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機関紙るうてる

るうてる2010年10月号

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説教「始めの地点に」


「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。」ローマの信徒への手紙6章3節

道に迷った時は、始めの地点に立ち戻るのがよいと言います。キリスト者の生活も繰り返し、始めの地点に戻って歩み直す生活ではないでしょうか。私たちの生活の始めは、キリスト者として私たちの生活はどこから始めたのでしょうか。
 「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを」(ロマ6・3)とパウロは立ち戻ろうとしています。「洗礼」を受けたことは一体何なのか、「悔い改め」「洗礼を受ける」、そこにキリスト者の生活の出発点があるのです。 「私たちは洗礼を受けたではないか」「洗礼とは何だったのか」と言うのです。あなたが「洗礼を受けた」ということ、それがあなたの今日のキリスト者としての生活の出発です。まだ洗礼を受けられておられない方もおられるでしょう。その方にはぜひ、洗礼をお受けになることをお勧めしたいと思います。
 まず真っ先に「あなたたちは洗礼を受けている」、そこに恵みがあります。その恵みを思い起こしなさいというのです。「洗礼を受けている」ということは、「それによってキリストと結ばれている」ということです。キリストと一つにされているとも言われています。キリストは洗礼を通してこの私を、ご自分と結び合わせてくださったのです。
 キリストに結ばれているということは、決定的なことです。パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(Ⅱコリント5・17)と言いました。
 それでは、キリストに結ばれて新しく生かされるということはどういうことでしょうか。苦労のない人生が始まるのでしょうか。
 苦労はあります。しかし苦労の意味は違います。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」(Ⅰコリント15・58)ともいうのです。「主に結ばれている」ということはたいへんなことです。苦労が無駄でなくなる。どんな苦労であれ、キリストと結ばれてなす苦労であれば、何一つとして無駄にならないというのです。 信仰生活上の苦労、教会の苦労というものもあります。その他キリスト者として経験する家庭の苦労、職場の苦労もあります。他者のための苦労もあります。しかしそのどれ一つも無駄ではないのです。
 洗礼は苦労のない人生を約束してはいません。しかし苦労が一つとして決して無駄にならない人生を約束しています。一日を始めるとき、今日も苦労だ、いやだな、ではない。主に結ばれて、決して苦労が無駄にならない一日の開始だと信じる。
 洗礼を受けたが人生は変わらないという人がいます。表面でなく、根本が変わっているのです。キリストと結ばれたことで、人生のすべてが変わったのです。
 洗礼を受けている恵みから、私たちはもっと力を、新しく生きる力を得るように心がけましょう。洗礼の力を信じましょう。主が洗礼を授けよと言われたのです。「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ16・16)とも言われています。洗礼によってキリストに結ばれたのです。この確信を持ち、洗礼を受け恵まれた人生を喜びましょう。
 ルターも試練のとき、キリストにしがみつく以外になかったといいます。それは御言葉にしがみつくということでしょう。同時にルターは「洗礼を受けている」と自分の机に書いたというのです。
 自分が孤独に思われるとき、無駄な労苦の日々をと思えるとき、自信を失うとき、病むとき、思い起こしましょう。「私は洗礼を受けている」。毎日の生活の中で朝、生き始めるとき、思い起こしてください。
長崎教会牧師 濱田道明

風の道具箱

夜明けの子守唄

家族旅行すると、毎回楽しい発見でいっぱいです。今年はちょっと足を伸ばして信州へいってきました。その宿泊先での大発見です。
 その夜、電気をつけずに親子が並んで寝ていました。「おやすみなさい」の時はきちんと並んでいます。ところが、寝ている間に大移動が始まり、あちこち動き回るのです。夜中におきて子供たちを探すのです。
 明け方のことでした。あちこちに散らばって寝ているとき、次女が突然立ち上がったのです。薄暗闇の中で不安を感じたのでしょうか。ひとこと叫びました。「お父さんはどこ?」。この言葉に、嬉しさと感動がありました。単なる親バカなのですが、暗闇の中で「お父さん」と呼ばれることがいかに嬉しいことかを実感したのです。そして「ここにいるよ」と優しく声をかけたときの幸せを。
 イエス様は神様を「お父さん」と呼ぶようにいわれます。人生の暗闇の中で「お父さん」と神様に呼びかける。神様は「ここにいるよ」と答えてくださいます。その一言がどんなに嬉しいことか。夜明けの子守歌は、神様のみ言葉そのものなのです

