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バイブルエッセイ

悲しみに寄り添う主イエス

ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 ヨハネによる福音書13章8節

三月は北国でも春の音信を感じる季節です。教会の暦では、主イエスの受難から復活へと思いを傾けるときとなります。 主は十字架の苦しみの前日、弟子たちと共に夕べの食卓へ着かれます。「最後の晩餐」のときです。そして、その席で思いがけないことを主イエスはなさいます。12人の弟子たちの足を洗い、そして腰にまとった手ぬぐいで拭き始められるのです。主の「洗足」の出来事です。主イエスが弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれたみわざです。弟子たちの驚きはどんなだったでしょうか。
シモン・ペトロは自分の番になった時、 「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」とお尋ねします。すると、主イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられます。ここに、主イエスが弟子たちに与えてくださった神の愛の本質が示されています。

弟子たちが主イエスに何かをすることよりも前に、主イエスが弟子たちに仕え、弟子たちの足を洗ってくださいました。それはわたしたちが主イエスにつながるときも、主イエスがわたしたちのために祈ってくださり、仕えてくださることと同じなのです。
主イエスはこの後、ペトロが自らの弱さの故にイエスを三度知らないと言って、主のみ名を否定することもご存知でした。他の弟子たちが主イエスを見捨てて、主の元から去っていくこともご存知でした 。 それにも拘らず、主イエスは弟子たち一人ひとりの足をぬぐってくださいます。 最後の最後まで、愛し抜かれた主イエスのお姿がそこにあります。人間のいかなる行いよりも先行する神の愛の出来事を、主イエスは実現してくださいます。

「洗足」のイエス・キリストのお姿は、今にも倒れ伏してしまうわたしたちを再び立ち上がらせてくださるのです。この世にあって、わたしたちの足はすぐに汚れ、土にまみれてしまいます。黒く汚れた足を、くり返しくり返し主イエスは洗い、清め、汚れたものをふき取ってくださいます。主イエスはわたしたちの側近くに居て、過ちと怠りを赦し、再び歩みだす勇気を与えてくださいます。

わたしたちの一切の努力が空しいと思われるその時、主イエスがそこに居て、わたしたちの足を洗うお方として仕えてくださるお姿を見るのです。
大学病院の集中治療室で危篤になってベッドに伏している友のため、祈り疲れているときに、その場所に主イエスがおられることに気づかされる。
道端で寒さと貧しさのため疲れ果てている者の側に、主イエスがそこに居て祈っておられるお姿を見る。
とぼとぼと暗い夜道を歩いていく時に、その隣に一緒に歩いてくださる主イエスを見る。
弟子たちの足を洗ってくださった主イエスは、今も、みことばによってわたしたちの悲しみに寄り添ってくださいます。わたしたちの思いを超えたあり方で、主イエスはその場所に居てくださいます。

そして、主イエスはわたしたちに新しいみことばを示してくださいます。「洗足」の主イエスが、弟子たちにお示しくださった新しいみことばの恵みを与えてくださいます。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
主イエスの愛に押し出され、今、居る場所にて互いに愛し合う道を進んでいきましょう。

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 田中博二

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