るうてる2011年10月号
説教 「私たちの戻るべき教え」
イエスは言われた。「婦人よ、私を信じなさい。あなた方が、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは、知っているものを礼拝する。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
ヨハネによる福音書4章21~23節
十月はルーテル教会にとっては、宗教改革を覚える月です。「宗教改革」という呼び方に慣れ親しんでいる私たちですが、なぜ「宗教改革」と呼ぶのか、その理由は曖昧です。
英語ではリフォメーション(reformation)ですが、リ(re)には、「再び」とか、「新たに」ということに加えて、「…し直す」、あるいは「…し戻す」という意味があります。ここから察すれば、宗教改革とは、今の姿を省み、本来あるべき姿へと戻るための改革ということになるでしょう。
ルターを中心とした宗教改革者たちの第一の主張は、聖書に戻るということでした。教会、そして信仰者の本来あるべき姿は、聖書に、すなわちイエス・キリストの教えにあると確信したからです。ルターは、十週間で新約聖書のギリシャ語をドイツ語へと翻訳するという離れ業をやってのけましたが、聖書への揺るぎない確信があったから成し得たことでした。
ルターの時代から五百年を経ようとしている私たちですが、宗教改革の精神を毎年この時期に覚えることは意義深いことです。私たちも聖書に立ち返り、そこにある本来の姿に戻るのです。
そのひとつとして礼拝を考えて見ましょう。礼拝は、教会生活や信仰歴の長い者にとっては、「いちいち説明されなくても分かってますよ」と言いたくなるほどのもので、キリスト者にとって自明なものです。
では今日私たちが「礼拝」を論じる時に、真っ先に口にし、議論することはどんなことでしょうか。「礼拝の人数をいかに増やすか」、さらには「礼拝がどうすれば楽しくなるか」とばかりに、創意工夫に興味を向け勝ちです。確かにそのようなことを議論することも必要でしょう。しかし、それが第一に論じるべきことでしょうか。そこで、イエスが礼拝についてどう教えられたのか、聖書に戻るのです。
サマリアの女とイエスの間で礼拝のことが話題となりました。サマリヤの女は礼拝すべき場所に拘り、ユダヤ人たちもエルサレムの神殿での礼拝やそれに伴う仕来りを第一に問題にしていたのです。
でもここでの話は、私たちとさして変わらないように思えます。先に述べたことの続きですが、礼拝を語る時に、大きな礼拝堂、立派なオルガン、たくさんの人数がいる場所での礼拝が、「本当の礼拝」とか「目標とする礼拝」になっていないでしょうか。礼拝の形式が気になり、十字架を首に下げたり、十字を繰り返し切ることも重要な仕来たりとなっていないでしょうか。
しかしイエスの教えでは、「まことの礼拝」とはそうではありませんでした。イエスとサマリアの女の二人だけの礼拝です。オルガンも式文もなく、礼拝堂もありません。井戸端でしたが、マルタのように食事の世話に心を奪われることなく、女はイエスの教えにただ聞き入り、本当に心を響かせたのです。私たちには「何と寂しい礼拝だろうか」感じられますが、それを指してイエスは、「今、まことの礼拝をしている」と言われたのです。この言葉が孤独な女を励まし、力強い証し人へと変えたのです。
「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る」という言葉は、霊と真理を私たち自らが持っているかのような響きが拭えません。「霊と真理の中で」(ルター訳)が相応しいと思います。霊と真理は神様のものです。少ない人数であっても、サマリアの女のように独りぼっちであっても、霊と真理の中に生かされていることを信じて、イエスの教えに聞き入り、心を響かせる。ここに「まことの礼拝」が実現しているのです。
礼拝の歌声は大人数で歌う方が荘厳で、祝福に満たされた思いに浸れることは確かなことです。しかし、私たちの思いや感覚を超えた教えがここには響いています。私たちの教会が真っ先に戻るべき「まことの礼拝」を大切にしたいと思うのです。
東京池袋教会牧師 立山忠浩
ルターによせて(6)ドイツの十月の祭り
