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るうてる2023年

るうてる2023年03月号

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「わたしが示す地に、祝福の源として」

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会・知多教会牧師 後藤由起

主はアブラムに言われた。/「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12章1節)

 教会が置かれている状況の厳しさが叫ばれ続けるなか、さらにこの数年の新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、これまでどおりの活動を続けることが難しくなった教会も多いのではないでしょうか。またカルトやカルト2世の問題が取り上げられる今、わたしたちは伝統的な教会として、献金で成り立つ教会の活動についても、子どもたちへの次世代の宣教にも、より丁寧な対応と深い配慮、神学的な検証が求められているでしょう。まさに今は教会にとって、先が見えない不安のただ中にあるときではないでしょうか。しかしそのとき、わたしたちは一体誰なのか、そしてその行く先はどなたが備えるのかということをもう一度、確認したいのです。
 この箇所で語られているのは、イスラエルの祖先となったアブラム(のちにアブラハム)が神様の召しを受けて旅立ったということです。今から約4000年前のメソポタミア、現在のイラクのあたりの大都市で裕福な生活をしていたアブラムは、75歳になったとき、それまで知らなかった主なる神様に出会い、この神様を信じ、その言葉にしたがって行き先を知らずに旅立ちます。
 その神様のご計画は、地上の氏族がすべて祝福に入るということでした。この祝福をもたらすためにアブラムは召し出され、そして神様の救いのご計画は、やがて神の子イエス・キリストが来られることへと続き、今、イエス様を信じるわたしたちへと受け継がれています。神の民であるわたしたち教会は、神様の救いのみわざに参与し、その恵みを分かち合い、すべての人に神様の祝福を伝えるために召されています。それはわたしたち教会がアブラムのように、この世の安定や繁栄に頼るのではなく神に召し出された旅の途中にあるということでもあります。現代の教会を取り巻く状況の中で、人間的には先が不安になることもあります。しかしわたしたちの行く先は、神様が「わたしが示す地へ!」と言われるところです。それはわたしたちが、神様を信頼することへ招かれているということです。
 なぜなら、教会は終わりの日、イエス様が再び来られる日まで旅人だからです。その日まで教会は途上にあり、その姿はいつも変わりゆきます。ある時点の姿が永遠に安定した理想的なものであるというわけではありません。つい、かつての教会の姿が懐かしく感じることがあるかもしれませんが、教会とはそもそも変わりゆく存在であるがゆえに、変化を恐れないのです。アブラムは神様の祝福の御計画のため、慣れ親しんだ環境から抜け出さなければなりませんでした。これまで築いた安定した地位に頼るのではなく、神様だけを頼りに彼は出発したのです。地上を旅する神様の教会は、地上では行く先を知らないかもしれません。しかし終わりの日の御国が示されており、その日に教会は完成します。その日まで、わたしたちは神様がこの世を愛しておられるその働きを実際に地域の中で表していく存在であり、祝福のご計画に召し出された者です。
 ですからわたしたちは、それぞれの教会に与えられた神様のご計画を信頼します。神様はいま、この町でわたしたちの教会を通してどんな祝福のご計画をなそうとしておられるのでしょうか。確かにわたしたちは、この世の中では小さく弱い存在かもしれません。しかし自分の力がないからこそ、そこに頼ることができないからこそ、聖霊の力が先立って進みます。小さな存在であるかもしれないけれども、そのような教会の姿にイエス様の十字架の姿が現されていきます。このイエス様の十字架こそが、神様の救いを現したのです。そしてわたしたちは、十字架の道のりが復活へとつながっていることを知っています。ですからわたしたちは、召し出されたそれぞれの場で、神様のご計画を大胆に信頼し、御国をめざし地道に目の前の宣教のわざを今日も果たしていきたいと願います。
「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(一ペトロ3・9c)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊱「名前から」

「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。/見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7・14)

