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るうてる2024年

るうてる2024年07月号

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 「普通の人を遣わし、奇跡を起こす神様の神秘」

日本福音ルーテル宮崎教会・鹿児島教会牧師 デイビッド・ネルソン

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩編23・1)

 皆様はじめまして。デイビッド・ネルソンと申します。今年の3月に日本ルーテル神学校を卒業しました。3人の同級生と共に3月に按手を受け、4月から日本福音ルーテル教会の宮崎教会、鹿児島教会の主任牧師となりました。念願の目標だった、日本福音ルーテル教会の牧師になれたことを大変喜んでいます。
 牧師になることは神様からの「召命」によるものなので、JELCの牧師になるのが「目標」だったという言い方は不適切かもしれませんが、私たちはルター派のクリスチャンです。同時に救われたものでありながら、罪人です。信仰心の部分だけが清い美しいもので、この世的な部分が汚れたものというふうに奇麗に分かれていません。全てが清いものと汚れたもののミックスです。牧師になりたい志も罪に満ちたものです。

 しかし、ストーリーはそこで終わりません。欠けた器である私たちは神様の導きにより、遣わされるのです。神様は私たちの誤解や勘違いなどをそのまま野放しするのではなく、羊飼いとして私たちを導き、御心にかなう御国造りのために遣わします。普通の水、普通の器、でもイエス様が一緒だと、カナの結婚式に奇跡が起こりました。私たちも一人一人、つまらない願望、つまらないモチベーションをいっぱい持ちながら目標や夢が形成されます。しかし、イエス様が一緒です。迷える羊に、信頼できる羊飼いが付いています。ですから、奇跡が起こります。「奇跡」というのはスプーンが曲がる、みんなをビックリさせるようなサーカスのショーのようなものではありません。奇跡は神様がこの世においてなさる業です。特に、心の奥の深いところになさる業です。憎しみや嫉妬の心が寛大な心に。がっかりした心が生き生きした希望に。これが福音の美しさ、福音の力だと私は信じます。

 私がイエス様を信じて生きたい気持ちを持っているのは父リチャードの影響が大きいと思います。父リチャードは牧師であり、宣教師であり、教会の中でも、家の中でも、裏表のない、純粋な素直な信者でした。優しい、思いやりのある人でした。そんな環境で生まれ育つと、同じ信仰を共有したい気持ちになるのは当然のことでしょうね。ですから、私は自分で選んで、信じるものになったのではなく、単に選ばれたものです。

 しかし、父リチャードが1953年に日本で伝道をはじめた時、最初は大変だったそうです。住む場所、礼拝を行う場所、なかなか借りることができませんでした。知り合いや紹介者が1人も居らず、らちが明かなかったようです。その状況がしばらく経つと、がっかりして、焦りました。伝道師としての成果が全くない、最初の一歩も切り開けない惨めな時でした。しかし、絶望のどん底の暗闇の中に、突然に打ち破る光が訪れました。まともな日本語ができない、アメリカの田舎町から来た不器用な20代の伝道師の青年に助けの手を差し伸べる日本人が現れました。その方は、公立の施設の施設長でした。幼稚園が付いていて、日曜日は使ってないので「どうぞ礼拝のために使ってください」とのことでした。その方はクリスチャンではありません。多分「宗教」にも興味なかったと思いますが、聖書の話を聞いて「何かいいものがある」と感じたのでしょう。普通の人、普通の戸惑い、でもイエス様の導きにより奇跡が起こり、伝道のチャンスが生まれました。

 私は宮崎教会、鹿児島教会という二つの歴史のある教会の主任牧師となりました。両教会は10人前後の小さな群れになっています。ここに教会が存在し続けているのは、この小さな群れが教会を懸命に守ってきたからです。こうした粘り強い信仰心を持つ方たちと一緒にこれからの教会を考え、形成していけることは光栄なことであり、ワクワクします。私たちの羊飼いの業に期待しながら、南部九州の伝道に励みたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(52)「美しい声」