旅行会社に、ドイツの十月の祭りは何かと尋ねると、まず第一答は、かの有名な「オクトーバーフェスト(十月祭)」だろう。ドイツ南部のバイエルン州都ミュンヘンで毎年何百万人もの参加を得て開かれる世界最大級のビール祭りだ。酒を集団で飲み出すと、皆で放歌高吟の大合唱となるのは、日本人とドイツ人だけという定評があるそうだが、一度確かめて見たいものだ。
このオクトーバーフェストは、実は、九月の半ばから始まり、十月上旬に終わる。その最後あたりに十月三日の「ドイツ統一の日」という最大の祝日で盛り上がる。中々うまい具合だ。
さて、ドイツの十月の祭りで忘れてはならないのが三十一日の宗教改革記念日だろう。
この日はプロテスタントの多い東北の州では祝日となっているが、カトリックが多い西南の州では祝日ではない。如何にも地方分権の国らしい。
最近は、十月三十一日の祭りとして、どこでも、ハローウィンが流行っている。これへの対策として、もしも子供達がお化けに変装してお菓子をねだったら、包み紙にルターの肖像を印刷した飴をあげようという提案があった。さて効果は如何なものだろうか。
牧師の声 私の愛唱聖句
岡山、高松、松江教会 高村敏浩
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。コリントの信徒への手紙一10章13節
最近、他教派の方たちと話をする機会が続きました。その中で自然とこの聖句を開き、共に読む私がありました。それはその方たちが、それぞれの置かれた状況の中で一生懸命に努力し、歯を食いしばり、困難を打ち破ろうとし、しかしそれができないために信仰の弱い自分を責めている姿に、自分自身を重ねたからかもしれません。
私の愛唱聖句は、16歳でクリスチャンになったときからのものです。当時私は、学校に行けなくなっていました。自分自身にとっても、家族にとっても辛い時期でした。そのようなときに、私は初めて教会に行きました。アメリカからの宣教師であった牧師に導かれて聖書を読む中で、この聖句に出会います。最初、神は、私を信仰によって試練や困難に打ち勝たせてくれるのだと理解しました。しかし牧師は、神は、試練や困難に打ち勝つのではなく、むしろそこから逃れる道、脱出の道を備えてくださると言います。非常に衝撃的でした。逃げるということは負けであるとし、ネガティブにしか捉えられなかった私は、勝たなければならない、強い信仰があれば、それが可能であると考えていました。それは言い換えれば、自分の信仰が強ければ、それによって神からの助けを引き出し、万事がうまく行くのだという、自分中心の考えでした。しかし神は、みことばを通して、ぶつかって行って打ち勝つだけが道ではなく、逃げてもいいのだ、そういう道もあり、それでもいいのだということを語ってくださいました。
試練や困難に出遭うとき、私たちはどうしても自分に納得のいく形、勝利によって決着がつくことを望みます。しかし神は、十字架に顕かなように、私たちの期待とは違う形で答えを与えてくださることもあるのです。今までこの聖句に何度も慰められ、癒され、励まされてきました。これからもそうでしょう。逃げてもいいときがあるということは、私たちが今日聞く必要のあるメッセージなのではないでしょうか。
信徒の声「21年の教会生活を振り返る」
恵み野教会 藤崎福子
私は、24年程前に「友の会」(羽仁もと子創立80周年を迎えた団体)に入会。賛美歌を歌い、羽仁もと子著作集を読書、聖書が引用されていて、さっぱりわからないのがきっかけで帯広教会の家庭集会に参加。出かけたのは、子供クリスマスやバザーで礼拝とは縁がありませんでした。
その後、夫の転勤で札幌へ、故郷でもあり、不安はありませんでしたが、「もし、あなたに何かあったら新札幌教会へ行ってください」と中島牧師が話されたことを夫に話すと、早速、職場、友の会、教会へ通い易い所を探してくれました。教会に行く気のない私でしたが、翌年の子供祝福式に外泊先の雨竜から車を飛ばしてもらい家族4人で出席したのが始めての礼拝でした。どうして急にそうなったのか今でも不思議です。
洗礼を勧めてくださる紙谷牧師と信徒さんたちにその気がないことを言い続けていたある晩、自律神経を病んで生死をさまよい、2才と7才の息子を残して死ぬと思いました。翌朝、命あることを知り、ホッとしました。
