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機関紙るうてる

るうてる2014年11月号

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説教「神様をどのように知るのでしょう」

       
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。(ヘブライ人への手紙1章1~3節)

  「神様は本当におられるのでしょうか、夫と子どもが病気になって不安なのです。」という質問がありました。私は「おられますよ」と答えましたが、私たちは神様の存在をどのように知ることができるのでしょうか。
 モーセが神について尋ねたとき、神は「わたしはある、あるという者だ」(出エジプト3・14)とお答えになりました。そしてまた「あなたはわたしの顔を見ることはできない」(同33・20)と言い、人に姿を見せないで「通り過ぎる」神だとご自分を表現されました。
 全世界の創造主なる神は、私たちが見ようとしても捉えどころがないのです。しかし、私たちにご自分を示すために、御子、すなわち主イエスをお送りくださいました。
 冒頭の聖句にありますように、全権委任された御子によって神は私たちに語られるのです。神は御子イエスによって私たちに神を示し、御子を見れば神が分かるようにしてくださっています。
 イエスは、誰からも相手にされない者のところに来て親しく交わり、病む人のところに来て癒してくださったお方です。 弱い人のことを特に気にかけてくださる、本当に 愛に満ちたお方です。しかし、その反面、大変厳しく正義を求めるお方です。ですから、義に照らして正しくない祭司長や民の長老たちに立ち向かい、ついには十字架に付けられて殺されてしまいました。実は十字架は、義を実現するためのものでした。
 神は創造のとき、全てを良いものとしてお造りになりました。人は神によって造られた者です。従って、神の僕として神に導かれ、徹頭徹尾、神のあわれみと恵みの中に生きるべき者です。しかし、そのことを忘れ、自分たちで何でもできるなどと思い、様々な悪い現実をもたらしました。
 私たちは、飽食にうつつを抜かし、一方で飢えている人々のことを忘れるなど、他人の痛みを感じることなく自分本位の生活を送っています。分をわきまえず、エネルギーを使い放題で地球を荒らし、それゆえに異常気象などがもたらされていると言われま 命の源である神は、たえず人間の救いのために働いてくださり、いつも私たちに呼び掛けておられます。
 私たちは自分の方から、神を発見することはできません。私たちにできるのは、イエスによって示されている神の愛の呼び掛けに応じることだけです。神様を分かろうとするのには、主イエスの生き様を見、心を開いて主イエスの呼びかけに応えることです。それによって存在しておられる真実の神を知ることができます。
 聖書の神は、私たちを超越して絶対者なる唯一の神ですが、私たちとの交流を望む、人格的な神です。そして、私たちが本来の姿に立ち返るべく主イエスの愛を受け入れ真実の神に委ねたところに、神にある本当の命と平安が与えられます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ福音書3・16)とあるとおりです。
 牧師の定年に至ろうとする今、私は心底思います。どなたもが独り子イエスを信じ、真実の神に依り頼んで主にある平安の内に生きていただきたく願うのです。板橋教会牧師 鷲見達也

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(31)

ルター研究所所長   鈴木 浩

『九五箇条の提題』がまたたく間に国中に広まったのは、前回指摘したように、民衆が競って購入していた『贖宥状』を取り上げていたからであった。対照的に、内容的には『九五箇条』よりもはるかに重要なのに、当時ほとんど無視された文書がある。『九七箇条の提題』と略称される『スコラ神学を論駁する討論』である。発表されたのは、『九五箇条』よりも八週間ほどまえの九月四日のことであった。
 その第一提題は、「異端者に反対してアウグスティヌスが語る言葉には誇張があると言うことは、アウグスティヌスがほとんどどこででも嘘をついていた、と語ることに等しい」となっていた。
 ここで「異端者」と呼ばれているのはペラギウス主義者のことである。アウグスティヌスが死ぬまで闘った論敵である。この論争でアウグスティヌスは「原罪論」を明確に語った。人間は生まれつき「罪を犯す苛酷な必然性」のもとに立たされており、誰しも「罪を犯さないことができない」と言うのだ。いくら何でもこれは言いすぎだ、というのが中世後期の定説であった。
 ルターはその定説に逆らい、「原罪論」を真剣に受けとめねばならない、と異議を申し立てたのだ。