 「新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。」詩編33・3

 うゎー奇麗な声、久しぶりだな。どこで鳴いているのかしら?でも見たくてもカーテンも開けられない。なぜって小鳥が音を聞いて逃げてしまうかもしれないから。同じ気持ちなのかガラガラガラガラとお隣で戸を開ける音がしました。そうだよね姿が見たいよね。初めは久しぶりに聞こえるその声に耳を澄まして喜んでいました。翌日もその翌日も毎日毎日しかも一日に何回も。耳を澄ましていた私はそのうちその声がうるさくなっていました。そのような自分に自分で驚き呆れてしまいました。あんなに珍しくて奇麗な声だと思い耳を澄ましていたのにうるさいと思うようになってしまうのだなと。
 もしかしたら一生懸命耳をすまして集中していたからかもしれないなとも思っていました。そのうちうるさいと思っていたその鳴き声が聞こえなくなったとき今度は心配になり始めたのです。
 珍しいと思って喜んでいたものが煩わしくなりいざ無くなると心配になる。この三つの思いはただ一つのことなのにと思うと自分で驚きます。よく考えると私も同じようなことを行っているような気がします。神様にです。毎日毎日同じような祈りをささげています。神様は心を傾けて聴いてくださいますが、一度もうるさいとは思われません。そして声がしなくなる前から一人一人に心を配られておられます。小鳥の鳴くのは私のためではないのに小鳥の鳴き声から感じた一つ一つが、神様から私に与えられるメッセージとして聴こえてきます。

「全国の教会・施設から」⑭

日田ルーテルこども園 真木逸子(日田ルーテルこども園園長)

 九州のおへそと言われる大分県日田市の中央部に位置する当園は日本福音ルーテル日田教会のすぐ裏手にあり、渡辺潔牧師の時代に県から認可を受け今年で創立72年を迎えます。60年前真木政次牧師の時代に、日田市中城町から当時田んぼや畑ばかりのこの地、三本松町に広い敷地を探し教会・幼稚園共に移転し、新たな礼拝堂・園舎を建て地域に根差した幼児教育を行ってきました。
 その幼児教育の歴史の中で多い時には幼稚園時代260名の園児を有する時代もありましたが、時代の変化に伴い2012年幼稚園型認定こども園認可、その後2020年卒園・在園児関係者の署名を集め隣接地購入が実現し、57年間園児が増える度に建て増しを繰り返し、老朽化し、お世話になった旧園舎の建替えの機会が与えられました。建替えにあたって200名の大切な在園児が安全に園生活を送りながら新園舎へ移れるよう3階建てを計画するにあたり、今までの『幼稚園型認定こども園』では制度上建てられず、将来を見据えこの機会に『幼保連携型認定こども園』の申請も同時に行い、1階を1歳児~2歳児の4教室と職員室・事務室・厨房、2階を3歳児~5歳児の7教室、3階をホールや収納庫等、西側の既存園舎の1階に0歳児教室・職員更衣室・園長室、2階に子育て支援ルームを置いて、子育て支援にも力を注いでいます。
 現在、定員200名に対しそれを若干上回る園児が在籍し、若いチャプレンの関満能牧師の毎週月曜日の子ども礼拝・職員聖研を礎に、総勢52名の職員で日々神様からお預かりしている大切な子どもたち、保護者と共に、個々の生活に寄り添ったより良い育ち・教育を毎朝の祈りに合わせ、私たちの足りないところは神様にお任せしつつ、『安全・健康・心ゆたかにたくましく!』をモットーに、これからも神様の愛を伝え続ける施設として元気に地域に愛される幼児教育・保育を展開していきたいと思います。どうぞ皆さん、遊びにおいでくださいね!