しばらく体調が悪く、心身共に弱くなっていた頃、体の不自由なレーナ・マリアさんが美しく生き生きとテレビに写る姿に涙があふれ、体が熱くなるのを感じ不思議に思いました。そして、クリスマスに2人の息子と共に受洗しました。
翌年、牧師がかわり、山田牧師と、3人の母親で教会学校を始めました。子供たちに助けられ勉強することは、信仰の糧になりました。その後、恵庭市に家を持ち、恵み野教会に3人で通うのは楽しみでした。次男が成長し小学校の高学年の時、安井牧師送別の日に「僕は小さい時から親に連れられて教会に来ているけど、野球少年団に入ってから雨の日だけ親に言われて来ています。でも、僕は雨の日だからこそ友人と遊びたい・・・」と声をつまらせ話しました。 また、長男は高校生の時、「聖餐に与るに足りる者ではない。」と聖餐を拒んだ時、浅見牧師は「しっかりと考えておられますよ」と話されました。親からの信仰の継承は小学校卒業まで。後は全国ティーンズキャンプに参加させました。娘(高1)も成長し、月に一度、礼拝で奏楽奉仕をしています。3人の子供たちと教会学校で関われたことは有難いことでした。
帯広・新札幌・恵み野と21年の教会生活の中で14名もの牧師と出会えたことは恵みです。3人の子供たちが堅信に導かれる日を祈りつつ、これからも教会に繋がっていきます。
フィンランド教育事情
みんなの教育
フィンランドはPISAの学力調査で高く評価されました。OECDの国々と比べると、フィンランドの生徒たちは一週間の勉強時間は少く、国の教育に対する予算も平均レベルです。ですから、勉強時間とか予算の大小は好成績の要因にならないのです。それよりも、平等な就学と学習の機会がその理由の一つと言えます。
平等はフィンランドの教育の大切な価値です。それを追求することは三つの意味で実現されていると思います。第一は、みんなが同じ基本教育を受けることです。学校教育が大きく変わったのは1972年の教育改革でした。義務教育は「基礎教育」と呼ばれる9年間のみんなの教育制度になりました。
第二は、改革の結果として、安い国立学校もお金がかかる私立学校も廃止され、無料な教育制度が創立されました。現在、わずか1%の私立を除いて、小・中・高校と大学は全て公立です。 それで義務教育、高等学校、 職業専門学校、大学ともに授業は無償です。小・中学校では昼食はもちろん、教科書、教材や筆記具、または保健、歯のケア、通学、特別支援教育までも全て無料で提供されています。
第三は、みんなが一緒に勉強することです。フィンランドの教育の基本は平等に教育を受けることですから、なるべくみんなが一緒に席を同じくして授業を受けられるように努力しています。女子校・男子校はなく、共学だけです。能力別クラス編成もありません。
日本とフィンランドのような経済的に豊かな国では、教育は当たり前のことになりました。 現代の子どもたちは学校教育を権利より義務として感じているでしょうが、 実は、勉強ができることはいつも特権です。しかし、みんなが 居住地、性別、家庭の水準、経済的および文化的な背景によらず、本当に平等に教育を受けるようになる時まで、教育社会と呼ばれる国でさえ、まだ頑張らなければならないところがあるでしょう。
神様のみ前では、全ての子どもたちは掛け替えのない大切なものです。
Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ
スオミ・キリスト教会
日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その17
ルーテル作業センター ムゲン その2
施設長 佐野卓志
去年4月から就労継続支援B型事業所に移行して、それまで3人の職員でやっていたのが5人に増え、精神障害のメンバーも増えました。
週5回の昼食も、メンバーは実質タダで食べられるようになりました。飲み物もコーヒー、紅茶、カルピス、麦茶など自由に飲めます。
メンバーの仕事は内職、古着物ほどき、古着物裂き、裂き織り、リサイクル品回収、バザーや高島屋の店番などですが、仕事を全くしなくて、おしゃべりしているのも自由です。設立当初から「居場所」という伝統を守ってきて、仕事場である前に、メンバーの居場所となっています。メンバーも女性が多く、とてもにぎやかです。
裂き織りでメンバーが作っているのは、マフラー、ペットボトル入れ、コースターなどです。
