るうてる2011年8月号
説教「何も備えない備え」
小山 茂
『帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。』(マタイ福音書一〇章九~一〇節)
《旅の支度》皆さんは旅に出る時、どのように支度をされますか。私はよく山登りに行きましたが、何を持って行くか直前まで迷いました。登りたい山を想って山行計画を立て、どの季節がいいか選び、いよいよ実行に移します。命を託すかも知れない道具は、夏山から冬山までいろいろ持っていました。ハイキング、山小屋泊り、テント暮らしの縦走など、季節により装備が全く違います。それらの道具からどれを持って行くか、山で過ごすイメージを描きながら、ひとつひとつ取り出して並べます。せっかく選んでパッキングしていくと、リュックサックに納まらないと気づきます。持ち物を減らしリュックサックのサイズを替えて、やっと準備が終わると出発の朝になっています。大切な旅であればあるほど、その支度には手間と時間が必要になります。
《何も備えない備え》ところで、主イエスは弟子たちに派遣の説教で、旅支度に条件をつけます。お金も着替えも、履物や武器となる杖も、何も持って行くなと命じます。許されるのは我身一つだけです。さらに食べ物は働きによって、人々から提供されると告げます。当時の人々は宣教者を扶養する義務があったようで、一コリント九:一四にこのように記されています。「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。」
彼らが物を持たないから、袋も必要ないと言います。つまり、無一文で着の身着のまま、町や村に入れば同じ家に泊り続ける、それが主イエスの派遣のやり方です。何もない備え、何も必要としない備えと言えます。主イエスは弟子たちに、敢えて「何も備えない備え」を与えられました。現代に生きる私たちは、文明の利器に囲まれて暮らしています。私たちが弟子の立場に置かれたなら、丸裸にされたように不安を感じることでしょう。
主イエスが弟子たちから取り除かれたのは、外からもたらされる思い煩いです。何を食べ、何を飲み、何を着ようか、彼らはそれらの悩みから解かれます。「何も備えない備え」に、弟子たちが主に委ねる姿を見る思いがします。彼らにとって、送り出した主イエスが彼らの拠り所とされました。
《何もない所から始まる》主イエスが弟子たちに命じる「何も持って行くな」とは、人間の思いと力の尽きたところから、宣教が開始されると言われているのではないでしょうか。弟子たちにとって「ないない尽し」こそが、彼らの宣教の最良の備えになります。なぜなら、弟子たちの無防備で平和な姿は、相手の警戒心を解き放ちます。頭侘袋(ずたぶくろ)がないので貰った物を持ち帰らず、利得に関心を持ちません。ですから、周到な準備に頼らず本気で相手と向き合う、それが主イエスの与える備えです。もし彼らの言葉が足りないなら、父の霊が代わって語ってくれます。人間の力と知恵が尽きた所から、主は介入され助けてくれます。
《弟子の最後尾に連なる》主イエスが弟子たちを派遣した目的は、失われた羊のような民を憐れんだからです。憐れむと訳された言葉は、主イエスに使われるギリシア語の動詞「スプラングニゾマイ」で、腸(はらわた)が千切れるほどに相手の痛みを我が身に感じることです。民の苦しみを放っておけなくなり、弟子たちを働き手として送り出しました。
弟子たちに向けられた派遣の説教は、キリスト者とされた私たちにも語られています。なぜなら、私たちも彼らの最後尾に連なる一人だからです。私たちがただ独りで勝手に宣教しなさい、と言われているのではありません。私たちにその能力はありませんが、主が本当に必要なものを備えられます。飼主のいない羊のところに行って、福音を宣べ伝えるチャンスが来ています。さあ、ご一緒に宣教の旅に出立しましょう。
信徒の声~第30回教会音楽祭テーマ曲歌詞に選ばれて~
「囁きよりも力強く」
神水教会 田中栄子
「誰よりも先んじて、私があなたを癒す」。この言葉と、4年前の出来事は、今も私をときめかせ、それは、紛れもない事実として、今も私の耳と心に、しっかりと残っています。