牧師の声 私の愛唱聖句

小石川教会 徳野昌博

人の心には多くの計らいがある。主のみ旨のみが実現する」。箴言19章21節

聖句は、言うまでもなくひとつだけではありません。今回紹介するのは、物心ついて、といいますか、中学生になって初めて参加した、いわゆる「堅信キャンプ」を過ごす中で、出会った聖書の言葉です。
 当時のわたしは、この言葉に衝撃を受けたのです。その衝撃のせいでしょうか、それ以来、今日に至るまで、折々に、心に浮かんでくる聖書の言葉の一つになっています。当時使っていた口語訳聖書では「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」でした。この言葉でなら、今でもそらんじて言えます。
 どういう衝撃だったかと言うと、それは否定的なものだったのです。この言葉に出会って、がっかりしたのです。失望させられたのです。運命論者にもなりかねない、そんな衝撃です。
 中学生ですから、将来何になるか、どういう職業につくか、可能性は限られていたとしても、夢だけは、憧れだけは、たくさんあって、胸の中に秘めていたように思います。そんなわたしの可能性や夢、あこがれを、一気に奪い取ってしまう、そんな神様の意地悪な言葉に愕然とさせられたのです。抗うことのできない「運命」なるものを知らされたと言うことです。やりたいことができない。逆に、やりたくないことをさせられる、そんな心境だったでしょうか。
 自分でやりたいことをやれる。そういう人は幸せだなぁと思います。それが天命であり、使命というものだろうかと羨ましいくらいです。
 でも、やがて「使命」というものは、生かされている今、ここで、託された課題、仕事に誠実であろうとして、やむを得ないこととして担い、そして、果たしていくものだと思うようになりました。受身なのです。
 そんなわたしに、神様は「男らしく、腰に帯をせよ」と言われます。あっ、これも愛唱聖句でした。

信徒の声 教会学校と歩んで

天王寺教会 三戸真理

 クリスチャンホームに育ち高校時代に神様や聖書について少し知っているつもりでしたが、実は何も解っていなかったことを知らされました。
 甘木教会で牧師に相談すると「学んで解って信仰告白するのでなく、解らないから神様が居られる。はじまりだ。」と話してくださり堅信式に与りました。
 大学時代に西宮教会で教会学校に関わるようになり、幼稚園教諭となってからも天王寺教会で教会学校の教師を続け、子どもたちと一緒に神様のことや聖書を学んでいきました。
 教会学校の校長になったのは結婚や出産の7年のブランクを経て、我が子と教会学校に戻ってすぐでした。「世代交代だ」とバトンタッチされたものの、これまでの活動を振り返るとリードしていくには未熟で、我が子もまだ幼かったので、その責務が重くのしかかりました。
 でも役員会や教師会などの会議がある時は、子どもは教会の皆様が見守り、助けていただいてきました。そして教会学校のスタッフともよく意見を聞きあい話し合って、皆で補い合って奉仕を喜んで出来るように心がけていくと、大変だと思うことも教会学校を通して自分自身が養われ成長させられていることを気付かされました。
 20年前よりは子どもの人数は減りましたが、近年子どもたちだけでなく大人も教会学校の礼拝に参加されるようになり感謝です。これまで、子どもたちが教会で受け入れられていることを感じるように礼拝や教会学校礼拝でも配慮をした活動をしたり、付属の幼稚園と交流を密にして合同の行事を行ったりしながら、特に若い教会員の家族と話をしたり、何より子どもたちや保護者の一人一人に声をかけ向き合うことを大切にしています。
 奉仕を続けていく中で、すぐに結果が出るようなものでなく、目に見えないものが多く、悩んだり迷ったりすることもありますが、子どもたちを通して神様の恵みをより知り、祈ることを一番教えられている気がします。

