るうてる2019年4月号
説教『マリア!』『ラボニ!』
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(ヨハネによる福音書20・16)
今年もイースターを共々に祝えますことを心から感謝しています。主のご復活の喜びを、ヨハネ福音書第20章1節から18節までを通して、ご一緒に味わってみたいと思います。
マグダラのマリアは、七つの悪霊を主イエスによって追い払っていただいた女性で、主イエスの一行に従って、エルサレムにやって来た女性の弟子たちのうちの一人でした。ヨハネ福音書によれば、彼女は週の初めの日、すなわち、安息日の終わった一日目のまだ暗いうちにやって来て、主イエスの納められていた墓の石が取りのけてあるのを目にします。そして、シモン・ペトロともう一人の主が愛された弟子のもとに走って行って告げます。だれかが、主イエスを運び去りましたと。
ペトロともう一人の弟子は墓へと出かけ、走りますが、主の愛された弟子の方が速く走り、先に着きます。彼は墓を覗き込みますが、中には入りません。続いて到着したペトロは中に入り、主イエスの着せられていた亜麻布と、それとは別のところにたたまずに置いてある顔覆いを目にします。そして、続いて中に入った別の弟子は、見て、信じたとありますが、彼らは、主が復活することになっているという聖書をまだ知らなかったからであると記されています。弟子たちは空の墓にぶつかり、更に、復活の主が彼らに何度も顕現することを通して、初めて主の復活を信じるに至るのです。
さて、その後、マリアは墓に戻って、主イエスのことを思って泣いていました。墓とは、地上の生の一切が無に帰するところであり、しかも主イエスの体まで奪われ、虚脱感に包まれていたからです。そして、彼女が不意に墓を覗き込むと、二人の天使が、主イエスの遺体が置かれてあった頭の部分と足の部分に座っているのが見えます。天使の二人は、なぜ泣いているのかと尋ねると、マリアは、人々が彼を運び出しました、彼らがどこに置いたのか私には分かりませんと答えます。そして振り向くと、主イエスが立っておられるのが目にとまりますが、彼女は主とは分かりません。主は、なぜ泣いているのか、だれを捜しているのかと聞きますが、彼女は園丁だと思って、もしあなたが運び去ったのであれば言ってください、私が引き取りますと言います。
主はその時、「マリア」と呼びかけるのです。そして、マリアは「ラボニ」(先生)と言葉を返します。文芸評論家の亀井勝一郎は、故人の声を思い出す者こそ、故人を最も愛した人であると書いていますが、マリアは、復活の主から名前を呼ばれて初めて、主イエスであることを知るのです。マリアが主イエスに触れようとすると、主は私に触れないように、私はまだ父のもとに上ってはいないのだからと言われます。そして、私の兄弟たちのところに行って言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」(17節)と。福音書記者ヨハネにとって、主イエスが十字架に上げられ、苦しみを受け、また、天に上げられることは、栄光なのです。上から来た者以外に、上に上げられる者はいないのであり、その方以外に、私どもを天に上げることのできる者はいないのです。
ある介護施設で暮らしている、既に90歳を超える高齢の方は、自分が教会につながり、洗礼を受け、不思議な救いの道に与ったことを感慨深げに話され、別れ際に、「復活があるということを納得させられなければ、人々を主キリストにつなぐことは不可能です。その肝心なところを、先生、ぜひとも人々にお伝えください」と遺言のように語ってくださいました。
主イエスから、じかに語りかけられたマリアは、もはや以前のマリアではありませんでした。復活の主との新しい関係が始まり、マリアは教会で最初のキリストの伝道者へと変えられたのです。そして、マリアからその知らせを聞いた弟子たちもまた、この後、幾度も復活の主にまみえることを通して、復活の命、永遠の命を証しする者とされていくのです。アーメン。
コラム 直線通り 久保彩奈
⑬あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネによる福音書15・16)
桜の花が満開の頃、わたしの勤務校は入学式を迎えます。新入生は新しい学校生活に、進級した在校生もクラス替え発表に緊張しながら敷地内にある桜並木を潜るようにして登校します。しかし胸を高鳴らせるのは生徒だけではなくわたしたち教師も、です。冬の入試の時には「神様のこの学校で学ぶべき子どもたちを導いてください」と祈ります。その祈りを込めた出会うべきこの子どもたちがやってくるのです。新しい出会いに胸を弾ませる季節がやってきます。
