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るうてる2007年

るうてる2007年4月号

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教職授任按手式礼拝

 3月11日(日)19:00より宣教百年記念会堂(東京教会)にて教職授任按手式礼拝が執り行われました(総合司式:立野泰博西教区長)。
神﨑伸牧師(武蔵野教会出身)は按手を受け、中川俊介牧師(津田沼教会出身)は議長をはじめ教師会長、各教区長及び各宣教師会長と派遣の握手を交わしました。会場には、出身教会、研修教会などを中心に約200名が集い、二人の牧師の誕生と派遣の場に立ち会いました。
 礼拝にて山之内正俊総会議長は「祝福に満ちた希望」と題して説教し、「神抜きに命の問題を解決しようとしているこの世界にあって、今こそ教会の出番である」と語り、お二人にエールを送りました。
 聖餐式では配餐者に加わり、一人ひとりに“キリストの体”を分かつ姿が印象的でした。
 第二部は渡辺純幸総会副議長の司会で、進められました。当日の模様はjelc.TVでご覧いただけます。

アワーミッションレポート「室園教会」

教会に居場所を…

1.中高生の様子を教えてください。
 礼拝に来る教会員や教会員の子どもたち、求道者の他、平日は別なメンバーが常時来ています。特定のプログラムだけに来る子もいたりするので、全体の数は多いと思います。
2.中高生のための部屋を作ろうとしたきっかけは何ですか?
 学校帰りに集まってくる子たちの居場所作りと同時に、私が教会にいない時も自由に過ごせる場所、そして彼らのためのプログラムをやる場所が必要だったからです。
3.どのようなプログラムをやっていますか?
 ギターでの礼拝をしたり、後はお菓子を食べたり、話したりしています。英語で話す時間を設け、歌ったり、クッキングもしています。月報作りや発送作業、力仕事などがあるときには、メールで呼び出して手伝ってもらったりもします。 学校帰りにふらっと立ち寄る子が多いですね。テスト勉強をしたり、勉強を教えたり、恋の話をしたりもします。先日はバレンタインのチョコレートも一緒に作りました! 牧師館の冷蔵庫には、彼らのためのアイスクリームや肉まん、たこ焼きなどが常備されています。お昼や夕食を一緒に食べることも多いです。
4.部屋を作る前と作ってからでは変化はありましたか?
 私がいないときでも、勝手にきて自由に時間を過ごして帰る子が増えました。外出先から戻ってみると、ゴミ箱にゴミや何か食べた跡があるのを見つけて、「誰か来てたんだな」とわかります。
5.教会につなげるためにどのようなことを考えていますか?
 興味のある子にギターを教えて、礼拝の中で賛美の奉仕ができるように育てています。午後のギター礼拝もはじまりましたし、午前中の礼拝やCSでもギターを用いますので、奉仕はたくさんあります。また、受洗や堅信準備をしている子、受洗後教育の終わった子たちと、聖研を始めることを計画しています。教会が居場所だということを伝える中で、賛美やみことばそのものの持つ力と聖霊の導きを期待します。
6.中高生に配慮していることは何ですか?
 長い目で時間がかかっても、イエス様を信じてよかったと言えるようになればと願っています。最初は恋の話をしに教会に来ていても、「この先生が信じているイエス様ってどんな方だろう」と思ってもらえれば、一歩前進です。証人としてキリストの香りを放つ者でありたいと思います。

『星を仰いで露地を見よ』

 教会の窓を、久しぶりに開けてみました。春の風がサアッ~と礼拝堂へ入ってきました。さわやかな風と共に春がやってきました。
 さわやかといえば、夕方礼拝堂にかわいい声が響いています。毎日その声を聞きたくて、時間になると必ず牧師室にいるようにしています。保育所すみれ組のはるかちゃん(2歳)です。帰りに礼拝堂へやってきて、礼拝堂扉のところで「イエス様さようなら」と、お辞儀をするのです。
 おじいちゃんが「今日は早く帰る」といっても、絶対だめ。一人でも「イエス様さようなら」と挨拶をしていきます。その声のさわやかなこと。保育所の礼拝に出ているうちに、イエス様の存在がわかったのでしょう。
 子どもたちは、神様と会話できる何かの方法を身につけているかもしれません。きっと、毎日神様と話しているにちがいありません。神様を大きく感じて、生きていることを大切にする。それっていいなあ。
(柿のたね)