議長室から

本当の祭りを祝う

総会議長 立山忠浩

 晩秋となりました。初秋から様々な果物が店頭を賑わしていましたが、実りの秋、収穫の秋ももうすぐ終わろうとしています。諸教会、諸施設でも実りと収穫を感謝して特別な行事や集会が企画されていることでしょう。神様の祝福をお祈りいたします。
 収穫の後は祭りが付きものです。私の暮らす池袋では、この時期にいくつもの祭りで賑わいます。皆さんの地域でも同じことでしょう。先日、行きつけの理髪店で興味深い話を聞きました。日本の祭りは神社の神輿が切り離せませんが、最近は商業ベースの祭りが盛んになり、神社とは関係ない祭りもあるというのです。神輿を出してよいものかと、神主さんが困惑しているとのことでした。祭りの肝心なものが骨抜きになりつつあるわけです。
 旧約聖書を開くと、イスラエルの民も様々な祭りを祝ったことがわかります。特に三大祭りと呼ばれる祭りは 有名です。それらは、農作物の収穫と深い関係があることが指摘されるようです。元もと遊牧民だったイスラエルの民は、異教徒である農耕民の土着の祭りを取り入れたのです。しかし、それらの祭りをただ継承したのではなく、そこに大切なことを注入したのです。神様の救いの歴史です。エジプトからの脱出、荒野の旅の中でも、日々の歩みを支え、守り、導いてくださった神様の救いの出来事を思い起こす祭りにしたのです。
 福音書を開いて気づかされることもありました。旧約の三大祭りのひとつ、過越の祭りがイエスさまの時代にも継承され、それがさらに新しい意味を持ったということです。それが聖餐式に表れているのです。聖餐「式」と言うと、やや形式ばった響きがありますが、これは本来楽しい祭りですから、聖餐「祭」と言った方がよいのかもしれません。キリストによる救いの出来事を覚え、その出来事が私たちにも及んでいることを喜び、祭りを楽しく祝うのです。このように考えると、私たちこそが本当の祭りを祝っていることに気づくのです。礼拝の意味を心に刻み、そこに集えることを誇りにしたいと思うのです。

全国青年修養会報告

全国青年修養会実行委員長  末吉潤一(神水教会)

9月13日から15日の3日間、静岡県の新霊山教会を会場として、第18回全国青年修養会が開催されました。今回は、「REJOICE~喜びをみつけに~」をテーマに全国から21名の青年(牧師を含む)が集められました。
 まず、3日間を通して一人ひとりが見つけた「喜び」を付箋に書きとめ、模造紙にどんどん貼っていくようにしました。
 初日には、「新霊山教会とデンマーク牧場福祉会の歴史」を学ぶことができました。
 2日目には「神さまから与えられる喜び」について学び、感情的あるいは物質的な喜びではなく、神さまに繋がっていることそのものが「喜び」なのだとわかりました。 また、これらの「学び」に加えて、今回は「自分たちで動く」ことにも取り組みました。バーベキューでの食材の処理から火起こし、配膳もすべて自分たちで行いました。 また、新霊山教会の方が作ってくださった折りたたみ式間仕切りで、礼拝堂に男女別の寝室も設営しました。夜には、恒例となった交流会で楽しいひと時を過ごすことができ、仲間との繋がりに感謝することができました。
 2日目の主日礼拝では、受付・アコライト・聖書朗読・賛美の礼拝奉仕をさせていただきました。礼拝後には、東海教区の皆さんと合同で、草刈りやペンキ塗り、道路わきの草木集め、そうめん流し用の竹加工、夕食作りなどの奉仕作業(ワーク)も行いました。
 最終日、3日間の活動を振り返り、みんなで分かち合うこともできました。そして、派遣礼拝をもって、それぞれの場所へ派遣されました。
 今回の修養会は、学び・ワーク・交流と盛りだくさんの充実した3日間でした。今回の修養会のためにご尽力くださった、後藤由起牧師をはじめ新霊山教会の皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

