師二人
「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(エフェソの信徒への手紙4章5~6節)
私は2人の師に出会ったことを感謝しています。1人は主イエス・キリスト、もう1人はH医師です。
幼いころから病弱であった私は、よく病院に通いました。今のように自家用車があるわけでもなく、バスがあったわけでもありません。容体が悪くなれば、子どもの足で小1時間かけて歩きます。途中にお店や休憩する所もありません。家に戻ると容体が悪くなってもおかしくありません。
牧師になり帰省した折に、H医師をお尋ねしました。すでに引退しておられましたが、名前を覚えていてくださり、ご自宅に招いてくださいました。そして帰り際に菓子折りをくださいました。それを見ていた看護師がそっとつぶやきました。「先生に菓子折りを持ってくる患者さんはようけいおらすばってん、先生から菓子折りをもらったのはあんただけばい」。それほどいつも病院に通っていたということかもしれません。
病院に着くとH医師は真っ白な診察台に寝かせ、手でお腹を触ります。真っ白で、冷たく、私のお腹より大きいと思われる手でした。この手が触ると病気が治るんだ、幼い私はそのように思いました。それが終わると、私の腕より大きな注射器が待っていました。「坊やは豪傑ばい」。ただ痛さを我慢しただけなのに、H医師はいつもこう言ってほめてくださいました。
後に、私は教会に導かれました。 そして聖書にも同じようなことがあることを知りました。イエスさまのお弟子は、人々に手を当てて癒しを祈ります。イエスさまは子どもたちに手を置いてこう言われます。「天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19・14)
教会に導かれてH医師の存在の大きさが分かりました。単に肉体の病を治してくださっただけではない。私が救われるために治してくださったのだ。バプテスマのヨハネのように、H医師も語っておられるように思えたのです。「あの方を見なさい。そのために私は病気を治しているんだよ」。
先に触れた帰省の折り、H医師はこうも言われました。「今なんばしおっと(どのような仕事をしていますか)」。「教会で牧師ばしおっです(牧師をしています)」。「よか仕事ったい。がんばらんばばい(良い仕事だからがんばりなさい)」。
H医師が教会や牧師についてどのような理解をもっておられたかは定かではありません。でも、私はうれしかったのです。幼い私がこの病院に導かれたのは、体も心も元気になり、神さまの御用をするためであった、そう確信したからです。
今は分裂の時代です。神のみ国とこの世が引き裂かれ、生と死が、人と自然が、そして体と心が引き裂かれています。そこに本当の平安はありません。
すべては主にあってひとつ、そのために働くことは教会の大切な務めではないでしょうか。聖書もそのことを示しています。イエスさまが十字架に死なれた時、神殿の幕は真っ二つに裂けました。天地を隔てていたものは取り除かれ、天の恵みが地に降り注いだのです。そしてクリスマスの日、天使は歌います。天には栄光、地に平和。
これまで日本福音ルーテル教会でご奉仕させていただいたことを心から感謝し、誇りに思います。教会のお働きの上に、主のお導きと平安を祈ります。アーメン。
日本福音ルーテル横浜教会、横須賀教会 牧師 東 和春