唐津ルーテルこども園 佐々木なほみ(唐津ルーテルこども園園長)

喜び・祈り・感謝して

 唐津ルーテルこども園は、1953年に唐津ルーテル幼稚園として創立されました。当時、唐津市内には市立幼稚園があるのみで幼稚園に入れない子どもがたくさんいました。唐津ルーテル幼稚園の開園は唐津の方々に待望され喜ばれたそうです。創立当初から諸先生方は幾多の困難の中でも常に祈り、大切な幼児教育の道を歩んで来られたと聞いております。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10・14b)イエス様は、子どもたちを抱き上げて祝福された。この聖句からの理念が先生方を支えたのです。
 1986年に学法化、1991年には園舎改築、変化する社会情勢の中で新しい取り組みもありました。2012年に隣接地を与えられ増改築をし、2013年には認定こども園としての歩みが始まりました。名称も唐津ルーテルこども園となりました。
 2023年には創立70周年を迎えました。神様の恵みの中で皆様の祈りと温かい思いに支えられその歴史の道を歩み続けております。一つ一つが今につながりそして未来へ。
 70周年には、記念講演会、マルシェ、公演、園庭に人工芝整備、バスの購入など喜びと感謝のうちに行うことができました。
 感謝礼拝は、今までの歩みをつないでくださった方々と現在の歩みを進めている方々一人一人がキャンドルを灯し、そのつながりを感謝し、祈りを共にいたしました。
 第1回卒園生の方の言葉「3月31日生まれの私を先生が優しく温かく見守ってくださいました。クリスマスキャロルの時に先生たちが家の前で賛美歌を歌ってくださったことを覚えています。結婚式はルーテル教会で挙げました。先生に結婚行進曲を弾いていただきました。幼稚園の時に先生が一生懸命教えてくださった“主の祈り“を60年経った今も覚えています。幼い時には意味はわかりませんでしたが、今、この年になって意味がわかるような気がします。」と“主の祈り“をはっきりと最後まで唱えられました。
 幼子の心に当時の先生たちが、心をこめて大切な教えを伝えられ、その心をしっかりと育まれているお姿と言葉が深く心に響きました。
 幼児期をどのように過ごすのか?は、後の生き方に影響を与えるといわれます。神様が一人一人を愛してくださっていること、命をくださったこと、自分を大切にするように人も大切にする心、祈ること。時代は変わり、環境が変わっても変わることのない大切なことをこれからも心をこめて伝えていきたいと思います。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

田仲洋介さん(ルーテル学院中学・高等学校副校長)

小泉 こんにちは。浅野聖子さんは、東京・山谷での炊き出しグループ、ほしくずの会に関わっておられると伺いました。どのような経緯がおありだったのですか?
田仲長年、会の代表を務めてくださった同じ教会の故赤間峰子さんを通して出会いがあり、東教区女性会によるボランティアの呼びかけもあって9年前から活動に参加するようになりました。

小泉今回は、ルーテル学院中学・高等学校の副校長の働きを担っておられる田仲洋介さんにお話しを伺います。副校長もなかなかの重責だと思いますが、もともとはどの教科を教えておられたのですか。
田仲はい、社会科ですね。東京の出身で、2001年の大学の卒業時に熊本に来て、九州女学院中学・高等学校から共学化するルーテル学院中学・高等学校に奉職したのです。校務では、教務や進路指導に長くかかわってきました。

小泉なるほど、先生はルーテル学院の良さを、どのようなところで感じておられますか?
田仲自由な校風と、生徒たちがみんな明るいところです。教員と生徒たちとの距離感が近いところも、ルーテルらしさだと思います。また学院では、この春から新しくインターナショナルスクール小学部を開校しました。そのことによって保育園・幼稚園から小・中・高校、そして大学・大学院と、総合学園として全人的な教育を担う体制が整ったことも学校の強みであり、嬉しいことですね。

小泉教員としての楽しさや難しさがおありと思います。
田仲難しいのは、生徒のためだと思って取り組んだことが、必ずしも生徒や保護者の方にとってよい結果を生むとは限らないことです。またその逆に、自分の何気ない言葉が生徒の心に残っていたりする。私立ですから卒業後長い時間が経っても、かつての教え子が訪ねてきてくれたり、関係が長く続いて「先生のあの言葉が、自分を変えてくれた」というような話を聞かせてくれると、大変な仕事であってもそれを越える大きな喜びを感じますね。