 「私、カードに名前を書くだけでやっとですけどいいんですか?」そう言う私に彼女はニコニコしながら「名前だけでも頂く方は嬉しいのよ。」何年も前に教会で交わした言葉を思い出しました。
 それは寄せ書きされたカードが教会から私宛に送られてきた時でした。いろいろな理由で教会へ足を運べない人がいらっしゃいます。私もその1人です。
 自分の健康のことや家族のことなど人によって理由は様々です。教会へ行かれない辛さや寂しさの中、1枚のカードが教会から届きました。教会の牧師がみ言を書いてくださりその周りに所狭しと教会の方々のお名前が書いてありました。
 飛び出す絵本てご存知ですか?そのような感じでお一人おひとりの書かれたお名前からメッセージや表情が飛び出して来るんです。それだけではなくお名前が書かれていないお一人おひとりの祈られる姿も伝わってきます。
 自分の経験や変化する状態などで同じ文章や言葉が違う意味を伝えてくれる時があります。それは好きな本の言葉であったり歌の歌詞だったりなんとなくかけられた言葉だったり。それら一言一言は今あなたに生きて与えられています。例えあなたが選んだと思ったとしても神様からあなたへ与えられています。

議長室から 大柴譲治

「soli deo gloria〜徳善義和先生を覚えて」

 今年1月3日、徳善義和先生が90歳で天に召されました。1980年の神大編入以来、石居正己先生と徳善義和先生から私は実に多くのものを学ばせていただきました。奇しくも後にむさしの教会の牧師としてもお2人からバトンを受け継ぐことになります。
 詳細なプロフィールは『ルター研究第8巻』(定年退職記念献呈論文集2002)に譲ります。徳善先生は1954年に東大工学部、57年に鷺ノ宮のルーテル神学校を卒業後、59年JELC按手、稔台教会での牧会と留学を経て64年専任講師、73年に教授に就任。2002年の退官までの40年近く、ルターがよみがえったように生き生きと語られる先生の「徳善節」は大変に有名でした。また、先生のエキュメニカルな領域での貢献も忘れることはできません。国際的にも国内的にも先生は常にカトリック・ルーテル・聖公会の共同委員会の中心であり、2014年11月30日の「エキュメニズム教令50周年」記念の3教会合同礼拝では説教者を務められます(於東京カテドラル聖マリア大聖堂)。1997〜2000年には日本キリスト教協議会議長。2012年には岩波新書で『マルティン・ルター〜ことばに生きた改革者』を出版。幅広い貢献から2014年にはキリスト教功労者顕彰を受彰されています。
 私には三つの忘れ難い逸話があります。神学生時代、未熟な私は先生から約束の重要性について厳しく指導されたことがあります。どこまでも約束とは相互的なものであって、相手はその時間を調整して待っている。そこには社会的な責任があるのです。赤面の至りでした。二つ目は、私たち夫婦の国際結婚のビザ切替え時に入管にまで足を運んでくださいました。有り難いことです。三つ目は1997年の春、むさしのへの着任が決まった直後でした。留学先のフィラデルフィアまで足を運んでくださり、3人の子どもに牧師館の間取りを示して歓談してくださったのです。子どもたちは大喜びです。その際ラジャシェカー教授からの〝magna cum laude〟という語を伝えてくださったのも先生でした。それは今でも私の大切な原体験になっています。そのように要所々々で先生は深く関わってくださった。それは恐らく私だけではありますまい。先生は常に一人ひとりをしっかりと温かく観ておられました。その意味でも先生は優れた教育者であり牧会者でした。登世子夫人にもいのちの電話でお世話になりました。ありがとうございました。s.d.g.

「教会讃美歌 増補」 解説

㉝増補17番「もし神がともにおられなければ」・増補18番「幸いな人よ」

日笠山吉之(札幌教会牧師)

 聖書の中でもとりわけ『詩編』をこよなく愛したルターは、『詩編』のテキストをパラフレーズ化して、コラールの歌詞としたものが幾つもあります。今回ご紹介する17番『もし神がともにおられなければ』と18番『幸いな人よ』もそうです。前者は『詩編』124編が、後者は同128編がそれぞれ下敷きとなっています。
 まず、17番の『もし神がともにおられなければ』を取り上げましょう。このコラールの下敷きとなった『詩編』124編は「主が私たちの味方でなかったら、主が私たちの味方でなかったら」と言う御言葉で始まりますが、ルターは律儀にもコラールの中でこの御言葉を2回繰り返しています。それに続く歌詞は、1節「力を失い、世に侮られる、あわれな群れよ」2節「か弱いわれらは、からだも、いのちも、流されるまま」。その通りです。主が私たちの味方でなかったら、私たちにはなす術がないのです。しかし、信仰者は主が共におられ、必ずや救ってくださることを知っています。ですから、3節に入ると「感謝と賛美は、ただ神にある」とルターは歌うのです。さながら罠から放たれた小鳥のように自由に!
 次の18番『幸いな人よ』も、『詩編』128編のテキストをほぼ忠実にたどっています。「いかに幸いなことか。主を畏れ、主の道に歩む人よ」と言う御言葉で始まるこの詩編は、127編と共に、現在でも結婚式の式文の中で最初に交唱される詩編となっています。ルターのコラールは、主を畏れ敬い、互いに愛し合いつつ主の道を歩むカップルがいかに祝福されているかを歌い上げていますが、それはさながらルターの家族の仲睦まじさを垣間見るかのようです。この歌詞につけられたJ・ヴァルターの旋律も冒頭から高揚感に満ちています。最後の小節のシンコペーションがなんともリズムが取りにくいかもしれませんが、そこはあまり拘らず勢いで歌い切ってしまいましょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

