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バイブルエッセイ

「あなたの羊飼いは誰ですか」

イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」
(ヨハネによる福音書21・17)
〈牧師としての働き〉

「岡山教会、松江教会、高松教会、福山教会、三原教会の牧師の加納寛之です」。これが今の私の自己紹介であり、担うことを与えられた働きです。4県5教会、広範囲(山陽、山陰と瀬戸内海を渡って四国と広島)ということで驚かれるところまでがセットです。そこに建てられた教会の歴史を大切にし、信徒と共に歩む恵みをかみしめています。人と出会い、神様と共に歩むことは喜びです。とはいえ、心苦しいですが、毎週それぞれの教会に行って牧師が礼拝を担当できるわけではありません。信徒奉仕礼拝(ビデオ)や信徒の高齢化を考慮して月2回の礼拝にしている教会もあります。少ない機会だからこそ大切にし、みことばを宣べ伝えるための工夫をしながら歩んでいます。

〈羊飼いとして〉

 牧師という呼称はラテン語の「牧者」を語源とし、イエス様が「私は良い羊飼いである」と言われたことに倣い、羊飼いのような指導者、師として歩む者を指します。大前提はイエス様が羊の大牧者であるということ。牧師も信徒もイエス様に養われ、導かれて歩んでいることを忘れないようにしましょう。牧師はイエス様の働きを託された者として歩みます。
礼拝を通して教えること、導くこと、また魂の配慮、癒やしなどもあります。牧会とは羊を飼う(成長させる)ことです。遠くとも直接顔をあわせ、礼拝と交わりをし、パウロのように手紙を送ったりするのは、羊を愛しているからです。

〈無牧ということはない〉

 先日、教派を超えた活動をするグループの「無牧教会ドキュメンタリー」を製作するためのインタビューを受けました。離れた教会を一緒に回り、礼拝を守りながら「日本福音ルーテル教会では無牧ということはないんです」とお伝えしました。無牧というと牧師が住んでいない教会のことを指すと思われるかもしれませんが、牧師が不在状態の教会のことを指します。日本福音ルーテル教会では居住する牧師がいなくても必ず主任牧師が任命(招聘しょうへい)されます。たとえ距離は離れていても牧師、あなたの羊飼いは居るのです。これは幸せなことだと思います。
羊飼いの居ない迷う羊になることはない。「あなたの羊飼いは誰ですか」と問われた時、自信をもって自分を牧する者の名前を挙げられるでしょうか。牧師と信徒が信頼関係をもって歩みたいと願います。

〈あなたも羊飼い〉

 教会の中の羊飼いは牧師だけではありません。信徒は羊であると同時に羊飼いでもあります。教会は信徒の相互牧会があるからこそ豊かに歩めるのです。むしろ、信徒の相互牧会がなければ教会という主の家族の交わりは成り立ちません。牧師が離れた場所にいるからこそ強く実感し、深く感謝し、信頼しています。羊飼いとは、役員や、司式や、礼拝奉仕をしてくれる人だけではありません。お互いに声をかけあうこと、祈りに覚えること、目に付かない奉仕などを通してあなたも羊飼いとなっているのです。それぞれの賜物、優しさをもって自然な姿で羊飼いとして歩んでいると覚えてほしいと思います。

〈時に役割を変えながら〉

 私は学生時代、山岳部でしたが、登山パーティーは、リーダーが先頭、サブリーダーが最後尾を担うのが一般的です。リーダーは、羊飼いと同じ役割を担い、正しい道へと導き、後ろの者に気を配って進みます。けれども、危険な場所ではリーダーとサブリーダーが場所を入れ替え、リーダーは後ろから群れを守り、サブリーダーが皆を導きます。イエス様、牧師そして信徒。教会はそれぞれが羊飼いとして教会の歩みの中で時に先頭に立ち、時に後ろに行き、役割を変え、信頼しながら歩んでいるのです。
私たちは誰もが等しく神様に愛される羊であり、羊飼いとしても歩みます。わたしもあなたも羊飼い。牧師も信徒も互いに養い、養われる者となる感謝をもって、信仰生活を歩みましょう。

善き羊飼い」
イタリア、ローマ、プリシラのカタコンベ (3世紀後半)

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