園長日記「毎日あくしゅ」

ドングリの木の下で

神水幼稚園は、昨年、創立80周年を迎えました。
本館は、創立当初のまま現在も使用しています (耐震・補強工事済で安心です)。レトロな雰囲気が人気です。二つの保育室の一隅には、ままごとべやが設置されていて子どもたちの大好きな遊びの場となっています。
 「ままごと」はその時々を反映する楽しい遊びです。そこでの会話に思わず「くすっ…」とすることもあります。また、園庭の真ん中には創立時に植えられたどんぐりの木(樹齢100年を超えている)が三本あり、幼稚園の歴史を見守っています。
 どんぐりの木の下は皆にとって憩いの場。大きな木陰の中で、日々子ども達の遊び場がくり広げられています。泥だんご、しゃぼん玉、おにごっこ等々遊び疲れた子ども達がひと休みすると、心地よい風が吹いていやしてくれます。
 また、ござを敷いておべんとうを食べることもあります。10月末頃からは実ったどんぐりの実がたくさん落ちて、遊びはどんどん広がり豊かになっていきます。ままごとの食材、どんぐりを使っての様々な製作、拾ったどんぐりの数えっこ等々。どんぐりのじゅうたんを敷いたような日も少なくありません。年間を通してくりひろげられるどんぐりの木の下での遊びは、これまで同様、これからも子ども達によって続けられていくことでしょう。
 毎日、鳥たちが憩いにやってきます。子どもたちを迎えにきたお母様方も、飽くことなく楽しいおしゃべりがはずみます。
 このようなことを見通して幼稚園を設立された方々に、改めて頭が下がり、感謝の気持ちで一杯です。機会がありましたら、是非一度お立ち寄りください。お待ちしています。
神水幼稚園園長 寺本 晟

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その7

社会福祉法人キリスト教児童福祉会
児童養護施設「広安愛児園」

施設長 山口邦久

「神の家族」として

 広安愛児園は、1948年、まだ戦後の傷跡が生々しい最中、巷に溢れていた戦災孤児たちを保護するためにアメリカの宣教師モード・パウラス先生によって創立されました。
 先生の「神の家族」というキリスト教精神を基本理念とし、その実現のために創立以来、一貫して小舎(ホーム)制による年齢は縦割り、男女一緒の、できるだけ家庭に近い環境の中での家庭的養護を堅持・実践してきています。   現在、1万9千坪の敷地を有する本園に6個のホームと地域の中に地域小規模児童養護施設1個を運営しており、児童定員は66名です。スタッフは32(うち非常勤5)名で、各ホームに保育士2名、児童指導員1名を配置し支援にあたっています。
 子どもたちは、その多くが「家庭養護困難」という事由で入園してきますが、実質は虐待の一つである「ネグレクト」が大半です。身体虐待により心に大きな傷を受けている子どもたちの入園も増えてきています。加えて、知的障害、学習障害、ADHD、アスペルガー症候群など、いわゆる軽度発達障害の課題を抱える子どもたちも増えてきていますので、園内で心理療法士のセラピーやカウンセリングを受けているほか、地域のクリニックへ定期的に通院するなど医療支援も必要です。
 所属する教会は健軍教会で、チャプレンである小泉基牧師に創立記念礼拝を始め、各行事での礼拝やホーム礼拝、教会学校などでのお話しをとおして子どもたち一人ひとりが神様に守られていると安心感を与えられています。また、職員も聖書の学びや奨励をとおして霊的に養われ働く上での心の糧と指針をいただいています。
 クリスチャンワーカーは少ない現状ですが、広安愛児園で働く職員は、キリスト者であるかどうかにかかわらず、等しく神様の働き手として召し出されている存在だと思います。 そのスタンス、ミッションにしっかり立って、「神の家族」であるすべての子どもたちをかけがえのない存在として尊重し、神様にすべてのことを委ねながら子どもたちにサービス(仕え、支えていく)していきたいと願っています。

