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るうてる2025年

るうてる2025年8月号

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「もう少し、できることもあるのでは」

日本福音ルーテル稔台教会・小岩教会牧師 内藤新吾

「主は多くの民の争いを裁きはるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。」(ミカ書4・3)

 第2次世界大戦後80年、広島と長崎への原爆投下より80年の8月を迎えています。世界に戦争や紛争、また核の脅威が続いていることは、本当に嘆かわしいことです。人類は何と愚かな存在かと、つくづく思わされます。しかし、それでも私たちは、神様の願われている世界へと、歩みを進めていかなければなりません。
 るうてる8月号巻頭説教に、平和の主日の旧約聖書から一つの節を記させていただきました。ミカ書4章3節です。日課は1節〜5節ですが、3節が皆さんにもピンとくるのではないでしょうか。これはイザヤ書2章4節と同じ内容です。もろもろの国と民に対する主の教えは、戦争をするなということです。戦争は主の喜ばれるところではないということです。簡単明瞭です。どんなに戦争について正当な理由付けをしようと、そんなものは通じません。戦争は、もし起きてしまっても、即座にすべきことは、関係国すべてが自分たちは愚かであったことをざんげすべきだということです。そして、一刻も早く戦争を止めるための最善の努力を、解決に至るまで、世界も共にすべきだということです。
 私たちの国は先の大戦にて特に、大変深い罪を犯しました。国の過ちは国民一人一人の過ちであり、キリスト者の責任も重いです。だからこそ私たちは「宣教百年」のとき「信仰宣言」を採択し(1993年8月)、次のように告白したのではないでしょうか。
 「主はこの世界の創造主であり、歴史の支配者です。この主が、私たちにキリスト者としての使命をお与えになりました。しかし今、近代日本の百年余に重なる私たちの教会の百年の歴史を省みるとき、主のみ言葉に聴き続けえなかったことを、深い痛みの中でざんげします。とくに、第二次世界大戦を含め十五年戦争のあいだ、私たちの教会は神のみを神とする十戒の第一戒を守り抜くことができず、また平和を実現するようにとの主の戒めを生きることができませんでした。(中略)行なうべきではなかったことを行なってしまった罪と、行なうべきだったことを行なわなかった罪とを、神と隣人の前に、とりわけアジアの人々の前に犯しました。(中略)私たちはこれら全てを主のみ前に心よりざんげし、主と隣人の前に赦しを願い求めます。」
 そして、宣言の最後の段落で、次のように決意表明しました。
 「私たちは、教会に対する責任のみならず、神の国を地上にもたらすためにこの世界に対してもとりなしの祈りと働きを神から託されています。すなわち、神によって与えられたいのちを守ること、正義と平和の実現、全ての人々の和解、全ての被造物が創造の目的にかなって完成されることのために努力します。」
 私は、この団体が、口だけではなく、信仰の表出である行いにおいても、証の立てられることを願います。聖書には「あなたがたはその実で彼らを見分ける」(マタイによる福音書7章20節)とあります。また、平和の主日の福音書日課でも主イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハネによる福音書15章12節)と言われていますが、恵みとまことに満ちた主イエスに倣う歩みを、私たちは真剣に求めていく必要があるように感じます。毎週、ざんげ告白は聞きますが、組織全体としての悔い改めにふさわしい実はあったでしょうか。そうは思えません。また、たまに全国総会で社会的声明の採択もありますが、どれだけ具体的取り組みがされたでしょうか。皆、組織維持で終始です。主はそれでも私たちを受け止めてくださっていますが、もう少し、主の喜ばれることもできるのではないでしょうか。
 世界で起きている悲劇に対しても、私たちは主が決して喜ばれていないと感じることについては、もっと強く、そして何度も、声を上げていくことが大事ではないでしょうか。他にも同様に、期待されていることがたくさんあります。虐げられた人を解放する主の働きに連なることは、実は私たち自身をも解放していくのです。主と共に行きましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(65)「いつも共に」

「神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」」(出エジプト記3・12)