しかしすべてのキリスト教学校は私立のため受験を経て入学するので、子どもたちの中には第1志望ではなく入学する子どもたちもいます。「こんな学校に来るはずじゃなかったんだ」とふてくされたように、授業中に言われたこともありました。
「ごめん!わたしたちはものすごい勢いで祈ってたの!君の学ぶべき場所はこの学校だって神様が導いたのだから絶対大丈夫!わたしは君に出会えて良かったよ!」と返すと「なんで先生祈ったんだよ~」と笑いながら言われてしまいました。
自分の思いを遥かに超えて働かれる主に人生を委ねる、その生き方をこの学校で教えてあげるね。大丈夫、君は導かれるべくして導かれた神様の子どもだよ。安心して、この学校で歩んでいこう。わたしたちの愛する神様は失敗を知らない、素晴らしい方なんだよ。
議長室から 総会議長 大柴譲治 「新しいエクソドス」
今年私たちは礼拝でルカ福音書を読んでいます。3月3日にはルカ9章から主の山上の変容について学びました。これはイエスが十字架へと具体的に踏み出してゆくタイミングで起こった出来事で、マルコにもマタイにもありますが、ルカにしかない大事なキーワードがあります。ルカは律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤがイエスと語り合った内容に直接触れているのです。「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(29~31節)。
ここで「最期」と訳されているのはギリシャ語で「エクス・ホドス」という語です。新しい聖書協会共同訳では「最後のこと」と訳され、注に別訳として「終幕」とありました。「エクス」とは「~から外に」を意味する前置詞、「ホドス」とは「道」ですから、原義は「外に向かって出るための道」という意味になります。「突破口」または「脱出路」とも訳せますし、「出発」という意味もあります。英語はExodus、この語を聞いてピンとくる方も少なくないと思います。そうです、「エクソドス」とは「出エジプト(記)」のことを意味しています。つまり三人はここで、エルサレムでイエスが成し遂げられる「最期」を「新しいエクソドス」として話していたというのです。
モーセがイスラエルの民を引き連れ、真っ二つに割れた紅海の底を通って乳と蜜の溢れる神の約束の地に向かってエジプトの奴隷状態を脱出したのが「エクソドス」の出来事でした。その「古いエクソドス」に対して、イエスの十字架と復活とは「新しいエクソドス」であり、私たちを究極的に罪と死と滅びから解放する出来事であることがここでは宣言されているのです。
確かに、イエスを主と信じ、私たちは「洗礼」という水をくぐって神の約束の地(天)に向かって出発します。それは刻々と「天とつながる旅」でもありましょう。もしかするとそれは「荒れ野の40年の旅」かもしれません(聖書で40とは人の一生を意味する完全数)。真の神を見失って金の子牛を拝み、エジプトの肉鍋が恋しいと不平不満をもらすような迷い旅であるかもしれません。しかしそのような民を神は見捨てず日毎のマナと岩清水、そしてうずらをもって過不足なく養ってくださる。神、われらと共にいます、です。復活のキリストに導かれつつ、この旅を皆さまとご一緒に歩んでゆきたいと願っています。
戸教会宣教百周年を迎えて 家合 直(神戸教会百周年準備委員会)
1918年(大正7年)秋、ネルセン宣教師が神戸伝道を計画。同年12月の亀山萬里牧師による当時の神戸市外原田村、現在の神戸市灘区王子公園付近での伝道開始をもって神戸教会は歩み始めました。翌1919年(大正8年)8月に33歳の若さで召天された亀山牧師の後を受けたリッパード宣教師と竹谷勝爾伝道師の手により同年11月19日、現在の神戸教会所在地(神戸市長田区寺池町2丁目)にほど近い神戸市五番町に講義所が開設されました。その後、1935年(昭和10年)5月19日に、寺池町1丁目に最初の会堂が献堂。また、阪神淡路大震災から5か月後の1995年(平成7年)6月24日に2代目の会堂が献堂し現在に至っています。
