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るうてる2022年08月号

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 「永遠のいのち」と、私は書く

日本福音ルーテル聖パウロ教会 牧師 小勝奈保子

「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」
(ヨハネの手紙一4章16節b)

  8月になると、昭和を代表する歌手美空ひばりさんの歌「一本の鉛筆」を思い出します。これは、第1回広島平和音楽祭(1974年)のために作られた歌ですから、反戦への思いの強い歌となっています。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃に、女優の杏さんが歌い、YouTubeに動画を投稿されました。

「一本の鉛筆」(作詞・松山善三、作曲・佐藤勝)
あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く
あなたに愛をおくりたい
あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい
あなたに世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば
私は子供が欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたをかえしてと私は書く
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと私は書く

 

父なる神さまは、どんなお方なのでしょう? 「神は愛です」。けれども、父なる神さまのお姿を見た人はいません。父なる神さまは人間にまことの愛を伝えるために、この世にイエスさまをお送りくださいました。
 礼拝のはじめにみ名による祝福、「父と子と聖霊のみ名によって」「アーメン」と唱えます。三つにしてひとりの神、交わりの神です。「神は愛です」、愛は単独であらわし示すことができず、その本質として交わりを有します。
 具体的に言いますと、イエスさまも「アッバ父よ」と祈り、いつも心に父を覚え、父との交わりに生きられました。また、母マリアの胎に聖霊が宿り、イエスさまは誕生し、イエスさまが洗礼を受けられた時にも、聖霊が鳩のように降りました。そして、イエスさまは十字架上で「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23・46)と叫び、父とみ霊との交わりの内に生き続けられました。
 礼拝にも三つの交わりがあります。①父と子と聖霊の神との交わり、②み言葉・ロゴスとの交わり、聖書朗読や説教、讃美歌もみ言葉との交わりです。③聖徒の交わり、これは、礼拝に集う会衆、礼拝に招かれた神の子らの交わりです。礼拝には、この三つの交わりがあり、キリストの体・教会の内に留まり、み言葉の内に留まり、神の愛の内に留まることに、神の子たちの命があります。
 キリスト教は「神は愛です」と、愛や平和を説いています。しかし、世界に目を転じますと、戦争によってウクライナに住む多くの人々が他の国へ避難民として逃れています。他にも、アフガニスタンやミャンマーなど、紛争によって大勢の人々が苦しんでいます。私たちは、世界の悲しみをどのように受け止めたらよいのでしょうか?

  

歴史や政治の問題が複雑に絡んでいます。何が正義か? 立場によって正しさは異なり、住民同士の激しい対立や憎しみ、分断の悲しい現実があります。私たちには、手に負える問題ではありません。そうかと言って、傍観者でいることにも、罪を覚えます。無関心ではいられない。けれども、人間の知恵を働かせても、罪の現実に圧倒されるばかりです。では、どうすればよいのでしょうか?
 知恵には、人間の知恵と神の知恵とがあります。そして、神の知恵は、独り子を十字架に架けました。それによって、世界のすべての罪をお赦しになりました。聖書を開いて、神の知恵に耳を傾けます。天に心を向けて、父のみ心を尋ね求めます。イエスさまは何と仰っているでしょうか?
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5・44b〜45a)、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26・52b)。
 これらは神の知恵の言葉です。心を開いて、み言葉と交わります。すると、聖霊が働いて、私たちに知恵を授け、悟らせてくださいます。
 神の知恵に、私たちはより頼みます。父なる神に憐れみを乞い求め、子なるキリストに救いを求め、聖霊なる神にみ助けを求めます。私たちは交わりの神の愛の内に守られ、平和へ、命へ、導かれています。十字架のキリストこそ、この地上のザラ紙に「永遠のいのち」と書き記された、神の愛のお姿です。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉙「喜び」

「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5・12)

