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バイブルエッセイ

真理はあなたたちを自由にする

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

(ヨハネによる福音書8章32節) 

 未曾有の感染症の危機に直面する中、自由を奪われたような毎日です。この暗闇の中で、イエス・キリストの言葉が光ります。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。
 この聖書の言葉は宗教改革日の日課にあります。宗教改革はおよそ500年前にヨーロッパで起きたキリスト教会の改革の出来事ですが、過去の話ではありません。信仰的な観点からは聖書を読む運動とも言われ、今なお続く改革運動だからです。その性質故に教派を超えたキリスト者の運動でもあります。このことを4年前の宗教改革500年記念事業を通して実感された方も沢山おられることと思います。

 福音書の日課において、イエス様はこの時、ご自分を信じたユダヤ人たちに向かって言いました。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。この後の議論を通して、イエス様は罪の奴隷という事実を明らかにします。これは、私たちの奥深い部分にある根本的な不自由さのこととも言えるでしょう。そもそも、人は皆、不自由。私たちの内にある傲慢さや自己中心、神様から背く思いが、私たちを平和とは逆の世界に縛り付けてしまいます。

 この罪の奴隷からの解放は、本当の自由は、真理、すなわちイエス・キリストによって、その言葉にとどまることにおいて与えられます。ローマの信徒への手紙3章22節以下には次のように記されます。ここでは聖書協会共同訳を引用してみます。聖書の言葉の味わいが深まるかも知れません。「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです」。

 キリストによって本当の自由を得た私たちはどうなるのでしょうか。宗教改革者マルチン・ルターは、聖書から深い考察を示します。私たちは、キリストの弟子となり、キリストの務めを与えられ、祭司とされる。それ故、神様の前に立つことをゆるされ、他者のために執り成しの祈りをする者とされる。イエス・キリストは私たちの心を解放し、他者のために祈り仕える自由を与えてくださったのです。だから、本当の自由を得た私たちは、キリスト者の自由に生きる者とされていきます。

 この約1年半、私自身も自由について考えさせられました。私たちの教会でも緊急事態宣言の度に会堂での礼拝参加の自粛をお願いし、集会を見送ってきました。信仰も命も大事ですと呼び掛けながらも、耐える期間が長くなるほど、思い通りにならない不自由さを感じてしまいます。しかしある時、私は、自分の想像を超えて教会員の方から励ましを頂くことがありました。礼拝の動画配信によって、ご自宅で、ご家族と教会のことを話せるようになったということをうかがったのです。その方は、長年、教会のことを話しにくい不自由さにありましたが、昨春から始めた教会の働きによって代弁者を得ておられました。私は、人の想いを超える神様の出来事を感じました。礼拝が、キリストの言葉が、1人の信仰者の心を解放していたことを教えられました。

 私たちの目の前には、依然として困難が横たわります。しかし、神様は私たちの想いを超えて働かれます。イエス様は「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と約束します。今なお、聖書を読む運動の道半ばにいる私たち。その道しるべは、イエス・キリストの言葉です。願わくは、私たちが、イエス様の言葉にとどまり、本当の自由を得ることができますように。そして、他者のために祈り、仕え、この世に平和を成す者とされますように。

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 小澤周平

photo/ワイマール・聖ペーターとパウル市教会の祭壇画、ルーカス・クラナッハ(子)作、1555年

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