職員にデザイナーがいるので、古着物を裂き織りにしないで、そのまま洋服や日傘にしたりもしています。
行事として、毎週金曜日にはバレーボールの練習や2週間に1度の着物の着付け教室、不定期にバーベキューやカラオケがあります。1ヶ月に2回、運営協議会を職員とメンバーで開いて、次の月の予定を決めます。1回目の協議会が給料日で、2回目の協議会には誕生会を開いて、ケーキを食べます。
商品の販売は高島屋7Fのハートフルプラザや、各種バザー、ネットショップで行っています。売り上げはすべてメンバーの給料になります。
古着物の募集は随時行っています。寄付してくれた人にはムゲンニュースを送っています。
NPO法人ぴあ ルーテル作業センタームゲン
790-0821
松山市木屋町1-9-4
TEL/FAX089-996-7701
平日 9:00~17:00
土日祝日休業
ホームページ http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
ネットショップ http://npohoujinpia.free.makeshop.jp/
フェイスブックページ
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メールアドレス mugen@joy.ocn.ne.jp
私の本棚から
『樹木とその葉』(若山牧水全集第十二巻)
嶒進會出版社、1993年復刊
若山牧水は自然の中に自らを開放し、すべてのことを全身全霊で受け、和歌を詠み、随筆を書いた。霊的に、そして、感性のままに生きた人であったと思う。多くの遺墨に見る大らかな字も佳い。
『樹木とその葉』は随筆集である。牧水の自然感ここにあり。緻密な描写と端正な筆致に惹かれる。「序文に代へてうたへる歌十首」から一首、「山にあらず海にあらずただ谷の石のあひをゆく水かわが文章は」
この随筆集から「自然の息 自然の聲」を引く。
「私はよく山歩きをする。それも秋から冬に移るころの、ちやうど紅葉が過ぎて漸くあたりがあらはにならうとする落葉のころの山が好きだ。草履ばきの足もとからは、橡(とち)は橡、山毛欅(ぶな)は山毛欅、それぞれの木の匂を放つてでも居る様な眞新しい落葉のからからに乾いたのを踏んで通るのが好きだ。」(原文のまま)
「此間の様に大地震があつたりなどすると、「自然の威力を見よや」といふ風のことをいふ人のあるのをよく見かけるが、私は自然をさうした恐しいものと見ることに心が動かない。ああした不時の出来事は要するに不時の出来事で、自然自身も豫期しなかつた事ではなかろうかと思はれる。大小はあらうが、自然もまた人間と同様、 ああした場合にはわれながらの驚きをなす位ゐのことであらうと思はれる。そして私の思ふ自然は、生存して行かうとする人類のために出来るだけの助力を與へようとするほどのものではなかろうかと考へらるるのだ。(中略)ただ、人間の方でいつの間にかその自然と離れて、やがてはそれを忘るる様になり、たまたま不時の異變などのあつた際に、周章(うろた)へて眼を見張るといふところがありはせぬだろうか。」(原文のまま)
ここでの大地震は関東大震災である 。 牧水は伊豆半島西海岸にある旅館滞在中に地震に遭った。東日本大震災により様々な苦難の中に在る方、また、復興に従事されている方のために、神様からの慰めと励ましを祈り続けたい。この思いの中で、『樹木とその葉』を読み直した。
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書 水谷江美子
ルーテル法人会連合総会に参加して
社会福祉法人慈愛園シオン園保育所 福田順子
2011年8月22、23日に大阪教会で行われたルーテル法人会連合総会に幼保の立場から参加させていただきました。
幼稚園・保育園は、現在とても微妙な立場に立たされています。これまでの保育制度を大きく変える「子ども・子育て新システム」法案が検討され、幼保一体化、私立保育園の運営費の一般財源化、最低基準の各都道府県の条例への委譲、企業参入による保育の市場化・産業化…などなど、保育園や保育そのものが福祉と関係のない方向へ進んでいるように思われ、危惧しています。保育制度の変更の中に子どもの姿が見えず、政治的なものまで巻き込んだ騒動の中で、私たちは子どもたちの最善の利益を最優先に考えていけるのでしょうか?