小泉先生はキリスト教とはどのように出会われたのですか。また大切にしている聖句があったら教えてください。
田仲中学校から大学までミッションスクールである立教に通っていたことが最初の出会いです。大学の時に彼女(現在の妻)に誘われて小石川教会の礼拝に出席し、教会学校を手伝うようになったことが受洗につながりました。愛唱聖句はマタイ7・7の「求めなさい。そうすれば、与えられる。」という箇所です。生徒たちにもよく話しますが、伝わりやすく、希望がもてる聖句だからです。
小泉ありがとうございました。これからも生徒たちの生きる力になるような教育を、よろしくお願いいたします。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ペースメッセンジャー・カンボジアが第5回国際研修開催

 「希望があれば平和は続く」。マルバ・ローゼンフェルトさんは、自身が教会で実践するプロジェクトをそう名付けました。

 ローゼンフェルトさんは、2022年の6月にジュネーブで開かれた青年のための国際平和メッセンジャートレーニングを受講し、教会に戻るとさっそくプロジェクトの起ち上げに取りかかりました。今年5月にはカンボジアルーテル教会(LCC)がホストとなって、第5回のメッセンジャートレーニングがプノンペンでも開催されました。LCCは今、LWFへの加盟を目指しています。

 このユース向けプログラムのねらいのひとつは、参加者が何か小さなプロジェクトを地元でやってみること。そこでローゼンフェルトさんは堅信を目指す子どもたちを集め、レクチャーやワークショップを行いました。マニュアルに従って、傾聴、共通点の発見、社会に働く力や人権がらみの問題点を分析し、解決策をクリエイティブに考えるといったスキルを身につけ、それを平和づくりに生かすことを目指しています。

 「私の平和プロジェクトのねらいは、ジュネーブで受けた平和のためのトレーニングを受講者にも経験してもらい、みんなにもその気になってもらうこと。明日をもっと良くするためにこれが大切だと思っています。出自がなんであれ、チェンジを起こす一人になれます。ピースメッセンジャーになるとは善いサマリア人のように、スウェーデン語でいう『良き仲間』のロールモデルになることです。その人がだれかということは関係なくです。」ローゼンフェルトさんはトレーニングを受けて、学びを共有することと問題解決に関わることへの責任感が芽生えたそうです。「私はピースメッセンジャーになって、世界のこと、人々のこと、そして平和な世界にするため何をすべきか、その知識と理解を得ることができました。」

詳細はこちらから

全国教師会・退修会 2024報告

坂本千歳(日本福音ルーテル八王子教会牧師 全国教師会役員)

 ゴールデンウイーク明けの5月13日~15日、小田原駅に近接したホテルを会場に、全国教師会退修会が行われました。対面での開催は、2017年に長崎で行われた宗教改革500年記念大会以来、実に7年ぶりのことでした。開会礼拝にあたり、松本義宣会長が説教の中で言われた、「長崎以降の7年間で、牧師の数が20名減っている」との言葉に衝撃を受けつつ、今、ルーテル教会が抱えている課題がここに表されていると感じました。
 牧師数の減少により、現職の一人一人に過重な負担がかかり、心身の健康を崩してしまうケースが相次いでいることを受け、「牧師の働き方について」(九州教区・熊本地区担当)、また社会一般には常識になりつつある育児介護休業を牧師たちも取得するための必要な手続きについて(東教区担当)、「神学校の今後について」(神学校担当)など、タイムリーな課題が現場や行政の執行部からシェアされ、活発に意見交換がなされました。
 それ以外にも、朝・夕の祈り、聖書研究が行われましたが、担当してくださった牧師たちの持ち味が存分に発揮され、改めて神様がルーテル教会に、個性豊かな人材を集めてくださっていることを感じました。
 今回の退修会には現職の牧師68名のうち、57名が参加いたしました。これは役員たちの予想を上回る参加率でしたが、多忙な中にあって、それでも何とか都合をやりくりして「集いたい!」という牧師たちの強い思いが現れた数字でもあったのかと想像します。COVID―19によってオンライン活用が進み、インターネットが、もはや主要なコミュニケーションの一つとなってはいても、やはり顔と顔を合わせ、互いの存在や呼吸、体温を感じつつ、発題者の生の声に耳を傾け、課題を共有し合い、共感し合うといった同じ空間の中に生まれるエネルギーや活気は、何ものにも代え難いものであると感じました。また、個人的には、二度の夕食時の交わりが大変な盛り上がりを見せ、明るく楽しく和やかな雰囲気に包まれていたことがとても印象的でした。皆が解き放たれ、喜びを共に祝っているかのような、恵みの祝宴でした。その席では、長きに渡ってルーテル教会を支えてくださり来年の春に定年を迎える先生方、またこの春から新しく牧師としての歩みを始められた先生方のご挨拶もあり、それぞれの味わい深い言葉に耳を傾けました。
 このように現場から離れ、仲間と課題を分かち合い、意見を交わし合い、また互いの置かれた状況に耳を傾け、ねぎらい合うことの大切さをつくづく実感し、2泊3日のプログラムを終えて帰路につきました。
 退修会に牧師を送り出してくださった教会のご協力に感謝します。また、様々なご都合のため、やむを得ず参加できなかった同僚の皆様のことを憶えます。
 来年5月の全国教師会総会でお会いできるのを楽しみにしております。