 「よく何年も書けますね、そんなに書くことありますか?」
 こう聞かれた時すぐに私は答えました。「あるんですよ」。
 これはどうしてだろうと考えていたら、急に久しぶりな方から手紙がきたり、読んだ文章から語られたり。不思議ですよね。あれ。似たようなことを何年か前に言われたことがあったような気がするなぁ。あの時は礼拝で語らせて頂く説教を読まれた方からの反応でした。
 でも、もしお聞きする機会があったとしても、あなたから牧師に「先生、毎週、毎週よくネタがつきませんね。」なんてお聞きしませんよね。そうです。いつもいつも語られるのです。私はよく「神様はあなたと共におられます。同じように私とも神様は共におられます。」と語ります。
 でも、なんとなく「目には見えないかたちでいつも神様に包まれているのかな」と思っていました。神様が共におられるから気づきが与えられます。神様が共にいてくださるから語ることができるのです。これらの文章も礼拝の説教も、うまく言えませんが「神様があなたと共におられる」という一つのかたちなのではないでしょうか。もちろんこの文章を読まれているあなたとも。
 礼拝で説教を聞いておられるあなたとも、神様は共におられます。たとえ、お一人お一人が違うように気づかれたとしても神様は同じです。同じ神様があなたと共におられるのです。み言葉につまずいたら心で祈ってみてください。必ずあなたと共におられる神様が語られます。あなたに。

「全国の教会・施設から」㉗

日本福音ルーテル都南教会
大久保延子(日本福音ルーテル都南教会信徒)

 都南教会は1942年平井清牧師の下、宣教を開始しました。終戦後、地域に幼稚園をという地域住民の願いと、当時牧師であった田坂惇巳牧師のキリスト教保育を地域の子どもたちにという祈りが重なり、1956年都南ルーテル幼稚会(未認可)が開設されました。1995年に閉園されるまで、地域の幼稚園として小さいながらも多くの卒園生を送り出しました。
 今でも幼稚園の卒園生が教会に連なっており、その思いは神様が今なおつないでくださっていることを覚え、感謝いたします。子どもたちは教会学校へ、保護者の方は教会へと導かれました。また、幼稚園で行っていたバザーは保護者の方々の協力をいただいて、教会主催のバザーとして継続、地域の方々との交わりの時を持つことができました。昨今の感染症によってバザーは中止せざるを得なくなりましたが、神様の恵みは次へとつながっています。幼稚園出身の若い教会員が中心となり、教会の老若男女を巻き込んでバザーは新たに「ルーテル子どもまつり」として生まれ変わり、今年は3年目の準備が始まっています。子どもたちを中心とした地域との交流の場、会員同士の交流の場となっています。
 都南教会は聖歌隊の活動も盛んです。隊員は教会のさまざまな役割も兼ねているため、わずかな時間でハードな練習をしています。昨年からはキッズの聖歌隊が一緒に賛美するようになり、教会の喜びとなっています。
 教会の入り口にはぶどうの木があり、フェンス沿いにその枝を伸ばし、豊かな実を付けます。教会員の楽しみの一つです。
 2022年10月には宣教80周年を迎え、感謝の記念礼拝をもちました。神様に見守られ、イエス・キリストに繋がり、それぞれのよき実を結ぶことがかなった幸いを喜び合いました。これまでの恵みに感謝し、これからも神様のもと一つとなり、励まし合いながら、先達の思いを受け継いでこの地で福音の宣教をしていきたいと思います。

キリスト教児童福祉会 児童養護施設 広安愛児園
小澄康彦(広安愛児園園長)

 広安愛児園は、今年創立77年を迎えました。9年前の熊本地震では、広域避難所として当園の敷地を開放し、避難してきた方々に対する支援を行いながら、施設で生活する子どもたちとともに大きな困難を乗り越えました。建物は鉄筋コンクリート造ですから、現在もそのまま使用することができています。
 本園の創立者であるモード・パウラス先生は、小舎制(現在は1ホームの中に6名の子ども)による2歳から18歳までの男女が一緒に暮らすという家庭的な養育を基本としました。この養育に対する考えは、先生が過ごされた幼少期のクリスチャンホームとしての心温まる家族体験に基づいています。
 本体施設には4つの小舎があり、これに加えて地域小規模児童養護施設(分園型小規模グループケア)として、近くに3つのホームも運営しています。
 施設に入所する子どもたちの中には、深刻な虐待を受けたことによるトラウマ(心的外傷)を抱えた子どもや、虐待によって発達に影響を及ぼしてしまうケースも少なくありません。専門的な病院や相談機関などとも連携し、支援にあたっています。
 対人援助技術やケースワーク等の専門的知識を得ることは大変重要なことですが、一方で、そういった知識だけではどうにもならないことを支援の中で感じることは少なくありません。生きることに困難さを抱えた子どもたちの支援を、人間の知識だけで乗り越えることは不可能です。
 当園に設置されている委員会のひとつである「聖書の学び委員会」は、それこそ人知では到底計り知れない神の計画、そして恵みと平安とがあることを思い出す手助けを担っているように思います。
 支援の行詰り、職員の担い手の不足、想定できない突発的な事案等々。子どもたちだけでなく、施設も多くの困難を抱えていることはまさしく「ともに歩んでいる」ことの証ではないでしょうか。
 当園への温かいご支援に感謝しますとともに、引き続き祈りに加えていただきます様お願いいたします。