ルーテル法人会連合やルーテル幼保の会合は、幼稚園と保育園が同じスタンスで話し合える良い機会です。また、教会、学校、社会福祉、幼保、と職種や立場が変わっても、「幼子とともにキリストへ」「キリストの愛を実践する」という根底を流れるものは同じ、目指しているものも同じ仲間がそれぞれの場所で力を尽くし、祈っておられる姿に気付かされ、勇気を与えられる場でもあります。
今回の総会においても、伝道・教育(保育)・奉仕の立場からこの先10年を見据えたビジョンについて提言が出され 、 多くの学びと出会いがあり、感謝しています。
このような激動の時代、思いがけない災害、言いようのない不安、先の見えない焦りの中で暗中模索する日々ですが、暗闇の中でもしっかりと手をつなぎ、遠くの灯りを共に目指し祈りあえる、見えない繋がりがルーテル法人会連合にあることを確信して、キリストの愛を伝える毎日の保育を深めていきたいと思います。
米国サウスカロライナ短期研修を終えて
雪ヶ谷教会牧師 田島靖則
この夏から、我が家のダイニングには一枚のリトグラフが飾られています。説教奉仕を依頼された、サウスカロライナ州レキシントンの聖ステファノ教会から、感謝のしるしにと贈られたモノトーンの版画です。そこには石造りの立派な尖塔をもつ教会が描かれています。
私は前々から、 米国からやってきた初代の宣教師たちが「南部一致シノッド」から派遣されたということに、素朴な疑問を感じていました。なぜ「南部」のルーテル教会だったのか。このことについて、私は今回のサウスカロライナ訪問によって、ひとつの確信を抱くにいたりました。
前述の聖ステファノ教会は、181年の歴史をもつ南部で最も古い教会のひとつですが、未曾有の内戦となった南北戦争の終わりの年(1865年)、シャーマン将軍率いる北軍に破壊され 、 焼き払われた歴史をもつ教会なのです。北軍のシャーマン将軍は、近代戦の歴史上初めて「徹底した焦土作戦」を実行した人といわれますが、その戦争でサウスカロライナの州都コロンビアをはじめとする主要な町の多くが焼き払われたのです。
その「敗戦の焦土」を経験した南部一致シノッドが、日本伝道を決議するのが1887年。敗戦のわずか22年後です。自分たちの町の復興もまだ途上にあるにもかかわらず、南部のルーテル教会の人たちが、 極東のまだ見ぬ国日本に福音を伝えるため、どのような思いで献金を募り、宣教師を送り出したのか。このことを思うだけでも胸が熱くなります。
サウスカロライナ・シノッドの人たちが日本のために祈り、そして捧げることを今も続けておられることは、今回の東日本大震災救援の働きを見ても明らかです。世界中の大きな団体から多くの献金が寄せられましたが、サウスカロライナ・シノッドから捧げられた献金は、母体の規模で比較すれば群を抜いています。今回の訪問ではどこへ行ってもまず、日本のルーテル教会を代表して、救援献金への感謝を欠かすことはできませんでした。
正味16日間の研修期間中、レンタカーを走らせて訪問した場所は、サザンセミナリー、ニューベリー大学、ローマンホーム(高齢者施設)、チャールストンの聖ヨハネ教会、レキシントンの聖ステファノ教会、アトランタのキング牧師生家、フィラデルフィア神学校、バージニアのパムンキ ・ インディアンリザベーション、ウエストコロンビアのマウントテイバー教会などです。加えて、日本で40年間奉仕されたリビングストン牧師の「親族リユニオン」にも参加し、日本のルーテル教会を代表して感謝の言葉を申し述べる機会も与えられました。ヨース主教をはじめ、サウスカロライナのルーテル教会の方々には言葉にならないほどの感謝を伝えたいと思います。この文章が、サウスカロライナの人々の祈りと思いを余すところなく伝えてくれることを願っています。