この五番町の講義所開設の日にちなんだ昨年11月18日の主日、現教会員以外にも、戦後間もなくの時代に受洗された方々、あるいは、55年の歴史を刻み1992年(平成4年)に閉園した神戸教会附属のぞみ幼稚園の卒園生や教諭の方々など50数名が神戸教会に集い、宣教百周年の記念礼拝を守りました。松本義宣牧師および神戸教会出身の乾和雄牧師が司式を務め、説教は神戸教会出身の斎藤忠碩牧師が担いました。前日の記念演奏会に出演された松江教会出身の光野孝子さんによる詩編95編1~7節の独唱があり、また、「神戸教会宣教百周年感謝の連祷」が献げられました。礼拝後には感謝会の場がもたれ、和やかな雰囲気の中で、旧交を温め合う姿が随所に見られました。こうして、天候にも恵まれ、祝福された一時を過ごすことが出来、感謝の思いを抱きつつ閉会となりました。
大正から昭和を経て平成に至る時代の流れの中で、神戸教会は百年間歩み続けました。ただ感謝あるのみです。そしてこれからも、いつまでも歩み続けます。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章20節より)
インドワークキャンプで得たこと 三浦ことの(東京池袋教会)
大学での学びに生かすため、世界を見て視野を広げようと考え、私は今回初めてJELAのワークキャンプに参加しました。キャンプはインドのマハラシュトラ州ジャムケッドにあるThe Comprehensive Rural Health Project(=CRHP)の施設で行われ、私は主に義足作りと幼稚園舎のペンキ塗りに従事しました。その中で義足や園舎が、今まで私とは接点のなかった人たちが、これからの生活で使用するものだということに気づき、奉仕への責任を感じました。人々の交わりに喜び、気づいたら多くの人と触れあっていました。
キャンプでは、祈る時間が毎日与えられました。神様からの多くの導きがありました。現地の言語で祈ってもらった時、意味は理解できなくても、心を合わせて神様にむかうということに変わりはないなと感じました。共に祈ることの素晴らしさを改めて感じ、また、その出来事に喜びました。これはきっと世界中で感じられることではないかと思います。そうであってほしいと願います。また、輪になって祈る場面もあり、私たちが繋がって祈ることは素晴らしいと心から感じました。
農場を訪問した時に、考えさせられることがありました。それは、「手を洗う」ことについてです。大人たちは、衛生面から手洗いの重要性を説いても、理解が得られないというのです。理由は、手洗いに使う水のお金で、どれくらい食料が買えるだろうと考えるからだそうです。価値観の違いを知り切なくなりました。他方、保育園では日課として「手洗いの唄」を歌い、その意味を学んでいます。このことは意識を改革するために意味があることだと思います。
また、農場では新鮮な時間の流れを感じました。それは、焦らずに、のんびり過ごすというものです。私は日本で、とても忙しく、常に時間に追われていました。農場で感じた時間の流れはとても大切なものだと思います。それは、忙しいと見逃してしまう自分の中の感情と向き合い、心と体を休めることができ、これからの力になるからです。日本の生活でも生かしたいです。
日本福音ルーテル社団(JELA)の主催するインドワークキャンプが、2月9~19日まで13名の参加を得て行われました。チャプレンは小泉嗣牧師。教会関係者より、感想を寄せていただきました。
「教会手帳」における「日の丸」の表示について
2019年の「教会手帳」に、本年限りの「国民の祝日」と定められた5月1日「天皇即位の日」、10月22日「即位礼正殿の儀の行われる日」、またこれに伴い、祝日法により「休日」となる4月30日につきまして、それぞれ決定される前ではありましたが記載を行いました。しかし、併せて当該日程に日の丸を模したマークがついてしまいました。これについての確認が不十分でした。
日の丸は明治以降天皇崇拝儀礼と結びつき、戦意高揚と侵略戦争の象徴として用いられてきましたが、戦後そのことが充分に反省されることのないまま1999年に国旗として法制化されました。そして今日でも、国家権力への無条件の従属を強制するシンボルとして用いられることがあります。
そうした状況を鑑みる時、日の丸マークを教会手帳に用いることは、当教会としてその負の歴史とそれによる苦しみを受けた人々、また現在もその痛みの内にある人々への配慮を欠くことと受け止めています。深く反省し、ここにお詫びいたします。(事務局長 滝田浩之)
第28期第3回 常議員会報告 事務局長 滝田浩之
2月18~20日、ルーテル市ヶ谷センターにて第28期第3回常議員会が開催されました。以下内容について報告いたします。
(1)ハラスメントの学び