  「先生ですか?」えっその施設で若い方に声をかけられた事が少ない私はちょっとびっくりしてキョトンとしていると「○○の娘です。いつもお世話になってます」あー○○さんの。何でわかったんだろう?
 あっあの写真だ。部屋に入ったベッドの横に私と写した写真が貼ってありました。
 〇〇さん私と写真撮って嬉しかったのかなぁ?
 最近私はどこかに集中して手を動かそうとするとあっちこっち自分が思わぬ方向に手が勝手に動いてしまうことがあって物を壊してしまったり、倒してしまうということがあります。
 急に〇〇さんのことを思い出し切なくなりました。
 いつも私が「〇〇さんおはようございます。」と言うと〇〇さんの車椅子を押されている方が「〇〇さん伊藤先生だよ」と伝えて下さると、〇〇さんは顔は笑っておられるのに体をバタバタしはじめられいつもびっくりさせられて、私は自分が声をかけて良かったのかわかりませんでした。
 いろんな感情の表現は決まったかたちでなくてもイエス様はいつもわかって下さるんですね。

議長室から 大柴譲治

「良心」

「そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。』」(使徒23・1)

 パウロは「良心」を大切にしていました(使徒23・1、同24・16、2コリント1・12など)。それはギリシャ語で〝συνειδησις〟、英訳は〝conscience〟で「共に知ること/共通認識」という意味。日本語の「良」というニュアンスは含まれていません。しかし「良心」と言うと不思議にストンと私たちの腑に落ちるのです。私たちがルター派だからでしょうか。
 1521年のルターのウォルムス国会での弁明を想起します。「聖書の証言か明白な理由をもって服せしめられないならば、私は、私があげた聖句に服しつづけます。私の良心は神のみことばにとらえられています。・・・良心に反したことをするのは、確実なことでも、得策のことでもないからです。神よ、私を助けたまえ。アーメン。(私はここに立っている。私はほかのことをなしえない)」(徳善義和編『ルター』平凡社1976)。
 私たちはしばしば「良心の呵責」を覚えることがあります。心がうずくのです。内面的な価値観に照らして事柄の可否や善悪を判断しているからです。私の神学校時代の卒論は「告解(ざんげ告白)」。それは四つの部分から成ります。①痛悔(良心の呵責)、②告白、③償罪、④赦免(赦しの宣言)。①が良心の痛みです。私たちが見落としがちなのは③「償罪」の部分。ルターの宗教改革運動の発端は「贖宥状(免罪符)」に関するものでした。それは諸聖人の功徳によって陰府における「償罪」を軽減するための「御札」だった。「牧会者(魂の配慮者)」であったルターは、民衆の魂の救いがないがしろにされることに黙ってはいられませんでした。ただキリストの十字架と復活によって私たちの罪は贖われ、私たちは信仰によって神の前に義とされているのであって他の何も必要なかったのです。
 マハトマ・ガンジーの「非暴力不服従」運動が大きな成功を収めたのはそれが英国人の「良心」に強く訴えたからでした。映画『ガンジー』でも壮絶な場面として描かれていますが、何も持たずまっすぐ自分たちに向かってくる無抵抗な民衆を英国兵は次第に銃撃できなくなってゆきます。若くして英国に留学したガンジーは英国人の良識/良心を信じ、それに訴えるかたちで抵抗運動を展開したのです。相手がAI兵器のように良心を持たないマシンだったらそれは功を奏することはなかったでしょう。8月の平和月間に私たちが「良心」について考えることは意味あることと思います。私たち一人ひとりが神と人の前で自らの良心に従って生きることができますように祈ります。地上に平和が来ますように。
s.d.g.