「混合性結合組織病」という難病を持つ私は、よく肺炎を患います。4年前の3月、肺炎になり、医師から「ベッドが空く3日後に入院を…」と告げられました。年度末で、忙しい日々を送っている娘に負担は掛けられない。途方に暮れながら家に帰り、一人、部屋の中で、真剣に神様に祈りました。その時、左の耳元で誰かの囁く声を聞いたのです。「誰よりも先んじて、私があなたを癒す」。はっきりと、力強い神様の御声でした。驚きと感動で胸が一杯になりながら、辺りを見回しましたが、誰もいません。しかし、それは確かに神様のお言葉でした。何故なら、そのことは、事実として、病院で証明されたのです。三日後、入院覚悟で病院に行った私に、「再検査の結果、通院治療で大丈夫です」という医師の言葉。この時、神様が癒してくださったことを実感し、感謝の祈りを捧げました。すべてを主にゆだね、心から祈る時、主は、必ず助けてくださる。「祈りは、神様への一番の近道である」。私の好きな言葉です。
小学校の時、同じクラスの子からクリスマスの話を聞き、また、中学生の時は、ラジオで「ルーテルアワー」を聴きながら、教会に行ってみたいという思いを持ち、盲学校高等部で友人から、教会に行こうと誘われ、喜び勇んで神水教会に行きました。神様は、いつも共にいて、私を導き、支えてくださっていたことを、今さらながら、ひしひしと感じています。
先日、東京で開催された、「教会音楽祭」で、自分の作った詩が採用され、曲が付けられ、大聖堂で、パイプオルガンの音と共に大合唱で聴こえてきた時は、胸が震え、感動しました。教派別の聖歌隊のコーラスもさることながら、参加教派全体でのコーラスのすばらしさを、味わうことができたことにも、神様の御恵みを本当に感謝しました。
「出合いの喜び」
湯河原教会 木村満津子
「ここへ来れる方って、どんな方々なのだろう」と羨望の念で、見上げていた教会。
一人の姉妹が家庭集会へお誘いくださったことが、湯河原教会への第一歩でした。オルガンの音色、賛美歌、白い壁、高い天井、先生のお話、皆さんの優しさ、すべてが憧れていた以上の世界でした。
一つだけ心配だったのは、「私の罪をおゆるしください」との祈りの声でした。「私には罪の覚えがないので、そのようには祈れない。その方こそ罪の片鱗も見受けられないのに」。
今考えると、それこそが大罪だったでしょうに。その疑問から解放されたのは、宣教師のサノデン先生から学んだルターの小教理問答でした。さらに、『創世記』1章は、光に始まり、万物の造り主がおられて、それがキリスト教の神様と知った時、さまざまな不安がとり除かれて、安心感を覚えました。こうして2歳と5歳の子どもと教会へ行くようになり、洗礼に導かれました。家族の反対がなかったことは、感謝でした。出席率は、山あり谷ありでしたが、今、高齢になって、聖日と女性会を待つ気持ちは、子どもの頃のお正月や遠足を待つ時に似ています。この教会には、百二歳のお元気な姉妹がおります。会員の礼拝出席のお手本となっております。
宣教師や牧師先生方から、み言葉を学び、兄弟姉妹との交わりとお支えの中で、キリスト者としての土壌が少しづつ培われてきたように思うこの頃です。
そんな折、『るうてる』紙から「光」の文字に誘われて、小さな言葉を発しましたら、”光ふる海原”として、美しい曲がつけられ、教会音楽祭で、カテドラルマリア大聖堂に響き渡ったことは、新たな出合いにも恵まれて、大きな感謝でした。
目に見えない出合いもあったでしょう。たくさんの出合いによって教会生活が成され、歩んでこれました。これからも、主にあって、み言葉との出合い、人との出合いに、希望を託して参りたいと思います。
フィンランド教育事情
夏と憩いの水
「花咲き満つる季節きたり
何処も彼処も色とりどり
陽の温もりは主の祝福
全てのものに命給う。」 (吉村博明訳)
この「夏の讃美歌」はフィンランド人の喜びを表しています。これは6月初めの終業式に全ての学校で必ず歌われる伝統的な歌です。長い冬も一学年も終わって、2ヶ月に渡るの夏休みが始まるのです。その時、夏休みの宿題は出ませんので、生徒たちは成績表を持ってわくわくして家に帰ります。
北国の長い夏休みは分かりやすいです。フィンランドの夏は日が長く明るくて気候が良いので、日本の春のように、誰もが待ち望んでいる季節です。寒くて暗い冬の後、子供たちが陽射しを浴びながら外遊びが思う存分できる時期です。フィンランドの子供たちはサマーキャンプが好きです。特に人気のあるものは教会が15歳の生徒の為に推進している1、2週間の堅信キャンプです。湖のほとりのキャンプファイヤーの周りでみんなで歌ったりパンケーキを作ったり聖書の話を聞いたりしたことは私にとっても忘れられない思い出です。