日本バプテスト連盟常務理事である、吉高叶先生からご講義を頂きました。連盟のこれまでの取り組みを具体的にお聞きするとともに、取り組みの中での課題を分かちあって頂きました。今後、「ハラスメント防止規定」の作成に向けて準備をしていくことになります。また聖公会の発行した『自分を愛するために』を送付しました。各教会での学びにお用いください。
(2)礼拝式文の発行
2月上旬に各教会に礼拝式文が送付されました。今後、諸式の提案を式文委員会から受け、10年かけて各教会で試用を頂き、提案、訂正を受け整えていくこととなります。音符の部分で修正がありますが、もうしばらく確認をして各教会に訂正の案内を行う予定です。式文委員会の10年をこえる働きに感謝したいと思います。今後、日本福音ルーテル教会主催の礼拝でも用いていくことになります。また2020年の教会手帳より、現行の主日の聖書日課に変えて、改訂共通聖書日課(現在、手帳巻末に記載)を用いることも確認されました。
(3)ELCA本部・サウスカロライナ教区公式訪問
5月28日~6月6日、サウスカロライナ教区の総会に議長が招かれたことを受けて、公式訪問を行うこととなりました。各教区長の推薦を受けた方々が参加されます。浅野世界宣教主事を中心に準備が進んでいます。日本福音ルーテル教会は1892年に米国南部一致ルーテル教会(現在のELCAサウスカロライナ教区)から送られた2組の宣教師によって1893年より宣教が開始されました。ルーツを訪ねることで、宣教への思いが新たにされることが期待されます。
(4)特別貸与奨学金規定改定
日本ルーテル神学校が新たな牧師候補者を広く求める一環として、授業料の減額を決断してくださいました。これを受けて、日本福音ルーテル教会としても神学生支援の拡充のため、特別貸与奨学金規定の改定を行いました。また秋には神学教育委員会を中心に神学校で「献身者のためのオープンキャンパス」を実施します。身近な年齢の牧師たちと交わりを深め献身の思いを強めることができる時になればと願っています。
(5)信仰と職制委員会からの答申
式文委員会から答申を求められていた件について、いくつかの諮問が行われました。詳しくは、常議員会議事録をご確認ください。
(6)第7次綜合方策委員会設置の件
2020年の全国総会に提案する、第7次綜合方策委員会が設置されました。今後10年、日本福音ルーテル教会が一つの教会として持続していくこと、同時に、この世に仕える群れとなることを目指して教会形成の全体の方向付けを確認するものとなります。
(7)即位の礼・大嘗祭への公費支出反対の件
即位前の4月末までに社会委員会を中心に、これまでのように「見解」を作成して頂くことになりました。「見解」は作成次第、ホームページに記載し、日本福音ルーテル教会の「姿勢」として表明されることになります。
(8)市ヶ谷会館将来検討委員会
次回の全国総会へ、市ヶ谷事業を継続していくための必要な提案を行うため委員会が行われています。具体的な耐震補強案を作成するとともに、複雑な利害関係者(市ヶ谷教会の宣教、本部機能、貸室業、ホール業等)が事業を継続しながら工事を実施することを踏まえ、設計事務所の強い要望もあり国交省が採用するECI方式(プロジェクトの設計段階より施工者の技術力を反映させることでコスト縮減や工期短縮を目的とした方法)で施工業者を決定して進める方向が確認されました。
(9)新翻訳聖書の「試用」について
2018年12月に発行された新たな翻訳の『聖書』聖書協会共同訳を「試用」することができることを確認しました。過去の日本福音ルーテル教会での新翻訳聖書への対応については、まずは「試用」として聖書研究会等で用いたのち各個教会に、その移行の判断は委ねられていることが確認されています。試用されてみての意見や感想については、各教区長、事務局にお寄せください。
神学生のための奨学金制度が拡充されました
2019年度から、神学校の学費が引き下げされた一方、教会からの奨学金が拡充されて、学費については4年間すべてを奨学金でまかなえるようになりました。ぜひこの制度改正を活用して、各教会からもっと
献身者を送り出しましょう。
日本福音ルーテル教会の牧師は、日本ルーテル神学校で4年間学ぶのが基本です。特別貸与奨学金制度では、1、2年生と3、4年生で扱いが違います。
1、2年生では、その年の入学金、施設費、学生納付金、入寮費・寮費(又は住宅費)の全額が貸与されることになりました。更に、諸事情で寮に入れない神学生も寮費相当額の奨学金を受けられることになりました。この1、2年生の特別奨学金は、牧師になってから15年かけて返済していただきます。
