主の平安に満たされる
「だから、人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2・28)
私が遣わされている恵み野教会と函館教会は、特急に乗って4時間半以上かかるほど、互いに離れています。居住地である恵み野教会で土曜日に主日礼拝を守った後に移動して、日曜日には函館教会で主日礼拝を守るというのが、私に与えられたスケジュールでした。今のところは体力に恵まれていますので、移動が苦になることはあまりないだろうと考えていました。しかし、私はすぐに長距離の兼牧を担う難しさと直面することになりました。
4月4日(木)の夜、恵み野教会で迎える最初の主日礼拝の準備をしていますと、函館教会の方から電話がありました。それはその方の伯父の重体を伝える連絡で「今晩が山だろう」というものでした。できればすぐに出発したかったのですが、その日はすでに間に合う特急もなく、もどかしく夜を過ごしました。翌朝、この夜は持ちこたえたと連絡を受けて安心をしたのですが、すぐに出発すべきかの判断が少し難しくもありました。私はお見舞いに向かいたいと思いましたが、出発すると簡単に戻ってこられません。戻れなければ、恵み野教会は信徒礼拝となります。そんな私を後押ししたのは「私たちはこれまでも信徒礼拝をして、主の恵みに与ってきた。私たちは強いから大丈夫」という恵み野教会の方の言葉でした。函館に着くと、神様のご計画か、天に召される1時間ほど前にお会いでき、臨終を共に祈って過ごすことができました。
さて、イエス様は安息日規定に関してファリサイ派の人々と対決します。福音書には、ある安息日に弟子たちが麦の穂を摘み、イエス様は手のなえた人を癒したことが記されています。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」(出エジプト記20・8)「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」(出エジプト記20・10)という十戒の教えから、安息日は労働をしてはいけない日と定められていました。当時の規定に従えば、麦を摘むことは労働であり、癒しについても、命の関わる場合を除いて安息日にしてはいけない行為でした。ですから、ファリサイ派の人々の言い分は規定に適っていました。しかし、安息日の本質からは逸れていたのです。安息日とは、主が「祝福して聖別された」(出エジプト記20・11)日です。それは主の安息と祝福にあずかる日であるため、その規定によって苦しめられるのであれば本末転倒です。
イエス様は「人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2・28)と言われました。それは、私たちの安息がただイエス様のみから来るためです。私たちの安息とは、イエス様のもとにあるのです。キリスト教会では、主日に礼拝を守ります。主日にはイエス様の祝福に満たされ、安息に招かれています。その喜びが私たちの感謝や賛美となり、礼拝となるのです。
恵み野教会の方は主日礼拝に牧師がいること以上に、イエス様の平安が臨終の方と共にあるように祈ることを選びました。隣人を憂い、その命を尊ぶことこそ、イエス様が教えられた安息日でしょう。牧師はいられなくても、恵み野教会にはイエス様がおられたのです。私もまた、恵み野教会のことを安心して、委ねることができたおかげで、葬儀に心を注ぎ、平安を祈ることができました。さらに後日には、私は函館教会の方から恵み野教会への感謝の手紙を預かり、分かち合い、恵み野教会の皆さんはその手紙を読み、喜んでいました。
恵み野教会も、函館教会も私も慌ただしくなりましたが、平安に満たされた安息日を過ごすことができたのです。それはすべての教会に与えられている主日です。主の安息にあずかることによって、私たちは主の祝福を受け、平安に満たされているのです。
「主が彼らに言っておかれたことはこうだ。「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」と。」(イザヤ書28・12)
十戒の石板を破壊するモーセ
レンブラント・ファン・レイン1659年