「高齢者伝道シリーズ(P2委員会)「傾聴」

東教区付嘱託牧師 伊藤早奈

 今年の8月上旬に天に召された方がおられます。その方をAさんとお呼びします。Aさんは私が牧師として用いられた2003年から、東京老人ホームのお部屋を訪問させて頂き続けていた方の一人です。その中で唯一、私が働かせて頂いた当初からの訪問者でした。
 Aさんを通してみ心に聴くことはたくさんありました。毎週必ず一度はお部屋を訪問する私に「ああ伊藤さん」といつも笑顔で迎えてくださいました。目が不自由であり難聴のAさんの部屋に車椅子の私が行くので大変な時もありました。もちろん耳元に近づいてお話もできません。近くに行かれない私がじっとしていると「ああ伊藤さんかぁ」とすぐ気付いてくださいました。
 7月の中旬より調子を悪くされ、お部屋に訪問できなかったりできたり不安定な日が続きました。ある日お部屋に入ると「誰?」と不安と疑いの目が向けられました。このままではいけないとワーカーさんと出直し、Aさんの耳元で私の名前を言ってもらい、手をそっと握りました。Aさんは「伊藤さんかぁ」とホッとした笑顔で受け入れてくださいました。
 カウンセリングを学ばせて頂いていた私は『傾聴』とはしゃべりまくる人の言葉をひたすら聴くというイメージがありました。それと同じくらい言葉を話すことのできない「ことば」を感じるということも大切な『傾聴』であり、そこには『信頼』という大きな関係が必要なのだとAさんを通してみ心に聴くことができました。Aさんありがとう。

第12回 ルーテル子どもキャンプ報告

 主のみ名を賛美いたします。
 みなさまのお祈り、ご協力、ご支援により、去る8月3日~5日、広島教会を会場として、第12回ルーテルこどもキャンプを無事に行うことができました。今年は全国から43名のこどもたちが集められました。
 今回の「ヒロシマ」キャンプでは、原爆投下による「被害」、および投下後に行われてきた日本人による韓国・朝鮮人の方々への差別という「加害」、荒廃後の世界各国からの「支援」について、そして「赦しとは?」を含めて、平和について見て、聞いて、触れて、考えました。
 また、「ヒロシマ」についてのみにとどまらず、今もなお、戦火にあるパレスチナのこどもたちのことも知り、自分と同じこどもが生きることそのものに困難を持っていることも知りました。
 自分たちの身近なところからできる平和の実現とは? 一人一人が一生懸命考え、みんなで祈り、みんなで賛美をする2泊3日間であり、また、友と一緒に生活を楽しんだ2泊3日でもありました。  こどもたちは5・6年生ですから、このキャンプでの体験をしっかりした
「知識」として持ち続けていくことは難しいかと思いますが、「経験」となって、いつか真剣に平和について考えるときの足がかりになることを切に願っています。
 こどもたちはお互いの住所を交換して日本各地に仲間がいることを喜び、そして、一人ずつ広島教会の鐘を鳴らして「平和を実現する者となる宣言」をしてそれぞれの地へ帰っていきました。
 昨今の複雑な世の中で、こどもたちが神さまに信頼して健やかに成長していけるように祈っています。       
キャンプ長  松本奈美(神戸教会)

るうてる法人会連合第6回研修会

 るうてる法人会連合の第6回研修会が8月24日、25日、熊本の九州ルーテル学院大学を会場に開催されました。
 当日、会場で配付された資料の「参加者名簿」には、熊本市内の教会と東京の事務局から宗教法人として12名、3つの学校法人から17名、8つの社会福祉法人と社会福祉活動をしている1団体から32名、16の幼稚園と保育園から34名、計95名が登録されていましたが、それ以外にも参加された方々がおられたように見受けました。
 今回は、「『あたたかな人間関係をめざして』+計画と継承 ~新たな人材養成のため ~」 という主題のもと、ルーテル学院大学、石居基夫先生による、「『共に生きる』を求めて~ルターの人間理解と各法人の使命~」と題する講演と、二つの「講義とワークショップ」が研修の柱でした。
 「講義とワークショップ」は、一日目がルーテル学院大学の福山和女先生の「援助におけるゆれのねうち」、そして二日目が、組織文化工学研究所の朝川哲一先生の「ミッションの計画と継承」というテーマで講義とワークショップが行われました。法人会連合関連の研修ではお馴染みの講師と研修形態だったようで、その点は今後の課題とすべきかもしれません。
 異なる働きに携わる三つの法人、団体ですが、イエス・キリストの働きを担う者たちとして召され、そして、この世に遣わされているということを信じ、キリストのミッションを共有しつつ一堂に会しました。そこには当然のことながら困難もありますが、出会いがあり、閉塞感を打破する、新しいうねりの起こることへの期待感も、参加者は抱いたのではないでしょうか。
 開会礼拝で、説教者の青田 勇牧師は「このわたしを大切にしてくださる神の愛を知らされる時に与えられる信じる心は、キリストのために少しでも自分を投げ出して、他者のために生きる自分がそこから生まれてくるのです」と語られましたが、神様に愛されているがゆえに、「わたしは大切な人間。そして、あなたも大切な人間」。これは宣教、教育、福祉と、それぞれの働きの分野は違っていても、わたしたちルーテル法人会連合が、この世に向かって発信し続けるメッセージであることを再確認しました。
  広報室長 徳野昌博