「教会讃美歌 増補」 解説

㉖創作賛美歌解説6増補31番「今 み前に」
永井幸恵(広島教会)

 ルーテルの礼拝式文にはたくさんの歌が集まっていて、とても心地いいです。まだ小さかった子どもたちにもこの礼拝を通して、神様のこと、聖書のこと、キリスト教のことなどいろいろなことを吸収してほしいと願い、足繁く礼拝に通いました。平日はいつも仕事などでバタバタと過ごしていて、週に1回、家族で参加する礼拝がホッとするひととき。聖餐の部では、前へ進み出て配餐が行われます。子どもたちはまだ受洗していませんでしたが、祝福の祈りを受けるため一緒に前に出ていました。子どもたちは、聖餐式のひとつひとつに興味津々、特に「パンとぶどう酒」に関心があったようです。このパンはなあに?この赤いのはなあに?どうしてこんなことをするの?と。礼拝中でしたけれど、一言ずつ牧師先生が子どもたちの問いかけに丁寧にお答えしてくださいました。それが歌詞の内容になっています。それは子どもたちの心に確かに届いたのだと思います。神様の時を経て、子どもたちは受洗しました。共に聖餐に与る幸せを心から主に感謝しています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

暴力と分裂に疼く 世界をひとつに

 6月9日から14日にかけて年一度のLWF理事会がジュネーブで開催されました。テーマはコロサイ書1章9〜20節から「すべてはキリストに支えられ(In Christ all things hold together)」。パンデミック以後最初の対面形式での会議となりました。
 開催に先だって恒例として他教派からの挨拶があり、カトリック、メソジスト、ペンテコステ、改革派、東方正教会の代表者が冒頭で祝辞を述べました。彼らが共通して呼びかけたのは、分裂と暴力、利己主義に疼く世界に向けて、キリスト教会が信頼できる証人となるべきであり、そのために神学的な相互理解を一層深め、実のある協力関係を築くことが急務であるというメッセージでした。
 改革派を代表してハンス・レッシング氏は、ロシアのウクライナ侵攻への対応に触れつつ、正義と平和の問題に関してLWFとの協力関係の重要性を指摘しました。テーマのコロサイ書の聖句に触れてこう述べました。「多くの事柄が崩れかけている今、たとえ甚だしい矛盾とおぞましい敵意がはびこっていても、すべてをひとつに保ち支えてくれるところに注目することを今回の理事会は目指しています。そこは目に見えず我々の理解を超えているけれど、すべてを支えるお方がいるところです。すでに手元にあるこの神の賜物を私たちがさらに理解を深めて実生活でも受けとっていくようにと、この聖句は呼びかけています。」
 ペンテコステ教会の代表者ジーン・ダニエル・プルス氏は、2016年に2教会間で初の公式対話が実現したのは、過去20年にわたるLWFのエキュメニズムへの並々ならぬ決意の賜物であり、両教会の対話の最終文書が来たる2023年のポーランドでの総会には間に合うであろうこと、そしてこれが両教会にとって地域レベルでのつながりの具体的な成果になると述べました。プルス氏はまた対話の継続を呼びかけるとともに、今年10月にソウルでおこなわれるペンテコステ教会世界協議会にLWFを招待しました。「異なる実践と信仰に立ちつつも聖霊の力によって互いを理解し、価値を見いだし、生産的な関係を築くことが可能だ」と述べました。
 カトリック代表アウグスティヌス・サンダー氏は3年後に迫るニケア公会議1700年記念について触れました。「全キリスト者に馴染み深いニケア信条によって、声は違っていても同じ讃美歌で神をたたえることで、私たちはひとつにされています。2025年のニケア公会議記念大会が、『争いから交わりへ』の旅路を辿る両教会にとって有意義な憩いの時と場所となり、そこから霊的な集中へと共に向かっていけることを願っています。私たちは時に急ごうとしますが、短距離走者ではなく長距離走者ですから、焦らず一息つきながらゴールを目指しましょう。」
 メソジスト教会のイヴァン・アブラムス氏は、世界各地の紛争、殊にウクライナへの軍事侵攻の最中にLWF理事会が開催されたことに触れ、次のように述べました。「ポストコロナの今、健康管理の脆さが世界的に目立っており、不平等が増大していると実感しています。キリストの直弟子として、エキュメニカルなパートナーと共に希望と癒やしの運び役となり、公正で持続可能な未来を私たちは目指す心づもりです。」
 WCC(世界教会協議会)を代表して事務局長のルーマニア正教会イオアン・サウカ氏もロシアのウクライナ侵攻に言及しつつ、数百万人に苦しみと死、絶望をもたらしている世界のあらゆる不正、差別、抑圧について語りました。ウクライナ戦争を支援するロシア正教会を排除するのかどうかについてサウカ氏は、「WCCは集いと議論のためのプラットフォームとして、平和と和解を目指すために対話の場を提供しています。しかしながら政治と宗教の指導者が、主権国家に対して武装侵攻するために宗教の言葉を利用することには強く反対します。平和構築には保護と忍耐、傾聴と尊敬、そして調停と平和を育むための環境が必要です。」