九州教区壮年連盟修養会・総会報告

九州教区壮年連盟会長山口邦久(箱崎教会)

 第46回壮年連盟修養会・総会が「福祉と教会」の主題のもと、9月22日夕から23日午前の日程で、第1日目はホテル、第2日目は箱崎教会を会場として開催されました。今回は、壮年会だけでなく女性会、青年会にも呼びかけ、延べ59名の参加がありました。また、ルーテル学院大学・神学校後援会の益田哲夫さんがご参加くださり、アピールがありました。
 第1日目は、開会礼拝のあと、総会が行われました。この修養会・総会は、1968年に第1回が開催され、以来各地区が持ち回りで担当し、毎年、開催されてきています。しかし、この数年、各教会とも壮年会員の高齢化、少数化が進み、地区によっては担当できなくなってきている実情があります。総会では、そうした問題にどう対応していくか熱心に協議された結果、その実施方法などをいろいろ工夫しながら今後も開催していくことが確認されました。
 総会後の懇親会では、それぞれの教会や自己の現況を報告し合い、長年の信仰の友との旧交を温め、信仰を確かめ合うことができました。ただ、直前になって体調を崩され、参加を見送った方が数人おられたことから馴染みのお顔が見えない寂しい思いをしました。
 第2日目の修養会では、講師としてルーテル学院大学の金子和夫先生をお招きし「映画『三丁目の夕日』から地域福祉を学ぶ」と題したご講演をいただきました。先生のお話しをとおして地域に存在する問題を知り、地域の中での教会の存在、働きのあり方について示唆を与えられ感謝です。最後に、閉会派遣礼拝に与かり、それぞれの地、教会に派遣されて行きましたが、礼拝での席上献金は、パイプオルガン設置献金と合わせてルーテル学院大学・神学校に捧げました。
 限られた時間でしたが、主のお導きのもとに「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133・1)というみ言葉を改めて実感する集いとなった恵みを感謝します。

礼拝式文の改訂

「みことば」

式文委員 松本義宣

 神様の「招き」に応えて集う私たちが与る礼拝の第2部は、「みことば」と題されます。神様が招くのは、私たちにみ言葉を語り掛けるためです。私たちは、神の言葉を聞く必要がある存在であり、それを聞き、それに与ることなしに、福音による義を受け取る信仰は生まれません。何より「みことば」なしに、礼拝そのものが成立しないのです。
 キリスト者は、その初めから聖書を読むこと、神の言葉を聴くことと「パンを裂くこと」(聖餐)を礼拝の中心に据えました。主日礼拝を具体的に記録した最古のものと言われるユスティノス(2世紀前半)の『第一弁証論』にこうあります。「太陽の日と呼ぶ曜日には、…一つところに集まり、使徒達の回想録か預言者の書が時間のゆるす限り朗読されます。 朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語るのです。…一同起立し、祈りを献げます。そしてこの祈りがすむと…パンとブドウ酒と水とが運ばれ、指導者は同じく力の限り祈りと感謝を献げるのです。…会衆はアーメンと言って唱和し、一人一人が感謝された食物の分配を受け、これに与ります」。改訂式文の「みことば」と次の「聖餐」の繋がりが良く分かります。というより、これまでのどの時代のどんな礼拝でも、基本は、この2世紀の記録そのままであったことがお分かりでしょう。
 この普遍性故に、今回の改訂案で最も現行式文との変化が少ないのが「みことば」です。変更点は、現行の「特別(主日)の祈り」が、その礼拝全体の主題を明らかにするという意味で、直前の「招き」の最後に移行すること、「信仰告白」の後に、現行では「派遣の部」にあった「とりなしの祈り(教会の祈り)」を置いたこと、それに続けて「平和の挨拶」をすることぐらいです。「とりなしの祈り」をここに置いたのは、先のユスティノス以来の説教に続けて行われた伝統の回復と、現在、しばしば起こる献金(奉献)の祈りとの混同を避ける意図があります。平和の挨拶は、パウロが言う「聖なる口づけ」(1コリント16・20、2コリント13・12、ローマ16・16)が、その後の会食(聖餐)に与る前の「和解の挨拶」だったと思われることから、「聖餐」の中ではなく、そこに移行する直前としたものです。
 3つの聖書朗読と、そこでの「聖書日課」については、ここで詳しく触れる紙面がないので、石田順朗先生の新著『神の元気を取り次ぐ教会』(2014年、リトン)8、9章を是非ご参照ください。改訂案が目指したひとつのことは「詩編の回復」です。現行でも「詩編」を用いる可能性は幾つか示唆されていますが、改訂案では、第1朗読後に旧約日課の続きとして置き、さらにその他の幾つかの可能性を示して、礼拝の素晴らしい伝統である詩編を用いたいのです。単なる朗読となると4つも日課が連なることになりますが、交読や交唱、歌唱や詩編歌(讃美歌)など、様々な工夫によって、より豊かな礼拝を守りたいものです。
  礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