改・宣教室から

永吉秀人(総会議長)

「過ちは繰り返しませぬから」
 戦後80年を迎えました。戦争により失われた人命を覚え、神のみが与え得る魂の平安と遺族への慰めをお祈り致します。
 本文章の表題とした「過ちは繰り返しませぬから」とは、1952年に広島平和公園の建設に伴って作られた原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」の一節です。その歴史を垣間見ると、碑文にある「過ちは繰り返しませぬから」の主語が誰であるのかが長く議論されてきたことを知らされます。当時、広島市長からの依頼で碑文を作成したのは広島大学英文学教授の雑賀忠義氏であったといいます。雑賀教授は、その英文の主語として「私たち」を用いておられ、すなわち「私たち世界の人々」のこととして碑文には高い理想が込められていることを知りました。
 さて、日本福音ルーテル教会では、1985年7月より韓国ルーテル教会との宣教協力の検討が始められ、議長会を通して日本におけるルーテル四教団での取り組みとして呼びかけられ、その結実として1989年4月18日にルーテル四教団での韓国ルーテル教会への公式訪問が実現しました。その訪韓の際、京畿道水原にある提岩里(チェアムリ)の教会を訪問したのです。
 1919年4月15日、時は第1次世界大戦後まもなく、チェアム教会で事件が起こります。当時、日本統治下の朝鮮半島全土では朝鮮人による三・一独立運動が起こっており、日本軍・警察官らが独立運動の首謀者とみられる23名をチェアム教会に閉じ込めて射殺し、民家も含め焼き払ったという事件。その真偽は、2007年に当時の朝鮮軍司令官であった宇都宮太郎日記が岩波書店から刊行され、事件の隠蔽と矮小化の事実が明るみに出ています。
 1989年4月のチェアム教会訪問時、私たち一行は1919年4月のチェアム教会焼き討ち事件からの生き証人であるチョン・ドンネ(田同禮)さんと面会し、一人一人握手を交わしました。ドンネさんの手からは、「してしまった者へのゆるしのあたたかみ」をいただきました。私から応え得る言葉は一つのみ、「過ちは繰り返しません」以外にはあり得ませんでした。

アメリカ福音ルーテル教会
サウスカロライナシノッド訪問報告

河田礼生(日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師)

 6月11日〜16日の日程でアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のサウスカロライナシノッド(日本でいう教区)を訪問しました。今回の訪問はシノッドアセンブリー(教区総会)と、その中で行われたサウスカロライナシノッドの福音宣教200周年の記念式典への招待を受けてのことです。訪問団は滝田浩之牧師を団長として、九州教区から池谷考史牧師とネルソン・デイビット牧師、東海教区から笠井春子牧師、東教区から秋久潤牧師と信徒として和田めぐみさん、北海道特別教区から河田礼生の7名でした。
 サウスカロライナシノッドは、日本におけるルーテル教会伝道の始まりを担った宣教師である、シェーラーやピーリーを派遣したアメリカ南部一致シノッドの流れをくんでおり、私たちの原点のひとつです。現在でも協力して宣教を行っております。
 現地では、トム・カッセム牧師と日本福音ルーテル大江教会出身で、現在はELCAの牧師である安川美歩牧師をリーダーとしたタスクフォースの方々が迎えいれてくださいました。宿泊場所から懇談会、観光までコーディネートをしてくださり、アメリカが初めての私でも安心して過ごすことができました。
 今回のアセンブリーの主題は“Our Heritage,Our Hope”(私たちの遺産、私たちの希望)であり、歴史を通して、今を見つめ、未来を見据えていくことが繰り返し強調されていました。私たちの教会も5月に行われた第31回定期総会の議長報告で「宣教において困難ではない時代はなかった」ことを確認いたしましたが、サウスカロライナシノッドでも多くの困難や教会自らの欠けを抱えながらも、聖霊に助けられてこれまでの宣教が守られてきたのだから、これからも聖霊の導きに委ねていくのだとお話しされていました。
 抱えている宣教の課題は似たようなものもあれば、そうではないものもあるけれども、向き合い方は同じです。課題にぶつかった時には、主に委ね、祈りのうちに取り組んでいこうと私自身も奮起させられる機会となりました。
 アセンブリーを終えて、15日(日)の主日にはチャールストンにあるセント・ジョンズルーテル教会へ伺いました。セント・ジョンズ教会は日本へシェーラーを派遣した教会です。歴史が長くELCAのなかでも最初期から用いられていたようです。国を越えて一つの教会として祈り、賛美できる恵み深い時間を過ごしました。礼拝後には、食事会も開いてくださり、ごちそうを囲んでの良い交わりもできました。
 他にも壮大な開会礼拝、アセンブリーの副議長選挙で感じた教会員の熱心さ、プランテーション農園の見学、懇談会で議長補佐の牧師とオンラインの用い方についてお話ししたことなど、書きつくせないほどの経験をしてまいりました。今後もお互いのために祈り、励ましあう交わりを保っていきたいと感じます。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師・世界宣教主事)