現代の忙しい人々は休みの大切さを覚えているでしょうか。体と頭の疲れをとるために、「何もがんばらなくていいよ」とくつろげる余裕が十分にあるのは何よりです。毎日のリズムを忘れて、普段はやれないことが出来る時があれば、心も休まります。詩編23・2~3にこうあります。「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。イエスの許に、罪の汚れを心から洗い清める水が流れています。小さい時から、子供たちを体も心も霊も生かせる命の水に導き、休ませてあげましょう。それより良いリゾートはありませんから。
Paivi Poukka,
ポウッカ・パイヴィ
スオミ・キリスト教会
日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その16
社会福祉法人あゆみの家 林町デイセンター
所長 田口道治
林町デイセンターは、「重症心身障がい」と呼ばれ、重度の身体障がいと重度の知的障がいを併せ持つ人たちを主な対象とする通所施設です。重い障がいがあっても毎日通える場所がほしい、楽しい生活を、という要望に応えて、2009年4月に開所されました。場所は岐阜県大垣市林町、JR大垣駅北徒歩約10分の所にあります。今年で3年目を迎え、現在の利用契約者は18名になりました。医療的なケアを必要とする人が多い中にあっても、いろいろな活動を通し一人ひとりの思いを大切にしながら、その人らしさを表現していけるような支援をめざしています。
重症心身障がい者を対象とする前述の生活介護事業の他に、林町デイセンターにはもう一つ別の自立訓練事業があります。これは知的障がいのある人たちを対象に、社会生活や日常生活上のいろいろな経験や体験を通し、生活力を高めていくことをめざして取り組んでいます。例えば買物、料理、電車に乗ること、また髭そりのしかた、洗濯など障がいのない人たちにとっては一見当たり前のことですが、障がいがあるためになかなか習得してくることのできなかったことを、スタッフまた仲間同士の中で覚えていきます。
「あゆみの家」創立者のジョン・ボーマン先生が、「これらの最も小さい者を大切に」と、どのような障がいのある人も、その意思を尊重し、健康で、自分らしく生きることができるようにと「あゆみの家」の働きを始められました。
林町デイセンターの建
つ場所は、大垣ルーテル教会の隣地です。以前から、畑だったこの場所を、教会員は何か教会の役に立てるためにこの土地がほしいと長年祈りながら願ってきました。その祈りをはるかに超えて、与えられたのがこの林町デイセンターです。
これからも神様に喜ばれる働きができるように祈りつつ励んでいきたいと思います。
【林町デイセンター】
障害福祉サービス事業 多機能型事業所
定員20名(生活介護14名、自立訓練6名
住所:〒503-0015 岐阜県大垣市7丁目142-1
電話:0584-47-9920
教会音楽祭とは
6月19日東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂にて‘第30回教会音楽祭が開催されました。カトリック教会、カンバーランド長老教会、日本長老教会、日本聖公会、日本基督教団、日本同盟基督教団、日本バプテスト連盟、日本福音ルーテル教会の8教派が参加し、1250名の来場者がありました。
今回のテーマ『光』に基づき、公募作品を含めて各教派が旧約,新約の順番に聖書朗読と奉唱をしました。ルーテルは、出エジプト記13・21『進め主の民らよ』(シベリウス作曲、森田稔教訳詞)とイザヤ書6・1~3『教会讃美歌235番』の2曲を捧げました。 横澤多栄子姉(三鷹教会員)による聖書朗読は、みことばが一筋の光となって聖堂に広がっていくようでした。聖歌隊は森田寛子姉(都南教会員、東教区合同聖歌隊指揮者)の指揮の下、8教会からの参加者と東教区合同聖歌隊、ルーテル学院大学聖歌隊合わせて約50名が集まり、心を合わせて賛美いたしました。今回は、ルーテル教会の3名の姉妹の詞によるオリジナル賛美歌を歌いましたことも大きな喜びでした。
教会音楽祭は、長谷川健三郎氏(日本ルーテル教団) 佐久間彪氏(カトリック)宅間信基氏(聖公会)の3名の教職者が、共同の礼拝をいきなり持つことは難しいが、同じ神を信じる者が音楽で主を賛美する集会ならば出来るのではないか?という思いから始まりました。後に日本基督教団も加わって1968年6月9日東京カテドラル聖マリア大聖堂において「第1回教会音楽祭」が開かれました。各教派の聖歌隊250名に加えて千数百名の会衆が一堂に会し主を賛美しました。