近くてよく知らなかった教会の仲間たち―中国教会訪問―

九州地域教師会会長 杉本洋一

 日本語では、大げさに聞こえることさえある「熱烈歓迎」の「熱烈」との言葉が、今回の中国教会訪問では、まさにしっくりと馴染んで響きました。九州地域教師会では、8月20日~25日、中国教会を訪問しました。参加した教師は、九州からは6名、東・西・東海から各1名の計9名でした。そのほとんどは佐賀空港より上海に向けて出発しました。
 中国国内では新幹線を除き、ほぼ全行程、陳牧師や複数の牧師 、 中国教会による案内と移動、そして宿泊場所の配慮がありました。深く感謝を申し上げなければなりません。
 上海へ到着早々に出席した、毎水曜日の夜に行われている青年のための礼拝では、会堂に溢れるほどの青年と賛美の声の大きさに圧倒され、大きな驚きと感動を覚えました。理屈では説明できない、確かな若者の祈りと力強い賛美の声でした。礼拝での熱き姿というのは、日頃接することの少ないものです。
 また、どの教会でもそうでしたが、新来会者に対して、 ひとりひとりへの握手・歓迎の言葉かけが丁寧になされ、フォローアップもしっかりしていることを目の当たりにしました。
 中国基督教協議会(CCC)への訪問では、誠実な対応を受け、公式なものとして私たちの訪問を受け入れてくださったことを感じる機会となりました。中国では、牧師の数は少なく、信徒数の増加と正比例していません。あの戦後の日本の教会の伸展ぶりのようでもあります。
 キリスト教会は、国家の管理の元におかれ、その宣教活動は認められていますが 、日本における信仰の自由と同じものではありません。教会の外では、人を誘うことすら禁じられています。このような中にあっても教会の扉をたたく人々は多く、教会がどのような人々に対しても福音が届けられるべく働き、「神の宣教」に取り組んでいることを教えられ、この国への祈りを篤くしました。
 神学校、聖書協会・印刷所、病院、そして、一万人の教会。どれも、驚きの声を挙げながら見たり聴いたりした中国教会訪問でした。黄大衛牧師の導きがなければ実現することのない訪問でもありました。感謝。

書評『魔法の粉』 谷口恭教著  (キリスト新聞社)