ニケア公会議1700年記念に向けて

 西暦325年、キリスト教会史上最初の世界教会会議がニケアで開催され、ニケア信条の原型が誕生しました。今年2025年は1700年目にあたり、キリスト教信仰の根幹を支える三位一体を告白するニケア信条に、今新たな関心が集まっています。現代の私たちが信仰告白をすることの意味について礼拝学が専門のランゲ教授が語るメッセージをかいつまんで紹介します。
 WCC(世界教会協議会)とカトリック教会が中心となって毎年発行する「キリスト教一致祈祷週間」が選んだ2025年のテーマは、「あなたはこのことを信じますか」(ヨハネによる福音書11章26節)です。これはイエスがマルタに投げかけた問いです。委員会は次のように説明します。「このイエスのみことばが心に響いたとき、第1世代のキリスト者たちは無関心に聞き流すことはできませんでした」。この指摘はニケア公会議1700年記念に向けて現代の私たちにも当てはまりませんか?全人類とすべての被造物のいのちのために、神が計画なさったみ旨を知っておきながら、黙っていられるでしょうか。「わたしは復活であり、命である」。イエスはそう仰ったのです。
 マルタへの問いかけ「あなたはこのことを信じますか」は、私たちへの問いでもあります。そもそもこれは個人的な信仰応答ですが、同時に共同的であり信仰告白として典礼の一部なのです。私たちは信仰の共同体として、共にニケア(コンスタンティノポリス)信条を「私たちは信じます」と告白するのです。
 神が命を与えその源であり、死に勝利なさったことを私たちは信じています。今日死は、単に地上での肉体の滅びというだけでなく、さまざまなかたちをとっています。命を粗末に扱う戦争という傲慢、暴力による苦痛、移民や難民に向けられる敵意、一部の人の成功と富の蓄積から生じる格差、うそ、間違った告発、隣人への猜疑心などとなって死が見られます。
 「あなたはこのことを信じますか」。ラザロの死に際してイエスが投げかけたこの問いが、信仰告白を呼び起こします。アウグスブルグ信仰告白もその一つで、ニケア信条などの古代信条を踏まえて「私たちは信じます」と告白します。
 「あなたはこのことを信じますか」。イエスは、現代の死と向き合う私たちに問いかけています。信仰を告白するとは、今日、人間社会にまん延するさまざまな死を、名を挙げて指摘することでもあります。死と直面すること、そして福音を指し示すことです。アウグスブルグ信仰告白が示す如く、「福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って正しく執行される」こと。福音のみを指し示し、他に何も付け足さないこと。信仰を告白するとは、人間社会がすぐにつくりたがる障壁や監獄を取り壊し、人類とすべての創造を解放へと導く神のわざを指し示すことなのです。

https://lutheranworld.org/blog/week-prayer-journey-sources-our-faith

ルーテル世界連盟(LWF)世界宣教協議会報告

宮本新(日本ルーテル神学校校長)