牧師の声「私の愛唱聖句」

東教区 市ヶ谷教会 牧師 斎藤 忠碩
主の山に、備えあり (創世記22章14節9)
 キリスト教との出会いは、神戸ルーテル教会付属のぞみ幼稚園にさかのぼる。
 幼稚園の先生が、溢れる愛情を込め、イエス様がなさった99匹の羊を残して迷子になった1匹の羊を捜しに出掛けた例え話は今も私の心に鮮明に残っている。クリスマスでの聖誕劇、そして日曜学校、ハイキングと教会で小学校時代、楽しい時を過ごさせていただいた。高校の時、父親の借金、家族の危機、兄の死と試練が押し寄せた。
 ある時、それはクリスマス・イブ礼拝に出席して帰ろうとした時だった。1人の信徒の方から「斎藤くん、今からキャロリングに一緒に行こう」と熱心に、しつこく誘われた。一軒の家の前で小さなローソクに火を灯してみんなで賛美歌を歌っている時、クリスマスの意味を示された。みどり子、イエス様が、この私の中に誕生してくださった。そして、大学生の時、洗礼を受けた。牧師の前に立ち「私たちのイエス・キリストを、あなたは信じますか」と問われて、震える声で「ハイ、信じます」と答えたのを思い出す。大学を卒業し、就職、結婚、2人の子どもが与えられた。順風満帆の時であった。しかし、私は会社勤めに疑問を持ち始めた。そして、みことばが与えられた。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つひとつの言葉で生きる」
 主の召しを受け、献身を決意した。30歳の時だった。4年間の神学校での学びのあと、福音宣教へと旅立った。そして、今日に至るまで、教会の方々に支えられて、昼は雲の柱となり、夜は火の柱となり(出エジプト13章21節)主は私を私たち家族を守り、導いてくださっている。ただ、ただ神の愛、主の恵みに感謝のみである。今も神学校の先生の言葉を思い出す。「主は、生きてござる。見てござる。聞いてござる」
 私の愛唱聖句を1つ上げるとすれば「主の山に、備えあり」だ。アーメン。

信徒の声・教会の宝石を捜して

東海教区 名古屋教会 信徒  伊藤 幸男
伊藤さんはお年を召してから、教会に来られたわけですが、何かきっかけがあったのですか?
 教会に来たのは、二年前、75歳の時でした。2005年の6月に愛地球博の入場ゲート前で、倒れ、救急車で瀬戸の病院に運ばれました。心筋梗塞・胸腹部大動脈瘤の手術を受けたのですが、幸いにして一命を取り留めました。術後、4人部屋に入って、そこで出会った方がクリスチャンで、「わたしはキリスト教の教えに救われた」と話してくださいました。入院中に自分の今後のことなどを考えていたこともあって、退院して、6月12日(日)に名古屋教会を訪れました。ルーテル幼稚園で開かれていた音楽教室に、娘が通っていましたので、知っていたのです。
洗礼を受ける決心をなさったのは?
 最初は式文も教会の言葉も良く分からなくて、とまどっていました。しかし、教会に来なさいということで、毎週来ていました。その年の10月に「聖書日課」を与えられ、毎朝20分~30分読むうちに、少しずつわたしなりに理解できるようになりました。2006年の1月に、洗礼を受けたいとお願いしました。先生から十戒・使徒信条・主の祈り・聖なる洗礼の礼典・聖壇の礼典などの講義を受け、身の引き締まる思いがしました。
洗礼を受けられて、何か変わったことはありますか?
 教会に来始めた頃は、体調も十分ではなく、心の内も動揺しやすかったのですが、近頃は体調も良く、よく眠れ、心も安定し、聖書の深みも少しは理解できるようになりました。これも神様のおかげと感謝しています。体は無理がききませんので、受付の奉仕などさせていただいています。
 今後の目標として、聖書日課が一回りしましたら、列王記上6章にある13年の年月がかかったというソロモンの神殿とエズラ記6章にあります再建された神殿の建造物のいろいろを、わたしなりに研究してみたいと思っています。建築の仕事をしていたものですから。いずれにしても、希望と愛をもって残された人生を過ごしたいと思います。

東洋と西洋の対話① ~ルーテル教会の礼拝~

ゴードン W.レイスロップ
フィラデルフィア ルーテル神学校名誉教授、神学博士
平岡仁子
日本福音ルーテル保谷教会 牧師

第1回 私達は洗礼を思い起します。(み名による祝福、罪の告白、赦しの祈願祝福)

「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」
(マタイ28章19~20)