3、4年生では、上記の額に、食費として月額4万円が追加される上、牧師になってから定年まで15年以上ある方は、全額返還が免除されます。定年まで15年未満の方は、一部だけ返還していただきます。
今度の制度改正でも、生活費の支援は不十分です。各神学生には、神学生を送り出した教会を中心にして、経済的な支援をしていただければ幸いです。
公 告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年4月15日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位
なごや希望教会建物取壊
所在地 名古屋市千種区今池 3-5-19
所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 501番
種類
教会
面積 (1)238・01㎡
(2)27・66㎡
牧師館
面積 (1)87・60㎡
(2)34・71㎡
新会堂・牧師館建築のために旧礼拝堂・牧師館部分を取り壊すため。
新任牧師あいさつ
小澤周平
皆様のお祈りとお支えに感謝いたします。この度、名古屋めぐみ教会にて牧師の働きを与えられました。いよいよ現場だ、と期待を胸に過ごしています。神学生の間を振り返ると、何度も迷い、何度も道が見えなくなりました。苦しい中で受けた助言に、困難にあってこそ気付く福音の輝きがある、というものがあり、確かにそのとおりだと思いました。どのような時も共におられるキリスト、与えられる信仰。魂に響く聖書の希望の言葉。キリストにあって、祈り、支えてくださる方々の愛。「弱いときにこそ強い」(2コリント12・10)。私が伝えることは、むしろ、弱さの中にある。いざ!福音を取り次ぐために遣わされます。どうぞよろしくお願いいたします。
筑田 仁
「小さなキリストとして」
教職授任按手式を経て新任の牧師となりました。これから牧会の現場に派遣されて行きます。これまで沢山の人々からお祈り頂き、支えて頂き、心から感謝しております。皆様のお祈りと神様の導きがあり按手礼を受けることができたことを深く感謝しております。すでに47歳になりますが、これから新しい人生を歩む思いを抱き、身が引き締まる思いと緊張感を感じています。甲府教会・諏訪教会が新しい任地です。 様々な人にこれからお世話になります。ルターの言葉にある通り、私自身が隣り人にとって小さなキリストになりたいと願っています。これからがスタートラインです。どうぞよろしくお願いいたします。
中島共生
この度、無事に受按を終えました中島共生と申します。4年間の神学校での学びを終え、4月から宣教の現場へと遣わされます。喜びと、期待を胸に抱きつつ備えの時を過ごしております。
「どんな牧師になりたいですか」。その問いと4年間向き合いました。たった一つの答えは無いと思います。その時、その場で与えられる役割や職務があると思います。時には、難しいこともあるでしょう。けれど安心しています。私が一人で牧師として立たされるわけではありません。信頼の置ける先輩たち、仲間たち、信徒の皆様。その関わりの中で私は牧師として立たされて行くのです。共に神様の御用のために歩んでいきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。
着任宣教師あいさつ
私たちウィルソン一家は、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)から派遣され、2018年8月初旬に来日しました。
アンドリュー・ウィルソンは神学の博士号をもっていますので、教会史の正規の教員となるために、このたび三鷹の日本ルーテル神学校に任ぜられました。日本語の勉強は来日前から始めましたが、今はさらに本格的になってきました。2018年から19年度の2学期には神学校や大学の講義にも出席し、日本語の語彙と教授法の取得に努めました。新年度の第1学期からは、神学生に宗教改革史を英語で教える予定です。翌年には日本語でも教えるようにできればと思っています。日本語の習得と同時に、私は16世紀カリブ地方に対するスペインの植民地政策に抵抗したドミニコ会の司祭、バルトロメ・ドゥ・ラ・カサスの研究を継続中です。