公益財団法人として歩みだしたJELA

古屋四朗(公益財団法人JELA理事長)

 JELAは、国から公益法人の認定を受けて「公益財団法人JELA」となりました。
 JELAの前身は、1909年に設立された「在日本北米南部ルーテル教会ユナイテッドシノッド宣教師社団」です。戦前はここから多くの教会や学校や施設を生み出しましたが、戦後は宣教師の活動支援だけが業務になりました。しかし、1990年代に、公益事業をする団体への転換を決断しました。難民に住まいを提供する「JELAハウス」や、若者に海外ボランティアを体験させるワークキャンプなど、次々に公益事業を立ち上げました。2009年には、「私たちは、キリストの愛をもって、日本と世界の助けを必要とする人々に仕えます。」というミッションステートメントを策定して、団体の進む方向を明確にしました。当時は教会の中で「社団」と呼ばれていましたが、広く社会に出て行くために、日本福音ルーテル社団の英語略称「JELA」を前面に出すようになりました。
 宣教師支援事業を教会に移管した2019年から、いよいよ公益法人への移行に取り組み、社団法人から財団法人に転換した上で、このほど公益財団法人として歩み出しました。団体名称は「日本福音ルーテル社団」から、「公益財団法人JELA」としました。
 公益法人は、公益目的事業を行い、その活動が社会全体に開かれている法人です。
 公益法人は、費用の5割以上が公益目的事業に支出されていることが必要です。「社会全体に開かれている」とは、団体の運営や活動が特定のグループや団体に影響されず、公益目的事業の受益が誰に対しても開かれているということです。
 JELAのミッションステートメントは、この公益法人のふたつの条件を良く示しています。「キリストの愛をもって」とは、人を一切偏り見ないイエス・キリストの姿勢を模範とするということで、それは「社会に開かれている」ということです。「日本と世界の助けを必要とする人々に仕える」とは、JELAの公益目的事業は、社会の弱くされている人々に向けられているということです。「キリストの愛をもって」を合言葉に、幅広い人々とつながる団体を目指します。

十一代目 豊竹若太夫 襲名にあたって〜五感のかなたへ

大柴譲治(日本福音ルーテル大阪教会牧師)

  「人生で、今がいちばん稽古しているんですわ」。教会員の林雄治さん(77歳、十一代豊竹若太夫師匠)の言葉です。20歳で文楽に入門、人形浄瑠璃の太夫として修行してこられました(23歳で受洗)。後継者養成や他ジャンルとのコラボ、海外公演にも積極的です。「80歳が自身のピーク」と公言しながら常に上を目指すその姿勢に私はいつも圧倒されてきました。師匠を背後で支える眞理子夫人の働きも忘れることはできません。『文楽・六代豊竹呂太夫:五感のかなたへ』(創元社・2017年発行)は文楽への良き入門書です。かつて「文楽は太夫と人形と三味線で三位一体ですが私はお客さんを含めて四位一体と思っています」と伺いハッとしたことがあります。礼拝も同じで、会衆が存在してこそ初めて礼拝になる。そのことはCOVID―19で痛いほど私たちが認識したことでもありました。
 大阪教会に着任した2016年に師匠は豊竹英大夫(とよたけはなふさだゆう)というお名前でした。2017年に六代豊竹呂太夫(とよたけろだゆう)を襲名、2024年4月に十一代豊竹若太夫(とよたけわかたゆう)を襲名されました。3月23日の大阪での襲名を祝う会には350名が出席し喜びを分かち合いました。おじいさまは人間国宝の十代目豊竹若太夫。師匠は若い頃から自分がキリスト者であることを公言し、1999年に『ゴスペル・イン・文楽』を創作。これは一つの信仰告白であり、キリスト教の日本文化内開花という面でも画期的な作品です。一部はYouTubeでも視聴可能です。ぜひご参照ください。