 「父と子と聖霊の御名によって」。礼拝の初めに聞くこの言葉はイエス・キリストによって私達に与えられた確かな約束のしるし「洗礼」を思い起させます。私達は洗礼によってキリストと結びつけられ、キリストの体である教会の一員となり礼拝するため集められます。私達が目にする洗礼は、現在、殆ど浸礼ではなくなってしまいましたが、聖書は洗礼が浸礼であったと証言します(使徒8:39)。そのため、洗礼の儀式、水に沈み水から引き上げられる行為をイエス・キリストの十字架の死と復活のイメージと重ね合わせ次のように言います。「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた私達が皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを……」(ロマ6:3~4)。洗礼によって清められた私達は、キリストを着ます。(ガラテヤ3:27)しかし、キリストの聖さは私達を聖ではない俗なる社会・この世から分離するためのものではありません。そうではなく反対に、キリストは聖であるが故に、この世の最も小さい一人のために、罪人として穢れの中に死んだのです。ここに神の愛があります。悲しいことに、日本のキリスト教はその歴史において、日本の社会・文化そして家族からの分離、あるいは対立を余儀なくされてきました。しかし、この世の最も小さい一人のために十字架の上で命を与えられたイエス・キリストの聖さは、そのような歴史の中にあってさえ、私達をこの世で生きる小さき一人と結び付けるのです。そして、洗礼によって与えられたこの確かな神の恵み・福音が、罪の告白と赦しの祈願祝福によって宣言されます。私達は神の憐れみを求め共に罪を告白し、神の赦しを司式者の口を通して聞きます。その時、教会の扉はきっと開け放たれていることでしょう。私達をキリストのもとへ招くため、そして私達がキリストと共にこの世で神の憐れみを必要とする小さき一人のもとへ遣わされるために。

信仰の学び、養いを生涯続ける①

ルーテル学院大学・神学校名誉教授  徳善 義和

第1回 洗礼の前、洗礼の後

 教会に入る時、祈りの時など、折に触れて胸に十字を切るという習慣のある教会があり、個人がいます。これは洗礼の際に、ローマ第6章3節以下によって額に印される十字のしるしを思い、自らの信仰の原点としての洗礼の恵みを思い起こすためです。十字を切るにしても、切らないにしても、このように洗礼の恵みを思い起こすことは信仰にとって大切なことでしょう。

 ところでみなさんは、自分が受けた洗礼や、洗礼のための準備のことを思い出すことがありますか。この際ぜひ思い出してください。私の場合といえば、洗礼に至るまで変な質問をいろいろして、本田伝喜先生にご迷惑を掛けていたのですが、受洗の希望を申し出て、準備をお願いしたとき、「あなたはいいでしょう」とのことで、特別に洗礼に備えて教えていただいた経験がありません。後になってみると、教えていただけばよかったな、とつくづく思わされます。みなさんはどうでしょう。できればそのとき使った『小教理問答』やプリントなどあれば、取り出して見直したり、そのときの先生とお話してみてください。

 さて、初代教会の頃、洗礼を受ける成人は、今私たちが「使徒信条」と呼んでいるものの元の形などで、各地それぞれにできつつあった、洗礼のための信仰定式に当たるものによって、洗礼準備の教育を受けたと言われています。洗礼を受けた後になって漸く、「主の祈り」を教わり、その意味も学ぶ機会があったようです。つまり、洗礼を挟んでその前後に、信仰の学びがあったのです。

 信仰の学びや養いを洗礼の前に集中して受けることは大事です。しかし、それだけでなく、洗礼の後も、キリスト者となったという新しい思いの中で、信仰の中身についても、信仰の生活についても学びを受け、養いを受けることが大切なのです。もちろん、主日毎の説教も、聖書研究も、教会関係のいろいろな会合や学びの関係への参加もそういうことを促すでしょう。
 一人ひとりの洗礼を思い起こし、洗礼準備の学びを思い返しながら、一生にわたる信仰の歩みのために歩んできた道を振り返り、なによりも先ず、今生涯のこの時に信仰の学び、養いをどう受けようか、と考えてくださいませんか。

