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バイブルエッセイ

信じ、従うこと

神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(創世記22章2節)

神さまと信徒のみなさまのお支えと寛容さにより、40年のルーテル教会での務めを終え、退職することになりました。ありがたく感謝いたします。

 本稿のために掲げました聖書の言葉は、私の信仰生活と今に至る歩みの原点ともいえます。私は18歳で大学生活のために広島の田舎から京都に移りました。当然ながら、自分は何のために生きるのかと自らに問いかけました。何を目標にするかと思い悩みました。能力もなく、情熱もない! 大学を辞めて、船乗りになって海外にでも行ってみようかと思い、船会社まで行ったこともあります。しかし、その勇気もない! ないないずくめで、下宿先でこたつにあたってFM放送を聞いていました。そのとき朗読の時間だったと思いますが、旧約聖書のこのアブラハムがイサクを献げる話が聞こえてきました。 強烈に感動させられました。生きるとは「これなんだ」と気づかされました。

 長年待ち望んで与えられた、最愛の一人息子を犠牲にささげるなど、これほど理にかなわないことはありません。人間の感情と理性からするとありえないことに対して信じ、従う。「何故」の論理を超えることが語られています。唯一の理由は、神が命じられた、ということにあります。

 新約聖書には、弟子たちの間で誰が一番偉いだろうか、と議論が起こり、主イエスが「偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20・26)とお応えになる場面があります。結局、一番偉くなりたいという、人間の欲望を手に入れるために、その手段として奉仕するということなのかと疑問に思ったことがあります。他者に向かって奉仕しているように思えるが、それは結局 、 迂回して自分に向かうという、ルターの指摘する二重の罪です。しかし、この疑問についても、最後は主イエスがお求めになるから、それに従い奉仕すると理解することで、論理の空回りから自由になります。

 カルト宗教はこの論理を悪用して、信者を従わせています。一見すると同じですが、99・9%理性を尊重し、0・1%の神様の絶対に従うことと、理性を無視する態度には大きな違いがあります。また、本物と偽物の判別にとって重要な点は、どのように教えを実践し、証をするかということにあります。自分の絶望を主に委ね、主に従うという方向へと歩みだすことは、私にとって救いでした。

  ちょうどそのような時に、アフリカのビアフラ(現在のナイジェリア)で内戦が起こり、200万人の餓死者がでる悲劇が起こり、京都市内の3つのルーテル教会の青年会で募金活動を行いました。同じ時代に同じ地球に住んでいるのだから、私たちは何かなすべきことがあるのではないかと、その時強く思いました。その思いが、私のその後の教会での活動で形になったのが、「非営利活動法人フェアトレード・ラベル・ジャパン」と「一般社団法人わかちあいプロジェクト」の設立です。フェアトレードによって世界の課題に取り組む働きです。
 
 南と北の国の間に広がる貧富の差は、同じ地球に住む私たちの緊急の課題です。インターネットは難民キャンプでも接続でき、情報が一瞬にして世界の隅々に配信される中で、努力しても貧しさから抜けられない南の国の人たちの苛立ちと絶望感は、人々をテロリズムに駆り立てる要因の一つとなるとも言われています。
 現在の世界の混乱状態は、この不公平さが要因とも考えられます。単に途上国を支援するという発想を越え、私たち自身の存続にもかかわっています。その中でフェアトレードは、誰もが参加できる身近な貧困問題への取り組みです。 
 牧師は引退しますが、フェアトレードの働きは続きます。今後ともお支えください。

日本福音ルーテル聖パウロ教会牧師 松木 傑

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