難民に手を差し伸べるエストニア教会

 エストニアのルーテル教会はウクライナ戦争による難民たちを様々な手段で支援しています。牧会的ケア、実際的サポート、合同の集会や活動などを通じて彼らが安心して生活できる環境を提供しようと努めています。
 ロシアのウクライナ侵攻が起きてすぐにエストニアルーテル教会EELCは難民を歓迎しました。LWF加盟教会のEELCとそのディアコニア活動団体は、宿泊施設と牧会的ケアを手配、色々な活動を計画し心を込めて迎え入れました。
 「侵略戦争は言語道断の罪です。」総司教のウルマス・ビルマ氏は言います。同時に彼は共感の力を強調して次のように言いました。「悪は、信仰と希望と愛を私たちから奪うことはできないのです。たとえすべてを奪われても、信仰と希望と愛は奪えません。」
 多くのエストニア人にとってウクライナ侵攻は他人事ではありません。牧師やボランティアたちは今回の戦争で、ソ連時代のスターリンによる弾圧という悪夢の記憶がよみがえり、強制的に避難させられた住民の痛ましい状況を語ります。
 EELCの諸教会は侵攻後すぐウクライナ支援基金を起ち上げました。するとエキュメニカルな関係教会やLWFから、各個人からの分を合わせて6万ユーロを超える支援が集まりました。感謝祭には1万7千ユーロがこれに加算されました。
 タリンにある聖ヨハネ教会のボランティアたちは言います。「戦争が始まったときから、すべてのキリスト者と教会が助けたい、行動したいと思い立ち、どうしたらいいのか考えました。」「みんなが人道的支援品や義援金を集めてくれます。チャリティーコンサート、物品販売、ボルシチの提供、迷彩柄の網、ニットの靴下や手袋など。もちろんウクライナのための祈りもです。」2人の女性はウクライナの子どもたちのために語学サマーキャンプを開催しました。難民の子どもたちはエストニアの子どもと同部屋で過ごしたため交わりを深めることができ、キャンプは大成功でした。
 一緒にする料理や魚釣りに盛り上がったりもしました。タルトゥのエストニア人が釣り道具を寄付し、ウクライナ人を連れてエマジョギ川で鯉を釣ったそうです。タルトゥにある聖マリア教会でデイケアセンターを運営するレア・サールさんは言います。「会話が弾んで釣り場の話になって、ウクライナの子どもたちが池と呼ぶ水場のことをエストニア人は湖と呼んでいたり。どんな魚が釣れたとかどのぐらいとれたとか。これは凍りついた心を人とのつながりで解きほぐし親切を注ぐ方法なんです。」
 牧会的霊的ケアも欠かせません。戦争が始まるとEELCの牧師45人が協力しました。今でも12人がカウンセラーとしてパートタイムで難民たちのケアをしています。宿泊場所を移動する合間を利用して彼らの喪失体験や恐怖に耳を傾け、亡命生活の心の不安と向き合う手助けをします。その人の信仰がなにかは問うことをしません。
 「キリストが今私たちに問いかけていることはなにか。それはあなたは愛したか、です。キリストがそうしてくださったように、私たちは愛しているかが問われています。」オーヴェ・サンダー神学研究所学長は自身の動機をそのように語っています。
 「戦争難民の方々の厳しい未来に光を届ける。ケアやチャリティを通して希望を贈る。そうしてキリスト者として出来ることをする。それが平和を得ている私たちが神様から召し出されていることなのです。」ヴィルマ総司教はこのように締めくくりました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑫NCCドイツ語圏教会関係委員会

李明生(田園調布教会牧師)