サラ・ヒンリキー・ウィルソンは、牧師として東教区付で東京教会に任命を受けました。主な働きは東京教会の英語部の礼拝担当です。だいたい20から35名ほどの礼拝出席で、集まる人たちは日本在住の教会員だけでなく、他国からの旅行者や頻繁に出席する方たちもいます。子どもの礼拝や、月に2回は日本語礼拝でも司式の手伝いをしています。日本語がもっと流暢になって日本語の礼拝でも牧師としてしっかり奉仕できるようにと、日本語勉強の日々です。教会の皆さんがあたたかく迎えてくださいましたし、関野和寛牧師、後藤直紀牧師ともしっかり協力しながらできているので、とてもありがたいです。東京教会の働きに加えて、私は1年に数週間ですが、フランスのストラスブールにあるエキュメニズム研究所での勤務もします。また英語の神学雑誌の発行と神学ポッドキャスト(インターネット放送)のホスト役もしています。
私たち夫婦と一緒に来日してくれたのがエゼキエルです(ジークと呼んでください)。13歳の彼は、日本のクリスチャンアカデミーの7年生です。日本での新しい生活にも馴染んで、学校では今、日本語初級を勉強中です。よろしくお願いします。
退任宣教師あいさつ
ハンナ・ペンティネン(フィンランドルーテル福音協会)
神様の導きと恵みによって6年前に日本へ参りました。自分の力は弱くても、神様のみ言葉とイエス様の血が私たちの力であることを信じて働きました。日本福音ルーテル教会 の皆さんには6年に亘りお世話になったことを心から感謝致します。日本で働いている期間はいつの間にか経過しました。私たちの人生の時の流れはいつでも早いものと思いますが、日々天の神様は罪を許してくださり、新しい心を与えてくださいます。神様を信じる心を持っていたら、どんな時にも望みと平和と喜びがあります。
帰国しても、日本福音ルーテル教会の皆さんのことをお祈りの中で覚えてまいります。神様の恵みと祝福が豊かにありますように。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(2コリントの信徒への手紙5・17)
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(同5・21)
2019年度
日本福音ルーテル教会人事
○退職
(2019年3月31日付)
・木下 理(定年引退)
・小山 茂(定年引退)
・齋藤幸二(定年引退)
・渡邊賢次(定年引退)
・渡邉純幸(定年引退)
○新任
・小澤周平
・筑田 仁
・中島共生
○人事異動
(2019年4月 1日付)
【北海道特別教区】
・ 小泉 基 函館教会(主任)
【東教区】
・ 朝比奈晴朗 飯田教会(主任)
・伊藤早奈 東教区付(嘱託)
東教区メディア伝道
・後藤由起 本郷教会(主任)
・筑田 仁 甲府教会(主任)、諏訪教会(主任)
・永吉秀人 蒲田教会(主任)
【東海教区】
・秋久 潤 沼津教会(主任兼任)
・小澤周平 名古屋めぐみ教会(主任)
・徳弘浩隆 大垣教会(主任)、 岐阜教会(主任)
・内藤文子 知多教会(主任・ 兼任)
【西教区】
・ 沼崎 勇 賀茂川教会(主
任・ 兼任)
・ 神? 伸 天王寺教会(主
任)
・竹田大地 西宮教会(主任)、
大阪教会 (協力牧師・兼任)
・松本義宣 松山教会(主任・ 兼任)
・中島共生 下関教会(主任)、 厚狭教会(主任)、宇部教会 (主任)
【九州教区】
・安井宣生 健軍教会(主任)、
甲佐教会(主任)
・ 角本 浩 合志教会(主任・
兼任)、荒尾教会(主任・兼任)
・ 崔 大凡 甘木教会(主任・ 兼任)
・和田憲明 二日市教会(主任・兼任)、長崎教会(主任・兼任)
○休職
・山田浩己 待機から規則による休職へ(規則第91条二 項)
◯任用変更
・後藤由起 嘱託から一般への任用変更
○復職
・伊藤早奈 休職から嘱託任用へ
〇宣教師
・スコット カルズニ(ルーテル学院中学・高校)2018年11月退任
・ポール フォーサイス(本郷教会)2018年12月退任
・ハナ ジェンセン ラインキ(ルーテル学院中学・高校)
2019年3月退任
・エマ ネルソン(ルーテル学
院中学・高校)2019年3月退任
・ランダル タレント(九州学院)2019年3月退任
・ハンナ・ペンティネン(東教区付)2019年3月退任
・スペンサー ウェントランド(ルーテル学院中学・高校)
2019年着任予定
・エリン・ライアン(九州学院)2019年4月着任
・ジョーダン・コリンズ-ブラウン(ルーテル学院中学・高校)2019年4着任
・エリカ・ブライヤ(ルーテル学院中学・高校)2019年4月着任
○その他
▽牧会委嘱(2019年4月1日付/1年間)
・明比輝代彦 掛川菊川教会
・斉藤忠碩 復活教会
・谷川卓三 賀茂川教会
・乾 和雄 神戸東教会
・渡邊賢次 松山教会
・藤井邦夫 宇部教会
・白髭 義 甘木教会
・濱田道明 合志教会
以上