神学生寮の思い出

内面的思索と霊的涵養のとき~鷺宮時代のルター寮生活を振り返って~

博多教会 長岡 立一郎
 いわゆる団塊の世代である私は戦後、高度成長期の草創期にあたる1965(昭和40)年、日本ルーテル神学大学第2回生として入学しました。当時、7人の同級生と鷺宮神学校の洋風の建物で日夜、学びを共にしたことを昨日のように思い出します。
 ルター寮は、同じく神学大学のあった鷺宮のキャンパス西側に位置していました。寮生は総勢25~27名いたと記憶します。高校からすぐに入学した者、大学卒業を経て入学する者、また社会人の生活を経て入学してくる者など多種多彩でありました。
 寮生活は毎朝、6時30分の朝祷会から始まり、証しや祈りの当番が2ヶ月に1回確実に回ってきていたように思います。当時、真冬は今よりずっと寒く、雪がキャパス一帯を覆っていたことを鮮明に思い出します。とくに寮の暖房は達磨ストーブでしたから、当番にあたる寮生は朝早くから起床し、石炭に火をつける役割がありました。
 朝起きが苦手であった私にとって、その当時の当番は辛い作業でした。でも今はいい思い出となり、懐かしささえ感じます。寮生活で得た収穫は、なんと言っても寮生相互に語り合い、時には激論を交わしたことです。神学校の寮生活には、悪魔による誘惑が数限りなくあるようにも思います。自己主張、自己顕示欲、知識や自己の敬虔さを誇ることなど、日常性の中での自分の内面的闘いと思索は限りなく続いたものです。
 また一方、いつも生活の中でも神学的視点でものを見、考える習慣が身につき、霊的涵養を身につける絶好の機会となったのです。寮生活体験が私の人生の土台となっています。ですから神学生にとって寮生活は牧会者として立つための登竜門だと思うのです。

クリスチャンのライフカレンダー

 大好きである気持ちは前と少しも変わらないつもりなのだけれど、別れることにしたのは、僕のわがままでした。あなたがずっと僕を好きでいてくれるか自信がなくて、そう思いだしたら不安でいっぱいになって、失う辛さを考えずに手を離してしまいました。いつの間にかあなたの存在を当たり前と思い、あなたの存在に胸を高鳴らせたり、会うまでの時間をとても長く感じたり、忘れてしまったそんな気持ちを今頃になって思い出して寂しさを募らせる身勝手な自分を恥じています。
 「受けるより、与える方が」と聖書は言うけれど、僕は受けてばかりであなたを苦しめてしまいました。失ってはじめて、当たり前ではないあなたの小さな手や優しい声から伝わるあたたかさの大きさを思います。
 僕は受け、あなたは与えてくれた。ありがとう。ごめん。世界に一人しかいないあなたに、もしまた巡り会えるのなら、その時は手を離さず、受けることも与えることも一緒にしていきたい。

jelc.TV「LAOS講座」

日本福音ルーテル岐阜教会では、現在jelc.tvで放送中のLAOS講座を、インターネットが見られない会員さんにも気軽に見ていただけるように、DVDにして貸し出しています。LAOS講座以外にも、宣教室からこれまでにお送りした数々のDVDや、岐阜教会でのコンサートや神学生の説教等、30枚以上が揃った「貸し出し用DVD、CD」コーナーを常設しています。
 「ダウンロードすると画質が落ちるので、元データのDVDが欲しい」というPM担当員さんのご意見もあり、宣教室では、ご注文いただければ手数料のみで、元データDVDをお分けすることにいたしました。お問合せください。
■問合せ先(宣教室・乙守)■
 e-mail mission04@jelc.or.jp

※募集中/あなたの教会でのLAOS講座活用法も教えてください。

先輩からのメッセージ

3月末に引退された先生方からメッセージをいただきました。

いきいきとした教会に  宇野正徳

 「牧師が信徒を養い、信徒が牧師を育てる」。牧会生活43年を振り返り、わたしが牧師としてその務めを果たし得たのは、この言葉です。それは教会が一にも、二にもキリストの御言葉の上に立つからです。神の言を取り次ぎ、それに聴き従う牧師と信徒、それは二元的な関係ではなく相互的な関係であることを意味します。神の言に傾聴する両者がいてはじめて教会はいきいきとした教会となるのです。わたしたちの教会がそういう教会であることを祈るものです。

私は教会を信じます  北尾一郎

 復活された「キリスト」がなお「体」を持っておられることは、すばらしいことだと思います。キリストは生きておられるのですから当然なのかもしれません。
 ニケア信条によって告白しているとおり、「私は教会を信じます」。それは時と場所を超えた「見えない教会」であるとともに、今ここで私たちが属している日本福音ルーテル教会であります。私はこの教会を信じています。旧き良き仲間に感謝しつつ、新しい世代の仲間を主にあって信じています。

感謝   松隈貞雄

 定年を前にして、わたしは感謝でいっぱいです。杉山昭男先生、藤井浩先生、岸千年先生、大内弘助先生、ヘンシェル先生、吉永正義先生等よき師に恵まれました。岸先生が卒寿の祝いで、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」と叫ばれたお声は今も心に響いています。支えてくださった同僚の方々、ディアコニアでの交わりにも恵まれました。健軍教会、保谷教会、東京老人ホームの方々に育てられ、板橋教会、三原教会、福山教会の兄弟姉妹と共に教会の形成に励むことができました。ありがとうございました。