 「ドイツ語圏教会関係委員会」は日本キリスト教協議会(NCC―J)の「国際部門」の委員会の一つです。
 当委員会は、日本とドイツ語圏の教会間交流を通して共通の関心事を見い出し、相互的な啓発、学びあいを進めることを目的としています。1965年に開催された第1回日独教会協議会の結果、1966年にスタートしました。その後、1979年には東ドイツ委員会と西ドイツ委員会に分かれましたが、1990年10月にドイツ連邦が統一され、プロテスタント教会も一つの組織を形成したことを受けて、日本側の委員会も1991年に再度一つの「ドイツ教会関係委員会」として出発することとなりました。その後、2016年の協議会にはスイスのプロテスタント教会からも代表者が参加することとなりました。ヨーロッパのドイツ語圏にはプロテスタント教会が展開していることから、ドイツに限らず「ドイツ語圏」のプロテスタント諸教会と日本のプロテスタント教会とを繋ぐ役割を担うことを目指して、2017年より「ドイツ語圏教会関係委員会」と改称することとなりました。
 当委員会の大きな役割の一つは、ドイツ国内の20の諸教派の集まりであるEvangelische Kirche in Deutschland(EKD)が母体となって各国から受け容れを行っているドイツ・プロテスタント教会奨学金の奨学生の募集・予備選考・推薦です。この奨学金プログラムは、日本とドイツの教会交流の促進を目的に設置され、将来にわたってエキュメニカルな働き及び宣教活動に貢献できる人材養成を目指しています。例年、募集要項は夏頃に発表され、応募締め切りは12月下旬、選考試験は1月上旬に行われています。
 また日本とドイツ語圏のプロテスタント教会間による定期協議会を開催しています。この協議会はそれぞれの教会の宣教の課題を共有し、協力関係について確認することを目的としています。2016年に第7回協議会が東京にてスイスのプロテスタント教会を交えて行われた後、2019年にはスイスのリューゲルおよびアーラウにて行われました。本来であれば2022年に次回の開催の予定でしたがコロナ禍で延期となり、現在も協議中です。
 なお2016年に宗教改革とディアコニアを主題として行われた協議会の講演等の記録は、「いま、宗教改革を生きる—耳を傾け共に歩む—」(NCCドイツ語圏教会関係委員会編・いのちのことば社2019年)として書籍化されました。宗教改革の歴史とディアコニアの関係についての入門書的1冊となっています。皆様是非お読みください。

東海教区青年会・外国人メンバークリスマス会

レリアナ・パルドシ

 皆様、メリークリスマス、神の平安が私たちの生活に常にありますように。
 私はレリアナ・パルドシです。インドネシアから来ました。私は日本に働きに来た外国人インターンです。ちょうど3年前の2019年12月10日、初めて日本に来ました。夢のようでした。大学卒業後、日本に来るとは思っていなかったのですが、神様の御心で、日本で最初の仕事をすることが許されました。恐れはありますが、私の人生における神の祝福にも感謝しています。3年前、日本での初めてのクリスマスの時、仲間の中でキリスト教徒は私だけでした。当時、私が住んでいる場所の近くに教会があり、毎週日曜日に訪問したいと祈りました。そして、私が最初に行った教会が大垣教会でした。今まで、大垣教会で成長し、教会の家族を見つけられました。日本語や日本文化を勉強するクラスで徳弘先生と出会ったのもこの場所でした。また、渡邉先生が率いる教区のユースサービスにも出会いました。このユースサービスを通じて、日本人と出会って多くのことを学びました。教区のユースサービスではZoomを介して接続しています。2021年12月のクリスマスに教会のユースと初めて直接会いました。そして、この 2022年12月は対面でのユースの2度目のクリスマスでした。
 2022年12月のクリスマスサービスは、教会の若者たちと一緒に祝いました。一緒に礼拝し、一緒に昼食をとり、一緒に歌い、ゲームをし、贈り物を交換しました。国ごとに異なるクリスマスの伝統があって、インドネシアでは若者がクリスマスを祝う時、通常、聖歌隊と伝統的な踊りで祝っていますが、日本でもクリスマスを祝うことができたので、私は幸せでした。私にとってクリスマスは単なるお祝いではありません。キリストが私たちのために生まれたからです。2022年のクリスマスには多くの祈りと希望がありました。
 神が私たちの人生の歩みと祈りを祝福し、神が最高の時に応えてくださることを願っています。