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

 

⑤NCC女性委員会 安田やまと(都南教会)

 

 NCC女性委員会は毎月第2水曜日に定例委員会を開催している。
 昨年からはコロナの影響でZoomで開催しているが、Zoomの良い点としては地方の女性委員も出席できるという点である。定例会の中では各教派、団体からの活動報告がなされ、情報や課題、祈り合うことなど様々なことを共有している。
 女性委員会の大事な働きの一つには世界祈祷日の開催及び式文の作成、祈りの対象国などへの献金送金がある。今年の世界祈祷日関連の報告として以下の2点を報告する。
・2023年世界祈祷日式文(作成国・台湾)の編集作業が3月末より開始されている。
・2022年世界祈祷日献金額は、6879879円(2022年6月末日現在)。
 特に献金に関してはコロナの影響で大きな集会が開催できずにいる中でも、世界祈祷日を覚えて送ってくださる方々に心より感謝。

 それ以外の今後の具体的な活動計画としては以下のことを予定している。

・女性委員会内研修会開催
 8月24日(水)10時30分~15時30分、会場・キリスト教会館日本キリスト教団4階会議室
 テーマ「教会女性の歩みとこれから」(仮題)。
・フォーラム「女性の視点で聖書を読む」
 形式・対面/Zoom
 日程・2023年2月
・第11回日・在日・韓国NCC女性委員会連帯交流会議(2023年秋)開催に向けて準備に入る。
・WCCワークショップ企画委員会へ参加。
などである。

 13の異なる団体で構成されている女性委員会では教派が違うからこそ意見を交換し合い、話し合い、それによって社会の中で追いやられてしまう弱者(女性や子ども達)の声に少しでも耳を傾けていけることができることを願い祈っている。

社会委員会リレーコラム 「本・出会い・教会」③

内藤文子(小岩教会牧師)

  その船は今、東京夢の島公園にありました。ビキニ環礁で被爆した「第五福竜丸」です。静岡県の焼津にいたころ3月1日に参加したビキニデーで久保山愛吉さんのお墓で祈りつつ、68年前に被爆した第五福竜丸は、今平和を願う人たちの協力で東京に展示されていると聞きました。
 第五福竜丸の被爆は、戦後、1954年3月1日。米国の水爆実験(一発で何千万人も殺せる爆弾)によるもの。無線長だった久保山愛吉さんは9月に亡くなりました。紹介する絵本は、草の根の平和運動から作られた絵本。久保山さんが家族に残した手紙が紹介されています。妻すずさんと3人の娘さんに愛情あふれる言葉が綴られています。驚くことにたくさんの手紙を書くと共に、体の痛みに耐えつつ、娘さんにセーターを編んでおられたことです。
 この久保山さんの死は日本と世界に衝撃を与え「原水爆禁止」運動が広がりました。
 愛吉さんが植え、すずさんが育ててきたばらの苗木も平和の祈りを込めて広がっています。妻のすずさんは93年の2月に亡くなられました。
 第五福竜丸は、その後漁に出ることは無く、忘れられ、ぼろぼろになってごみ捨て場にありましたが、ある人々の手で掃除され、一部修復され、平和を願い、「都立第五福竜丸展示館」に安置されたのです(1976年)。
 私も、会えました!「新木場駅」から徒歩10分。時が経ち、かなり傷みが激しいですが、被爆し傷ついたその姿で、来館した人々を迎え、核のない安心して暮らせる世界への願いを大きな船体で訴えています。
 今回のウクライナ侵攻に関して、「核共有」など恐ろしい話が持ち出されます。人類の最大の問題は、核兵器ではないでしょうか。主イエスの示される平和を希求し、過去の出来事から学びたいと思います。