るうてる法人会連合第9回総会報告
副議長 青田勇
2年毎に開催されることとなった「るうてる法人会連合第9回総会」は、8月23日(火)と24日(水)、大阪教会とホテル・ザ・ルーテルを会場に行われた。東日本大震災の出来事を受け、その救援活動を覚えるためにも、「良きサマリア人」の聖書の箇所を主題聖句に、「ルーテルのミッション」(私たちは隣人になっていますでしょうか)というテーマの下で約80名の出席者を得て、開催された。研修会も兼ねた総会の主なプログラムは以下の通りであった。
基調講演
アメリカ福音ルーテル教会海外伝道局アジア担当である石田順孝牧師より、教会伝道の今日的課題である「宣教とディアコニア」についての基本的宣教理念とアメリカの教会及び社会福祉施設・病院、さらに世界伝道における多様なディアコニア・ミニストリーの働きが紹介された。
東日本大震災「ルーテル救援」活動報告
渡邉議長及び青田救援対策本部長、それに補足説明として立野現地派遣牧師より、3月11日に発生した東日本大震災のルーテル教会の救援活動(JLER)の設置の経過説明と今後の支援活動(3億円想定)の主要目的と活動計画が説明され、各法人の継続的協力が呼びかけられた。
法人会連合設立から10年間を振返って」
法人会連合設立から10年を経過していることを踏まえ、各法人を代表して、以下の方々から10年間の評価と意義、今後の課題も含めた発題があった。
①宗教法 青田 勇
②学校法人 清重尚弘
③社会福祉法人 内海 望
④幼稚園保育園連合会 杉本洋一
「法人会連合設立から10年間を振返って」の発題を受けて、以下の方々より、次の10年を目指しての発題が行われた。
①教会の立場から 大柴譲治
②教育の立場から 内村公春
③社会福祉の立場から 滝田浩之
④幼保の立場から 尾田明子
総会議事
一日目の上記の発題を受けての、4グループによる分科会が二日目の午前中、持たれ、そこで総会への要望・提案をまとめてもらった。総会で確認した主な要望及び承認された提案内容は以下の通りである。
要望:
①人材交流委員会は法人会に関係する施設の幹部教育・養成のための研修を早急に組み立てるようにする。
②組織機構委員会は連合会にNPO法人も含めた多様な奉仕団体・グループの参加を奨励するための制度変更を検討すること。
③各法人の働きを覚えるための、JELCの礼拝に関係する主日、特別の祈り、礼拝での特別証言等の設定を検討してほしい。
④JELCのメーリングリスト及び機関紙を活用して、各法人の求人等を含めた情報共有を図ってほしい。
提案:
①法人会連合会の総会、2年に一回の夏の研修会、毎年の教会推薦理事研修会の準備企画等の運営に関しては、法人連合会代表者会が定期的に協議して行うこととする。
②以下の委員会の構成は各法人からの新たな選出者をもって編成する。
組織機構委員会、財政委員会、人材交流委員会
福音版「クリスマス特集号」の発行のお知らせと購読のお願い
広報室では12月に、福音版「クリスマス特集号」を発行します。B4版折なし、両面カラー印刷です。内容は従来の福音版とほぼ同様ですが、用紙は「るうてる」本紙とは違って、教会の輪転機でも印刷しやすい上質紙になります。送料込みで有料となりますが、クリスマス礼拝や集会の案内に用いていただきたいと願っています。ご注文の際は500枚単位でお申し込みください。
申し込みはファックスの場合は、03-3260-1948 に。メイルの 場合はm-tokuno@jelc.or.jp あてお願いします。
代金については、印刷部数によりますので、注文を受けてからお知らせすることになりますが、1枚に付き約4円(送料別)となる予定です。注文は11月14日(月)までとさせていただきます。お問合せは、 小石川教会徳野(03-3941-4172)まで。