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バイブルエッセイ

立ち止まり、共に歩み出す

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコによる福音書2章13〜17節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

 与えられた御言葉には、主イエスが徴税人レビを弟子として招かれた場面が記されています。
主イエスの時代、ローマ帝国は、イタリア半島からパレスチナに至るまで支配圏を伸ばしていました。各地の権力者に統治を任せ、ある程度の自由と引き替えに上納金を課し、ローマ帝国からは監督者を配置するにとどめることで広範囲の掌握を実現していたようです。パレスチナ周辺の管理は、ヘロデ大王の3人の息子たちに任されました。そして、上納金の回収への怒りがローマに向かないように、ユダヤ人の中から徴税人が雇われたのです。

 ルカ福音書に「ザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」(ルカ19・2)とあるように、徴税人の中にも序列があったようです。定められた金額以上を集めれば、余剰を懐に入れることができるため、徴税人の頭は金持ちだったのでしょう。

 しかし、下っ端の回収者たちは、決して裕福ではなかったようです。決められた金額以上に回収しようものなら、民の怒りは真っ先に彼らにぶつけられ、それでも上乗せ分は頭に吸い上げられてしまう。同胞から「利子も利息も取ってはならない。」(レビ25・36)との律法に背き、異教の神を信じる外国人との交流を持つという理由で、宗教的な罪人と囁かれつつも、彼らは生きるために仕事を続けなければならなかったのです。
レビは「収税所に座っている」(マルコ2・14)とあるように、徴税人の中でも下っ端の回収者だったと考えられます。収税を理由に人を呼び止めることはできます。しかし、しぶしぶ税金を支払った人々が世間話をするはずもなく、日常でも、徴税人のレビと深く関わろうとする村人は極めて少なかったことでしょう。生きるために働こうとも、道端の石ころのように無視され、通り過ぎられる人生とは空しいものです。

 そこに、主イエス一行がやってきたのです。群衆が後に従うほど主イエスの噂は広まっていましたから、レビ自身も興味をもって様子を窺っていたことでしょう。すると、人々の注目の的である主イエスはレビの前で立ち止まり、なんと「わたしに従いなさい」(2・14)と招かれたのだというのです。

 通り過ぎられる日々の中で、たったお独り、自らの前で立ち止まり、共に一緒に行こうと招いてくださる方と出会った。この出来事が、レビを立ち上がらせ、彼の内に全て捨てて従う想いを起こさせたのだと受け取りたいのです。
罪人というレッテルを貼られた者と共に旅をし、同じ釜の飯を食うとは、主イエスもまた、今後の人生において罪人の一人として数えられていくということを意味します。それを御存知の上で、主イエスはレビの手を取られました。決して偶然の出来事などではなく、今後の人生を視野に入れた覚悟をもって、主イエスが彼を弟子として招かれたのだと気づかされます。このレビの召命の出来事こそ、社会の価値観とは異なり、神が彼を必要としておられること、そして、御国の宴に招かれることの証明であることを覚えたいのです。

 他の弟子たちは、主イエスの徴税人を仲間に加える決断を受け入れられずに沈黙しました。人が他者を罪人と定める時、その裏で、罪人ではない自分の評価が高められます。それは、他者よりも上に立つ「特別」こそ成功であるかのように語る競争社会の在り方と通じる理解です。

 しかし、人が人の上に立ち、下に置かれる者が押しつぶされる構造と対峙し、主イエスは十字架へと続く道を歩まれました。私たちは、通り過ぎるのではなく、立ち止まることから始められた主より学びたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

小倉教会、直方教会 牧師 永吉穂高

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