カトリック第16回「シノドス」総会に向けての日本福音ルーテル教会からの応答②

エキュメニズム委員会

2 共通の課題

 シノドスの問う問いを吟味する時、共通の課題があることを共有しなくてはならないと感じています。

⑴まず第一に考えたいことは、神を信じること、つまり「信仰」の問題です。

 ルターが聖書を重んじ、民衆のためにドイツ語に翻訳した動機もそこにありました。聖書に書かれていること、つまり一人一人が神の恵みを受けとめ、それをイエス・キリストへの信仰へと集中することができるようになるためでした。ルターが著わし、教会員が今も大切に学んでいる『小教理問答』もただ文言を暗記するだけでなく、ともに信仰に裏打ちされた生き方ができるように教育することを目的に書かれました。
 その視点から言えば、私たちは共通の課題としての「信仰」の問題について、共に更に深めることが求められています。先のルターの言葉を借りれば「人々と話したり、かかわりをもつ」ということです。シノドスも「共同の礼拝は、わたし(たち)自身と生活を生かしているか」と問うています。
 私たちは1998年に『カトリックとプロテスタント どこが同じでどこが違うか』を共同で出版しました。しかしもう一歩進めて、私たちは同じキリストを告白するものであると大胆に語る時が来ているのではないかと考えます。特に、日本において「キリスト教」という大きな括りにありながらも、この「同じものである」というメッセージをいまひとつ明確にすることが足りませんでした。
 同時に、信仰者一人一人が、より平易に福音の恵みを語り、確かな信仰告白に至ること、そしてそれにふさわしく生きることを祈り求めなくてはなりません。日本福音ルーテル教会は新しい宣教方策を「魂の配慮(Seelsorge)」という言葉を重要なキーワードとして組み立てました。信仰を一方的に知識として語ってきたのではないかという反省があるのです。信仰者との信仰の対話の回復の必要性は、「教会内における対話」について触れているシノドスの目指す指針とも一致するものと考えます。この点では、信仰者の教育はもちろん、教職者の共同の研修に相互に参加することも、大きな刺激を得ることができるのではないかと考えます。
 またキリスト者どうしのあり方だけでなく(エキュメニズムの課題だけでなく)、他宗教や無宗教の人々との対話も、ますます大事なことになるのではないでしょうか。なぜなら日本の地に確かに教会はありますが、多くの日本の人々が他宗教や無宗教だからです。この指摘は、多くの日本の人々を責めるために言っているのではありません。むしろ逆です。神がお与え下さった日本のこの豊かで美しい自然や、またその中ではぐくまれてきた(たとえ他宗教であっても)豊かで深い宗教的伝統に、私たちもまた深い尊敬をもって「共に歩む」必要があるからです。更に無宗教の人々の問題も、決して日本だけのことでなく、先進諸国に広く見られる傾向です。ですから、彼らがなぜ無宗教であるのかを、私たちもまた「共に歩む」者として、彼らの心や生き方にある時は寄り添いつつ、共に苦しみ考えていく必要があるのではないでしょうか。

⑵次に上げられる共通の課題は、社会にある隣人への取り組みです。

 この点では、私たちに与えられている共通の課題はあまりにも大きく、深く、困難であることを痛感せざるを得ません。グローバルな世界の中に教会が存在していることを、私たちは相互に認識しています。環境・温暖化や原発の問題、戦争・平和・難民の問題、また疫病や生命倫理やジェンダーの問題、更には電子情報技術に代表される近代科学技術の光と影等々、私たちは共通の課題として取り上げることができます。また、このような課題が国内、国外にあることを私たちは知っています。(注2)

