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バイブルエッセイ

「我らの国籍は天にあり」

 「しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
(フィリピの信徒への手紙3章20節)

 今、私が住んでいる神水教会には、同じ敷地に社会福祉法人慈愛園があり、そのグランドの入り口付近には大きな十字架があります。クリスマスには、電飾が施され、キラキラ光ります。
 この十字架を建てたのは「愛献会」というグループです。それは慈愛園の創設者モード・パウラス宣教師に感謝し、その働きをおぼえ、伝えていくことを旨として卒園生の有志で作られた会です。
 この会の会長はIさんでした。天に召されて早10年たちました。今も生きていらっしゃったら、99歳になられます。Iさんは、生後9カ月で慈愛園子供ホームに預けられました。まだ3歳のIさんが背伸びしてピアノの鍵盤を触っている。それがまがりなりにもメロディーになっている。Iさんに音楽の才能がある事を、モード・パウラス宣教師は見ておられました。小学校を出られたあと、パウラス先生の勧めもあり、Iさんは千葉県の音楽学校に行かれます。ただ戦時下にあり中退を余儀なくされました。熊本に帰って来られ自動車整備工場や、県庁などでお勤めのかたわら、音楽仲間とバンドを結成して演奏活動も続けられました。また、晩年は高齢者施設で唱歌などの音楽ボランティアや、自身がお育ちになった慈愛園子供ホームの子供たちにピアノを教えるボランティアも続けられました。
 そんなIさんについて、びっくりする話をうかがいました。ダンスホールなどでの演奏後に、Iさんがよく立ち寄る屋台のおでん屋さんがありました。ひょんなことから、そのおでん屋のおかみさんが実の母親であることが分かったのです。何というめぐり合わせでしょう!彼女が17歳の時にIさんは生まれました。驚きつつ、「私が知らん間に連れていかれとったんよ」と教えてくれたそうです。
 思いがけない再会を果たしながら、Iさんと彼女は、その後も屋台のおかみさんとお客さんという関係でおられたらしい。「私のふるさとは慈愛園だし、私の母親は、パウラス先生だから」とおっしゃって。その後、1年半ほどしたころ、このおかみさんはご病気で召されました。
 実の母親との再会の中で、「私のふるさとは慈愛園」と言われたIさんは同時に、主を信じる信仰に生きられました。慈愛園はあくまで「地上のふるさと」であり、「本国は天」であることをよくご存じでした。そして幼い頃から「たかちゃん」と言ってかわいがってくれたパウラス先生を「お母さん」と呼んでおられましたが、本当の親は「わたしはいつもあなたと共にいる」と言われる主なる神様であることもよくお分かりでした。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
 当時ものをいったローマ市民権のことも、パウロの頭にあったのかもしれません。困難な日々の中で、その恩恵に与かることもあったでしょう。地上での生活は大事です。出会う一人ひとりとの関わりも尊いです。いろいろな意味の「家族」たちに助けられます。「ここも神の世界」ですから。
 その中で私たちには顔をあげて仰ぐ大いなる恵みが与えられています。「わたしたちの本国は天にあります。」墓碑などで見かける「我らの国籍は天にあり」の文語体表現も力強く、美しいですね。
 主イエスが救い主としておられる天に国籍を持つ私たち。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と言ってくださる御方を主と仰ぎ、天を本国とすることのゆるされた私たち。感謝します。
 みこころが天で行われるように、地上でも行われますように。アーメン

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