 ルーテル世界連盟(LWF)は、6月18日〜21日に世界宣教協議会(Grobal Mission Consultation Taiwan 2025)を台湾にある信義神学院(台湾ルーテル神学校)を会場に開催した。四つの地域(アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパ)から30名ほどが参集し、次の会期(2030年〜)の宣教文書(教会の宣教方策などの基礎資料になる文書)の策定作業に着手した。
 宣教のふり返りは広大な海を眺めることに似ている。一見するとすべてが宣教でありその広がりは限りがない。しかしいったんそこに身を浸すならばさまざまな潮の流れがあり、浅深の違いもある。それぞれの地域や人が祈りを込めて取り組む課題も同じとは限らないからだ。アジアやアフリカ、グローバルサウスからの声は、情勢をめぐる切実さと教会の勢いと相まって熱のこもったものがあった。他方で長らく教会が低迷し、教会と社会とのかかわりが問われてきた欧州はじめ諸教会の宣教課題も重くまた深いものが感じられた。協議会の担当者はその準備に2年を費やしたというが、多様な教会を背にして一体感をもって取り組むためにはその進め方と観点整理に多くを費やしたに違いない。
 とりわけプログラムの進行方法には新たな工夫がみられた。講演や発題といった伝達型のプログラムを最小限に切り詰め、相互の状況を分かち合い意見が積み上げられるようなワークショップが中心になっていた。それだけに入念な準備があり話し合いのルールの明確化とその順守が参加者にも求められていた。こうしたプログラムの配分とバランス感覚はLWFの長年の経験に由来し、印象深い協議会の一コマでもあった。
 もう一つの印象は、それだけ多様で入り組んだ状況の観点整理の丁寧さにある。JELCにかぎらず世界各地の教会は、19世紀〜20世紀にかけての欧米からの世界宣教にルーツを持つところが少なくない。そこでアメリカと日本というように一対一で宣教や神学を語る習慣がある。東西冷戦や南北格差というように二つに分けて考える習慣に似ている。他方で、今日の宣教の広がりや相互の結びつきはもはやそれでは汲みつくすことができない様相があり、全体を理解するために濃淡さまざまな関わりと相互理解が欠かせなくなっている。宣教もまた複数のネットワークと相互理解が求められている、ということになるだろうか。
 協議会のゴールは2004年に策定された宣教文書の四半世紀ぶりの更新作業であり、さらに次のひと世代を見据えた宣教の方向性を見定めようとしている。その取り組み自体が息の長い宣教とその取り組みの性質を物語っている。今回は「希望」を主軸にして諸教会が互いを理解し、宣教の励ましとすることを世界各地の教会に呼びかけることになる。JELCもまた150の加盟教会の一つであるため、これが自らの宣教の励みとなることを祈りとしたい。

第31回総会期第1回常議員会報告

李明生事務局長(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 6月9日(月)、日本福音ルーテル教会常議員会がオンライン(Zoom)によって開催されました。以下、主な事項について報告いたします。

第31回総会期諸課題の件
 報告事項のはじめに永吉秀人総会議長より、議長報告として今期の諸課題について取り上げられました。今後の検討課題として、今後数年以内に教職50名体制となることを踏まえつつ服務規定、教区内の個々の教会の連携のあり方、全体の財務計画における収益事業の位置づけについての整理、教職給のあり方、教職養成の今後、信徒の働きについて、などが挙げられました。
 この議長報告を踏まえて、協議事項において今総会期の諸課題についての意見交換が行われました。
 戦後の日本福音ルーテル教会の教勢の推移を振り返りつつ、40年程前には牧師・宣教師合わせて約170名の体制で担われていた事柄を現在では約3分の1の教職者数で対応していることが再確認されました。また信徒の働きの重要性について、そして宣教の現場である個々の教会を支える全体教会の体制のあり方についての検討が必要となっていることを共有しました。過去の日本福音ルーテル教会における収益事業の位置づけについても振り返りがなされました。
 今回の常議員会での意見交換を通して出された事柄は、今後整理され取り上げられていくこととなります。

事務局室長・主事任命の件
 前期に引き続き、総務室長・管財室長に滝田浩之牧師、宣教室長に小泉基牧師、広報室長に竹田大地牧師、世界宣教主事に浅野直樹Sr.牧師、加えて今期より世界宣教主事補佐として高村敏浩牧師が選任されました。

次回常議員会日程の件
 次回常議員会は、11月10日(月)〜12日(水)、ルーテル市ヶ谷センターにて対面での開催が承認されました。
 その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

2025年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

2025年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を以下要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の牧師』を志願するのか」
書式 A4横書き 2枚 フォントサイズ11ポイント

◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を自筆で記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会 総会議長 永吉秀人宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2025年9月12日(金)午後3時までに教会事務局へ提出すること
・個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
・国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します

以上

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