柔らかく温かな心の中学教師、徹底して平和にこだわるキリスト者

江藤直純

 こんな先生に習いたかった‥‥本書を読んだ人なら、だれもがこう感じるだろう。なんと生徒を愛し、その成長のために心を砕かれたことか。しかも、多くの場合ユーモラスに表現しながら。読んでいて、何度声をあげて笑ったか。そして、何度胸が熱くなったことか。
 谷口恭教先生、母校の九州学院(中学部)で英語を教え、そして人間であることを深く教えて43年。3歳で小児麻痺に罹り、右足と左腕に障がいを抱えながら、若い魂を育て続け、退職後も住まいのある大江・ 白川 ・ 託麻原九条の会を足場に 平和のために働き、一昨年、81歳の生涯を全うされた。柔らかなだけでなく 芯 は 生 徒 へ の 愛 と キ リ ス ト へ の 信 と 平 和 へ の 望 み を 確 固 と し て 持 ち 、 温 か なだけでなく熱い思いと涙をもった方だった。かけがえのないルーテル教会員(大江教会所属)だった。
 生前書き溜めておられた文章を2人の娘さんがまとめたのが本書である。5部構成は、属す9条の会の機関誌に寄せられたエッセー 「ゴマメの歯ぎしり 」 36本、 ルーテル教会のラジオ放送で語られた2分半の話「ワンショットコラム」27本、教室での生徒との絶妙のやりとり、学校生活のスナップショットとも言うべき「学級あれこれ」、さらには、こんな言葉で送られたいと思わせる弔辞3本「弔辞――亡き友へ」、そして英語教師のスピーチコンテストや人生の恩人である宣教師との思い出を語った2本の「英語スピーチ」。
 人間 谷口の思想、信仰 、教育観 、 人間観 、 死生観など 人生と社会にとってとても大切なことが、けっして大上段に振りかぶってではなく、実にさりげない話題から始めて、あるいは日常の出来事を通して、ごく自然に、267ページにわたって語られている。
 障がいゆえのいじめも「麦踏み」として肥やしにし、生徒の愛情に涙して喜ぶこの方に出会えて良かったと、心底感謝している。一読をお勧めする。

白髭市十郎先生の召天に際して

鈴木 浩

 白髭市十郎先生の訃報を聞いたのは、10月6日 (月) の昼前のことであった。直ぐに考えたのは、万難を排して葬儀に出席しなければ、ということであった。白髭先生はわたしの師匠だったからである。葬儀に出席できなかったのは、痛恨の極みである。
 先生は教会手帳の引退教職の欄では長い間、いつも先頭に置かれていた。一番年長だったからである。北森嘉蔵牧師、坪池誠牧師、牛丸省吾郎牧師ら、同世代の牧師の召天後も長い間お元気で、最初は九州でご長男の家族と共に、その後は大阪でご次男の家族と共に暮らしておられた。
 1975年から1981年までの6年間、つまり神学生時代を通じて、わたしは先生が牧師をしておられた保谷教会で先生のご指導を受けて過ごした。最初にお会いしたときの先生は60代の前半であった。それから6年間、先生が牧師として一番脂ののりきった時期に、牧師と神学生という関係でご指導を受けたのはまことに幸いであった。わたしには3人の牧師のモデルがある。その1人が白髭先生である。
 「学ぶ」という言葉は「まねぶ」つまり「真似る」から来ているそうだが、わたしの説教のスタイルも牧会のスタイルも、考えてみればそのモデルをひたすら真似る中で作られたのだと思う。「この聖書箇所は白髭先生だったらどう説教されるだろうか」「こういう状況に直面したら白髭先生ならどう対処されるだろうか」というところから、わたしの発想は始まっていた。先生の説教は、正統的であった。余計な脇道にそれず、聖書のテキストに固着した説教であった。それは、心の中に静かにしみ込んでくるような説教であった。今となってはただひたすら懐かしい。
白髭先生、本当に長い間、主の教会のためにお働きいただき、ありがとうございました。