九州地域教師会報告

 
 九州地域教師会は、沖縄を除く九州7県、1400万人の伝道を担っている。教職数27名、内5名は熊本の学校専任。教会牧師は22名で、教会37、と付属の幼稚園14・保育園8、さらに社会福祉施設の各種の事業。かなりの教職がこれらの理事長・園長・チャプレンをこなしています。
 教職は、これらの日毎のルーティーンで忙殺されている現状があります。兼牧は当然。それ以上に関係する幼稚園・保育園・施設の職務も担わざるを得ず、教職が一堂に集まることも難しくなっています。
 この事情は、この10年で急速に一般化した事実で、教師会として新しい課題に組織的に取り組む余裕がなくなって久しいです。現状への対応として、パソコンの活用はありがたいものでありますが、伝道は言葉を媒介とした人の顔の見える中で起ることが前提とすれば、パソコンだけに頼る情報伝達は、教職を孤立化させる要因ともなっています。
 また、集まりにくいという現状は、年代の違う教職の対話の機会を少なくしていますが、このことは神学校卒業後、現場の教職が同じフィールドで切磋琢磨しながら、さらに神学をするという営みを、かつてほどには共有出来なくなったことを意味しています。
 この現実の中での宣教。全体が一堂に会するのは、年に一度(今年度は来年2月)しか採りえないので、小さな単位での研鑽会、テーマ毎の研修など、今後提案していきたいものです。
 託された使命は大きいのです。一人ひとりの教職に、「共在」の声を掛け合うことが目下の課題であります。
九州地域教師会会長 
箱田清美(唐津・小城教会牧師)

2010年度 ルーテル 「連帯献金」のお願い

 今年度も「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。
 LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて送金される私たちの献金が、世界において支援を必要としている多くの人々に用いられていくことを祈ります。  宣教室

■緊急支援募金■
[パキスタン洪水]
 7月末、インダス川の氾濫によって、パキスタンは建国史上最大、最悪の洪水に見舞われ、1,600人が死亡し、被災者は1,700万人以上に上り、甚大な被害が出ています。ルーテル世界連盟による救援活動を支えるため、日本福音ルーテル教会も救援募金を8月下旬より呼びかけています。

■指定献金■[ブラジル伝道]
 サンパウロにある日系人教会での宣教に、2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費と伝道諸経費を補うために、400万円の募金目標を掲げています。ご支援と献金をお願いします。

■指定献金■[喜望の家]
 釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動支援。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問などの奉仕活動への支援です。

■特定献金■
[メコン流域支援]
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。今年度は、カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2000名)の支援活動のために献金をお願いします。

■無指定献金■
[世界宣教のために]
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために、「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会の決定に委ねられています。
▼上記献金の送金先▼
「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

広報室からのお知らせ

 機関紙「るうてる」をご愛読いただき、感謝いたします。また、ご理解とご協力を賜っていますことも覚え感謝いたします。
 さて、福音版は9月、10月と休刊させていただきましたが、11月号に併せて、「クリスマス号」として、装いも新たに、内容もより充実させて発行いたします。
 クリスマスに向けて、福音版クリスマス号を特別に部数を増やして配布される教会、施設もあろうかと思います。従来通り、注文書を用意し、後日お届けしますので、ご注文ください。
 また、新しい福音版については、来年度は4回発行する予定でおりますが、このことについて、ご意見等ありましたら、お寄せください。 
   広報室長 徳野昌博

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