキリスト教会に日本のキリスト教というスパイスに意味があります。スパイスは少量でもインパクトは大きいです。今までは信徒として、これからは牧師として、JELCとのつながりを大事にしながら、福音を宣べ伝え、宣教をしたいと思います。

三浦慎里子(日本福音ルーテルみのり教会・岡崎教会牧師)

4月から牧師として宣教の場へと遣わされることになりました三浦慎里子と申します。多くの方に祈り支えていただき、無事に神学校での学びを終え、切磋琢磨した同級生たちと共に按手を受けることができました。皆様の多大なるご支援に心より感謝申し上げます。
 3月下旬に、任地となる愛知県豊橋市へ引っ越しました。転入手続きの後、市役所の展望ロビーから豊橋市内を見渡すと、悠々と流れる豊川や街中を路面電車が走っているのが見え、故郷熊本の街と雰囲気が似ていて親近感が湧きました。豊橋市、田原市、岡崎市に礼拝堂があるため、今後は移動が多くなります。それぞれの土地の良いところを発見しながら、少しずつなじんでいくのが楽しみです。牧師として生きるということは大変なこともあるかもしれません。しかし今までもそうだったように、時に悩んだり立ち止まったりしながらも、神様が遣わしてくださった場所で与えられる出会いや経験の一つ一つを大切にして歩むことは変わらないでしょう。神様に導かれ、今、宣教のスタートラインに立たせていただけていることを感謝します。どうぞよろしくお願いいたします。

JELAインド・ワークキャンプ
大学生12名がインドで義足作りのボランティア

星崎ポール(公益財団法人JELA職員)

 公益財団法人JELAが主催する「JELAインド・ワークキャンプ」が2024年2月12日から11日間の日程で開催されました。同キャンプはJELAが2001年から主催する海外派遣型ボランティアワークキャンプで、神様の愛をもって社会と人に仕える方々の育成を目的としています。今回のインド・ワークキャンプには、ルーテル学院大学に通う学生をはじめ全国各地から19歳〜22歳までの大学生12名が参加し、インド、マハラシュトラ州のジャムケッドにある医療福祉施設「Comprehensive Rural Health Project︵以下、CRHP)」において、義足作りを中心としたワークを行いました。
 インドの農村地域は一般的に医療アクセスが悪く、また、経済的な事情から、治療が間に合わずに交通事故や病気で足を失う方が非常に多くいます。義足は高価で、特に貧困地域では入手や交換が大変難しいのが現状です。今回のキャンプでは、JELAが義足の材料費を負担し、12名の参加者が現地に赴き懸命に作業したことで、52本の義足が贈呈されました。また、義足作り以外にも、CRHPの施設内に併設されたプレスクール(小学校入学前の児童教育施設)の壁の塗り替え作業や児童との交流、施設内の食料として野菜や果物を栽培する菜園の草抜きや苗植えなどのワークも行われました。
 さらにその日の経験や感じた事を聖書の御言葉を通して振り返り、分かち合う「ディボーション」も毎日行われ、キャンプチャプレンとして同行した日本福音ルーテル合志教会・水俣教会の多田哲牧師がリードして下さいました。共に御言葉を読み、その日のワークや体験で感じたことの分かち合いや多田牧師による説教を通して、自身がキャンプで感じたことや考えたことを神様の視点から捉えなおす時間が持たれました。今回は教会や聖書になじみのない参加者が多かったため難しさもありましたが、ある参加者からは「初めて聖書の言葉に触れたので、興味をもって自分でも調べてみたい」というフィードバックもありました。普段から一人一人に寄り添い、導いて下さる神様の存在やその恵みをキャンプの経験や御言葉から感じ、いつの日か信仰が与えられ教会につながるきっかけになることを祈ります。

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