全国ディアコニア・セミナー報告

全国ディアコニア・ネットワーク代表 谷川卓三

 第22回秋のディアコニア・セミナーの参加者総数は53名。内、2日目のバスツアー参加者30名でした。今回のテーマはズバリ「田中正造とキリスト教」でした。このように個人を取り上げたセミナーは初めてであったように記憶します。
 今回このテーマとなったのは、田中正造のことを愛してやまない今回の講師であり道先案内人となってくださった芳賀直哉先生の故です。先生は小鹿教会員で静岡大学名誉教授、専門は宗教哲学です。先生ご自身、行動の人で、静岡市では毎週金曜日に反原発の街頭行動を続けています。田中正造に関心をいだき、研究し始めたのは「3・11」が契機となったとのこと。田中正造の熱情と芳賀先生の熱情が渾然一体となり、今回、私たちはたくさんの刺激を受けることが出来ました。
 田中正造。明治の民権運動家、国会開設とともに衆議院議員として連続6回当選の身にもかかわらず、足尾銅山鉱毒事件の直訴のため国会議員を辞し、犠牲とされた谷中村に入って村民と共に生活すること12年。最後は河川の実地調査行の中、行き倒れになって逝った義人。彼は洗礼こそ受ける機会を得ませんでしたが、聖書をたえず携行し、 その信仰は谷中村の生活の中でますます深められてゆきました。
 芳賀先生の案内で現地に行き、実際にこの目で正造の直訴状を見、遺品のズタ袋の中の聖書、特にマタイ福音書と憲法、それに三つの小石を見、現地の人から義人であり変人扱いされた正造の様子を聞きました。
 彼の有名になった言葉、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」も、最後の日記の中に毛筆で書かれているのを見出すことが出来ました。この世に絶望しつつも、なお希望を持つ、キリストのような不屈の信仰からの言葉であったのだと思います。 広大な谷中村跡に佇んで、何故、彼があえて全てを投げ打ってそこに入って行ったのか、問いの前に立たされました。彼はただ実践において主に「真似ぶ」信仰の持ち主でした。その信仰の姿勢にこれからますます学び、私たちも主の前に立ち、なすべきことを捉えようとする、 ディアコニアの旅でした。

始動。宗教改革500年記念事業

 宗教改革。世界史に刻まれた神の出来事から500年。その節目に私たち教会は、自身の歩みを問われるだろう。そして、私たち教会はその意味を証しするのだ。その中心にあるのは神の言葉である。マルティン・ルターがそうであったように、私たちもまた神の言葉に立ち、また神の言葉を指差すのである。
 日本福音ルーテル教会は、記念事業として「出版から活字」「全国巡回企画」「記念大会開催」との3本柱を立て、この節目に立ち、そこから歩みだそうとしている。そのためのシンボルマークの選考も行われた。計画されていることは、全体でなすべき最低限と考えられていることであるが、当然、各地の教会や関係施設が、大げさに言えば社会に対してルターとその精神を提示する拠点として生き生きと存在することが500年の一度の機会にふさわしいことだろう。
 企画展は、宗教改革が当時の印刷技術の発明と発展との深い関わりのうちに進められたことから、印刷業界との協同を模索している。ルターとルターの指差した神の言葉を広く一般に呼びかけるものとしたい。記念大会は、対立から交わりへと移行してきた500年の歴史を意識し、和解のしるしをわかちあうものとしたい。そして、それらのために私たち自身が宗教改革とその遺産に学び、その信仰を養われ、育てられ、それをもってさらなる対話を進めるために、共通の文書を土台として学ぶことを推奨したい。それはあたかも、改革者たちが刷り上がった文書から吸収し、変革をもたらす力を得たのと同じように。
 本事業では、み言葉へと導かれる4つの図書を提示する。すでに第1の推奨図書となる 『マルティン・ルター』(徳善義和著)は出版され、広くわかちあわれている。今年の宗教改革日には第2の推奨図書として『エンキリディオン小教理問答』(ルター研究所訳)が出版された。本書は、「小教理問答」の新訳である。「必携」という意味のエンキリディオンという言葉が付せられた。「子ども達に繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい」(申命記6・7)とは、モーセが次の世代の人々へと発した律法と共にある生活への奨めであるが、ルターはまさに「小教理問答」を携えて、それをいつでも思い起こし、信仰の要点を味わい、それに養われ、今、直面することに対してどう生きるべきかを定める力を得るようにと考えたのではないだろうか。本書がそのように活用されることを期待している。(広報室)

新訳『エンキリディオン小教理問答』マルティン・ルター著 ルター研究所訳
B6版115頁 教会内限定価格900円(税込) 発売元リトン
注文方法など詳細は各教会宛に配布される案内を参照ください。

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