 2017年10月29日に大阪教会は宣教百年記念として上村敏文氏のご協力をいただいて『楽劇「ルター」〜文楽とルネサンス・ダンスの邂逅』を上演しました。
 今年4月21日には女性会の方々と国立文楽劇場での襲名記念公演に行きました。我が子に刃を向けるという悲劇的な作品を師匠は息もつかせぬほど鬼気迫る表現で演じ切られました。「人生で今が一番稽古している」。この言葉には大きなインパクトがあります。牧師は「み言の職人」ですが、私自身いくつになっても「今が一番鍛錬している」という姿勢をもって全力で聖書に向き合い、共に「五感のかなた」(天)を目指してゆきたいのです。
 文楽を通して神の愛を証しされているご夫妻の上に天よりの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。

TNG委員会ユース部門主催「青年の集い」開始

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師・TNG委員会委員長)

 TNG委員会ユース部門で新しい取り組みを始めます。目的は、COVID―19が落ち着いてきた今、全国の青年たちとのつながりを再び取り戻す機会を作るためです。
 毎月第2、第4金曜日、学校終わり、バイト終わり、お仕事終わりにふらっと集まり、み言葉に触れ、祈り、雑談し、ゲームをし、ご一緒に金曜の夜を楽しみたいと考えています。将来的には、zoomでのハイブリッド開催を考えています。
 開催の詳細については左記のとおりです。

日時・開催場所
①毎月第2金曜日19時〜21時
日本福音ルーテル大森教会
②毎月第4金曜日19時〜21時
日本福音ルーテル教会事務局会議室
対象・18歳〜35歳
担当・森田哲史
(日本福音ルーテル大森教会牧師)

 変更がありましたら、TNG委員会ユース部門公式Instagramにてお知らせいたしますので二次元コードを読み取りフォーローしてください。

山内量平探訪記⑦

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 明治15年、山内量平の妹の熊子は天に召され、季野は植村正久牧師と結婚しました。一方、ヘール宣教師は精力的に伝道を続けました。山本周作、大石余平など、伝道を熱心に手伝う信徒も出てきました。
 明治16年、量平は事業で大失態を犯して一気に家業が沈み、苦境に陥ります。ここで、熊子の一途な信仰と安らかな死に際の強い印象、また植村牧師から送られた書物などから、自分自身の救いが課題として胸に迫るのでした。
 明治17年5月、量平は、南部に来たヘール宣教師に会い、「自分はキリストから決断を迫られているのだが、それには酒造業をやめねばならないと思う。これは容易なことではない」などと話しました。
 量平は翌々日にも、へール宣教師が田辺での定宿にしている旅館・五明楼に、多くの質問を持って来ました。宣教師に同行していた新宮の大石余平が対応しました。
 余平は量平より5歳年下の30歳でした。彼は日本古来の宗教を否定し、キリスト教によらねば真の救いは得られないと熱心に論じました。神道・儒教の教養豊かな量平はいたく自負心を刺激されて、長時間の激論になりました。最後に余平が「人はみな罪人だ。失敬ながら貴下も罪人である」と言うと、量平は話を中断し、馬に乗って帰途につきました。余平はその背後から「量平の大悪人、男なら悔改めを敢行しろ!」と叫びました。

2024年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

2024年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を以下要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

           記
〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ
「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか ―あなたが考える宣教課題をふまえて」
書式 A4横書き 2枚
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を自筆で記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会 常議員会長 永吉秀人宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2024年9月13日(金)午後4時までに教会事務局へ提出すること

• 個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
• 国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること
〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

以上

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