(注2)ルーテル世界連盟(LWF)は、近年、以下のような宣教的課題を挙げている。
⑴信仰と教会の在り方に関する事柄として/教会・信仰共同体の公共空間への参与についての神学的基礎づけ、信仰共同体内における違いと対立についての理解と取り組み、教会の宣言・ディアコニア・アドヴォカシーなどの働きへの支援、教会員数の成長と減少の双方への対応、ジェンダージャスティスへの取り組み、社会と教会への青年の参加の保証、一致と協働の証しのためのエキュメニカル・パートナーとの連携、宗教間対話への取り組み、
⑵人々の尊厳、正義と平和を促進するための事柄として/緊急的な危機にある人々への支援、人々の尊厳と権利が守られるための持続可能な開発への支援、ディアコニアの働きへ継続的に取り組むための支援、人々の尊厳・正義と平和の問題に取り組むためのエキュメニカル・パートナーならびに他宗教との協働、気候変動への取り組み、周縁化された人々の人権を守るための取り組み、など。

参考:With Passion for the Church and for the World – LWF Strategy 2019-2024, The Lutheran World Federation, 2018.
(以下次号につづく)

第28期第19回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 6月13日(月)に開催された定例常議員会についてご報告いたします。
(1)方策実行委員会の設置の件
 「第7次綜合宣教方策」の常議員会による仮承認を受けて、方策内でも確認されている「方策実行委員会」の設置が承認されました。
 常議員会では、この委員会の性格について議論が行われました。
 宣教は個々の教会の使命であること、また個々の教会の課題については、これまで通り「教区」を主体として取り組むことを改めて確認した上で、これを実際に進めていく上で日本福音ルーテル教会憲法・規則に照らして「原則」を確認していく作業、また状況に応じた規則変更の必要があれば、これに対応することを委員会の主たる任務とすることが確認されました。つまり個々の教会の宣教のあり方を、上から青写真を提示した上で落とし込んでいくというような旗振り役ではなく、あくまでも教職者の減少に伴い、個々の教会で発生するであろう課題、教区として全体の中で調整すべき課題を共有しつつ、この解決のために必要な対応をこの委員会で取っていくこととなります。つまり現実に起こってくる宣教のフロントである個々の教会の課題、そして教区の課題解決のため、これを共に担い解決に必要な手続きを整備していくことが委員会の目的となります。スムーズに規則にこれを反映させる必要も鑑み、方策実行中は、この委員会が憲法規則改正委員会も兼ねていくこととしました。
 とはいえ、方策全体の中で方策実行委員会が主体的に対応すべき課題があることも事実です。大きな課題は教職の働き方です。改めて現状に起きている様々な課題に対応していく必要があります。またディアコニアの教会として成長していくための指針作りなども方策実行委員会として取り組む課題となっていくものだと考えています。
(2)典礼委員会の設置の件
 式文委員会による主日礼拝の式文の提案、讃美歌委員会による「教会讃美歌増補分冊1」の出版を受けて、典礼委員会の設置が提案され承認されました。
 これは現行の「教会讃美歌」の増刷が、今後、出版業界のデジタル化に伴い難しくなる方向がはっきりとしており、「教会讃美歌」をどのような形で継続的に出版していくかについての大きな方針を検討する必要に対応するものです。典礼委員会から常議員会に方針を提案頂き、それに沿った形で作業部会(式文部会・讃美歌部会)を設置し、実務を委嘱していくことになります。皆様にアンケート等でご意見を頂くこともあるものと思います。その際はご協力をよろしくお願い申し上げます。
(3)総会延期に伴う、諸委員会の調整の件
 総会の延期に伴い、総会選出の常置委員会の欠員等への対応、また常設委員会、諸委員会のメンバーの確定をいたしました。委嘱された方々には委嘱状を送付しているところです。総会延期に伴い、常議員会同様、長く任務をお願いしている方々に感謝するとともに、あと1年、総会開催まで引き続きお働きをお願い申し上げます。
 その他の事柄については、送付しております議事録にてご確認頂けますと幸いです。

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