2007年度 牧師補研修

 2007年度新任及び牧師補研修(第一回)が、3月15~16日、ルーテル市ヶ谷センターにて行われた。
 新しく任地に派遣される神﨑伸牧師補と中川俊介牧師が対象となった。「日本福音ルーテル教会の教職、その責任と働き」を主題とし、「日本福音ルーテル教会宣教方策21について」、「日本福音ルーテル教会の牧師像」……などの研修を受けられた。

インドワークキャンプ

 2月18日~26日、第3回インドワークキャンプが開催された。「キリストの手足となる」をテーマに、19名の参加者が、インド北西のジャムケット村の施設「CRHP」に遣わされた。義足作り・農場での作業を中心に、小学校訪問、地域の村でのヘルスワーカーの働きの見学などを通して現地の方々と出会い、ふれあい、励まされ、また参加者間での分かち合いにより、信仰を深めた。
 現地の方の温かいもてなし、歓迎に心から感謝。インドで体験したことを伝え、インドの友のために祈り、また私達自身キリストの手足となり、一緒に歩むものとなりたい。

平和へ導く働きを知る

 カリタス・インターナショナルとACTの国際コミュニケーションチームによって作られた「ドゥルーイング・ダーファ」というDVDが届きました。これはダーファの国内避難民のキャンプの様子を映したものです。教会でこのDVDを用いて、多くの人に現状が伝わることを願っています。
 ご希望の教会また、お問い合わせは、広報室【koho04@jelc.or.jp】までお願いいたします。

神学生寮設置のためにのチャリティー・コンサートのお知らせ

日 時 2007年4月24日(火)PM6:30開場/PM7:00開演
場 所 ルーテル市ヶ谷センター
入場料 前売券 3000円 当日券 3500円(全席自由)
演奏者 湯口依子(オルガン)
■問い合わせ先■ルーテル学院大学神学校後援会事務局  TEL:0422-31-4611

千葉ベタニヤホーム「旭ヶ丘保育園・旭ヶ丘母子ホーム 児童家庭支援センター旭ヶ丘」竣工式

 3月18日(日)午後、地域のファミリーサポートの一大拠点を目指し、7階建ての新施設となった建物の竣工感謝式が、渡辺純幸副議長によって執り行われた。式典は三部に分かれ、県内外から多くの関係者のご参列をいただき、地域の期待の大きさを感じさせられた。新施設は「ノア・ホーム」と命名され地域に広く開放される予定である。

2007年度教職人事異動報告

第22回総会期第3回常議員会で承認された人事異動についてご報告いたします。
■人事異動
(2007年4月1日付け)
・重富克彦 札幌教会主任
・岡田 薫 札幌教会協力
 *札幌教会(旧札幌・新札幌・札幌北)組織合同のため
・田島靖則 雪ヶ谷教会主任
・松岡俊一郎 大岡山教会主任
・青田 勇 復活教会主任(兼)
・竹田孝一 名東教会主任(兼)
・末竹十大 名東教会協力(兼)
・白髭 義 三原教会主任、福山教会主任(兼)、松山教会主任(兼)
・高塚郁男
 →西教区と本教会で継続協議中
・谷川卓三 大江教会主任、宇土教会主任(兼)
■新任
・神﨑 伸(新任・牧師補)知多教会(東海教区)
・中川俊介(嘱託任用・再任)八王子教会(東教区)
■嘱託任用
・伊藤早奈 東教区付
・落合成光 挙母教会  
■牧会委嘱
・古財克成 釧路教会(更新)
 *但し、2007年4月30日まで
・中村圭助 板橋教会(更新)
・石田順朗 刈谷教会(更新)
・山本 裕 浜名教会(更新)
・戸田 裕 復活教会(新規)
・松隈貞雄 宇部教会(新規)
・早川顕一 聖ペテロ教会(更新)
・狩野具男 荒尾教会(更新)
・A・エリス 小国教会(更新)甲佐教会(更新)

(以下、2007年3月31日付)
■宣教師(退任)
・D.パーソン
・M.ベケダム      
・L.グリテベック
*新任はなし

■定年引退
・宇野正徳
・北尾一郎
・松隈貞雄

※敬称略

住所変更

■小泉 潤
〒520-0515滋賀県大津市八屋戸127-1

訃報

平井栄先生(引退牧師)が、3月7日(水)午前6時頃、召天されました(享年73歳)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

■お詫びと訂正■
 るうてる3月号、「信徒の声」のお名前に誤りがありました。
 正しくは『阿部』晴夫さんです。
 訂正してお詫びいたします。大変申し訳ございませんでした。

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