第4回には、共同の礼拝をするために何か一つこの音楽祭独自のものをという願いから、現代語の教会音楽祭独自の『主の祈り』が佐久間神父を中心として出来上がりました。これは、NCC共同訳の口語の「主の祈り」の参考になりました。最初は各教派が伝統的に引き継いでいる教会音楽の紹介と披露が中心でしたが、次第に毎回主題を定め、共に祈り賛美することに意義を求め、礼拝形式に整えられていきました。第21回までは年一回、以後は隔年で開催しています。第28回からはテーマに沿った讃美歌を広く公募する試みが始まりました。
現在各教派の牧師、司祭、信徒合わせて25名が集まり、1~2か月に1度のペースで実行委員会が開かれています。聖書の解釈等をめぐって、教派ごとに少しずつ違いが出ることもありますが、互いに理解し合う過程を大切にしながら、一つの目的に向かって準備がなされています。
教派を超えて共に祈り主を賛美する「教会音楽祭」に、ぜひ多くの方のご参加をと願っております。
武蔵野教会 苅谷和子
園長日記 毎日あくしゅ
教会と幼稚園
日本のルーテル教会の宣教は、初代の宣教師たちの「まずは伝道一本でいく」という基本方針から始まっています。キリスト教の宣教には「伝道、教育、奉仕」という三つの働きがありますが、「まずは伝道一本で」という基本方針は、ともすれば「教育」「奉仕」を担うキリスト教主義の学校や施設を、「二次的な働き」と捕らえる契機となりがちです。キリスト教主義にもとづく学校や施設は、それ自体が既に宣教の働きであることを再確認する必要を感じています。これは、最終的にはすべてを布教に結びつけるという姿勢とは一線を画するものです。
それでは、私が責任を負う雪ヶ谷の教会と幼稚園はどうかといいますと、幼稚園は様々な困難を乗り越えて成長していますが、教会は様々な努力にもかかわらず成長拡大とは逆方向を歩みつつあります。そもそも、雪ヶ谷教会が五反田教会を名乗っていた1953年に、東京都の認可を受けて教会附属幼稚園を開設しているのですが、法人規則には「この法人はその目的達成のため教会内に於て日本福音ルーテル五反田教会附属ルーテル幼稚園を経営する」と記されています。そして、過去から現在に至るまで同一法人内で経営されている幼稚園は、教会の働きを支え続けています。これを「非本来的な教会と学校・施設との関係」と考えるべきか、「設立目的に適った法人内の部門間協力」と理解すべきかは意見の分かれるところでしょう。
「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」(マタイ4・23)
「教え」「宣べ伝え」「いやす」という宣教の働きを担うためには、教会だけでは不十分であることは明かです。世の中の多くの人たちが認識しているとおり、幼稚園の働きは極めて「キリスト教的」です。聖書が語るとおり、神の国にもっとも近い存在である幼子たちを教え、またその幼子たちから学ぶ幼稚園は、それ自体が正真正銘の「キリストの共同体」なのです。
雪ヶ谷ルーテル幼稚園 田島靖則
ボランティア・バス・パックに参加して
―ビフォアー&アフター―
ボランティア・バスパック第1回(6月20~22日)に参加した。奥松島への途上、津波などで被災した市街地・田・畑、うず高く積まれた瓦礫の山。良く見るTVや報道写真と同じだ。写真に写らないのは、空気感や強烈な臭いだ。そして人の営みや気持ちは伝わりにくい。「ルーテルとなりびとボランティア」は、そんな人々との係わりを大切にしていると聞く。私が参加したボランティアはそんな作業であった。それほどの体力は必要としない。
あなたも「ルーテルとなりびと」のブログをチエックしてみてください。
宮戸島海苔加工工場のおばちゃんたち。年齢は私たちより若い。ジョークを飛ばし、豪快に笑いながら一緒に作業をしてくれたおばちゃんたち。休憩時間に「将来」のことになると顔がくもる。これからどうなるだべ~。
浸水した大きな乾燥機は動くのか? 小さな機械はすべてダメ。漁師である夫たちは、みんな瓦礫撤去作業に参加している。女性たちだけの清掃作業。顔がくもるのは当然だ。
でも目の前の大変な作業を一つ一つこなしている。みんな元気で明るい。
私たちが離れる直前に「ビフォアー(作業前)&アフター(作業後)」の2枚の写真を見せた。
『こんなにきれいになったんだ。すげえ!でもおらたち今まで何やってきたんだべ~~、恥んずかし~~。』と。
そんなことない。みんな頑張っているじゃないか。私たちはみんなここの海苔を買うよ。『うれしいなあ~~』と。 握手、握手のお別れだった。
