聖霊の働きを信じて生きる―使徒言行録第29章
こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。(使徒言行録6・7)
使徒言行録は口語訳聖書では「使徒行伝」と言われていましたが、「聖霊行伝」とも呼ばれていました。使徒たちの働きを記した書物ではなく、聖霊の働きを記した書物だからです。
聖霊の働きによって福音が進展していく、とすれば、28章で使徒言行録は終わっていますが、使徒言行録29章に「私」の歩みを付け加えて読むことができるのです。(ただし29章は聖書にはなりませんが…)
ということで、使徒言行録29章(市川教会会堂編)を辿ってみましょう。
私は2000年に赴任しました。市川教会会堂はW・M・ヴォーリズ建築の一つで、1956年に献堂されました。赴任当時の会堂は44年を経、外観は建築当初の姿を保持していましたが、内部には至る所に老朽化による傷みが見られました。床は傾き、会堂前面と後方では数センチの差があり、白い壁面には無数のひび割れがありました。もちろん教会員も手をこまねいていたばかりではなく、建築当初の赤瓦は建物の傷みを早めるということで撤去しスレートに替え、外壁も塗り替え、地下に残る防空壕には、地下水からの湿気を防ぐために泥を掻き出し除湿器を取り付けたりと、必要な処置を行ってきましたが、いかんせん軟弱な地盤ゆえに、根本からの対策をとることが出来ずにいました。
このままでは会堂の傷みは増すばかりで、やがては耐えきれなくなり崩壊するのではと素人の私にも分かるほどでした。役員会でも度々協議し、更に近隣の工業高校の協力を得て耐震検査を行い、別途に地盤の強度を測る平板耐荷検査も実施しました。
それらの結果は、いずれも「大地震で倒壊する可能性が高い」というものでした。しかし危機感はあったものの補修の資金もなく、役員の間にも「崩れ落ちるのを待つしかない」という思いが占めつつありました。
2007年9月の日曜日の午後のことでした。国府台近辺の建物を見学しておられた三人の先生方(他に数名の学生さん)が教会に立ち寄られました。会堂には後片付けをして来客を待っていた妻が一人でいましたが、その三人の先生方も来客の連れだと勘違いして中に通したのが、N大の建築科の教授、後に修復の設計監理を請け負ってくださることになるI氏と登録有形文化財申請を担ってくださったK氏でした。会堂がヴォーリズの手によるものであることは既にご存知で、私は諦めかけていた会堂の修理についてお尋ねしました。「軟弱な地盤で資金も余りないのですが、何とか残したいのです、この会堂を!」と。すると即座に「大丈夫ですよ、修復できます。」という返事をいただきました。暗雲に覆われた日々に、急に光が射しこんだようでした。
その後、登録有形文化財に登録され、本教会からも借入の目途が立ち、さらに東日本大震災によって傷んだことにより県や国からも若干の補助金をいただきました。また、会員の熱意による献金、全国から献金が寄せられ、「資金的にも無理」であった修復工事でしたが、2011年10月に着工に至ることができました。
イエス誕生の折に贈り物を携えて訪ねてきた東の国の三人の博士を思い出します。博士たちは時を超えて私たちの会堂にも「修復の道」という贈り物を携えて来てくれたのです。いえ「あの来訪は、聖霊が働いてくださった出来事に違いない」と、1年1ヶ月を要した工事を終え、2012年12月に竣工感謝礼拝を行いつつ、会員一人ひとりが心に深く刻んだものでした。
使徒言行録29章(市川教会会堂編)は最後に「こうして市川の地の宣教は、聖霊の働きによってますます広がり、教会を愛する人々が増えていきました。」と締めくくられています。
もちろん、この後も30章、31章と書き続けられることでしょう。なぜなら、聖霊は今も後も、私にもあなたにも、世の終わりまで働き続けてくださるからです。
あなたの「使徒言行録29章」には何が書かれていますか?
主の平安を祈りつつ。
日本福音ルーテル市川教会 牧師 中島 康文