新任J3から

スレザク・ローラ

 スレザク・ローラと申します。アメリカ人です。私はテキサス州ダラスの近くで生まれました。同じ場所で育ちましたが、大人になってから住んだ場所は、日本が7カ所目です。祖父は外交官で、家族から異文化への理解と尊敬を教えられていました。
 私は九州学院高校のJ3です。ALTとして1年生を18クラス教えています。また、大江教会で毎週夕方の水曜日に英会話サークルの講師をしています。時々、熊本国際礼拝で説教をすることがあります。今年の2月19日に大江教会で説教をしました。仕事以外では、毎日日本語を勉強しています。趣味はハイキングなどのアウトドアで、特に山や森の周辺が好きです。ラーメンやしゃぶしゃぶなど、おいしいものを食べに行くことも好きです。

定年教師挨拶

野村 陽一

 本年3月で定年を迎えた野村陽一です。38年間、牧師としてお支え下さり心から感謝申し上げます。私は、神学校入学の時から、牧師への召命は神からの召命と、教会からの召命の二つがあると考えていました。当時属していたむさしの教会で、青年仲間が次々と牧師への道を選び取っていく中、私に対する教会員の期待を感じ取っていたことの影響だと思っています。二つの召命感は今でも変わっていません。
 これまで、岡崎、刈谷、名古屋めぐみ(恵・柴田)、大分、別府、日田の6教会で牧師として過ごしてきました。新卒以来、いつも複数の教会を担当するあわただしい生活で、一教会に集中できないもどかしさを感じつつも、こんな牧師を受け入れ、支え続けてくださった教会員なしには、ありえない38年間だったと思います。
 教会以外にも、保育園、児童養護施設、認定こども園での働きも与えられました。子どもたちや若い職員からたくさんのエネルギーをもらいました。こうして感謝をもって定年を迎えられたことは大きな幸いです。
「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(一コリント15・58)。

「定年を迎えて」 小副川 幸孝

 牧師として四十有余年を過ごすことができ、これまでお支えいただいたことを心から感謝申し上げます。
 思い返せば、牧師としての按手を受けました時に、「この方のなさった事は、何もかも、すばらしい」(マルコ7・37口語訳)と告白できるような歩みをしたいと願っていました。
 しかし「教会の声は神の声」と思い、赴任先を委ね、藤が丘教会に統合された世田谷新町教会を皮切りにして与えられた場所での働きとなり、結果的には牧師人生の半分近くは学校教育の場となりました。立教大学大学院を卒業後、米国のシカゴ神学大学院に留学し、帰国して6年間は開拓されたばかりの新札幌教会、そして九州学院(宇土教会兼任)、九州女学院短大、九州ルーテル学院大学が任地となりました。また、母教会である久留米教会、そして最初の任地で設立を準備した藤が丘教会などの招聘を受け、現在は九州学院にいます。東京女子大やルーテル神学校で教壇に立つ機会も与えられました。それぞれのところでの出会いが、神から賜った大切な出来事であり、それらの方々に支えられての牧師生活でした。
 牧師としての定年を迎えるにあたり、今あらためて、そうしたことの一つひとつが去来します。すべてがうまくいったわけではありませんが、やはり、「この方のなさった事は、何もかも、すばらしい」と告白したいと思っています。

「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」MIDIデータをご活用ください

 2021年に発行されました「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」のMIDIデータが、日本福音ルーテル教会のWEBサイトにて公開されています。新しい賛美歌に身近に触れる機会として、是非ご活用ください。
 「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」ならびに「教会讃美歌」のMIDIデータは、日本福音ルーテル教会WEBサイトの「アーカイブ」中の「礼拝関連資料」ページに掲載されています。
※「礼拝関連資料」ページはWEBサイトをご参考ください。

「神学校の夕べ~主の召しに応えて~」動画配信のご案内

 2月26日(日)17時よりオンラインにてライブ配信された「神学校の夕べ」の動画を3月末までご視聴頂けます。
 誰もが主の召しを受けています。一人ひとりに与えられた召しに応え、共に歩んでいく幸いを皆で祈り求めましょう。
説教 立山忠浩(日本ルーテル神学校校長)
司式 梁熙梅(NRK神学教育委員)、司式補佐・神学生
奏楽 湯口依子(ルーテル学院オルガニスト)
合唱・ハンドベル演奏 
ルーテル学院聖歌隊、ラウス・アンジェリカ
共催 日本福音ルーテル教会神学教育委員会・
日本ルーテル教団神学教育委員会・
日本ルーテル神学校
※こちらのWEBサイトをご参考ください。

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