イエスさまは、何時もあの方たちのそばに寄り添っていてくださる。そう見えた。
大岡山教会 関口昌弘
ルーテル救援活動 対策本部報告
本部長 青田勇
6月30日午前10時から午後1時、市ヶ谷センター第二会議室にて、東日本大震災「ルーテル教会救援」(Japan Lutheran Emergency Relief)活動を実質的に推進している、第六回の「議長会・救援対策会議」が開かれた。参加者は日本福音ルーテル教会(渡邉議長、青田(長)、大柴、松木、立野、杉本、安井、徳野、木村、安藤淑子、中山)、日本ルーテル教団(粂井議長、安藤)、近畿福音ルーテル教会(末岡議長、?の下)、西日本福音ルーテル教会(藤江副議長)、それに同席者として、ルーテル学院(市川学長、河田)、専従スタッフの佐藤氏、約20名が出席し、主に以下の報告がなされた。
●「ニュースレター」1号発行
震災発生から三ヶ月経た「ルーテル教会救援」活動の報告として、「ニュースレター」1号(日本語、英文併記)を1500部、救援対策本部より6月中旬に発行し、海外ドナー教会・協会及びルーテル4教団に送付され、各教会及び関連施設等にも届けられた。次回は、9月発行を予定。
●「1st quarterly Report for the period ending June 2011」
現時点で、1億1千6百万円の献金が海外ドナー教会・協会から送金されており、その献金の正当な使途報告となる三カ月レポート、「1st quarterly Report for the period ending June 2011」報告に関しては、LWFアドバイザーのマタイ氏が帰国前にすでに予備作成を完了しているが、さらに青田本部長と松木委員が補足・修正を加え、7月下旬に海外ドナー関係教会・協会にJLERの名義で送付する予定。
●物資支援/輸送プロジエクト
福島県(南相馬市)、宮城県(石巻市、東松島市、南三陸町、女川町)の避難所、地区支援センターを中心とした物資支援/輸送プロジエクト(食糧、日常生活用品、備品)の5月の一ケ月間の実績の報告がなされた。
●ボランティア派遣
仙台教会(支援センター)をボランティアの集結拠点とし、その派遣は石巻市、東松島市に絞っているボランティア派遣プログラムに関しては、6月30日現在で、延べ184名の参加者を得ているが、6月から7月にかけて、都合三回の「ボランティアバスパック」が計画されていることが報告された。
●今後の主な方針
石巻市避難所ビッグバンでの子供ケア支援
石巻市避難所の一つである「ビッグバン」での子供ケアに関しては、現地スタッフの状況報告を見計らい、今後、適切な対応と支援を行う。
気仙沼・前浜地区のコミュニティーセンター建設
物資支援で地域との関係が生まれた、気仙沼市前浜地区での仮設のコミュニティーセンター(プレハブ建物想定、一棟総額400万円程度)に関連する支援プロジェクトに関しては、地域の主体性に沿った必要なコミュニティーセンター計画として受け止め、適切な時期に相応しい支援を実施していく予定。
東松島地区「NPO法人スミちゃんの家」の補修支援
ボランティア支援活動との関連で関係が築かれた「すみちゃんの家」(グループ・ホーム1棟、半壊)の補修支援に関しては、当該法人の運営の直接的支援は行わないことを原則とするが、東松島市のボランテイ派遣活動の展開を継続的に実施していく視点から宿泊場所の利用を目的として、補修のための必要な支援も今後、検討する予定。
故G.オルソン引退宣教師を偲んで
日本の宣教師として41年の長きにわたり日本福音ルーテル教会の宣教のために奉職してくださった、G・オルソン引退宣教師が7月4日、87歳でアメリカ・ロサンジェルス郊外の特別養護老人ホームにて逝去されました。
オルソン先生は、終戦後、ミリアム夫人と一緒に、西日本にて伝道を開始したスウェーデン系オーガスタナ・シノッドの最初の宣教師のとして、1950年10月に来日し、1953年から1965年まで西条教会での伝道に携わりました。1966年からはLWF(ルーテル世界連盟)の日本マスコミュニケーション研究所所長に就任し、ラジオ、テレビなど多様なマス・メデイア伝道プロジェクトをLWFの資金援助を得て、大々的に企画、展開、推進する重責を担いました。その後、1979年から1990年の11年間は、東教区の雪ケ谷教会の伝道に従事し、1991年に引退し、アメリカに帰国しました。
日本宣教に生涯を捧げた一人の宣教師の言葉と生活を通して私たち日本福音ルーテル教会に与えられた恵みを覚えて心より感謝します。