天国に旅立たれた人たち
ヨハネによる福音書11章43~44節
全聖徒主日を迎えます。私たちより前に、天国に旅立たれた人々を覚えます。
教会によっては、召天者のお写真を並べます。すでに天に召されていますがこの世にありし日の命が輝いていた頃のお姿が思い出されます。そして、そのおなつかしい笑顔を見ながら、私たちも、残された日々を主にあって、ありのままに安らかに歩みたいと願います。それはまるで、私たちに「死に向けての準備、心構えをしなさい」と導いてくれているようです。牧師である私であっても、死を前にすることになったら、どうでしょう。衝撃を受け、まさに真剣に祈るでしょう。死と隣り合わせの生を一日一日生きながら、十字架の贖いにすがることにより救われる恵みをまさにまのあたりにするでしょう。
ヨハネによる福音書11章には、墓に着いたイエスさまがいます。その墓に病気で葬られたラザロが眠っています。そして、そばにはイエスさまのお出でを今か今かと待ち続けた姉のマルタ。マルタが言います。「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます。」(39節)遺体は腐り始めている状況を伝えます。イエスさまは、天を仰いで、父なる神に感謝し、その後、墓に葬られたラザロを大声で呼びます。「ラザロ、出て来なさい。」(43節)ラザロは手と足を布で巻かれたまま出て来ました。
人間の悲しみの極み、それは愛する者の死。誰もが遭遇します。それは、すべての人の上に起きてくるのです。2千年前、ラザロという1人の人の上にその悲しみが起きました。しかし、悲しみを前に、ラザロを死から生へよみがえらせるという奇跡が起こったのです。
私たちは、時に不条理に満ちたこの世を生き、そして命の限界を知り空しさを感じます。しかし主イエスさまと出会い、十字架と復活を信じる者は、苦難の中にも、神が共にいてくださる。終わりの日には主イエスさまと同じ栄光の体に変えられるのです。
この約2年間、コロナ禍の中、何人かの信仰の友を天に送りました。新型コロナウイルス感染防止のため、大変親しくしていた方へ最後のお別れをすることが許されませんでした。家族さえ病室に入ることが禁止されましたので、お見舞い出来なかった近しい方々が多くいます。残念な思いは尽きませんが、信仰の友たちは、皆、主イエスさまと共に歩みひっそりと天に移った。それにより、ひとりひとりへの神のなさる救いのすべてが完結したと感じるとき、感謝にたえません。
もう6年前になります。(コロナ禍ではありませんでしたが)私が牧会していた教会のリーダー的役割をしておられた1人の女性信徒が亡くなりました。しかし、死を覚悟してからの2年の彼女の残した最後の日々は、孤独の内にも、主と共なる歩みでした。
「炎天下日陰日陰を選び歩き」末期のがんの闘病を続けつつ、夏から秋に厳しい暑さの中でも、なんとか前向きに一歩一歩歩いた彼女の残した俳句です。
主イエス・キリストへの信仰を貫き、教会を愛していた彼女のそれからの、「終活」の時は、牧師の私がびっくりさせられるものでした。「もう、あと数ヶ月しか命は持ちません。今のうちに教会で、証しをさせてください。」ご自分からの申し出で、礼拝の説教の後に彼女は「主イエスさまとの出会いと、教会生活。そして、晩年、熱心に取り組んだ平和活動について。」を証しされたのです。その後は、家にあるものの整理。手編みの衣類は、サイズの合う方を尋ねて贈られる。家事道具も、教会や個人へ「使ってくださいね。」と分かち合う。自分より高齢の方のお祝いの会をどうしてもして差し上げたいと、痛む体を押して、企画・開催したその宴席は驚く程、心のこもったものでした。
最後に病床でお祈りした時に言われた言葉が忘れられません。「こんなに長く生きるとは思いませんでした。神様に与えられた時間が残り少ないとわかったとき、短い時間をいかに質を豊かにするかを心がけました。クオリティーオブライフです。」残された時をどう生きようか。それは自分に出来ることを精一杯、神様のために、隣人のために捧げるということ。信仰により、まっすぐつながる神様の国への最後の道のりを、彼女は歩き終えたのです。
日本福音ルーテル小岩教会牧師 内藤文子
photo/カラヴァッジオ作「ラザロの復活」(1609年頃)メッシーナ州立美術館所蔵